「カリオストロ伯爵」典型的魔術師モデル、世紀の詐欺師の生涯の謎

シチリアの街

目次

大魔術師か、大詐欺師か

 カリオストロ伯爵(Count Alessandro di Cagliostro)こと、ジュゼッペ・バルサモ(Giuseppe Balsamo。1743〜1795)は、1743年、シチリア島のパレルモ、バゲリーアで生まれたとされる。
父ピエトロ・バルサモは宝石商だったが、ジュゼッペが生まれてわずか数ヶ月後に、破産して死んでしまった。
宝石いくつか 「宝石商の基礎知識」価値の基準。ブリリアントカットの種類
バルサモは姉と一緒に、母、フェリーチェに育てられた。

 彼は時たま、最後の錬金術師と言われる。
しかし、まず間違いなく彼よりも前の世代と言える、アイザック・ニュートン(1642〜1727)も最後の錬金術師と称されることがある。
リンゴの木 「ニュートン」万有引力の発見。秘密主義の世紀の天才
 カリオストロもニュートンも、錬金術にそれなりに通じていたのは、かなり確かな事実である。
錬金術 「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石
だが、オカルト趣味の科学者であったニュートンとは違い、カリオストロという男は、おそらく詐欺師である。
だから、あくまでも、ちゃんと真面目に錬金術を行おうとしていた、最後の錬金術師がニュートン。
と考える人もいると思う。

 だがこれだけは確かだ。
もしカリオストロが、単なる詐欺師なのだとしたら、彼はまさに史上最高レベルの大詐欺師である。
彼は貧乏な家に生まれ、しかしその類稀なる魅力を持って、貴族の社交界に溶け込み、多くの人の信頼、そして魔術師としての名声を得ていたのである。

 またもう一つ確かなことが、彼には多くの敵がいたこと。
愛の人カザノヴァ(Giacomo Casanova。1725~1798)。
ロシア女王エカテリーナ二世(Екатерина II Алексеевна。1729~1796)。
女詐欺師ジャンヌ(Jeanne de Valois-Saint-Rémy。1756~1791)
ハプスブルク家のマリー・アントワネット(Marie Antoinette。1755~1793)。
双頭の鷲 「ハプスブルク家の王室の人達」ルドルフ、マリー。最後の皇帝まで。代表者9人
 カリオストロに関する悪評は、ほとんどが、彼らのような敵が広めたものとする説もある。

若きジュゼッペ・バルサモの冒険

パレルモ、ペレグリーノ山に隠されしムーア人の財宝

 パレルモのペレグリーノ山には、隠された財宝があるという噂があった。
フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、ムーア人、ノルマン人、スペイン人と、多くの招かれざる客が、千数百年ほどの間に、次々とこの地にやってきた。
パレルモを支配者する者たちは、よそから侵略者が現れるたびに、ペレグリーノ山の洞窟に、財産を隠したと伝えられている。

 そしてパレルモにやってきた者たちは、たいていここにとどまり、暖かい気候と豊かな土地を楽しんだ。

 1763年頃。
まだ二十歳前後ぐらいの、若きジュゼッペ・バルサモは、 ムーア人がどこか、おそらくはペレグリーノ山に隠したという、財宝探しに夢中になっていた。

銀細工師、ヴィンチェンゾ・マラーノ

 ムーア人は2世紀の間、シチリアにとどまった人たち。
バルサモが探していた財宝は、1072年1月に、ノルマン人の軍が9つの城門を持つ砦を打ち破り、パレルモに侵入した時、アユブ・テミムという人が隠したとされるもの。

 宝を探すバルサモには相棒がいた。
パレルモでも有数の大金持ちであった、銀細工師のヴィンチェンゾ・マラーノ(Vincenzo Marano)である。

 バルサモはマラーノに打ち明けていた。
「おれは宝の場所を知っている」
バルサモは、そのありかを記す古文書を解読し、さらに特別な夢によってそれを見たのだと主張した。

 バルサモが夢を通し見たのは、大量の金貨の上に、黄金の鶏が置かれていた光景。
ただ問題があった。
それらの宝は 恐ろしい悪魔や精霊に守られているのだという。
ムーア人は、イスラムの大事な財宝が異教徒の手に落ちないように、闇の力を持つ者たちを、守備に置いていたのである。
イスラム 「イスラム教」アッラーの最後の教え、最後の約束 ランプの精 「ジンの種類とイスラム世界のいくつか」アラビアの怪物たち

ろくでもないゴロツキという噂

 マラーノは、バルサモには近づくなと、周囲の者から警告されていた。
ジュゼッペ・バルサモという若者の評判は、すでに当時、かなり悪かったとされる。

 ろくでもないゴロツキ。
気取った目立ちたがり。
どこにでもありふれていたような、貧乏な家で生まれ育った不良青年。
それがバルサモだった。

 彼は生まれ育ったバゲリーアのギャング団を率いて、地元やよそから来た人たちを震え上がらせ、時に警察とも戦った。
ナイフで、聖職者をひとり殺したという噂もあったが、証拠がないから、捕まりはしなかった。

 マラーノも彼の悪評は全て知っていた。
しかし、彼が単なるゴロツキでないということも知っていたのだった。

偽造技術の才

 バルサモの母は一文無しではあったが、父や兄弟から援助を受ける事は出来た。
そのおかげで、彼はちゃんとした教育を受ける機会もあった。

 十歳になるとバルサモはサン・ロッコ神学校に入り、2年間学んだ。
その後、内陸のカルタジローネ村にあるファテベネフラテッリ治療会の修道院で、修道士見習いを3年ほど勤めたという。

 バルサモの早熟ぶりは有名だった。
知性と想像力に富み、特に化学に関しては、かなりの才を発揮した。
化学反応 「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か
また、絵を描くのが非常に上手かった彼は、図形のみならず、手書きや印刷の文字を、非常に正確に書き写す能力にも長けていた。
若きバルサモは、この才をかなり悪用したとされる。
劇場の偽チケット。
修道院からの外出許可証。
公文書を偽造したという噂もあった。

 つまりバルサモは、古い羊皮紙に、ムーア人の財宝の地図を、いかにも本物らしく書き、それをマラーノに見せることもできた。

ファテベネフラテッリ修道院にて

 バルサモはいくつか学校に通ったが、その全てで追い出されたと伝えられている。
彼は、何か悪い事をした時の、罰としての鞭打ちや拘束を受けても、全く平然とし、教師たちから不気味がられていた。

 修道院からはなかなか解放されなかったらしいが、これに関しては修道士たちが慈悲深かったわけではないらしい。
バルサモには優れた薬学の才があり、多少素行が悪かろうとも、若きこの天才を、修道士たちは手放したくなかったのだそうだ。
しかしバルサモは、朝食時、殉教者列伝を唱える際に、聖人の名前を、地元の娼婦の名前に書き換えて列伝を唱え、結局修道院も追い出されたのだった。
聖人 「守護聖人とは何者か」キリスト世界の殉教者たちの基礎知識
 しかし修道院にはそれなりに長くいたために、バルサモは悪魔と戦うためには欠かせない、キリスト教の儀式に精通していた。
悪魔の炎 「悪魔学」邪悪な霊の考察と一覧。サタン、使い魔、ゲニウス 十字架 「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束

白魔術、黒魔術、錬金術、カバラ、占星術。アルベルト神父の召喚術

 バルサモには魔術師だという噂が当時からあった。
音楽魔術 「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
白魔術、黒魔術の両方を体得していたのだという。
月夜の魔女 「黒魔術と魔女」悪魔と交わる人達の魔法。なぜほうきで空を飛べるのか
羊皮紙に魔法のサインを書く方法を知っていて、市場で売っていたどんな魔除けよりも、強力な護符を作ることができた。

 ファテベネフラテッリ修道院では、錬金術とカバラの知識を会得した。
カバラ 「カバラ神秘主義」セフィロトの樹の解説と考察。神様の世界創造魔術
バルサモは修道院の研究所で、アルベルト神父という人の下で働きながら、見習い薬剤師として、塩や水銀や硫黄を利用して、卑金属を変質させるプロセスを学んだ。
また、 バルサモが隠された神の財宝のありかを突き止めた秘術は、カバラに基づくものだったとされる。

 アルベルト神父は、他にも占星術の知識。
占星術 「占星術」ホロスコープは何を映しているか?
良い精霊を呼び出し、悪い精霊を退治するための、儀式や呪文も教えてくれた。

 また後年になって、バルサモ自身が語ったところによると、彼は修道院を追放された後、ギリシャ人の錬金術師アルタトスにも教えを受けたという。

魔法使いとしての評判

 若きバルサモは魔術師として、二つの手柄で評判だった。

 ひとつは、田舎の司祭からもらった聖なる油を染み込ませた紐を使って、姉にとりついた悪魔をはらって見せた事

 もうひとつが、友人たちに、遠くにいた恋人が何をしているのかを当てて見せたこと。
この時バルサモは、砂の上に魔法の円を描き、呪文を唱え、ふたりの男を相手に、カードゲームをする恋人の姿を浮かび上がらせたとされる。

 友人たちの証言は食い違っているらしい。
バルサモは、砂に本物のように見える絵を書いただけという者もいた。
空中に、ぼんやりとした幽霊のような姿が浮かんだという者もいたという。
どちらにしても、友人たちが恋人の家に駆けつけると、予言は細かいところまでかなり一致していたとされる。

イスラムの悪魔たちの守り

 とにかくバルサモは、マラーノに、財宝探しを一緒にしようと持ちかけた。

 バルサモは正直に、自分は元々誰の助けも借りるつもりはなかった、と告げた。
しかし、恐ろしい番人を退けるには誰かの助けがいることを、彼はしっかり理解してもいたのだ。
マラーノを誘ったのは、彼が怖いもの知らずとして評判だったからだという。

 バルサモは、これがかなり危険な冒険になるということを、マラーノに覚悟させた。
イスラムの悪魔たち、特にアザゼルやイブリースは凶暴で、姿を変えて人を騙すジンなども、かなり厄介な存在である。

彼は間違いなく本物の魔術師

 バルサモは、 悪魔に対抗する力を得るため、断食を提案した。
バルサンとマラーノは、数週間肉を食べなかった。
それから生きた鶏を9羽買って、生贄とした。
特別な香りの草や油を使い、皮膚を清める儀式も行った。
その儀式の最中、バルサモは高い声で何事かを唱えていたという。

 バルサモはマラーノに、魔法の材料を全て買うのに必要な資金は、銀貨60枚だと告げた。
かなりの大金であったから、さすがにマラーノは怪しみ始めた。
しかしバルサモの、真に迫る儀式や、その豊富な知識と関わるにつれ、彼は間違いなく本物の魔術師なのだと確信したマラーノは、後に見つけることになる財宝に比べれば安いものだと、結局金を出した。

逃げ出した詐欺師。謎の魔術師アルタトスは詐欺の師か

 宝探し当日。
黒い法衣に身を包んだバルサモは、マラーノとともに、ペレグリーノ山へと向かった。

 山に着くとまず二人は、パレルモの街の守護聖人であるセント・ロザリアに、祈りを捧げた。

 山にあった洞窟を進む二人。
あるところで、バルサモは、マラーノを止めた。
ここから先の悪魔にそなえ、聖水を一口飲めと指示した。
さらにマラーノの額に、神聖な油を塗って、地面に円を描いた。
そして精霊を呼ぶ歌声を響かせた。
恐ろしい悪魔から、自分たちを守ってくれる、強力な味方を呼び出すための歌。

 ふいに、マラーノの目に何かが映ったような気がした。
黒い顔、ヤギのような角、まるで悪魔がそこにいたような気がした。
そして彼は、おそらくは背後からバルサモに殴られた。
だがその時は、それを悪魔の仕業だと考えてしまった。

 気がついた時、バルサモの姿はなかった。
傷だらけの体で、パレルモに戻ったマラーノは、まずバルサモの心配をした。

 いったい彼はどこに消えたというのか。
悪魔にやられてしまったのだろうか。
そんなことはなかった。

 バルサモは町を出ていた。
共犯者であった下男と、アタンシオという司祭とともに。
今回の冒険のために、マラーノが用意した金の全てを持ったまま。

 また、バルサモの師になったという謎の魔術師アルタトスは、仲間であり、先輩詐欺師ともいえる、アタンシオの事なのではないかという説がある。

見習い独学錬金術師

マルタ島の騎士団

 パレルモを去った後、バルサモはカイロとアレクサンドリア行きの船に乗って、東洋の豊かな文化に接触したとされる。

 1765年頃。
バルサモはマルタ島を訪れた。
そして内陸の小さな町イムディーナにて、「聖ヨハネ騎士団(Knights Hospitallers)」の救護所で下働きを始めたという。

 かつてバルサモが、ファテベネフラテッリ修道院で学んだ、薬学の知識は大いに役立った。
また当時の騎士団長ドン・マノエル・ピント・デ・フォンセカ(Manuel Pinto da Fonseca。1681~1773)は、錬金術に強い関心があり、彼は、バルサモの豊富な化学の知識に強く感銘を受けた。

賢者の石の研究

 そのうちに、ドン・マノエルの、錬金術研究所の隣に部屋を与えられたバルサモ。

 彼は毎日毎日薬を調合し、賢者の石の研究に没頭した。
この頃の彼は、おそらく正真正銘、今日に我々がイメージするような錬金術師そのままだった。

 だが、1767年の末頃。
イタリア本土に帰りたい気持ちを強めた彼は、騎士団の上級士官から推薦状をもらって、島を後にした。

詐欺師としての成功。失敗

オルシーニ枢機卿。魔術商人としての顔

 1768年の始め頃にローマに到着したバルサモは、教皇庁にいるマルタ大使プレットヴィル伯爵に推薦状を渡した。
そしてなんと、伯爵を通してバルサモは、秘書として雇うために、文学と美術の才能を持つ若者を探していた、オルシーニ枢機卿(Cardinal Orsini)の目に止まった。

 高い身分であるオルシーニの後ろ盾は非常にありがたかったが、秘書としての仕事はかなり退屈だった。
そのうちにバルサモは、表向きは枢機卿の真面目な秘書。
一方で、時には軽く姿を変えて、広場などで魔術関連の手作りの品を売りさばく商人という、二重生活を始めた。

ロレンツァ・フェリツィアーニ

 バルサモが、人生における大事なパートナーとなった女性、ロレンツァ・フェリツィアーニ(Lorenza Feliciani)に出会ったのは、この時期だった。
当時、バルサモは25歳、ロレンツァは14歳らしい。
バルサモは、洗練さを感じさせるような美しい少女の容姿に、ロレンツァは、底を知らぬかと思えるほどの男の深い知識に、互いに惹かれ合った。

 バルサモは紳士でもあった。
無学な少女をただ誘惑するのではなく、すぐに結婚も申し込んだ。
二人は1768年4月20日に、サンタ・マリア・デ・モンティチェッリ教会で、結婚式を挙げた。

セラフィーナ

 バルサモは最初、ロレンツァの家族とともに暮らしたが、良好な関係は長続きしなかった。
バルサモは信心深いフェリツィアーニ家の者たちを、卑猥な話などでよくからかった。

 またロレンツァは、バルサモの影響を受けて、魔術趣味に傾倒し、セカンドネームのセラフィーナ(Serafina)などという名前を名乗ることになった。
さらに自らの美しさを、ひけらかすようにもなってしまった。

 結局、結婚して間もない二人は、家を追い出されてしまった。

巡礼者となった詐欺師

 二人は、貴族に取り入る詐欺師となった。

 バルサモは偽装文書作成の腕を上げた。
もはや彼は、どんな公文書の偽書も作る事が出来た。
辞令をひとつ偽装するだけで、軍人や貴族になる事も出来る。

 好色な貴族に取り入るために、若き妻の美しさを利用することもあった。
しかしバルサモの、セラフィーナへの愛だけは決して偽りなどではなく、彼女を使うのは、かなり苦渋の決断だったとされる。

 しかしある時、あまりに上手く貴族に気に入られるバルサモたちに、嫉妬した詐欺師仲間の密告により、彼らは警察の御用になってしまう。
結局証拠不十分で釈放されたが、金をはまたなくなってしまった。

 バルサモは思案の末に、巡礼者を装うことにした。
当時のヨーロッパには、巡礼者なら無料で泊まれる宿があったからだ。

カザノヴァとの出会い

病に苦しんでいた色男

 おそらく史上最高の女たらしとして名高いジャコモ・カサノヴァ。
しかし千を超える女に愛されたと言われる彼でも、口説きに失敗する事はあった。 

 1769年3月。
カサノヴァはフランスのエクサンプロヴァンスにいた。
この街で、44歳のカサノヴァは、地元の人たちとある賭けをした。
したたかと評判だった14歳の百姓娘を口説けるかどうか、というもの。
すでにこの娘に言い寄り、フラれてしまっていた、ゴツコウスキという人に、カサノヴァは自信満々に言ってみせたらしい。
「どうやればうまくいくか見せてやるよ」

 しかし結局、カサノヴァも失敗し、恥をさらしてしまった。
そしてこの件がよほどショックだったのか、彼の気は弱り、そのうちに肺炎にかかってしまった。
数週間、彼は病に苦しむ日々を送った。

 危険が去ったと医者に宣言されてからも、しばらくは宿で静かに暮らさなければならなかったカサノヴァ。
異性との付き合いこそ生きがいだった彼にとって、これはかなり苦痛なことであったに違いない。
天使の恋愛 人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」
彼がカリオストロに出会ったのは、この頃であった。

詐欺師の夫婦

 とある宿でカサノヴァは、セラフィーナ・バルサモと名乗る巡礼者の少女と出会った。
とても美しい少女。
彼女の旦那ジュゼッペは感じのいい顔つきだが、どこかしたたかさも漂わせている。

 カサノヴァは二人が詐欺師であるということに、すぐに気づいたという。
だからセラフィーナが、どこか誘うような仕草を見せた時も、カサノヴァはためらった。
この頃のカサノヴァは特に、自分からいきなり誘ってくる若い女に対しては、警戒するようになっていた。
魅力的な若い女性を使った詐欺が、非常に多かったからだ。
「インチキ占い師、霊媒師の手口」予言のテクニックはどういうものか

天性の怠け者

 その夫妻はまぎれもなく詐欺師であった。
だがあまりにもリアルな感じもした。
本当に、やつれた様子で、ただ神の愛だけを喜びとしているような巡礼者。
もし演技なのだとしたら、カサノヴァはこんなにうまい演技を見たことがなかった。

 そして、カザノヴァが妻の誘惑にはかからないと見るや、ジュゼッペは次の手に出た。
彼は、自らの偽造の腕前を披露してみせたのだ。

 やはりこの男は詐欺師であったが、 それでもカザノヴァは、彼が偽装した絵画や文書に感心し、夫婦が旅を続けられるように、若者たちからお布施を集めてやった。

 カザノヴァは、後にジュゼッペの事を、どこにでもいるような天性の怠け者だと述べた。
例えば監獄にでも行けば、このような男は大勢いるという。

女狐セラフィーナ

驚異の秘密

 カザノヴァとも別れてからしばらく。
ジュゼッペが監獄に行かずにすんだのは、セラフィーナの美しさのおかげであった。

 ある時、フランス人の資産家デュプレシスに、セラフィーナを気に入らせ、ジュゼッペは、魔術研究所を立ち上げる資金を出してもらった。
ジュゼッペは、錬金術師アレッシオ・ピエモンテーゼ(Alessio Piemontese)の「驚異の秘密(Secretes of Alexis Piedmont。Famous Secreti。Books of secrets)」 という本を参考に、様々な魔術実験を始めたという。

 またこの頃、セラフィーナは、悪事に手を染める夫にうんざりしだしていて、デュプレシスに本当の愛情を感じ始めてしまっていた。
デュプレシスに言われるがままに、彼女は夫を偽造の犯人だと、警察に密告した。

 だがジュゼッペは、逆にデュプレシスを、調合した薬を盗み、魔術によって妻を誘惑し、しかも自分には毒を盛ったとして、訴えたのだった。
この思わぬ告発返しに、デュプレシスは怖気づいて屈服した。

 ジュゼッペは、セラフィーナに、愛を裏切った罰として、パリ警察に頼み、4ヶ月投獄させた。
これは奇妙なことかもしれないが、釈放されたセラフィーナは、ジュゼッペとすぐさま仲直りしたという。

故郷への帰還。待ち受けていた復讐

 1774年。
ペレグリーニ伯爵夫妻と名乗り、ナポリを訪れていたジュゼッペたちは、伯父であるアントニーオと偶然再会した。

 アントニーオが、パレルモの政府高官ディ・ピエトラ・ペルシアに働きかけ、ジュゼッペは、妻と共に、故郷へと帰ってくる事が出来た。

 ところが彼の帰還を待ち望んでいたのは、家族だけではなかった。
かつて、ジュゼッペに騙されたヴィンチェンゾ・マラーノが、ここぞとばかりに復讐にかかってきたのである。

 ジュゼッペは、マラーノとその弁護士の計略により、牢にぶち込まれてしまう。
この窮地から彼を救ったのは、やはりセラフィーナだった。
彼女は、ピエトラ・ペルシアをたぶらかし、マラーノの弁護士を殴り倒させ、ジュゼッペを釈放させ、後はふたりで逃げ出したのだった。

 故郷からの再びの逃亡だった。

さまよえる魔術師、カリオストロ

サンジェルマン伯爵への憧れ

 故郷からの2度目の旅立ちの後。
ジュゼッペは、自分より少し年上(とされている)、謎の男サンジェルマン伯爵(Comte de Saint-Germain。1691~1784)を参考に、完全に魔術師として振る舞うことにしたようだった。
「サン・ジェルマン伯爵」最も高名な錬金術師の謎。どこまで嘘で何が本当か
サンジェルマン伯爵は、賢者の石を作って不老不死なのだとか、時を超える能力を持つのだか、噂されていた魔術師である。
タイムトラベル 「タイムトラベルの物理学」理論的には可能か。哲学的未来と過去
 彼はペレグリーニ伯爵と、カリオストロ伯爵という名前を、切り替えて使うようにもなった。
カリオストロという名は、メッシナの伯父から拝借した名前である。

 しばらくして伯爵夫妻は、イギリスはロンドンのレスター・スクエアで暮らす事にした。

 彼はカバラの技により、 宝くじの番号すら予言することができると豪語していた。
そして、1776年11月14日。
家主の女性のために、当たり番号を選んでやったことがニュースになった。
ただそのために、彼が持っていると噂された。当たり番号の一覧表を入手しようと、様々なペテン師たちが彼を陥れようとした。
彼は何度も裁判にかけられ、時に投獄もされた。

フリーメイソンへの入会

 そんなひどい毎日の中、カリオストロは気分転換にと、フリーメイソンに入会することに決めた。
フリーメーソンのイギリス 「フリーメイソン」秘密結社じゃない?職人達から魔術師達となった友愛団体
このフリーメイソンこそ、まさにカリオストロにぴったりの組織だった。
神秘的な秘密主義で、魔術を重要視し、おまけに少年時代に袂を分かった教会と敵対している。

 彼は、フリーメイソンの起源を、エジプトのピラミッドの建設者たちとする思想に傾き、自らをさまよえるエジプト人と称した。
また、伝説的な魔術結社、薔薇十字団の創設者、クリスチャン・ローゼンクロイツの生まれ変わりを名乗りさえした。
ピラミッド 「エジプトのピラミッド」作り方の謎は解明されてるか。オリオンの三つ星か 薔薇の秘密 「薔薇十字団」魔術、錬金術の秘密を守る伝説の秘密結社の起源と思想
 彼はフリーメイソンの中で、すぐに頭角を現し、高い地位を得たという。
あるいは、多くの会員に一目置かれるようになった。

カザノヴァとの再会

 1778年7月。
カリオストロ伯爵夫妻は、カザノヴァと再会した。
ヴェネツィアの地で、 なんだか偉そうな伯爵の夫妻がやってきたという話が、カザノヴァの耳にも入ったのだった。

 たいした変わりようだったが、カザノヴァはすぐに、ペレグリーニ大佐を名乗るその人物が、かつて出会った詐欺師だと気づいた。

 カザノヴァは、その女性に対する魅力が魔術なのかという疑いをかけられ、投獄されたりもし、かなり落ちぶれていた。
そして、異端審問所のスパイ、アントーニオ・プラトリーニとなっていた彼は、魔術師の疑いあるジュゼッペにまた近づいた。

 結局カザノヴァは、ジュゼッペを見逃した。
彼はカリオストロ伯爵が詐欺師であることを知っていたから、煮るなり焼くなり、その気になれば出来たはず。

 見逃し理由については諸説あるが、一番ありえそうな可能性は、道連れにされることを避けたのではないだろうか。
カザノヴァは、ジュゼッペの狡猾さを知っていた。
そして彼もまた、当時その秘密主義が、教会からかなり嫌われていたフリーメーソンだったのである。
だから、もしもカリオストロを異端審問所に引き渡せば、自分まで道連れにされる可能性が十分にあったのだ。
魔女狩り 「魔女狩りとは何だったのか」ヨーロッパの闇の歴史。意味はあったか

エカテリーナ二世との戦い

哲学は、魔術も秘密主義も嫌う

 1779年6月。
カリオストロ伯爵夫妻は ロシアのサンクトペテルブルグにやってきた。
女帝エカテリーナ二世に取り入る為である。

 カザノヴァはかつて、この男遊びがひどい事で有名なエカテリーナ二世を、我が物にしようとしたが、失敗したのだという。
どうやらエカテリーナは、自分の思い通りにならないような遊び人男には興味がなかったらしい。
だがカザノヴァが失敗した相手であっても、カリオストロは、自分になら出来るという妙な自信があった。

 しかし、そもそもが大きな誤算だったのが、エカテリーナ二世は哲学がお好みで、魔術というものを嫌っていた。
また、フリーメイソンという組織も、嫌っていたのだという。
フリーメイソンに所属した魔術師のカリオストロに、魅力を感じるはずなどなかった。

貧しい者たちへの愛。魔術治療師となって

 エカテリーナには嫌われたが、ロシアでの暮らし自体は、それなりにうまくいきそうだった。

 サンクトペテルブルグに来るまでに学んだのか、この地で学んだのか。
カリオストロはこの頃から、魔術治療師としての一面も見せるようになる。
そして、その能力と利他主義により、彼の名声はすぐに高まったのだった。

 彼は、病気な人を次々と治してやり、「情が移っただけだから金はいらん」と、治療費はいつも受けとらなかった。
そのようにして、彼は貧しい者たちに、愛の手を差し伸べるようになった。
貴族にばかり取り入っていた、それまでの彼とは明らかに違う。 
彼は変わったのだろうか?

 また、カリオストロは、病気が治る薬を調合し、「大切なのは薬の効能以上に、神の愛だ。神があなたを救ってくれる」と、患者たちに告げたという。
このような言い回しは、いかにも詐欺師らしい。
薬が効かなかったとしても、自分の責任を少なくすることができる。

剣で戦うのでなく、医師としての武器で戦おう

 1980年代の初めの頃。
エカテリーナの主治医、ジョン・ロジャーソンが、カリオストロの住まう屋敷を訪ねたという。
カリオストロは少し前に、彼の患者をあっさり治し、恥をかかせていた。

 ロジャーソンは、「外に出て私と戦え」と言った。
カリオストロは外に出てきて、以下のように述べた。
「私たちは医師だ。剣で戦うのでなく、医師としての武器で戦おうではないか。私はあなたに砒素を与える。私はあなたから与えられた毒を飲もう。それで死んだ方がペテン師だ」

 ロジャーソンは、逃げ出したという。

 この一件以降、エカテリーナはますますカリオストロを敵視するようになり、危機感を感じた夫妻は、サンクトペテルブルグを去った。

物質取り換えマジックショー。暴かれたインチキ

 ロシアを去った後、カリオストロ夫妻はポーランドに腰を落ち着けた。
錬金術師としてのカリオストロを高く評価していた、この地のフリーメイソン会員のひとり、アダム・ポニンスキは、彼に錬金術の研究所を用意してやった。

 カリオストロはまた、この地でも、貧しい人たちのための治療行為をよく行った。

 カリオストロは定期的に、フリーメイソン会員たちの前で、錬金術による物質変成の実演を行っていたが、その内容はほとんどマジックショーだった。
フラスコに入れた粉末を、フラスコごと金属に変えたりしたとされている。
実験室 「原子の発見の歴史」見えないものを研究した人たち
そしてある日、モチンスキという疑り深い男が、物質のすり替えトリックに感づいた。
彼は、破棄されていたすり替え前の物質やフラスコも見つけ、カリオストロの、フリーメイソン内での名声は一気に地に落ちた。

 こうして彼はポーランドも去らねばならなくなったが、こうなったインチキ騒動の舞台裏には、ポーランドにも大きな影響力を持っていたエカテリーナがいたとも言われる。

首飾り事件におけるカリオストロ

ロアン枢機卿

 ポーランドを去った後、カリオストロ夫妻がやってきたのは、フランスとドイツの国境に位置する街、ストラスブールだった。

 カリオストロはこの街でも、貧しい病人たちを、無償で治療してやった。
彼の評判を聞いて、不治の病を宣告された裕福な人たちも、彼に助けを求めるようになった。

 そのうちにストラスブール郊外のサヴェルヌの屋敷に住まうロアン枢機卿(Louis René Édouard de Rohan。1734~1803)も、カリオストロに興味を持ち、使者を送った。
彼は、「私は病人か貧乏人にしか会わない主義だ」という拒絶の返事を返した。
しかし、これにより、ロアン枢機卿はカリオストロへの興味をさらに強め、いつの間にやら、助手のようになってしまっていた。

 それから、カリオストロはロアンと共に、多くの人を苦しみから助けたが、例によってそのせいで、地元の医者などの恨みを買ってしまう。
そして1783年6月。
カリオストロは、そろそろこの地を去る時期だと、ロアンに告げた。

 カリオストロは、サンジェルマン伯爵が特に支持されていたとされる、フランス南部に向かうことに決めた。
ロアンは、カリオストロとの繋がりを失う事を恐れ、科学者のレーモン・ド・カルボニエールに、彼の世話を命じたという。

女詐欺師ジャンヌ。マリー・アントワネットの友人?

 ロアンはまぬけな男だったのか、彼を騙し、取り入ろうとした詐欺師は、カリオストロだけではなかった。
ジャンヌ・ド・ラ・モットという女詐欺師も、王族との繋がりを偽証するなどして、枢機卿から、金を巻き上げていた。

 1784年12月の事。
宝石商バサンジュとボーメールが、注文流れの高価なダイヤモンドの首飾りを、あなたの友達の王妃様に売れないだろうかと、ジャンヌに言ってきたのだ。
ジャンヌはロアンに、その首飾りの売渡し保証人になってほしいと頼んだ。
王妃マリー・アントワネットは今、現金が足りなく、一時的なローンを組まなければならないのだという。
枢機卿は、さすがに政治的な立場もあるので、悩み、ひとつ、よい事を思いつく。

 偉大な魔術師の師であるカリオストロ伯爵を呼び、重大責任の立場である保証人になるべきか否か、教えてもらおうと考えたのだった。

兆候は吉。その宝石買うがよい

 魔術師の登場は、ジャンヌには予想外だったろうが、しかし結果的には、ジャンヌにとって、むしろよい方向に彼は働いてくれた。

 よき霊にお伺いをたてたカリオストロは、兆候は吉だと、枢機卿に告げたのである。
おそらくは、望み通りの権力を手に入れることができるだろう、と。

 こうしてジャンヌは、高価なダイヤを手に入れ、売りさばくことができた。

 しかし枢機卿の、カリオストロへの信望ぶりは、危機を感じさせるに十分なものだった。
もしもカリオストロが、ジャンヌは怪しいと一言でも告げたなら、まぬけな枢機卿も、すぐにジャンヌを疑うだろう。

詐欺師たちのダンス

 ジャンヌが知るカリオストロの評判は、彼の仲間内、つまりフリーメイソン内部では、大層な力を持つ魔術師。
だが、警察は彼を詐欺師と見なしている。
ジャンヌは、おそらくカリオストロを、かなり凄腕の詐欺師と考えたことだろう
カリオストロの方は、ジャンヌの正体に気づいていたかは定かではないが、あまり彼女を信用していなかったようだ。

 高価な品の売買契約を、王妃の名を勝手に使って結ぶなど、かなりのスキャンダルである。
そのスキャンダルを恐れるロアンに、宝石の代金を支払わせ、すべての話は闇に消えるというのが、ジャンヌの計画。
カリオストロの登場は、最初はまずいと思ったが、いざ計画が露見してしまった時に、罪を着せるためのスケープゴートとして使えるものと、ジャンヌは考え始めた。

カリオストロの逮捕

 結局、計画をぶち壊したのはカリオストロではなかった。
期日通りに、最初の代金をもらえなかった宝石商たちが、ジャンヌの言い訳を無視し、王妃に直に支払いを要求してしまったのだ。

 ロアン枢機卿が逮捕されたという話を聞き、ジャンヌは震えたが、まだ自分は大丈夫だという自信もあった。
そう、全ての罪は、大詐欺師のカリオストロがかぶってくるはず。

 先に逮捕されたジャンヌは必死に、全てはあのカリオストロの仕業だと警察に訴え、警察は、少なくとも彼の関与を信じた。

 こうして、1785年8月23日。
カリオストロは、サン・クロード街の家で逮捕された。
セラフィーナも数時間後に逮捕されていたが、別の独房施設に閉じ込められていたこともあり、カリオストロはそのことを知らなかった。

いくつもの顔。ある予言

 カリオストロは、牢獄内では、人が変わったように、おとなしくなった。
子供のように泣き、愛しい妻に会いたいだの、美味しい食べ物が食べたいだのと、訴えたという。
魔術の話題には全然触れなかったとされる。

 警察は、ジャンヌとカリオストロを対面させ、直接対決させたこともあった。
この時だけは、カリオストロは逮捕前と同じように、雄弁な自信家となり、その見事な口で、ジャンヌを追いつめたという。
ジャンヌは思わずカッとなって、燭台しょくだいをカリオストロの腹に投げつけるほどだったとされる。
また、この時、カリオストロはある預言をしたという。
「彼が来る。語るのはその男だ」

 その後、1786年3月26日に、ジャンヌの共犯者のひとりレトーが逮捕された。
彼もまた、カリオストロと対決した。
カリオストロは、神が与えられた役割を彼に説いて、彼は自らの罪を認め、ジャンヌの密告者となった。
予言通りに。

 しかし、カリオストロもセラフィーナも無実にはなったが、フランスからは追放となってしまった。

カリオストロ伯爵の最後

首飾り事件をこえて

 無実を勝ち取ったとはいえ、首飾り事件は、カリオストロの評判を世間的にも地に落とした。
 
 カリオストロを疑う者も多くなり、彼らは結局、ジュゼッペ・バルサモなど、かつて名乗っていたいくつかの詐欺師の名とカリオストロが同一人物なのであるということも、白日のもとに晒してしまった。
フランスを追放されてから、ロンドンでやり直そうと考えていた彼は、もはやロンドンでもいられなくなり、セラフィーナを残し、ひとりでスイスに逃げてしまった。

 それから、いよいよセラフィーナは、夫に愛想が尽きたのか、自分たちの秘密、つまり詐欺師であることを証言するようになってしまった。
それはカリオストロが詐欺師だと知っている、今や多くの者たちにとっては、もうとっくに予想がついていることを確認しただけにすぎなかったという。

 しかしまた面白いことに、夫婦は結局再会し、また仲直りした。
その時のカリオストロときたら、かなりの喜びようだったという。

狂ってしまった詐欺師

 だが信者を失う度に、カリオストロは自身の理性まで失っているようだった。
彼はまるで、精神異常者のようになってしまい、かつてのような雄弁さもすっかりなくなってしまった。
見境なくなり、すぐに怒るようになり、自分と敵対する者には情けない罵声を浴びせた。
もはや敵対する者ばかりというような状況で。

 最終的に、カリオストロを完全に破滅させたのは、やはりセラフィーナだった。
彼女は教皇庁に、全ての罪を密告した。

 カリオストロを逮捕するための小隊が現れた時、彼は妻の裏切りを悟り、銃を彼女に向けたが、それは発火しなかったとされる。
カリオストロはまた独房に閉じ込められた。
しかも今度は、有罪以外の結末はありえない状況。

 また、結局セラフィーナも信用できないと、教皇庁は判断した。
そして彼女もまた、カリオストロと同じく独房に閉じ込められ、そこで彼女は気が狂ったと伝えられている。

そして不死者となって、彼は去った

 カリオストロは、独房の中でも、死ぬ最後の時まで預言者ぶっていたとされるが、結局1795年8月26日に死んだ。

 カリオストロは事前に弟子たちに、自分が死んだという知らせを聞いても、別に心配することはない、と告げていた。
なにせ、その死は始まりにすぎないのだ。
偉大なエジプト人魔術師カリオストロは、不死鳥のように灰から蘇る。
そして、人類の運命を支配する不死の12人のひとりとなるのである。

 弟子たちの間には、別のシナリオの噂も広がっていた。
カリオストロは、独房で手足を縛られた状態にありながら、その魔術の力により、看守たちを皆殺しにして、独房から逃げおおせたというのである。

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