「ラスプーチン」聖母に選ばれし者か、悪のカリスマか。謎の力と最後

サンクトペテルブルグの闇

グリゴリー・ラスプーチン。何者なのか?

一致しない、彼を知る者の証言

 有名な超常現象研究家のコリン・ウィルソンをして「信じられないほど詐欺師ぽさが少ない近代魔術師」と称された事もある、グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン(Григорий Ефимович Распутин。1869〜1916)。
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壮絶で不可思議なその死に方ばかりが、よく語られるがちな彼だが、そもそもその人物像からして、彼は怪奇に満ちている。
彼の敵も信者も大勢いたが、そういう人たちの、彼の容姿に関する証言が、ことごとく一致していないのである。

 彼はそんな昔の人物ではない。
写真も多く残されているが、それらの写真から我々が見て取ることができるような特徴に関しては、彼を知る者たちの証言は一致している。
しわの多い細長い顔。
大きな鼻に、分厚い唇とあごひげ。
どこか人を惹きつけるような、力強い目。

 しかし写真からはわからないような情報に関しては、彼の知り合いたちの証言はくいちがう。
人々は、彼について様々な姿の描写を記録している。
背が高い、背が低い。
痩せこけている、がっしりしている。
うす汚くだらしない、妙にさっぱりしている。

カメレオンのように変化した男

 歌手のべリングは、「ラスプーチンは虫歯だらけで、口臭がひどい」と書いた。
作家のジュコフスカヤは、彼の歯は一本もかけず、申し分なく綺麗にそろっていて、口臭は爽やかだ」と書いた。

 また、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライの妹、オリガ大公妃は、「彼はカメレオンのように変化する」と述べたという。

ポクローフスコエ村の、奇妙な少年

シベリアの田舎者一家

 ラスプーチンは、1871年7月、シベリアの、ポクローフスコエという村に生まれたとされている。
父の名は、エフィーム・ヤーコヴレヴィチ。
母は、アンナ・エゴーロヴナ。

 少年時代のラスプーチンは、賢者でも魔法使いでもく、ただの田舎者だった。
幼い頃は自分の村以外、全然知らなかったとされている。
サンクトペテルブルクという大きな都市の名前と、皇帝の名前がアレクサンドル二世である事は、かろうじて聞いた事があるくらい。

 学校で学んだわけでもないから、読み書きもろくにできなかった。
彼が村で学んだのは、畑仕事に、野生動物を殺す術や、家畜を従える術。
それに、馬と意思疎通ができたと言われるが、これは文字通り、言語的なコミュニケーションが取れたということか、単に馬の扱いに慣れていたということか、それはわからない

 とにかく、広大な大自然であるシベリアの小さな集落での生き方たけが、彼が理解するべき全てのはずだった。

兄ミハイルの死

 グリーシャ(グリゴーリイ)の愛称で呼ばれていたという、少年ラスプーチンには、ミーシャ(ミハイル)という兄がいた。

 ある朝、グリーシャとミーシャは、釣りをするため川に行った。
雪解け水が加わることで、水位は上昇し、風によって川は荒れていたが、二人の少年からすれば、別に落ちなければ平気、というような認識だった。
しかし、足場を踏み外してしまったミーシャは、その急流の中へと落ちてしまう。
溺れもがく兄を見て、グリーシャは飛び込んで助けようとしたが、より非力な彼に、その任務が達成できるはずもない。

 結局、たまたま畑に向かっていた、農夫のピョートルが助けてくれたが、冷たい水に体を冷やされた兄弟は、高熱に襲われる。
そして、ミーシャはまもなく死んでしまったが、グリーシャはなんとか持ちこたえた。

聖母(?)のお告げ

 グリーシャは死にはしなかったが、ひどい高熱に、 朦朧とする意識の中、戯言ばかり。
望みは薄いように思われたが、彼は助かる。
ある朝、彼は突然起き上がり、 近所中に聞こえるほどの大声で叫んだという。
「ありがとうございます。奥様、やっとお会いできました」
そしてまた彼はすぐにぐっすりと寝込んだ。

 晩になって彼が目覚めた時、もうすっかり熱はひいていた。
彼はすぐに言った。
「あの美しい奥様に合わせて。あの方が治ったっておっしゃったんだ。それにあの方は、僕に命令を授けてくださると言った。あの方に会わなくちゃならないんだ」
その美しい奥様は、光輝き眩しいくらいだったという。

 少年の体験の話を聞いた、村の司祭は、その奥様は聖母様かもしれないと、彼の両親に告げた。
ポクローフスコエ中が、奇跡の回復と聖母様で、大騒ぎとなったとされている。

馬泥棒はお前だ

 またある時、グリーシャは、大人たちが何やら重要な話をしているのを聞いた。
彼らは近くの村で、荷馬車様の馬が盗まれたと話していた。
当時、馬泥棒はかなり重大な犯罪だとされていて、グリーシャの父を含む大人たちは、あいつが怪しい、こいつが怪しいと、犯人を推測しあっていた。
グリーシャは突然、ピョートル・アレクサンドロヴィチという、なかなかの大物に掴みかかった。
彼は、その場で一番怪しいと疑われていた男に、嘘をつくなと罵っていたところだった。
グリーシャは、その彼に対し、叫んだ。
「アレクサンドロヴィチ、そんなに腹を立てることないだろう。馬を盗んだのはお前じゃないか」
近隣一帯でも、最も裕福な家系のものだったアレクサンドロヴィチは、大いに機嫌を損ね、グリーシャの父に告げた。
「なんと教育のなってない子供か。この侮辱は高くつくからな」

 尊敬され、かつ恐れられる存在でもあったアレクサンドロヴィチ。
とても馬泥棒なんてする男ではないが、何人かの農民はその夜、こっそりと彼の家の家畜小屋を見張ろうと決めた。
そして明け方近く、そこに盗んだ馬をひいたアレクサンドロヴィチが現れたのだった。

 ピョートルは当然、罪に問われたが、有力者の家系であるアレクサンドロヴィチのゆかりの者たちは、グリーシャに関する悪い噂を大量に流した。
とにかくこの少年は、あらゆる意味で、とんでもない非行少年だというふうに触れ回ったのである。

 彼の人生はその後も敵が多いものだった。
かなり極端なものだが、後の彼の女性絡みの話は全て、根も葉もない噂だという説まである。

仕事と恋愛

 15歳の頃から、グリゴリーは、 馬車引きの仕事を始めた。
彼自身が、他人、特に美しい女との接触を通じ、逆らいがたい力を得ることに気づいたのは、この頃だったとされる。
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彼の言葉は人の心を鎮めることができ、また、彼の手に触れたものには、奇妙な効果が与えられることを、人々は噂し始めた。

 一方ですでに、不特定多数の女性と関係を持っていたという噂もある彼だが、少なくともこの頃は、本命の恋愛対象というような相手がいたらしい。
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そういう相手は、必ずいいとこの家のお嬢様であり、当然、胡散臭いこの馬車ひき男が、長く付き合えるような相手ではなかった。

妹と母の死。結婚生活

 ある時、ふたつの不幸が彼を襲った。
妹が、かつてミーシャと自分が落ちた川で、同じように落ち、そのまま溺れ死んでしまったのだ。
また、近い時期に、母も死んでしまったのだという。

 20歳頃の事。
グリゴリーは、プラスコーヴィヤという女性と結婚した。
彼女は仕事の面で、グリゴリーの父の畑仕事を手伝う事が多かった。
グリゴリーがそれを望んだからだという話がある。
なぜならそうすれば自分は、運送馬車の仕事に集中できたからだ。
彼は、その仕事が気に入っていたのだ。
家から離れ、新しい女の物色が出来たから。

 実際のところ、単に畑仕事が退屈だったというだけの事かもしれない。

死とは何か。二度目のお告げと、旅立ち

 プラスコーヴィヤとの間に生まれた男の子は、すぐに死んだとされる。
これは、かつての兄の死よりも、妹の死よりも、母の死よりも、強く彼にショックを与えたとされている。

 そして、死とは何か、なぜ人は死なねばならぬのかを自問する彼に、2度目のお告げが起きた。
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 仕事中の休憩時に、突然、彼の前に、見知らぬ婦人が現れ、告げたのだ。
「あなたは遠くへ行かなくてはなりません。今ではないですが、間もなくです。あなたの真の場所はここではないのです。私の望みはあなたが修道者となり、人々と共に私を称えてくれる事」

 それから間もなく、彼は異端とされる修道士たちと関わるようになったと噂される。
また1892年に、ひとり巡礼の旅に出たともされる。

巡礼の魔術治療師ラスプーチン

磁気を使う魔術師

 彼は、ラスプーチンを名乗るようになった。
ロシア正教から異端とされていた。「鞭身派べんしんは(Khlysts)」に一時属していた頃に、この名を授かったともされる。

 ラスプーチンは旅をしながら、立ち寄った様々な街で、奇跡のような治療を行い、評判を高めた。
一方で彼は、真の神に選ばれた者の名のもとに、肉欲の罪を犯せと人々に説いた。
そうしてこそ、自分はあなた方を救ってやれると、高らかに演説したのである。
そんな演説を、彼は聖なる教会の前などでも、堂々と行おうとしたから、当然、彼を取り抑えようとする者も多かった。
だが彼は並外れた腕力を持ち、どんな屈強な男でも、あっさりと床に叩きつけられた。
それに不思議な力を使い、人々を逆らわさせずに、動かすことができたともいう。
その不思議な力は、磁力だったという話もある。
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今にみんな、神により、導かれよう

 ある秋に、ポクローフスコエの村に帰ってきたラスプーチンは、 友人たちに手伝ってもらい、自分の教会を建てたという。
だがそのことに村の司祭は怒り、彼の説教を聞きに行く者は、誰も皆破門だと言った。

 司祭の脅しのためか、単にラスプーチンが怪しすぎたのか、記念すべき最初の説教を聞いてくれたのは妻と父と、息子のドミートリイの3人だけであった。

「この次はきっと誰か来るよ」
そう励ましてくれた妻に、ラスプーチンは自信をもって返した。
「絶望する必要はない。すぐにも神のお導きが皆をここへ連れて来てくださる。やがては、ひとり残らずここに来ることになるだろよ」
その言葉が現実になるのに、そう時間はかからなかったとされる。

本物なら、奇跡を起こしてみろ

 ある日、3人の男がラスプーチンの元へやってきて告げた。
馬小屋の馬が突然暴れだし、殺すしかないという話になっている。
そこで司祭は言った。
「ラスプーチンを呼んでこい。あいつが本当に聖者ならば、馬をおとなしくさせることなど簡単にできるだろう」

 奇跡など使うまでもなく、少年時代から馬と心を通わせてきた彼にとって、これはあまりに簡単な仕事であった。
しかしあっさりと馬をおとなしくさせてしまった彼に人々は感心し、信じる者は一気に増える。
説教を聞きに来る信たちも、日に日に増えた。
特に、若い女性たちの熱狂ぶりは、異常とも言えるほどだった。

 こういう話を聞くと、ラスプーチンの悪癖の話は、やはり、嫉妬で誇張されたものではないか、と思えてくるが。

サンクトペテルブルク

 1903年に、また村を出たラスプーチンは、1905年までにサンクトペテルブルクに住むようになっていた。
この都会でも彼の評判は相変わらずだった。
どんな病気も治せる奇跡の治療師。
金銭には一切無関心で、治療費の大半は貧しい者たちに分け与える。
そして特に女性に人気。

皇太子を助け、皇帝一家に取り入る

 ある時、ロシア皇帝ニコライ2世の子アレクセイが、血友病により瀕死の重体となった。
どんな医者にも治せなかった。
そして、藁にもすがる思いで、皇帝はラスプーチンを招いた。

 ラスプーチンは、苦しむアレクセイを前に、ただ跪いて、しばらく祈っただけ。
それだけでアレクセイは意識を取り戻し、笑顔を見せた。

 この一件によって、皇帝一家もラスプーチンの信者になったとされる。
特に皇后アレクサンドラは、ラスプーチンとの仲を噂されるほどに、深く彼に傾倒していたという。

皇帝の、いきすぎたラスプーチンへの信頼

 治療師として招かれたラスプーチンは、どういうわけだか、神の声のもとに、政治などにまで口出しするようになった。

 第一次世界対戦が勃発した頃。
ロシアは参戦すべきでないと、ラスプーチンは断固として主張した。
「私には血に染まったロシアの大地が見える」と彼は語った。
ただこれは、そもそも予言と言うべきか怪しい。
大規模な戦争が起こったら、血が流れるのは当たり前のことである。

修道士イリオドルが流した悪評

 ラスプーチンの悪評を大きく広めたイリオドルという修道士は、 元々ラスプーチンの信者であった。
彼はラスプーチンの力に感服し、彼をキリストの生まれ変わりとさえ考えていたという。

 だがイリオドルには、ラスプーチンの女性関係の噂が、どうしても聖人のそれには思えなかった。
あるいは単に嫉妬だったのだろう。
ラスプーチンには、女性信者が非常に多い上に、美しい女性信者全員と噂があるような男だったのだ。

 ラスプーチンの方も、一時は、イリオドルを信用していたようで、自らの武勇伝や、宮廷での生活をよく語ったという。

 いつからか反ラスプーチン派となったイリオドルは、皇后アレクサンドラから、ラスプーチンへの手紙を書き写し、公開。
ふたりが愛人関係にあるかのような噂を流した。
それが真実があるかどうかはともかくとして、これをきっかけに、ラスプーチンの悪評は急速に高まったとされている。

 イリオドルは言ったとされる。
「なぜ神はあんな奴にあれほどの力を授けたのか。神はなぜあんな悪い男を罰しようとしないのか」

ユスポフ公による、ラスプーチン暗殺秘録

青酸カリのお菓子を食べて

 1916年。
彼はついに、フェリクス・ユスポフ(Феликс Феликсович Юсупов。1887~1967)という公爵に、暗殺されることになる。

 ユスポフはまず、ラスプーチンを晩餐へと招いた。
テーブルにはお菓子とワイン。
「どうかしたかね?」
「いえ」
お菓子を食べて、ワインを飲んでも、平然としているラスプーチンに、ユスポフはだんだんと不安になってくる。
お菓子にも、ワインにも、青酸カリが、つまり致死性の毒が含まれていたのである。

 長い時間のように思えた。
実際にありえないほど長い時間だった。
2時間経っても、ラスプーチンはまだ苦しむ素振りすら見せなかった。
もう死んでいないとおかしい時間なのに。

銃弾でも殺せず、鍵付きのドアも意味なかった

 恐怖を感じながらもユスポフは、隠れさせていた仲間に、拳銃の引き金をひかせた。
ラスプーチンの体を鉛玉が貫き、彼は倒れた。

 倒れた彼を調べてみると、弾丸はうまく心臓を貫いたようで、もう息はしていなかったし、脈もなかった。
だが何か不気味だった。
確かに死んでいるのに、その体はとても暖かい。

 そして、死んだはずなのに、彼は突然立ち上がった。
「生きてる、こいつはまだ生きてる」
暗殺者のひとりが叫んだ。

 ラスプーチンは、血を流し、苦しそうにしながらも、呪いの言葉を吐きながら出口へと向かった。
また、ありえなかった。
万が一を考えその出入り口は、鍵がないと開かないようにしていた。
だがラスプーチンは、その扉に触れただけで、鍵など無効化したように、あっさりとそれを開けてしまったのだ。

死因は溺死だった?

 ユスポフたちは、逃げようとする彼に、さらに何発もの弾丸を放ち、彼はまた倒れた。
しかし、その手足がまだ動いていた彼を、燭台で何度も殴り、遺体となったはずの彼を縛り、凍てつく川へと放り込んだ。

 翌朝。
当局によって遺体が引き上げられたが、その顔はもう原型をとどめておらず、眼球が飛び出した状態になっていたとされる。
しかも、もう死んでたはずなのに、縛られた手をなんとか解こうと抵抗したような形跡があり、手の指は十字を切る時のようになっていた。

 そして、死体解剖の結果、死因は溺死であったという。
彼は毒にも、銃弾にも殺されてなかったわけである。

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