「モンテーニュの随想録」16世紀の懐疑論者が見ていた世界

懐疑論者による最初期のエセー集

 人間とは何か、どのようにして生きているのかというようなことを、いろいろ考え、それを実際に文章として綴った、主に16~18世紀くらいの、フランス語圏の思想家を、モラリスト(moraliste)と呼ぶ場合がある。
哲学者ミシェル・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne。1533~1592)は、そうしたモラリストの代表的な人物の1人。そして、彼が書いた『随想録ずいそうろく(Les Essais。エセー)』という書は、まさしく最初期のエッセイ集とされている。

 エッセイとは、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文、つまり、基本的な文章の形式などにとらわれずに書かれた素直な文章である。

 モンテーニュ自身は、いろいろなことをテーマに、自分なりの考えとかを語って、そして歴史の中の様々なそれに関する知識を書き綴っている。彼は懐疑論者とされるが、いくつか、宗教とか文化とかの考察を見れば、そのことは明らかだ。

 シリアスな話題も多いが、よい名前、悪い名前の考察をしていたりとか、ちょっとお遊び的な話もあったりする。
そこも言ってしまえば、エッセイ的か。

 タイトルが違っているだけで同じような話題も多い中、この記事ではいくつか、個人的に興味深かった話を紹介する。

異なる手段で同じ結果に達すること

 自分に恨みを抱いている誰かが、しかもその復讐が可能という状況になった時、なんとかとれる最も有効な防衛策は、降参して、相手の同情に訴えること。しかし最初、あえてそれとは違う勇壮ゆうそうな(勇ましい姿の)態度などが、良い結果をもたらした例が紹介される。

 3人の貴族の凄い豪胆ごうたんさ(物事を恐れない姿勢)に驚嘆し、 憎しみを抱いていたリモージュ人たちへの怒りを和らげた、エドワード黒太子(Edward, the Black Prince。1330~1376)。
亡きものにしようとしていた兵士が、最初は許してくれとひたすら嘆願していただけだったのだが、最後には立ち向かうことを決心した勇気を見て、憐れみををかけた、アルバニア君主スカンデルベグ(Skanderbeg。1405~1468)など。

 しかし、特にローマ王コンラート3世(Konrad III。1093~1152)が、バヴァリア(バイエルン)公ヴェルフを追いつめた時の話は、ややぶっとびすぎな感じもする。
包囲されていた城の中の貴婦人たちだけは、肩で背負える荷物だけを持って脱出することが認められたのだが、彼女たちはなんと、その肩に、夫や子供たちを背負って行こうと試みた。そして、それを見たコンラートは感動さえして、バヴァリア公を許したのだという。

悲しみについて

 自分は、誰よりもこの感情を免れているとモンテーニュは言う。
世間で、この感情がどれほどに尊敬されたり、愛されたりしようが、自分はこの感情を愛しないし、重んじもしない。世間の人々は、知恵や徳や良心をこれで装っている。そんなものみっともない馬鹿げた飾りだと、彼は言うわけである。

 ここでは、エジプト王プサメニトス(Psamtik III。Psammetichus。エジプト第26王朝の王)が、ペルシア王カンビュセス(Cambyses II。アケメネス朝ペルシア第2代の王)に捕らえられた時のことなどが語られている。
古代エジプトの歴史「古代エジプトの歴史」王朝の一覧、文明の発展と変化、簡単な流れ  プサメニトスは、娘が奴隷にされても、息子が死んでしまっても悲しむ様子を見せなかったが、親友の1人が捕虜として連れて行かれるのを見た時、悲しみのあまりに自らの頭を打ち叩いたという。
この話のオチとしては、王自身が、「最後の悲しみは、どうにか表現することができたが、最初の2つは、どのような方法をもってしても、表現なるものをはるかに超えてしまっていたからこそだ」という釈明がある。

われわれの行為は意図によって判断される

 昔の人は死ぬ事についてどのように考えてきたのだろうか。
死は義務からの解放という考えがあると、ここでは語られる。

 しかし、結果や実現を我々の能力でどうにかすることはできない。我々は我々の力や手段の及ばないところまで責任を負うこともできない。意思を除いては、何も我々の自由にはならないから。だからこそ人間の義務について、あらゆる原則が、必然的に意思の上に基礎付けられている。
死ぬことで逃げるなというような怒りも感じる。現代の多くの人たちは、他人の物を返さないでいることを自分で意識していながら、遺言によって、自分の死後にそれを返済するつもりでいるのを知っている。すぐになすべきことを引き伸ばし、そして自分には痛くも痒くもなくなってから損害を償うなどというのは虫がよすぎる。

 確かにそれはそうかもしれない。

 また、それ以上に悪いこととして、隣人に対する何かの恨みを、自分の生きている間は隠しておきながら、遺言においてそれを打ち明ける人たちを、ここでは攻めてもいる。それは自分の名誉というものをあまりにも考えてなさすぎる証拠だとして。
そして、自分はできることなら、その死の時、生前に言ったこと以外は言わないように心がけようと決意が示される。

占いについて

 やはりオカルト的な話はより興味深いか。
モンテーニュは懐疑論者だったことでも知られているが、ここでは、神託について、「キリストよりもずっと以前に、すでにそれに対する信頼が失われ始めていたことは確かだ。なぜならキケロ(キケロ(Marcus Tullius Cicero。紀元前106~紀元前43)が、それの廃れた原因を見出そうとしているのを我々は知っているから」と、この時代の視点から、昔の人たちの中にも、すでに宗教に疑いを抱く者がいた、というようなことを語っている。

 それにしても、昔に比べると占いの権威が失われていることも事実、と書かれているのも面白い。
適当にたくさん占えば、当たることも当たらないこともあるが、何か当たったからといって別に感心することはない。むしろ占いがいつでも外れると言うのならば、かえってそれはあてになるだろう。
しかし、毎度のあて損ないは、みんな記録しないが、当たることは稀だから、信じられないほど驚くべきことだと人々は噂し、そればかりが有名になるとも。
「インチキ占い師、霊媒師の手口」予言のテクニックはどういうものか  キケロは、無神論者だったディアゴラスという人の話などを伝えている。
ディアゴラスはある時、サモトラケ島に行ったのだが、そこの神殿にて、海難を逃れた人々が、たくさんの品を奉納していた。
「どうです。神々は人間などには無関心なのだとあなたは言われてるようだが、こんなに多数の人々が、神々の恵みによって救われてるではありませんか」と人々に言われたディアゴラスは、以下のように返したという。
「それはつまりこういうことだ。溺死した人の数はもっと多いのだが、溺れてしまった人たちは、ここに来て、神に感謝を述べることができない」

哲学するとは死ぬことを学ぶことである

 ここでの話はやや長い。
最初はキケロの、「哲学するとは死に備えることに他ならない」という言葉が引用される。

 生死感や、年齢を重ねることについてなどの考えが語られるが、 現代とそんなに変わらないような感じもする。

 実際、死ぬことがあらゆる苦しみからの解放と等しいと考えるなら、その時に悲しいと考えることはバカげているかもしれない。
誕生したということは死ぬことと同じ。
100年後に生きていないことを嘆くのは、100年前に生きていなかったことを嘆くのと何も変わらないような感じもする。だが100年前に生きていなかったことを嘆くのは奇妙に考える人もいるだろう。

 アリストテレスが、1日しか生きれない生きられない小動物について語ったことも、ここでは例に挙げられる。
その動物は朝の8時に死ぬのは若死にで、夕方の5時に死ぬのは老衰 。この短い生涯で、不幸だの幸福だのと考えることを笑ったりする人もいるだろうが、宇宙の時間に比べれば、人間の一生だって一瞬のようなもの。そして生きていない時間は、短いも長いもないようなくらいのもの。

食人種について

 具体的に当然のことながら、新大陸(アメリカ大陸)を、「われわれの時代に発見された」などと表現していたりする。
アメリカの自然「独立以前のアメリカの歴史」多文化な先住民。移民と植民地。本当に浅いか「クリストファー・コロンブス」アメリカの発見、地球の大きさ、出身地の謎 そういう説があったのだろう。古くはプラトンが語った、ジブラルタル海峡の出口の正面にあったアフリカとアジアを二つ合わせたよりも広い国土を持っていたというアトランティス島、その伝説の島とアメリカ大陸が、実は同じものという仮説は、あまり真実味がないというように語られたりもしている。
幻の大陸「アトランティス大陸の謎」実在したか。オリハルコンとは何だったか 「アトランティス大陸はイスパニア(イベリア半島)に近かったようだから、大洪水でそれがアメリカ大陸の位置にまで動かしたなんて、とても信じ難い」とされてるが、そういうふうに考える人もけっこういたのだろうか。
そういうのが荒唐無稽と考えられるようになっていたとするなら、例えば20世紀に大陸移動説に反対した人たちは、案外冷静だったのかもしれない。
プレート地図「プレートテクトニクス」大陸移動説と地質学者たちの冒険  ところでモンテーニュは、「アメリカ大陸の民族に関して、少なくとも自分の聞いているところでは、野蛮なものとか、未開なものと言えるようなものは何もないように思う」としている。
ただし各人が自分の習慣にはないことを野蛮と呼ぶのならば話は別。事実、我々は自分の住んでいる国の意見や習慣を実例として理想とする他には、真理と理性の照準を持ってないように思われるとも。

 ちょっと考え方が自然崇拝主義的である。
新大陸には完全な宗教があり、完全な政治があり、すべてのことについて完成された習慣もある。彼らは確かに、自然がひとりでに通常の信仰から生み出した果実を、我々が野生と呼ぶのと同じ意味で野生だ。しかし我々が人工によって変質させ、普通の秩序から逸脱させたものをこそ、実は野蛮なものと言うべきなのではないだろうか。
新大陸の野生は、それこそ真実で有益で、自然的な徳と本性が生き生きと存在している。我々の人工は、それを明らかに劣化させている面もある、堕落してしまった好みに合うように無理やり順応させているだけかのような。

 また、敵対する者を殺して、その後に復讐のような意味で、それらの肉を一族で食べたりする習慣などを聞いたこと。ポルトガル人たちが行ったという、彼らを捕らえた時に、彼らを腰のところまで土の中に埋め、その上半身に矢を放ち、その後に首を絞め殺すという、新大陸の者たちとは別の殺し方をしたことについて。
「私は恐るべき野蛮を悲しむより、我々が彼らの罪を裁いているにも関わらず、自分たちの罪にかくも盲目であることを悲しむ」
モンテーニュは、少なくとも死んだ人間を食うことよりも、生きた人間を、まだ十分に感覚が残っているうちに、拷問や責め苦によって引き裂いたり、火あぶりなどで徐々に殺したり、動物に噛み殺させたりする方が明らかに野蛮とする。
そして、「我々はそういうことを書物で読んだりするだけでなく、この目で見て、生々しい記憶すら持っている。しかもそれは昔っからの敵の間ではなく、隣人や同じ国の市民の間で行われている。さらに悪いことに、敬虔とか宗教を口実として行われているの見てきた」
これらの話は、魔女狩りとかのことだろうか。それとも宗教的な弾圧とかのことであろうか。
魔女狩り「魔女狩りとは何だったのか」ヨーロッパの闇の歴史。意味はあったか  いずれにしても、我々の理性の基準に照らして、新大陸の彼らを野蛮と呼ぶことができるかもしれないが、我々自身と比べることで、彼らを野蛮と呼ぶことだけはできない、とここでは語られている。