「スペイン」文化、言語、フラメンコ、闘牛、オリーブオイル

スペインの文化

カタルーニャ、バスク、ガリシア。様々な言語

 スペインの公用語はスペイン語であるが、いくつかの地域では、「カタルーニャ語」、「アラン語」、「バスク語」、「ガリシア語」、「アストゥリアス語」など、 他の言語が公用語のように扱われている場合もある。

 もう独立するべきという声すら多いらしいカタルーニャ州では、カタルーニャ語とアラン語。
バスク州でバスク、ガリシア州でガリシア、アストゥリアス州でアストゥリアス語がよく使われる。
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いくつかの地域では、学校のテストなどで、二つの言語のどちらで回答しても問題がなかったりする。
しかしそのような複数言語が普通にはびこっている状況で、片方の言語しか話せない者たち、特にそのような夫婦間の間などで、いろいろと摩擦が生じているようだ。
ようするに子供にどちらの言語を教えるかという問題だ。

 また大学の教員にスペイン語でない方の言語の知識が必須であったりすることもあり、そういう場合に、スペイン全体の公用語としてスペイン語を認めている以上、それはスペイン語しか喋れない人への差別だという批判などもあるようだ

 しかし実際問題、教師職などは、両方の言語を扱えることがかなり重要と思われる。
例えばカタルーニャ州のバルセロナでは、 スペイン語とカタルーニャ語の両方を話す者が多いが、日常的に使っている言葉にはたいていへだたりがある。

 スペイン語は世界中で使われる言語であるし、普通に考えるなら、そちらを覚えた方が子供にとっては将来が開けるような感じではある。
しかし故郷の地で、あるいは移住者であってもそこで生きるなら、 両方の言語を覚えたほうが働きやすく、人付き合いもしやすいというような事情から、むしろ幅広く広まっているスペイン語を共通語として、もう片方の(他国的には)マイナーな方の言語を日常の言葉として使っている場合も多い。

世界で広がるのはカトリックゆえか

 スペイン語は、スペイン植民地の時代を超えた中南米地域など以外においても、その利用者は増加の一途をたどっているとも言われる。
いつか世界共通語として英語を押しのけるのではないか、と予測する人もいるぐらいだ。

 スペイン語人口が増えている理由として、スペイン語を使う者たちの多くがカトリックであることが関係しているとも言われる。
カトリックは伝統的に、人工的な生殖活動の管理を推奨しかねているのだという。
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 ただ社会や技術の発展は宗教感を薄れさせるものだろうから、だんだんと関係なくなっていくだろうとは思われる。

ジプシーたちのフラメンコ

 ヨーロッパの移動系民族『ジプシー』の中で、北インドに由来するという「ロマ」は最大級の集団とされてきた。
そのロマたちの多くは17世紀くらいに、スペインの他、ポルトガルやフランスを含むイベリア半島に分散した。
特にアンダルシアに移住する者が多かったとされる。

 ジプシーたちはかご屋や、鍛冶屋や、動物の毛の商人などとして、 移り住んだ地域に定着していった。
また、南米などからやってきた移民など、 スペイン社会では下層にいた者たちが、ジプシーの友人になったり、結婚したりして、生まれが違うにもかかわらずジプシーを名乗り、ジプシーの文化を育む者たちも多かった。

 『フラメンコ』は、そのジプシーたちの踊りや歌から発展してきたジャンルと考えられている。
ヨーロッパの伝統的な、しかし古いとされつつあった様々な宗教観や文化を、遠い自分たちの故郷なりの方法でリニューアルしてみせたものこそが、フラメンコという音楽であった。
西洋的音楽の東洋的解釈とも言えるかもしれない。

 スペインは18世紀初期くらいから、スペイン系のブルボン家が王位についたためか、上流階級の間ではフランスやイタリアのオペラばかりが楽しまれていたという。
一方で庶民たちは、アンダルシアのジプシー音楽を愛した。
さらに18世紀の半ばぐらいからは、オペラに飽きた上流階級の者たちの間でも、ジプシーたちの民謡は人気を高めていった。

 しかしジプシーたちはスペインに流れ込んできた移民たちである。
移民たちの作り上げた音楽が、後のスペインの伝統、アイデンティティ、代表する音楽ジャンルのようになっているのは、皮肉だと見る向きもある。

ヌエバ・フラメンコのすすめ

 ロックやヒップホップ、エレクトロニカのような 20世紀後半以降の様々なポピュラー音楽と合わせる形で、現代フラメンコも進歩を遂げている。
そういう音楽は、伝統的なフラメンコと区別して、「ヌエバ・フラメンコ(ニュー・フラメンコ)」とも言われる。

 時に音楽というのは民族性や文化を映す鏡だとも言われるが、欧米諸国で開発されてきた現代的と言われるような音楽の要素を取り込んでなお、フラメンコには、イスラム系の地域やインドなどの伝統の色が強く残っている感じがする。
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当然ながら東洋人にも、とても馴染みやすいと思う。
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闘牛と闘牛士。倫理問題で存亡の危機

 スペインの伝統的な催しとして、 人と牛が闘技場の中で戦いを演じる『闘牛(コリダ・デ・トロ)』は有名である。
今は倫理学的に、最終的には牛を相手にする闘牛士が、剣などで牛を死なせたりするのを問題視する声もあり、存亡の危機とも言われている。
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 伝統的な闘牛においては、戦う相手となる牛が獰猛でなければならないとされる。

 アマチュア闘牛士は「trovador(トロバドール)」、プロの闘牛士は「torero(トレロ)」と呼ばれる。
闘牛は一人の闘牛士が行うわけではなく、基本的には「カポーテ」というケープを上手く使い、闘牛前半に牛を操る「Banderillero(バンデリジェロ)」。
バンデリジェロに誘導されてきた牛に槍を刺したりして弱らせる「Picador(ピカドール)」。
そして、ムレタという布で牛を操り、首の後ろから剣を刺して止めを刺す「Matador(マタドール)」。
ピカドールは少ない攻撃で的確に動きを鈍らせること、マタドールは一撃で牛を瞬殺することがよしとされる。
何にしても、牛に必要以上の苦しみを与えるのは歓迎されず、ヘタクソは非難される。

 マタドールは闘牛の主役で、闘牛士の中でも特に優れた者たちとされ、非常に狭き門である。

 また闘牛士のマネージャー的な役割となる「アポテラード」という職もあるという

オリーブオイルとスペイン料理

 昔、フェニキア人がアンダルシアに持ち込んだとされている「オリーブオイル」は、スペイン料理に欠かせないとされている。

 中世の時代。
イベリア半島では、キリスト、イスラム、ユダヤ教の者たちが共存していたが、どの民族も料理に関して共通していたことが、オリーブオイルの使用であったようだ。
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特に動物性の脂がタブーとされることが多いキリスト教においては、植物由来の それは重宝されたらしい。
最も時代によっては、オリーブオイルはユダヤ人のものだとして、嫌ったこともあったらしい。
そういう時代にあっても庶民たちは、偉い人たちに隠れて、オリーブオイルを使い続けたとされている。

 そして15世紀以降。
アメリカ大陸より、トマトやジャガイモやトウモロコシなど新しい食材がいくつももたらされて、それらをオリーブオイルで調理するという料理が人気になっていく。

 スペイン含む西ヨーロッパの方は、「地中海世界」というのに含まれている。
そして地中海世界には、オリーブオイルというものが自分たちのものという意識があるようで、よく「我々の」という表現を使いたがるらしい。
「地中海世界の人たちは、他のヨーロッパの料理をラード(豚油)で炒めるだけ。我々の料理はより高みにある」というように言う場合すらあるという。

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