「科学的ゾンビ研究」死んだらどうなるか。人体蘇生実験と臨死体験

ゾンビのイメージは正しいか

 ハイチのヴードゥー教において、「ボコール(bokor)」という魔術師は、死者、あるいは生者を、生きた死者『ゾンビ(zombie)』に変えてしまう術を持っていたという。

 本来のゾンビは、ボコールたちの意のままにコントロールできる操り奴隷みたいなものだったとされる。

 探検家のウィリアム・ビューラー・シーブルック(1884~1945)は、強制労働で精神を病んでしまった貧しい人たちがその正体なのではないかと推測した。

 そのシーブルックの冷静な推測にも関わらず、彼の本の影響により数を増やしたゾンビもののフィクションにおいて、肝心のゾンビにはだんだんと恐怖の怪物のイメージが付いていく。
さらにパンデミックものの話などで、ゾンビは狂犬病のようなウイルス性の疾病と関連付けられもし、SF世界でもお馴染みの存在となっていった。

 だが、 怪物のイメージは本当に正しいのだろうか。
また、科学の力で本当のゾンビを作ることはできるのだろうか。
というより、そもそも「死者の復活(Resurrection of the dead)」ということは、ありうることだろうか。
「死とは何かの哲学」生物はなぜ死ぬのか。人はなぜ死を恐れるのか

蘇った死者。復活の薬

クレルヴィウス・ナルシス

 1980年の春のある日。
公式には1962年の5月頃に亡くなったはずの、クレルヴィウス・ナルシスを名乗る男が、市場で買い物をしていた、彼自身の妹の前に現れた。

 ナルシスは、毒薬を飲まされ死んだかと思ったが、実は生きていて、こっそり墓から掘り起こされた後に、ボコボコに殴られ、そのまま奴隷のように働かされていたという。
棺に入っていた時。
葬式の時点で、すでに彼は目覚めていて、家族の泣き声も聞こえたという、

 ナルシスに件に関しては、ポルトープランスの精神神経センターのラマルク・ドゥヨン所長が調査を試みている。
ドゥヨンは、ナルシスの周囲の人たちから個別に話を聞いていき、彼が確かに本人である可能性は高いと考えるようにもなった。

ゾンビパウダーとは何か

 ドゥヨンの話に特に関心を寄せたのは、植物学者で人類学者のエドモンド・ウェイド・デイビスだったとされる。

 デイビスは特に、ナルシスが飲まされたという一時的な死を引き起こす毒薬に興味を持っていた。
それはすなわち、伝承的なゾンビを作るための薬とされる『ゾンビパウダー(Zombiepowder)』である。

 デイビスははなから、ハイチではありふれているというナス科の植物『シロバナヨウシュチョウセンアサガオ(Datura stramonium)』が怪しいと考えていたようだ。
この植物は、アルカロイド(主に窒素、炭素を含む化学構造の毒素)を多く含んでいて、摂取すると幻覚作用などを引き起こすこともある。
化学反応 「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か
 しかし、実際に現地のボコールと知り合いになり、ゾンビパウダーの調合を見学させてもらったデイビスは、パウダーの材料の毒成分はチョウセンアサガオだけではないことを知る。
他にもカエルやフグやある種の毒豆なども、すりつぶされて素材となっていたのだ。

 デイビスはゾンビパウダーを買い、それをラットに与えてみたが、予想通りに24時間ほど仮死状態となったという。
ただ、電気装置で確かめると、生理機能はわずかに活動を続けていることは確認できたらしい。

 フグの毒であるテトロドトキシンが重要かもしれないとデイビスは考えた。
この毒は神経系の電気的やり取りを停止させて、麻痺を引き起こすが、脳にはあまり影響しない。
デイビスのパウダーに含まれていたそれは、かなり微量で効果はないとか、強力な麻痺を引き起こすことはあっても24時間も継続はしないなどといった反論もあった。
しかし彼は、他の様々な毒素との化学反応によって、パウダーはその効果を発揮するようになるのだと主張した。

 デイビスは薬の効果の期間について、短い間ほぼ完全に死んだように見せかけるための薬と、その後にターゲットを誘拐した後に飲ませる、長期間持続する第二の薬があるのでないかとも推測したという。

 問題は、デイビスが明らかにしたゾンビパウダーの素材を混ぜて、彼が言うような効果が確認できるものを再現できた科学者が他にいないこと。
そして仮に再現できたとしても、それはゾンビにするための薬でなく、一定時間、仮死状態にするための薬にすぎないかもしれない。

何を根拠に死とするか

 そもそもどうやって死んだことを判断するのだろうか。
現在ですら完全に死んだと思われたのに、蘇生するということはある。

 昔はなおさら、死んだのかどうかの判断は難しかった。

ジョージ・フォスターは電気で蘇生したか

 生物電気の研究でよく知られたルイージ・ガルヴァーニ(1737~1798)は、カエルの死体に電気を当てて動かさせたとされる。
そしてガルヴァーニのおいであるジョヴァンニ・アルディーニ(1762~1834)は、人の死体にも電気を浴びせた。

 1803年。
アルディーニのその公開実験に使われた罪人ジョージ・フォスターが蘇ることはなかったが、その筋肉はねじれ動き、閉じた目も開きさえしたという。

 アルディーニ以前からすでに、死んだはずの生物が電気で蘇生したという報告はあったとされる。

 例えば1774年。
家の2階の窓から転落した幼い女の子キャサリン・ソフィア・グリーンヒルは数十分の間死んだと考えられていたが、電気ショックを与えることで、蘇生したそうだ。

 もっとはっきり死んだ人間も、電気で蘇らせることもできるかもしれないというアルディーニの考えは、もはやそう突拍子もないことでもなかった。

腐敗を待つ死者の家

 神の奇跡でなく、医者が死んだと思われた患者を蘇らせるケースは18世紀以降どんどん増えていった。
そして同時に、まだ(後で蘇生するから)生きているのに墓に埋葬されてしまうかもしれないという恐怖のシナリオが、人々の間で囁かれるようになった。
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 五体満足の状態であるなら、死んだことの確かな証拠は「腐敗ふはい(corruption)」くらいだったとされる。

 腐敗は微生物による作用と考えられている。
生きている間は、有害な微生物に対する免疫めんえき細胞などの防御や、古い細胞を新しく生成したのに入れ替える新陳代謝しんちんたいしゃなどが機能しているために、通常、腐敗は阻止される。
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 つまり、腐敗は生命体としての機構が死んだ後にしか起こらない。
原因はともかく、その事実だけは古くから経験的に知られていた。

 そこで19世紀には「死者の家(Dead house)」なるものがあった。

 腐敗により生じた化学構造のいくらかは嫌な匂い、いわゆる「腐敗臭(Putrid odor)」をもたらすが、それが確認できるまでの期間、遺体を置いておくための施設である。

生理学的基礎知識

 『生理学(physiology))』とは、生命体をシステムとして解き明かそうとする学問分野である。
生命体の中にある複数の臓器ぞうきがどのように相互作用し合い、機能しているのかを調べたりする。

体液と電解質

 人間含む多くの生物の構成成分は、比率的に水が多いが、そういう生体内の水を「体液たいえき(Body fluid)」と言う。

 また、の溶媒ようばい(他の物質を溶かしやすい液体)などで容易にイオン化する「電解質でんかいしつ(electrolyte)」の物質もまた重要である。
電荷(電子)のばらつきから生じる様々な引力が、 構造同士を結合させるコネクター(接続機)となっているのだ。
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細胞膜の浸透圧と生理食塩水

 細胞などを包んでいるのは「半透膜はんとうまく」(semipermeable membrane)」、つまり一定サイズの分子は簡単に透過させる構造となっている。

 その半透膜を挟んだ内外で、溶媒となっている溶液ようえき(複数の物質成分から構成される液体)などの圧力(浸透圧しんとうあつ)は通常釣り合っている状態を維持されている。

 普通、目薬よりも水道水の方が目にしみるのは、浸透圧の差により、水道水は細胞を破損させるからである。

 生理学において、細胞内溶液に対し、浸透圧が高い溶液を「高張液こうちょうえき(hypertonic)」、低い溶液を「低張液(hypotonic)」。
そして、浸透圧が細胞内溶液と近い溶液を「等張液とうちょうえき(isotonic)」と言う。

 そもそも生物が利用する水は、基本的に「塩化ナトリウム(sodium chloride)」、いわゆる食塩を含んだ食塩水である。
塩化ナトリウムの濃度は、細胞内外の浸透圧調節にもよく関連しているとされる。
そしてその食塩水をさらに等張液としたものが「生理食塩水(Saline)」である。

ホメオスターシス。バランス調整のための輸液

 生体内は、「ホメオスターシス(恒常性こうじょうせい。Homeostasis)」が維持、つまり体液や電解質が適切な一定量として維持されている。
生体システムに何らかの問題が生じて、そのホメオスターシスが狂うのはまずいことで、急速に生体機能が弱る原因となることが知られている。

 そういう場合に、成分などをより体液に近くした生理食塩水を、意図的に注入して、ホメオスターシスを人工的に取り戻す行為を「輸液ゆえき(infusion)」と言う。

 輸液による体液バランスの調整は、患者の回復力を高め、命を助けるための治療の基本とされている。

 当然、蘇生においても重要だろうと思われる。

生物の復活の実験の記録

セルゲイ・ブルコネンコのオートジェクター

 旧ソ連の科学者であったセルゲイ・セルゲヴェビッチ・ブルコネンコ(1890~1960)は、 1914年にモスクワ大学を卒業してから、第一次世界大戦(1914~1918)やロシア革命(1917~1923)を経験しながら、普通に病院にしばらく勤めた。

 よく知られた、彼の生理学的研究が本格的に始まったのは、1920年代に入ってからとされている。

 ブルコネンコは、たとえ持ち主から離れた臓器であっても、その動きを再現することができたなら、それを生かしておくことができるかもしれないと考えた一人だった。

 1925年にブルコネンコは、同僚のセルゲイ・チェチューリン(1894~1937)との蘇生に関する共同研究の発表と、その成果の実演を行った。
彼は、心臓と肺の機能を代行する「人工心肺しんぱい装置(artificial heart lung machine)」で、頭部だけの犬を2時間ほど強引に生かし続けたとされる。

 その「オートジェクター(autojektor)」と呼ばれた装置は、頭部から抽出した血液を一旦ガラス容器に移して、温めて酸素を与えてから、ポンプで頭部に戻すというような装置であった。

 マスコミにより彼の研究が知れた後は、 政府の医療機関からも資金が出され、ブルコネンコの研究は続いた。
そして彼はそのうちに、生体を模したロボットの体に犬の頭部をつけたサイボーグ犬の製造にまで着手したとされている。

 また、1940年には、「生物の復活の実験(Экспериментыпооживлениюорганизма)」という、 彼がオートジェクターで頭部だけの犬を蘇らせる公開実験を記録した映画も作られている。

アレクセイ・クリアブコ。心臓の再起動

 アレクセイ・アレクサンドロビッチ・クリアブコ(1866~1930)は大学時代、ロシアの生理学の父とされるイワン・ミケイロビッチ・セチェノフ(1829~1905)や、コチョウザメ(Acipenser ruthenus)の人工繁殖の研究などが知られるフィリップ・ヴァシリエビッチ・オヴシャニコフ(1827~1906)に師事したらしい。

 1902年にクリアブコは、40時間以上停止していたウサギの心臓を、1903年には、肺炎で死んで間もない赤子の心臓の復活にも成功している。
さらに彼はブルコネンコよりも早く、すでに1907年には、人工的な血液循環により、頭だけの魚を2時間ほど生かすことに成功しているという。

 そして1929年。
彼はついに、完全に死んだと思われる一人の男の血管に、適切な生理食塩水を注入し、その心臓の鼓動を再び刻ませることに成功した。
別に完全復活したわけではないと思われるが、その心臓は20分ほど動き続けていたとされる。

 ちなみにブルコネンコにも強い影響を与えていたとされるフョードル・アンドレイエフ(1879~1952)もクリアブコに協力していたようだ。
ブルコネンコがしばらく勤めていた病院の院長だったアンドレイエフは、電気ショックによって犬の蘇生に成功した第一人者らしい。

人間を蘇生させる試み

 クリアブコの実験に刺激されたブルコネンコもまた、 1934年に首吊り自殺をした男の復活を、オートジェクターで試みている。
人工的に温かい血液を流された、死後数時間の彼は、 ほんの数分程度であったが確かに行き帰り実験に興じるブルコネンコと助手たちを驚愕した様子で眺め回したという。

 この実験において蘇った時間が数分だったのは意図的なものだった。
恐怖に縛られた助手の一人が、オートジェクターのポンプのスイッチを切ったのである。

 クリアブコもブルコネンコも、公式に人を蘇生させたのは、それぞれ一度だけだったという話もある。
人間を蘇生させるのは、技術だけではない。
とてつもない勇気がいるわけである。

ロバート・コーニッシュ。ゾンビ犬たち

 アメリカで、ブルコネンコたちの成功を聞いたロバート・エドウィン・コーニッシュ(1903~1963)は、自分も死者の復活という現象に強い興味を抱くようになる。

 コーニッシュはカリフォルニア大学バークレー校を18歳で卒業し、その後22歳という若さで博士号をとった天才として評判であった。

 彼は1933年に、何度か死んだばかりの人を( 電気毛布や音声などを使い)温めつつも、(シーソーに縛って揺らして)血液を循環させ、命を復活させようとしたが、上手くいかなかった。

 ブルコネンコたちは、生体内での血液循環を機械的に再現することで心臓を再び動かすことができた。
コーニッシュは、同じことを人の体自体に一切傷を与えずに、うまく促すことで自発的に起こさせれば(つまり心臓うまく再び動かすことができれば)それは文字通り復活に繋がるはずだと考えていた。

 コーニッシュも、まずは動物から始めようと考えを変えたのか、羊や犬を使うようにもなった。

 そして1934年。
彼は、イエスの友人から(便宣的べんぎてきに1~5世と書かれることがある)すべてラザロと名付けられた(安楽死させられた)5体の犬の蘇生を次々試みた。

 なるべく適切な生理食塩水や「アドレナリン(adrenaline)」のような神経伝達に使われる物質も注入し、やはりシーソーで揺らした。
ストレス 「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気
 ラザロたちのうち2体は蘇生したとされるが、 無事にとはいかなかったとされる。
どちらの犬もまるで感覚を無くしたような感じで、元気までは取り戻せず、おそらくは盲目になっていた。
それはまさにゾンビ犬といえたかもしれない。

 犬の蘇生の成功(?)に自信を持ったのか、コーニッシュは、死刑執行された罪人で、蘇生実験をやらせてほしいと刑務所に打診するようになったが、どこからもよい返事はもらえなかった。

 ところが1947年に、トマス・マクモニグルなる死刑囚が、自分から蘇生実験をコーニッシュに頼んでくる。
しかし刑務所長のクリントン・ダフィーは、断固として実験を拒否した。
ダフィーは「どうしてもやりたいなら、あいつの隣で毒ガスを吸いながらするんだな」などと言って、コーニッシュを激怒させたとされる。

 結局マクモニグルは、蘇生を試みられることもなく世を去った。

 コーニッシュ自身は、マクモニグル以外にも、自分の蘇生実験の噂を聞きつけ、被験者を志望してきた者は50人ほどいたらしいと記録しているという。
しかし実際に、実験が行われた記録はないようだ。

臨死体験とは何か

 死から蘇るのは結構だが、そういう人たちは死んでいたときのことを覚えているだろうか。

 死んでる間に見聞きしたり、感じたこと。
いわゆる『臨死体験りんしたいけん(Near Death Experience)』をする人は、心停止から蘇生した人の10%くらいらしい。

 臨死体験はたいていが似たようなパターンだが、どちらかと言うと大人よりも子供の方がシンプルなパターンが多いように考えられている。
これはおそらく、体験者の知識的な問題である。

 医者の死の宣告や、家族が泣き叫ぶ声が聞こえるという場合があるが、これに関しては全身麻酔手術をしている人が体験するようなものと似ているかもしれない。

 心の安らぐような感じや、奇妙な音。
光に満ちた、あるいは暗いトンネルをくぐったとか。
すでに死んだはずの親族に出会ったり、過去が走馬灯のように見えたりもするとされる。
また、まるで幽体離脱したかのように、自分の寝ている姿とその周囲の医者たちの倒れている姿を見下ろしたりする場合もあるという。

臨死体験は死に際の夢か

 蘇生した人の誰もが臨死体験をしてるわけではないことは注目に値するかもしれない。
10%ぐらいの人は、心停止はしていても、神経系が完全に停止してはいない状態だったのかもしれない。
あるいは神経系が停止するまでの記憶か。

 普通は神経系に限らず、心臓や血液による酸素の供給がなくなった時点で、体のあちこちの機能は急速に停止していく(神経系は数分しかもたないという説もある)。
心停止から蘇生した者が精神に異常をきたしていることがあるのはそのためとされる。

 臨死体験は(神経系が)死に際に見ている夢かもしれない。
夢は結構自分の感覚と関係していることがある。
例えば人形を抱いて寝ている子供が、夢の中でも人形と一緒ということもある。

 もし臨死体験が夢なら、そこで体験することは体験者の経験に関連しているという説はおそらく正しい。

 もっと単純に、90%の人は自分が死に際に見ている夢を忘れているという可能性もある。
心停止(やその他の臓器の停止)からの蘇生はともかく、神経系の完全な停止から蘇生するということは、ちょっと考えにくくはある。

魂は死後の世界に旅立つのか

 だが本当に夢なのだろうか。
本当に死にかけて、魂が死後の世界へと旅立とうとしている瞬間を体験しているのではないのだろうか。

 10%というのは、実際に、一時的に死んでいる人の数なのかもしれない。

 普通に考えると、死ぬと神経系が停止しているために、何も考えたり記憶したりするなどということはできなくなる。
だからこそ臨死体験は奇妙なのだ。

 だが死ぬと体から抜けてる魂みたいなもの(意識)があって、それが体と一緒にある時は、その感覚を完全に共有する。
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
つまり神経系に思考などが依存しているとする。
そしたら、死ぬとまず神経が停止して、何も考えられない一時期ができる。
臨死体験をしない人は、この時点で蘇生されると考えれば説明がつく。
そして臨死体験をする人はさらにその先、死後の世界に行く手順、魂が体から抜けた時点まで体験している。
そういうことかもしれない。

 そうだとすると、体の全ての機能が停止してから完全に死ぬまでには、魂が死後の世界に行くまでの時間という猶予があるわけだ。
もちろんその猶予期間中であっても、肝心の体を壊されてしまった場合は、やはり復活はできないだろう。

再現ゾンビの思い出。意識も思い出までも物質か

魂は本当にないか

 機械の人工知能の仕組みは、生物の神経系と似ている。
コンピュータの操作 「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
だがそれらがどれだけ賢くても、それらが意識を持っているように我々が感じることは、あまりなかった。
機械学習 「機械学習とは何か」 簡単に人工知能は作れないのか。学ぶ事の意味
意識を生じさせているものが何なのかを我々はおそらく知らない。

 わかっているのは多分、我々が作る人工知能はまだ意識を持っていないこと。
そしておそらく人工知能よりもバカと思われる我々はもちろん、他の動物たちの方がまだ、意識というものをちゃんと持っていること。
倫理学 「人間と動物の哲学、倫理学」種族差別の思想。違いは何か、賢いとは何か
 だがもし自分という意識が、生命体という機械的システムのひとつならば、一度死んだとされる状況になってから蘇生した者は、一時的に死ぬ前の意識を取り戻しているということになるのだろうか。

 また、魂のようなオカルト的なものを仮定しないならば、臨死体験というのはほぼ確実に記憶違いか、夢だ。

 そしてもし、ある生きていた誰かの科学的構成を完全に再現することができたならば、意識まで戻るということになってしまう。
そんなことありえるだろうか。

 そういう存在があるのだとしてそれはもはやゾンビと言えるような存在だろうか。
ここではとりあえず「再現ゾンビ(Imitation zombie)」ということにする

生命体のシステムは誰のものか

 我々は記憶、「思い出(memories)」というものを何だと思っているだろうか。

 例えばある人(大人)に「幼い頃に家族と行った遊園地が楽しかった」という思い出があるとしよう。
その人の再現ゾンビにももちろんその記憶はあるだろう。
だがその思い出は、思い出と言えるのだろうか。
これはかなり確かなことだが、彼は幼い頃に遊園地になど行ってはいない。
なぜなら彼はこの世界に誕生した瞬間から、すでに大人であったからだ。

 そもそも再現ゾンビという考え自体がバカバカしいと思うだろうか。
だが意識でなくとも、何らかの(たとえば魂みたいな)未知の要素を仮定せずに考えるなら、意識も含めた生命体というシステムは物質的なものということになる。
つまり単に化学構造の組み合わせの問題にすぎなくなる。
だがもし生命体システムまでもそういうもの(化学構造の組み合わせ)にすぎないというのなら、再現ゾンビはありえると考えるのが妥当だろう。

 それともこの世界にはまだ、我々の知らない再現性を阻むシステムが存在しているとでも言うのだろうか。
例えばこの宇宙のどのような化学構造体であっても、生命体のような化学構造を意図的に作ることは、物理的な限界によって不可能だとか。
しかしそうだとするなら、そもそもなぜ生命体というものがあるのだろう?
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