ノストラダムスの薔薇十字団に関する預言について
「新しき哲学者集団。
死と金と名誉と富を軽蔑する。
ドイツの山には集いはしない。
力と信者を持つ者たちが従うだろう」
(Vne nouuelle secte de Philosophes,
Mesprisant mort, or, honneurs & richesses:
Des monts Germanins ne seront limitrophes,
A les ensuyure auront appuy & presses)
上記の四行詩は、有名な16世紀の預言者ミシェル・ノストラダムス(1503~1566)のものである。
「ノストラダムス」医師か占星術師か。大予言とは何だったのか。
そしてこれは、薔薇十字団と、その創設者にして伝説の魔術師クリスチャン・ローゼンクロイツその人のことを予言したもの、と考える人もいる。
ただし、時期はおかしい。
何を意味した四行詩か
ノストラダムスの詩は難解な表現や、妙な解釈を求められるのが多く、三行目に関しては「ドイツの山近くに現れる」などとされる場合が多い。
実際に薔薇十字団(あるいは薔薇十字の思想)が、最初に現れたのがドイツとする説は有力とされている。
「ドイツ」グリム童話と魔女、ゲーテとベートーベンの国
また、四行目に関しても、「彼らに仕えるためには、力と民がいる」という感じに解釈される場合もある。
一行目と二行目に関しては、たいていの人が同じ解釈をする。
「新しき哲学者集団」が薔薇十字団だというのなら、「死と金と名誉と富を軽蔑する」というのも、まさしく今に伝説として伝わる彼らのイメージにぴったりである。
多くの伝説において薔薇十字団は、賢者の石により不老不死を得て、各地の貧民たちを無償で助け、そして決して表舞台には出ようとしなかった。
「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石
薔薇十字団は、魔術結社がよく掲げる理想を、全て現実のものとしてしまった、唯一の真なる秘密魔術結社とも言われている。
「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
薔薇十字主義の源流
薔薇十字団は現実に存在しない(あるいはしなかった)が、『薔薇十字的思想(Rosicrucianism)』あるいは『薔薇十字主義』が 確かに存在していると言う人は多い。
グノーシス主義的二元論と西洋魔術
薔薇十字主義の源流は、『グノーシス主義(Gnosticism)』にあるとする説がある。
「グノーシス主義」不完全なソフィアの神と物質世界。異端の古代と近代
グノーシスは、エジプトを中心として起こった運動が、その始まりであるとも言われる。
エジプトは紀元前6世紀頃に、ペルシアに征服された。
さらに紀元前4世紀頃には、アレクサンドロス大王のギリシアにも占領された。
そしてこの地には、ギリシアとオリエントの影響が混ざり合い、そこから新たな宗教観が登場した、と言われている。
グノーシス主義は『二元論(dualism)』である。
この宇宙は、霊と物質の二つの基本要素からなると説く。
神とは、永久、不可侵、不可知の宇宙という領域そのもの。
そして人間とは、その偉大なる存在から分離した霊が、物質という器に詰め込まれた存在。
そういうグノーシス主義的な二元論は、後の西洋魔術にとって、重要な要素とされやすかった。
自分たちは、物質世界という下位の世界に追いやられた、哀れな霊たちであり、肉体という縛りを解いて、最上なる天の領域に至る霊の技こそが魔術、というような発想である。
そして薔薇十字主義とは、魔術を極めし者たちの領域であり、いまだにそうでない魔術師たちの理想なのだ。
イデア論を重視した新プラトン主義
科学にも、神秘主義にも、常に哲学思想がつきまとうもの。
6世紀ぐらいまでに、エジプトにて広まった『新プラトン主義(Neoplatonism)』は、グノーシスの影響も受けているとされる。
かつてギリシアの哲学者プラトンは、「我々という存在が理解する世界は幻影にすぎず、真なる知性のみが到達できる、実在の世界を想定する」というような、『イデア論』と呼ばれる思想を持った。
新プラトン主義は、そのイデア論を特に重視していた。
また、古代ギリシア哲学の、ピタゴラス教団に始まるような、秘密主義的な側面も、後世の魔術師たちの多くに影響を与えたとされている。
「古代ギリシア魔術」魔女の起源。哲学主義。魔法使いピタゴラス
ヘルメス主義と錬金術
錬金術の神、あるいは最初の錬金術師とされるヘルメス・トリスメギストスもまた、エジプトで誕生したとされる。
ヘルメス・トリスメギストスは、明らかにギリシアの神々の使者ヘルメスと、エジプトの知恵の神トートを合成したものであるが、中世までは多くの人々から、実在した人物と考えられてきた。
彼はまた、キリスト教が興ったくらいまでの、多くの神秘主義の書の著者とされていた。
ヘルメスが書いたとされる著作は、『ヘルメス文書』と呼ばれている。
グノーシス主義とヘルメス主義は、起源を同じくする説もあるが、 少なくても全く同じものではない。
例えばグノーシスは、物質(肉体)を枷のように考えがちだが、ヘルメスは、 物質もわりと重要とするという。
ヘルメス主義においては、物質も偉大な宇宙の一部であり、霊的な操作によって、 それは自在に操作、変化させられる(注釈)。
物質を操る魔術とされる錬金術が、「ヘルメスの技」などと言われることがあるのも納得できる話であろう。
(注釈)魔術師は時に冷静
霊的な操作という表現は誤解を招くかもしれない。
ここで言う「霊的」というのは、この宇宙の本質の仕組みのことである。
つまり現代の物理学者が「膨張しているように思える時空間があって、その中を大量の素粒子がひしめいている」というように説明する話と同じようなものだ。
「ビッグバン宇宙論」根拠。問題点。宇宙の始まりの概要
「ヒッグス粒子とは何か」質量を与える素粒子。その発見は何をもたらしたか
この場合の霊的な操作というのはつまり、この宇宙の原理を明確に知って、そしてそれをうまく利用し、干渉することで、思い通りの結果を招くような技のこと。
ユダヤ神秘主義、カバラ
薔薇十字主義、西洋魔術において、もう一つの源流ともされるのが 『ユダヤ教神秘主義(Judaism mysticism)』、いわゆる『カバラ』である。
「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
「カバラ神秘主義」セフィロトの樹の解説と考察。神様の世界創造魔術
カバラは、神が世界を創造した技を学ぶことを至上の目的としていて、重要視する魔術師は多い。
コジモ・デ・メディチのプラトン・アカデミー
ルネサンス期(ヨーロッパにて、ギリシアやローマの古典文化を復興しようという運動が広くおこった14世紀~16世紀くらいの時期)において、グノーシス、新プラトン、ヘルメス、カバラといった思想も掘り起こされて、混じり合い、一つの複雑な体系にもなった。
メディチ家のコジモ(1389~1464)は、ゲオルギオス・ゲミストスというギリシアの学者から影響を受け、ヘルメス文書と新プラトン主義の文献に、強く関心を抱くようになった。
「メディチ家の登場」フィレンツェを支配した一族の始まり
1439年。
プレトンとも名乗っていたゲミストスの、グノーシス主義と新プラトン主義の要素が強い講義をきっかけに、コジモ・デ・メディチは、『プラトン・アカデミー』を創設。
それは、ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典や聖書の研究を主としておこなっていた『人文主義者(humanist)』たちのサークル的なもので、彼らは多くの古典を収集し、それらを翻訳していった。
メディチのプラトン・アカデミーに所属する学者たちは、古代の賢者から賢者へと伝わる知恵を重視した。
彼らの思想は、「(例えばヘルメスのような)古代の偉大な賢者から、一部の者の間にだけ受け継がれてきている、究極の秘密がある」というような発想の始まりともされている。
ドイツ神秘主義
中世ドイツの詩人、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160年頃(?)~1220年頃(?))が1190年代に書いたとされる、アーサー王と聖杯伝説を主題とした『パルチヴァール』という作品は、後の薔薇十字団関連の書に影響を与えているとも言われる。
パルチヴァールにおいて、「聖杯を守る一族」が登場するのだが、その一族こそが、薔薇十字団の原型ではないか、とする説もある。
歴史的に見て、ドイツという国は、ヨーロッパ文化のハイブリッド(雑種)と言われることもある。
「ドイツの成立過程」フランク王国、神聖ローマ帝国、叙任権闘争。文明開化
ドイツから生じたとされる薔薇十字主義もまた、 それまでの西洋魔術、神秘主義のハイブリッドと考えることもできよう。
おそらくは、ルネサンス期に、プラトン・アカデミーに再発見された多くの魔術体系がドイツに流れ、そこでドイツの神秘主義とさらに混じって、薔薇十字主義が発生したのである(コラム)。
(コラム)アグリッパとパラケルスス
コルネリウス・アグリッパ(1486~1535)やパラケルスス(1493~1541)といった、ドイツの高名な魔術師が、薔薇十字主義の成立に関わっている。
あるいは実は彼らもすでに結成されていた薔薇十字団のメンバーだったと考えるとおもしろいが、その点に関しての根拠は全然ない。
むしろパラケルススに関しては、文書で明確に否定されているという話もある。
「コルネリウス・アグリッパ」オカルトの哲学論。不幸な魔術師
「パラケルスス」錬金術と魔術を用いた医師。賢者の石。四大精霊
薔薇十字団伝説の起源
実際に薔薇十字団なる組織が存在したのだとして、その起源は知られていない。
まだ薔薇十字団は存在しなかったにせよ、実質的にその思想が存在していたというのを認めるにしても、その思想の起源もはっきり明確とは言えない。
しかし、秘密の組織であるはずの薔薇十字団の名が、世間に広まったその理由。
いわゆる薔薇十字団の伝説の起源については、かなりはっきりとしていて、よく知られている。
その伝説は『薔薇十字宣言文書(Rose Cross Declaration Document)』と呼ばれる3冊の書に始まる。
薔薇十字団の名声
1614年。
ドイツのカッセルで、「名声」とよく略される『賞賛すべき薔薇十字団の名声(Fama fraternitatis。Fama fraternitatis Roseae Crucis oder Die Bruderschaft des Ordens der Rosenkreuzer)』という文書が出版。
名声は、1610年には少なくとも写本が出回っていたらしく、もっと古い書の可能性はある。
そしてこの書は、14世紀から15世紀にかけて生きた、クリスチャン・ローゼンクロイツなる人物が、東方を旅した時に得た秘密の知識を共有する、友愛団を創設したこと。
その友愛団の会員たちの活動などを明らかにしている。
会員たちは、常に身分を知られないように振る舞いながらも、各地を旅し、病人を治し、新たな知識を獲得しては普及させたりしたそうである。
また名声においてはまだ、 創設者クリスチャン・ローゼンクロイツの名は明らかとされず、単に『C・R・C』、あるいは『R・C』としか紹介されていなかったという。
友愛団の告白
1615年。
名声に続き、『友愛団の告白(Confessio Fraternitatis)』、通称『告白』が、やはりカッセルで出版。
名声はドイツ語で書かれていたが、こちらはラテン語で書かれていたそうである。
内容は名声で語った内容をより強く主張し、有力な知識で世界の改革を訴えるものでもあるという。
化学の結婚
1616年の3冊目の文書は、もっとも奇怪なものと言われることもある。
それは、『化学の結婚(Chymische Hochzeit,Christiani Rosencreüt)』 という本で、一応は小説とされている。
また、この本だけは、著者がほぼヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ(1586~1654)という神学者だと判明している。
ただしアンドレーエは、自分は単に紹介者であり、本文はクリスチャン・ローゼンクロイツその人が書いたものとしている。
内容は、とある城の王と王妃の結婚に、客として招かれたローゼンクロイツの体験談である。
しかし結婚式は異常な事態へと発展していく。
客たちは様々な試練を課されていくが、ローゼンクロイツは無事にそれらの危機を乗り越えるという内容。
これは、殺された者が錬金術の技で復活したり、黄道十二宮に対応する船が登場するなど、あちこちにオカルト趣味がみえる作品とされる。
「占星術」ホロスコープは何を映しているか?
クリスチャン・ローゼンクロイツの伝説
薔薇十字文書などによると、クリスチャン・ローゼンクロイツは1378年の生まれ。
貧乏貴族の家の子で、幼くして修道院に入り、そこでギリシア語とラテン語を学んだ。
その修道院には、ともに薔薇十字団を結成する三人の盟友たちもいたという。
まだ若いローゼンクロイツは中東を旅して、そこで出会った賢者たちから神秘学の知識を学んだ。
そして、ドイツに帰ってきてから、薔薇十字団を結成し、それから106歳まで生きた。
そして、死後120年が経ってから、薔薇十字団の会員の一人が、ローゼンクロイツの遺骨が納められているはずの納骨堂を発見。
それがあった隠し部屋のランプは火が灯ったままで、ローゼンクロイツの遺体は腐敗もせず綺麗だった。
「120年で私は見つけられる」というような、預言の言葉が刻まれていたという話もある
クリスチャン・ローゼンクロイツの正体
薔薇十字文書が世に出るや、薔薇十字団はあっという間にドイツ中、その内にはヨーロッパ中でブームになった。
多くの人がその活動を褒め称える本を書き、あるいは薔薇十字団入団を希望した。
時には、自分はその会員の一人だと名乗る者も現れた。
ただ、薔薇十字団が普通に創作だったとするなら、その犯人として、よく有力候補に挙げられるのが、化学の結婚の著者であることを自伝で認めたというアンドレーエである。
錬金術と詐欺師
アンドレーエは、プロテスタント運動の指導者的な人だった祖父を持つ。
また父は、かなり錬金術趣味だったらしく、アンドレーエの家庭教師など、錬金術に詳しいかどうかが基準で選ばれていたほどだったようだ。
錬金術師を名乗る者には、詐欺師も多かった。
薔薇十字文書には、偽りの錬金術への非難がかなり含まれているともされるが、これはアンドレーエが幼い頃に、何を見てきたか、何を見せられてきたかが、強く影響しているのではないか、と考える者もいる。
またアンドレーエは病弱で、あまり外で遊ぶことができず、本ばかり読んで過ごす、内向的な幼少時代をおくったともされる。
薔薇十字団への言及
アンドレーエは、1603年に学士号、5600年に修士号を取得し、教師として生計を立て始めた。
一方で幅広い興味を持って、神学、数学、光学、天文学などを研究した。
アンドレーエは多くの著作を残したようだが、そのうちのいくつかの作品では、薔薇十字団に関して言及しているという。
1619年の「バベルの塔(Turris Babel )」においては、「友愛団など待っていても無駄なこと。もう喜劇は終わった」などと、薔薇十字関連の運動を批判もしているそうだ。
結局、薔薇十字団は創作であったか
薔薇十字団関連の一連の文書は、結局アンドレーエの創作だったのだろうか。
それはありえる話である。
しかしそれは、彼一人だけの作品でなかったともされる。
テュービンゲンの大学に入学してからのアンドレーエには友人もいた。
彼は学識あるサークルのメンバーであり、さらには準秘密結社的な 当時のいくつかの組織に参加していた可能性が高いという。
特にサークルメンバーかつ、恩師でもあったクリストフ・ベゾルト(1577~1638)は、カバラに強い関心を抱いているオカルト趣味であり、アンドレーエに大きな影響を与えたろうとされている。
アンドレーエは後に、化学の結婚を書いたのは1605年頃と語っている。
そこで、仲間内でその怪作を読みあっているうちに、語り手であるクリスチャン・ローゼンクロイツの伝説が創られていったのでないか、というシナリオが推測できる。
「友愛団など待っても無駄」とは、まさしく真実を語る言葉であったのかもしれない。