ユダヤ系のノートルダム家。カバラ神秘主義との関わり
15世紀半ばのこと。
フランスは、アヴィニョンのユダヤ商人だったギー・ガソネは、ある時、キリスト教に改宗して、ピエール・ド・ノートルダムと名乗るようにらなった。
「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束
ピエールの息子、ジョーム・ド・ノートルダムは、公証人(何らかの行為などに法律を適用する際、その公式文書の製作などを行う人)となった。
ジョームには9人の息子がいた。
ミシェル・ド・ノートルダム、つまりミシェル・ノストラダムスは、その長男として、1503年に誕生した。
祖父の代で、キリスト教に改宗したとはいえ、ノストラダムスが、ユダヤの家系で生まれたことを重要視する者もいる。
「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
彼がカバラ神秘主義に通じていた事は、その著作の内容から明らかとも言われていて、それはユダヤの秘技であったから。
「カバラ神秘主義」セフィロトの樹の解説と考察。神様の世界創造魔術
ただ、彼の時代にはすでに、カバラ思想は、キリスト教世界にも広まっていたとされる。
医師としてのノストラダムス
モンペリエ大学で医学を学ぶ
1529年10月23日に、ノストラダムス(1503〜1566)は、モンペリエ大学の医学部に登録した。
そこで教えを受けたことが、彼が受けた教育に関する、唯一の確からしい記録であるという。
モンペリエは、パリの大学よりも柔軟な教育を行っていたとされている。
医学部は12世紀に創立されたが、伝統的なギリシアの医学のみならず、ユダヤ人が翻訳したアラビアの文献なども、テキストとして使用されていた。
14世紀以降は、解剖も実践されていたという。
大学で、ノストラダムスは熱心に、医学理論や哲学を学んだ。
彼は自分が読めるだけのあらゆる文献に目を通したが、臨床、つまり、実際に患者を診察し治療するという、実践的な経験も重要だと考えていた。
そこで、近場の地域に疫病が発生したのを転機として、彼は巡回医師となって、大学を離れることにした。
自作したペストの薬
少なくとも当時の基準では、ノストラダムスは医師として、一定の信頼を得ていたようで、1546年には、ペストが流行した、エクス=アン=プロヴァンスに、彼は招かれている。
その時彼は、自作の薬を患者に使用しているという。
その薬は、おが屑、アイリス、クローブ、アシ、アロエ、赤いバラなどを粉にして混ぜたものだった。
天文学と錬金術、医学と占星術
ノストラダムスは天文学について深い知識を持っていたとされるが、これは当時の医師としては珍しいことではない。
彼が生きた16世紀という時代は、生命体を含めたあらゆる物質が互いに関連し合っていて、広大な宇宙を構成している。
その広大なマクロコスモス(大宇宙) というネットワークシステムの個々の要素もまた、小さなミクロコスモス(小宇宙)と考えられていた。
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そのような世界観は、普通であった。
ミクロコスモスたる人間の病気の治療にあっても、その時期や症状は、天体の動きと関連付けられ、薬の調合なども、天空の諸惑星が最も強い効能を与える位置関係になった時を見計らって行われていた。
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医学の術は、実践的占星術とでも言えるようなものであったのだ。
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諸世紀、詩百篇集。賢者の予言の書
予言集の初版
1555年 ノストラダムスはリヨンの印刷業者マセ・ボノムの力を借りて、3797年までの予言を書いた『予言集』、いわゆる『諸世紀』、『詩百篇集』、『ノストラダムスの予言集』を、初めて出版した。
この初版は、後の1巻〜3巻、4巻中の53篇の四行詩が含まれていたという。
そしてこの書は、その後も新しい版が次々出版され、最終的には、各百篇の四行詩で構成されている、全10巻の予言集となった。
ノストラダムスの予言集は意味が分かりにくい難解なものだとされているが、それに加えて、初版以降にだされた、様々なエディション(版)において、多くの誤りが露見している。
これは予言集が、あまり使われないような表現や造語を多様していたために、印刷工が混乱したせいであると考えられている。
この件に関して、一番初めにノストラダムスが書いた手書きの原稿が現存していないので、初版ですら、誤りが含まれている可能性は高いという。
(コラム)真の予言集
真の予言集は、ノストラダムス自身が書いた原本と言えるかもしれない。
ノストラダムスが、本当に魔術師か何かの類だったなら、その記録を、永きにわたり残す術を有していた可能性も、なくはないだろう。
真の予言集。
そこにはいったい、何が書かれてるのであろうか。
なぜあえて難解にしたか
予言集が難解なのは、ノストラダムス自身も自覚していた。
むしろ彼は、意図的にあえてそうしたのである。
これには代表的な説がふたつある。
ひとつは、単に彼が詐欺師だったという説。
いろいろな解釈ができる難解な文章で預言を書くことで、何かが起こった時に、あたかもそれを予言していたかのように思わせるためのテクニック。
もうひとつは、天上の真理は、大衆に気軽に知れてはならない、という信念が、彼に深く根ざしていたという説。
しかし、彼は予言集以前に、占いの本の出版を、「印刷業者により、無知な者にも簡単に理解できてしまうよう勝手に改善された」という理由で、とりやめたりもしてるようだから、著作に、難解な表現をあえて使ってたのは間違いない。
フランス王の寵愛
予言集が好評を博したのは、フランス王アンリ2世と、王妃カトリーヌ・ド・メディシスが、ノストラダムスに関心を持っていたおかげとされる。
1555年の夏に、ノストラダムスは宮廷に招かれ、その3年後に出版された完全版予言集には、王に捧げられた手紙が収録されていたという。
宮廷に招かれた頃には、もうノストラダムスの名声は、すっかり医師としてのそれよりも、占星術師としてのそれが上回っていたようである。
そして医学、占星術、哲学、数学、神学と、あらゆる学問のエキスパートであった彼は、賢者として宮廷に召し抱えられた訳であった。
ノストラダムスの息子セザール
アンリ二世の死の予言
予言集の第一巻に収録されている、「若き獅子が、年老いた獅子を打ち倒すであろう。戦場での一騎打ちによって。金のかごの中で両目がくりぬかれる。やがて死ぬ、残忍な死に方で」という詩が、1559年のアンリ二世の死と結びつけられた時に、ノストラダムスの名声は決定的になったと言われる事もある。
詩中の、金のかごは王の兜。
若き獅子は、王を死に追いやってしまったガブリエル・ド・モンゴメリーの事らしい。
ただし、この詩が、アンリ2世の死を予言していると考えられるようになったのは、16世紀末に、ノストラダムスの長男セザール( 1554〜1630)が指摘してからともされる。
この予言集は、3797年までの出来事を綴ったもの
予言集の初版の冒頭ではノストラダムスは息子のセザールに手紙を捧げている。
父から財産と社会的地位を引き継いだせざるは 自らを学者、あるいは芸術愛好家と称していたという。
絵画を愛し、彼自身も絵を描いた。
彼は父の肖像画を描く事で、その正当後継者である事を、世にアピールしたとされている。
また、ノストラダムスの予言の範囲が、3797年までとされているのは、この手紙の中に、「この予言集は3797年までの出来事を綴ったもの」と、記載されているからである。
1999の7の月の予言
「1999年の7の月。天より恐怖の大王が降りてきて。アンゴルモアの大王を蘇らせる。その前後において、マルスはほどよく統治するであろう」
おそらく、ノストラダムスの予言集に書かれた中で、最も有名なものである。
ノストラダムスの予言の詩として、まず具体的な時期が記載されている事が珍しい。
この詩は、その、どこか不気味さを感じさせる内容から、古くから議論の的になってきた。
まずマルスは、普通はギリシア神話の軍神マルス、つまり火星のことであろうとされるが、十中八九、惑星の火星そのものを意味しているのでなく、何かの比喩であろうと思われる。
天より降りてくる恐怖の大王。
それにアンゴルモアの大王となると、もう何のことだかすっかりわからない。
ノストラダムス自身が、予言集は3797年までの出来事を綴っていると書いているにもかかわらず、この予言は、この年に世界が滅ぶということではないか。と懸念する声も、実際にこの時期を越えるまでは多かった。
しかし妙な解釈かもしれない。
普通は、恐怖の大王も、アンゴルモアも、マルスも、何かの比喩とされる。
それなのに、なぜかたいていの人が、1999の7の月というのを、そのままに受け取る。
セザールへの手紙は、予言集の内容の簡潔的な説明のような内容だから、ここにある3797年までというのは、そのまま西暦の3797年ということなのだろう。
しかし恐怖の大王の予言に関して、1999の7の月というのが、西暦における1999年7月のことなのかはわからない。
つまり、結局これも、いつ起こることなのかわからない予言だとも考えられる。
未来をどこまで理解できていたのか
ノストラダムスに限らず、預言者という人達にありがちなことだが、未来の出来事はわかるというのに、未来の知識自体については全然ないようである。
3797年までの予言というのは、かつては、ずいぶん先まで、というふうに言われることも多かった。
だがよくよく考えてみれば、現代的な観点から見て、3797年というのは、さほど未来というわけでもない。
少なくとも地球誕生から46億年。
恐竜が滅んでからでも65000万年ぐらいとされている。
世界というのをこの地球のことだけと考えてみたとしても、これまであった過去の時間の長さから比較して、たかが2000年ぐらい未来の3797年なんて、そんなに大層な未来でもない。
また、ノストラダムスの熱烈な信者の一部が言うように、3797年というのが、世界の終わりである、とも考えにくい。
冷静に考えてみれば仕方がないことかもしれない。
ノストラダムスの時代には、宇宙の銀河系構造や、放射性元素を用いた年代測定法。
進化論はおろか、ニュートンの万有引力の定理も知られてなかった時代である
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか
「ニュートン」世界システム、物理法則の数学的分析。神の秘密を知るための錬金術
例えば、地球は50億年後くらいに、太陽がその内部のエネルギーを燃やし尽くした時に、ついでに滅びるかもしれない。
「ブラックホール」時間と空間の限界。最も観測不可能な天体の謎
しかし、それでこの宇宙が終わる訳ではない。
3797年に、人類が滅亡するということだろうか。
それならば十分にありえそうな話である。