「サン・ジェルマン伯爵」最も高名な錬金術師の謎。どこまで嘘で何が本当か

不老不死の錬金術師か、タイムトラベラーか

 おそらく歴史の中に現れた謎の人物と呼ばれるような者たちの中でも最も奇妙な存在とされるサン・ジェルマン伯爵(1691~1784)。
数千年生きてきた錬金術師とか、タイムトラベラーとか、いろいろと言われている彼だが、自分で自分のことをそういう存在であると語ることは、実はそれほどなかったとされる。
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ただ他の人がそう信じていることを、自分からあえて否定したりはしなかったという。

 通常、彼の真の生年月日は不明とされている。
そもそもサン・ジェルマンという名前も本名でなく、本来は伯爵という階級に属する人でもなかったとされている。
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一般的に言われてるような伝説に関して

 とりあえず1758年以降、フランスの社交界で活躍するようになる以前の彼に関しては特に謎が多い。

いくつもの出生の話

 サン・ジェルマンの出生についてだが、これもまた言ってしまえば奇妙な話なのだが、「通説」がいくつかある。

 とりあえずハプスブルク家最後のスペイン王だったとされるカルロス2世(1661~1700)の、2人目の結婚相手であるマリア・アンナ・フォン・デア・プファルツ=ノイブルク (1667~1740)の私生子しせいし(結婚していない男女の間の子)であったという説。
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 それに、トランシルヴァニアの王子であったハンガリー貴族ラーコーツィ・フェレンツ2世(1676~1735)の息子だった説。
フィレンツ2世が父だというのは、サン・ジェルマン自身が主張していたことともされる。

 イタリアの王女の子で、1710年頃にサンジェルマーノなる地区に生まれたという説もあり、見世物やサーカス、それにおもしろおかしなホラ話で有名なフィニアス・テイラー・バーナム(1810~1891)などは、これが一番説得力がある説だとしていたようだ。
また、彼の表向きの父親はロトンドとかいう、そのサンジェルマーノ地区の徴税人だったという。

 いずれにしても高貴な家の生まれであるなら、彼が持っていたとされる幅広い教養や財産の理由は、ある程度納得しやすい。

 また、ライン川沿いの平原地帯に広がるアルザスにはわりと古くからユダヤ人のコミュニティがあるそうだが、サン・ジェルマンは、そのアルザスのユダヤ人、サイモン・ウォルフだったという説もある。

 あるいは彼が、スペインのイエズス会のメンバーであったアイマールなる人物だったという記録もあるという。
イエズス会は、歴史的には、大航海時代くらいに、世界各地への宣教に務めたことがよく知られるカトリックの男子修道会である。
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表舞台に現れるまで

1740年代の中頃に、彼はロンドンでスパイ容疑で逮捕された事があったらしい。
その時の彼は、 作曲家を職業とし、オペラのための曲などを作っていたという。

 そして釈放されたのか、逃げ出したのかは知らないが、その後ドイツにいた彼に、とあるフランス貴族が目をつけて、以降はパリに定住するようになったとされる。
しかしこのフランス貴族との出会いは、1740年代の内だったともされているから、実際にフランスで彼の名がよく見られるようになるまで意味深な空白期間がある。

 この空白期間の間に彼は、世界中を旅し、東方の地で賢者の秘技を授けられたとかいう噂もある。
また、彼はドイツにいた頃、不老不死に関する霊薬を売っていたともされる。

 ところでサン・ジェルマンが社交界で活躍し始めたという1758年といえば、おそらく彼はもう60歳以上か、そうでなくとも50歳は超えていたと考えられるが、彼の見かけは40いってるかいってないかぐらいにしか見えなかったらしい。
そしてこの時代以降、いつの時代に目撃されたサン・ジェルマン伯爵であっても、その見かけはまったくこの時と変わらなかったという。

死んだ後の手紙

 彼が一般的に(おそらくは病気で)死んだとされている1785年以降も、彼の目撃証言は数多くあるが、そのほとんどは、生前のものと比べても、かなり信憑性は低いとされている。
例えば、生前とほぼ変わらない姿の彼を見たとか、あるいは少し話した、という程度のもので、 彼がとっくに死んでるほどの人物であるということを除けば、オカルト的な要素は薄い。

 このことは多くの目撃証言が、単に彼に生きていてほしいと考える者たちの、願望からの幻や勘違いであるということを示しているのかもしれない。

 よく特に興味深いとされるのは、フランス王ルイ16世とマリー・アントワネットへの手紙である。
その手紙には「民のために動かなければ大変なことになる」というような忠告が書かれていたとされるが、内容よりも問題なのは、その手紙が1789年になって国王夫妻のもとに届けられたらしいことだろう。
そしてこの手紙での忠告から間もなくして、フランス革命が起こり、マリー・アントワネットは忠告を無視したことを後悔するも、時すでに遅しであったのだいう。
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 ちなみにサン・ジェルマン伯爵はそもそも生前から、たびたびマリー・アントワネットに忠告していたともされる。

実際、どれくらい長く生きていたのか

 多くの貴族たちの人気を集めていたサン・ジェルマン伯爵は、よく旧約聖書に登場する、シバの女王やソロモンのような人と自分との関わりを語ったりして、周囲の者たちを驚かせたという。
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 さらにある時。
十字軍に参加して、イングランドのリチャード獅子心王と会話もしたなどと彼は語り、しかしその時は、それを聞いていた者はかなり疑っている感じだったそうだ。
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しかしサン・ジェルマンは後ろに連れていた召使いに振り返り言った。
「ほら、君も言ってやってくれ、私の話は本当なんだと」
すると召使いは以下のように答えたという。
「私には何とも。旦那様お忘れでしょうか、私がお世話になりだしてから、まだ300年ほどしか経ってませんよ」
そしてサン・ジェルマンはさらに言う。
「あ、そうだったな。あれは君が来る前のことだったか」
このような演出は、彼の得意分野だったとされる。

 上記の話とまったく同じような流れだが、しかしサン・ジェルマンが会った人がリチャード獅子心王でなく、ローマ皇帝カエサル(紀元前100~紀元前44)であるパターンの話もよく知られるところである。
ようするにこういうことはよくあったのだろう。

驚異的な記憶力はかなり確か

 彼が仮に詐欺師であったとしても、驚異的な記憶力を持っていたということは確かとされる。

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さらには、フランス語、ドイツ語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、英語などの多くの言語を話すことができ、中国語、ラテン語、アラビア語、さらには古代ギリシャ語やサンスクリット語にも精通していたとされる。

 おそらく上流階級の注目を集めるようになったきっかけは、その深い学識の方であり、不老不死伝説ではない。
そちらの方の伝説は、ある程度社交界で名前が知られるようになってから有名になったものと思われる。

カリオストロとの関係

 ほぼ同時代に活躍したとされている、同じく錬金術師として有名だったカリオストロ(1743~1795)の師匠であったという説もある。
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普通そうだと考えられているように、カリオストロが詐欺師であったとすると、彼は自分の魔術師的なイメージを強くするために、サン・ジェルマンの名前をうまく利用していたのかもしれない。
とすると彼の時代には、すでにサン・ジェルマン伯爵といえば、優れた魔術師の代表的な人だったということなのだろう。

 一方でカリオストロの師匠はアルタトスなる人物であり、これはサン・ジェルマンではないという説もある。

 また、カリオストロが大事に持っていたとかよく言われる「最も聖なるトリノソフィア(La Très Sainte Trinosophie)」なる、イラストがけっこう使われた秘伝書の著者はサンジェルマン伯爵その人であったともされる。
この書は、もしも本当にサン・ジェルマンが書いたものでないのならば、おそらくはカリオストロ自身が書いたものだろうと考えられている。

 La Très Sainte Trinosophieに関しては、抽象的な図が多く、かつ暗号的な文ばかりで、かなり難解な本とされているが、とりあえず内容は、特に錬金術に関係したものらしい。

カサノヴァの証言

 回想録が有名な、特に女性に対して優れた詐欺師であったとされるジャコモ・カサノヴァ(1725~1798)も、サン・ジェルマンと面識があったとされる。
彼はカリオストロを詐欺師だと考えていたこともよく知られているが、同じようにサン・ジェルマンも詐欺師だと考えていたようだ。

 カサノヴァはサン・ジェルマンに関して、 彼は常に冒険的で、学者として音楽家として優れていたなどとも書いている。
さらに彼が持っている化粧品は、人を若く見せる効果がかなり優れていて、彼にその気さえあれば大儲けができるだろう、というようなことも。
さらにサン・ジェルマン自身が、300歳であるとか、自然に対する真理を得ているとか、ダイヤモンドから綺麗な水への変成などを実現できるなどと語っていることにも、カサノヴァは触れているという。

 そして、荒唐無稽なことをどれだけ普通の笑顔で言ったって、別にカサノヴァとしては不快にはならず、むしろいつも彼は、自分に対し疑り深い者たちをも驚かせたらしい。

 どうもサンジェルマン伯爵が話上手だったのは間違いないようだ。

その他の伝説

 他にも多くの人がサンジェルマンに関して、その優れた才や奇妙な振る舞いを記録している。
以下はそのいくつかにすぎない。

 彼はまず、かなりバイオリンの達人であり、優れた画家でもある芸術の人だった。

 彼はどこへ行っても、おそらく錬金術のための実験室を用意していた。

 彼は大金持ちのようであったが、これに関してははっかり詐欺師めいたところがあり、人にはよく大半が偽物である宝石の山を見せ、そこに含ませたという本物の宝石をあっさりプレゼントしたりして、 実際以上にものすごく金を持っているかのように人に思わせたりもしたらしい。
この場合、実際にはプレゼントした宝石以外は偽物しか持っていないのだが、話が広まるにつれて、大量の宝石を持っていたのだというような話に変わっていったりもするだろう。

 彼は公の場では食べ物を決して食べず、それどころか、「私はただ薬さえ飲んでいれば他には何も食べなくてもよいのです」などと言っていた。

 かれはまるで空間を超える能力があるかのように、扉を開けずに部屋を出入りできた。
これに関しては、彼がタイムトラベラーでないかと主張する者はよく言及する。

秘密結社との関わり

 彼はまた、薔薇十字団やフリーメイソンなど多くの秘密結社とも関わりを持っていたとされる。

 これは特に怪しく、しかし興味深い話だと思うが、彼自身も何らかの結社を立ち上げていたという噂もある。

 そして、その組織に入った者は、まず大いなる秘密を学ぶのだという。
つまりそれは、彼の魔術師としての話の全てがインチキであるというものである。
そして会員(弟子)たちは、騙されやすい者をいかにして騙すか、という秘伝の技が授けられたらしい。
さらには最重要の任務として、サン・ジェルマン伯爵が300歳であるということを周囲に話しまくるように命令されていたそうだ。

 カリオストロもこの結社の一員だったという説がある。

本当に詐欺師であったのか

 サン・ジェルマン伯爵の若い頃の記録はかなり乏しく、謎とされるが、この時代の人において、長い時期、記録に乏しいというのは別に珍しいことではない。

 カサノヴァは、この人は非常に女性にモテるタイプだろうと称していたが、 実際サン・ジェルマンが持った上流階級とのいくらかのつながりのきっかけは、王族の愛人などの、婦人を通してだった場合が多かったようだ。

 また2000歳とか4000歳とかいろいろ言われたりするが、彼自身は基本的には、自分は300歳ぐらいにすぎないとよく語っていたという。
ただ、これはカサノヴァに対してそう言ったことが、よく広まっているだけかもしれない。

 彼に詐欺師めいたところが一切なかったと考えている者などほとんどいない。
いつも高価な宝石でその身を着飾っていたという彼の、おそらくはかなりの富はどこからのものなのか確かに謎ではあるが、通常は多くのパトロンたちの寄付によるもので説明できる程度しかないだろうとされている。

 彼はまた、ラーコーツィ・フェレンツ2世の子であるということを、親しくなった者だけに話していたようだ。
この話も本当なのかは謎なのだが、ただ彼はどうも、 その出生のために、(おそらくはラーコーツィが敵対していたハプスブルク関係の)暗殺者たちから命を狙われる立場であった。
そこで自らの身を隠すために、様々な名前を名乗り、まったく別の人物を演じ続けていた。
そして名乗っていた中でも最も有名になった名前が、サン・ジェルマン伯爵だったそうである。

 だがこの話が真実なら、サン・ジェルマン伯爵はハプスブルク家であるマリー・アントワネットになぜ肩入れしていたのだろうか。

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