精神と物質の二元論。意識と肉体はどこで繋がってるのか?
古くから、精神と物理的な肉体を、別個のものとして、我々という存在を考える事はされてきた。
これは明らかに『二元論(dualism)』というやつである。
つまりこの世界は物質で出来ている。
そしてその物質という何かに、我々という精神が宿っていたりする。
しかしそんな考えが正しいのだとして、ひとつ間違いなく確かな事は、精神と、その精神が宿っている肉体という何かには、何らかの繋がりがある事。
そうでないならば、我々の肉体に何かがあった時に、精神が何かを感じる事も出来ないし、精神という意識が、まさしく意識的に体を自在に動かす事は出来ないはず。
すでに我々は、その繋がりがどこで発生しているのか、その範囲をかなり絞っている。
それはつまり『脳(brain)』である。
人含む多くの生物の頭部に、この謎多き器官は納められている。
大脳。小脳。間脳。脳幹
脳はいくつかの部分に分けられる。
例えば人の場合は、『大脳(cerebrum)』、『小脳(cerebellum)』『間脳(diencephalon)』、『脳幹(brain stem)』。
さらに脳幹は、『中脳(midbrain, mesencephalon)』、『延髄(medulla oblongata)』、『後脳(hindbrain)』というのに、より細かく分類されている。
そしてどうやら人の意識は、あるいは意識と肉体の繋がりには、大脳が大きく関与しているらしい。
なぜなら大脳のある部分を傷つければ、その部位により、意識は体との繋がりを失う。
例えば、目から取り入れた光学的情報から、様々な色を識別できなくなったり、立体感を失ったりする。
「アンテナの基礎知識」種類ごとの用途。個々の特徴
手や足のコントロールが出来なくなったりもする。
「制御とは何か」コントロールの工学技術の基礎
もっと奇妙な事に、意識自体が、削られてしまう事もある。
実際に、大脳を傷つける事で、意識が何らかの大きな損傷を負うならば、意識は大脳が生み出しているものではないと、なぜ言えよう?
大脳は明らかに物質である。
ではやはり意識も物質から生まれるものではないのだろうか?
二元論というのは、我々という存在を特別なものだと思いたい、単なる願望にすぎないのであろうか?
神経細胞ニューロンの領域。アルツハイマー病と小脳
脳は、ニューロンと呼ばれる細胞が、電気信号を発しあう領域である事もわかっている。(まるで電子回路である)
「電気回路、電子回路、半導体の基礎知識」電子機器の脈
最もニューロンが多いのは小脳で、ここはどうやら反射や、慣れきった行動などの、無意識的な活動に関係しているようである。
小脳よりずっとニューロンが少ないという大脳が、意識に関係しているとされるというのは、意識というのが、あまり複雑な機構でないという事を示しているとも言える。
意識はおかしいが、行動は活発に行うというアルツハイマー病の患者は、大脳があまり働かず、しかし小脳が活発に活動している。
また、意識というか、知覚能力も、大脳。
あるいは、知覚能力が、大脳由来のようである。
意識の側が神経細胞の動きに影響を与える場合もおそらくある。
「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気
哲学的ゾンビとは何者か
ところで、二元論の証拠と言えるかは微妙だが、意識というものの存在をかなりはっきり支持する根拠もある。
よく言われるのが『哲学的ゾンビ(Philosophical Zombie)』というもの。
この哲学的ゾンビとは、ある種の思考実験である。
人間のような何かを想像しよう。
アシモフの小説などに描かれるような人間そっくりなロボットではない。
見た目だけじゃなく中身まで人間な人間である。
心臓や肺を持ち、傷を痛がり、ひどい目にあったら落ち込む。
ただ人間との違いは、意識を持っていない。
ゾンビというよりは、むしろ精神的ロボットというべきかもしれない。
そういう存在である。
ではそういう存在がいたとして、我々は、そいつが実は人間でないとわかるだろうか?
だが、わかろうが、わかるまいが、それは人間ではないだろう。
しかしそいつと人間との違いは、意識があるかないかのみ。
だから、そんな風に考えれる時点で、少なくとも意識は、それのみで固有の存在ということなのだろう。
少なくとも、人間という存在に、意識は必ず必要なのである。
宇宙は認識されなければ存在していないか
これも二元論の根拠かは微妙かもしれない。
それでも、明らかに、認識されなければ、宇宙は存在しない。
何かからっぽの空間を用意して、物質を詰め込む。
するとそれは世界になるだろうか?
だがそこに世界があると認識出来る者は誰もいない。
「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空
これはいったい何を意味しているのか?
つまり、あなたの宇宙はビッグバンとかによって生まれた訳ではなく、あなたの意識と共に生まれたのである。
「ビッグバン宇宙論」根拠。問題点。宇宙の始まりの概要
そしてその終焉は、おそらくあなたの意識がなくなってしまった時。
ひょっとすると、あなたが眠る時に、宇宙は終わって、目覚めた時にまた宇宙は始まってるとさえ言える。
つまり、最初の誰かが意識を持ったその瞬間まで、宇宙は存在していなかった訳である。
チューリング・テストとは
イギリスの初期コンピューター学者であるアラン・マシスン・チューリング(1912~1954)は、『チューリング・テスト』というものを考案している。
これは、ある人工知能が、実際に人間のそれのような知能を有しているか否かを決定する為のテストである。
これがどういうものかというと、単にコミュニケーションである。
何らかの機械と会話をする。
どれだけ会話を続けても、話し相手が、人間と思えるなら、その相手は人間でしかない。
つまりそいつは、自分に意識があると思っている。
仮に、完璧に人間の反応が出来るコンピューターの意識が、偽りであるとしても、それなら我々の意識にも疑いを持たれて然るべきであろう。
チューリング・テストが正しいとすると、人間のような存在には意識が必要だという事になる。
つまり人間でありながら、意識のない、哲学的ゾンビは、実質存在しえない事になる。
また、チューリング・テストに合格出来るような人工知能が誕生したとしたら、それはある意味世界の創作なのかもしれない。
中国語の部屋
実際に、意識を持たず、チューリング・テストを合格できるかもしれない可能性はある。
『中国語の部屋』という思考実験をしてみよう。
箱の中にあなたがいるとする。
そしてあなたが中国語を全く知らないとする。
それなのに、箱の中には時折中国語の質問が提供され、あなたはそれへの答を紙にでも書いて返さなければならない。
箱の中にはそれを可能とする為の辞書がある。
それは存在しうる、中国語による全ての質問と、それに対する適切な解答を書いた辞書。
その辞書を用いれば、あなたは、中国語を全く知らないまま、中国人に対して、完璧な質疑応答が可能なはずである。
おそらく、あなたが実は中国語を知らない事は相手にバレない。
そういう風に、全ての場面に対応した、適切な解答のデータを有する機械があれば、おそらく完璧な人間を演じれるだろう。
だがそのような機械が持つべき、全ての解答はどれほどか?
おそらく無限である。
「無限量」無限の大きさの証明、比較、カントールの集合論的方法
仮にこの世界が会話だけで成り立ってるとしよう。
それは現実よりずいぶんシンプルな世界のはずである。
だが、最初の言葉を交わしあった後、そこから繋がる次の話題は、初めの時と違っているはず。
会話は長引けば長引くほど、そのパターン数を増やしていく。
ひたすらに増えていくパターン数とは、つまり無限である。
だから、無限のパターンを記録しているコンピューターでなければ、完璧な対応が可能なコンピューターたりえないのだ。
「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
そういう風に考えると、やはり哲学的ゾンビのような存在は、そもそもありえないのである。
意識を持っているのが自分だけの可能性
この宇宙は実はプログラムにより作られたシミュレーションなのではないか、という説がある。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性
この意識こそがそのプログラムではないという考えに反論できるまともな根拠はおそらくない。
そもそも意識を持つのはあなただけで、家族や友人、この世界の他の全ての人が、哲学的ゾンビであったとしても、あなたはそれに気づけないだろう。
空の星を見て、身近な人を見て、神の奇跡やゲームのイベントを見るかもしれない。
そんなもの全部、あなたの意識の世界で、それ以外には世界がないのかもしれない。
意識それぞれが宇宙を作り出してるとして、なぜそこに共有されるものなどがあるのか。
「ファイル共有ソフト」仕組みと利点。P2Pソフトとは何か。
自分がリンゴを見た時に、別の誰かもそこにリンゴをを見てる時に、我々は、果たして同じ世界にいるのか?
全ての意識に何らかの繋がりがないなら、偶然、意識それぞれが同じ宇宙を認識してるなんておかしくないだろうか。
そもそも同じものを見てるという事実そのものが、自分だけの宇宙の出来事であると考える方が真っ当でないだろうか。
「タイムトラベルの物理学」理論的には可能か。哲学的未来と過去
やはり意識も物理的なものとして考えるなら、この多数の意識の共有性にも納得できる。
しかし、もし意識を物理的でなく、あなたが、あなたであるのだとしたら、あなたの宇宙はあなただけのものかもしれない。
あなたの、周りの人が、あなたの宇宙の登場人物にすぎない可能性は、案外高いと思われる。
こんにちは、はじめまして、ひとしと申します。
意識について調べていたらここにたどりつきました。
意識と肉体はどこで繋がっているのか?について思うところあるのでコメントします。
脳細胞の中のチューブリンというタンパク質の中には確率波状態の電子が一粒入っているそうです。麻酔ガスの分子がチューブリンにはさまり電子が確率波から粒子になると意識が無くなることから確率波の状態の電子が意識と関係していることは確かなようです。
確率波とは「確率という数学的な概念の波動」です。概念は物質ではありません。なので意識という物質ではないものと親和性があると思うのです。
なのでチューブリンの中の電子が物質と意識の接点になっているのではないかと思います。
猫隼さんはどう思いますか?
よかったら猫隼さんお意見もお聞かせ下さい。
はじめまして、猫隼です。
このページにコメントしようと思うくらいに興味深いことが書かれてたなら、僕には喜ばしいことです。
どうもありがとう
>>確率波の状態の電子が意識と……
確率波というものが実在し、それが意識と関わっているなら、意識というのは、確率状態の電子から始まる(あるいは間にそれのふるまいを挟む)相互作用により生まれるか、あるいはその相互作用により自覚できる状態になるということだと推測します。
意識が相互作用の産物か、意識の自覚に確率波が関わっているだけか、どちらなのかは非常に重要と思います。
もし前者なら、我々が意識を一時的に失っている時、我々の存在(意識)がこの宇宙から一時的に消えていることと同じになるかもしれません。
もっと興味深いのは、純粋に自覚された意識を、物質と物質の状態の相互作用をコントロールすることにより作れるかもしれないことかもです。
コントロール可能かはともかく、ある(もしかしたら動物でもいいけど)人の意識を構成する相互作用が偶然また現れてしまったら、まったく同じ意識というのが誕生することにもなってしまうと思います
ただの個人的な感情なんですけど、それは嫌です。
だけど意識が相互作用の産物なら、いろいろ納得はしやすいと思います。
意識の自覚に確率波が関わっているだけのばあいですが、こっちの考え方が遥かに厄介かもしれません。
多分ベースとなっている意識なる概念が物質とは別にあり、確率波を挟む相互作用の影響下で、それ自身がそれを自覚するような状態になるというようなものと思います。
でもだとすると、意識というものに(宇宙が存在している限りの)不死性を与えるか、それは無から現れたり消えたりするものというふうに考える必要が出てきてしまうように思えてならないのです。
それは物理学の考え方の崩壊とイコールのような気すらします。
また、概念というのを実用的にはどう解釈すればよいのかは、それ自体難しい問題と思いますが、物質ではないものではあるはず。
確率波状態にない(観測、あるいは意識それ自体により収束した?)電子が物質だとすると、おそらく「(1)電子は物質でない状態から物質になっている」、「(2)電子は物質でないなんらかの状態の上に存在していることがある」、「(3)概念と物質は物理的、定量的に切り替わるという機構が宇宙にある」のいずれかの解釈が妥当に思います。
これらのどの解釈を採用するかは、意識と概念的な状態の関係を考える上でもかなり重要と思います。
それと個人的には量子論などにおける確率波は、(まだまったく未知の)物理状態を数学的に上手く扱うためにひとまず過程された定義(解釈)のひとつにすぎないと考えてます。
確率波は数学的な発想の二次的な産物で、意識はおそらく実在的なものと考えているので、僕の個人的な推測としては、確率波というものが意識というものと実際的に関連しているというのは、ちょっと疑問ということになりますね。
だけど、正直客観的に見た場合、僕の方が迷信的で、確率波の状態が意識と物質の繋がりの要素かもしれないというのは、かなり辻褄の合う考え方とも思います。
ところで、今回これに関する話を急ぎ足で調べてみましたが、ロジャー・ベンローズの説みたいですね。
量子論で脳をどうたらって彼の本、確か持ってたような気がするので、いつかこのテーマの記事はしっかり書くかもしれません