1ビットの謎
原子。量子。ひも理論
この世界に最小の情報、『1ビット』はあるだろうか?
あると考えた人達が原子を見つけた。
「原子の発見の歴史」見えないものを研究した人たち
今ではさらにその深遠なるビットが見つかっている。
「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ
ただし、いまだに確認できてるだけの知見においては、真のビットは真的と言えるか微妙である。
最小のビット候補として、ヒモはよく持ち上げられ、議論される。
「超ひも理論、超弦理論」11次元宇宙の謎。実証実験はなぜ難しいか。
一方で空間内部の物質とは、そのものが空間に付随するものなのかもしれない。
そうすると現実の世界というのは、どういうものになるであろうか?
「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空
ビットには既に個性がある
問題は、ミクロな観点からのみでなく、マクロな観点から明らかである。
ビットがあるとして、それがヒモにせよ、粒子にせよ、ビット単体はどれも同じものである事を、多くの人は当然だと考える。
しかしそれなら、この世界はどうなっている?
もし仮にビットが、単体では全て同じものならば、万物の違いは、それぞれを構成するビットの量のみとなる。
だが、明らかに、ビットの価値や性格は、量に左右されない場合がある。
つまりあなたを構成してるビットを考えてみよう。
あなたのDNAコードの塩基対(遺伝子情報のひとつ)のビットは、あなたの手を構成するビット量よりも遥かに少ないだろう。
しかし1個の塩基対のビットは、あなたを構成するそれ以外の全てのビットより、将来のあなたの全子孫にとっては重要であろう。
情報の重要性は、ビットの量には左右されない。
それの形。
それの大きさ。
それの置かれた空間の位置。
だが、それら自体がビットとも考えれる。
おそらくこう考えるのが一番常識的である。
ビットにはすでに個性がある。
宇宙は巨大な量子コンピューターか?
量子論が正しいなら
宇宙はビットで出来ている。
それとは別に、我々は知っている。
宇宙は多分、量子論的である。
20世紀、クォークまで発見した物理学者達は、いよいよ、量子的な世界観を築いた。
「中間子理論とクォークの発見」素粒子物理学への道
つまりビットは量子なのだ。
ビットの計算は量子的に成される。
この宇宙のあらゆる全てが。
この宇宙を例えるならば、古典的なコンピューターでなく、量子コンピューターなのである。
「量子コンピュータとは何か」仕組み、宇宙の原理、実用化したらどうなるか
区別がつかないなら、それらは同じもの
量子論、あるいは量子力学が示しているのは、この世界が量子的に出来ているという事。
量子コンピューターは、量子をひとつのビットとして、処理される。
もし仮に、宇宙と同じ大きさの量子コンピューターを作ったとしたら、量子的なこの宇宙は、完全再現出来るであろう。
そしてそういう巨大量子コンピューターのシミュレーションは、現実の宇宙との違いが、誰にもわからないとされている。
哲学的には難しいが、数学的、物理学的には、まったく誰にも区別のつかないものは同じものとして扱われる。
そしてそうする事に何の問題もない。
つまりこの宇宙は、宇宙の大きさの量子コンピューターと考えて、特に問題はない。
ランダウアの原理。過去の記録の情報
閉じた系の中で、ビットの量は変わらない。
それが『ランダウアの原理』というものである。
例えば閉じた箱の中にリンゴとミカンがあって、その外にミカンを出したなら、それはつまり箱内から、ミカンを構成する情報が減った事を意味する。
しかし、箱外に結局、ミカンが出てくる訳だから、箱外も含めた世界全体からは、情報が失われてない。
本当にそうだろうか?
単純に1個の点を、考えてみよう。
1個の点が持つ情報の量は少なく思える。
では宇宙の時間を1時間分巻き戻したら、どうなるか?
1時間前にそこにあった場所に点はある。
これは、1時間前にそこにあったという情報が、あるからではないだろうか。
それは1個の点が持つ情報は、時間と共に増していく事を意味してないだろうか。
もしかすると単に、時間というのはその瞬間しかなく、復元する(戻る)事もないという事なのかもしれない。
つまり、ある瞬間の情報は、次の瞬間の度に消えていく。
あるいはこうかも。
宇宙の時空は広がっている。
つまり、時間も常に広がっている。
「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
シミュレーション仮説
なぜ世界の全ては数字で説明できるのか?
むしろ数字でないと説明できないのか?
例えば地球とは何かを考えよう。
地球とは何か?
惑星のひとつである。
では惑星とは何か?
恒星と呼ばれる星の周りを巡っている星。
では恒星とは何か?
あるいは、呼ばれるとは、周りとは、巡っているとはどういう事か?
そういう風に、言葉によって、決定的な答を出す事は出来ない。
しかし素粒子1個を量1として、地球の~の量の集まりだと言えば、それで話は終わる。
数字でなら、なんでも表現できる。
昔、ギリシャの哲学者は、「世界は数字で出来ている」と考えた。
今ではどちらかというと「世界は計算機(コンピューター)」だと考える方がしっくりくる。
「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械
いくつかの可能性
本当に、この宇宙がコンピューター(コンピュータープログラム(?))だとして、それはどういう事であろうか。
いくつかの可能性があろう。
まず、宇宙とは、そもそもコンピューターであり、それだけ。
つまり真の、存在するものとは、コンピューター1台のみ、あるいは複数のコンピューターのみという場合。
次に、コンピューターがあれば、そうでない宇宙もある場合。
コンピューターでない宇宙など、想像すら難しいが、それは多分、我々がコンピューター内の存在だから。
あるいは、そういう宇宙しか知らないからであろう。
そしてもうひとつ。
こういう可能性がある。
この宇宙は、誰かのコンピューター。
宇宙は簡単か
宇宙がコンピューターであり、その外の構造が存在しない。
だとすると、宇宙というのも、ずいぶん簡単なものになろう。
コンピューターなら、宇宙のサイズを適当に仮定して、少なくとも、宇宙がどういうものか、ある程度、我々にも理解できる。
実際、物理学者は、地球にいながら、ブラックホールやダークマター、遥か昔のビッグバンまで明らかにした。
「ブラックホール」時間と空間の限界。最も観測不可能な天体の謎
「ダークマターとダークエネルギー」宇宙の運命を決めるモノ
しかし、宇宙がコンピューターで、後は何もない。
そういう世界など、奇妙に思える。
だからどうしたって話なのだが。
神は、コンピューター技術者?
コンピューターでない宇宙もあると考えた時、ならこの宇宙は、そのコンピューターでない宇宙の住人のコンピューター。
というような考えはすぐさま浮かぶと思う。
しかしよく考えたら(もしかしたらよく考えなくても)、このコンピューターの宇宙内でも、コンピューターの宇宙は作れる。
量子コンピューターを作ったら、それで宇宙を想定したようなシミュレーションを開始すればよい。
量子コンピューターのシミュレーション内の存在にとっても、そのシミュレーションを始めた者達にも、そうして作られた宇宙と、それと同じサイズのリアルな宇宙との区別はつかない。
つまり量子コンピューターの宇宙シミュレーションは、宇宙創造に等しい。
「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
我々は神になれる。
量子コンピューターさえ実現出来るならば。
シミュレーションの可能性の方がむしろ高い
もちろんこの宇宙も、何者かの量子コンピューターのシミュレーションかもしれない。
量子コンピューターのシミュレーション内の住人の、シミュレーションかもしれない。
仮に、宇宙がそうしたシミュレーションのみならず、自然にも発生するものだとして、それは多分、誰かがどこかの宇宙で、新たに宇宙を創造する(つまり量子コンピューターの宇宙シミュレーションを始める)よりは、珍しいのではないだろうか。
もしそうなら、真の世界全体の中において、自然発生した宇宙よりも、量子コンピューターで創られた宇宙の方が、数が多くなる。
はっきり言ってしまうと、我らの宇宙がシミュレーション宇宙である確率は、高い。