「メアリー・アニング」化石に生涯を捧げた女の子

メアリーアニング

運命を決めたアンモナイト

鍛冶職人の父、同じ名前の母

 1799年5月21日。
メアリー・アニングは、イギリス南西部ドーセット州ライム湾に面する貧しい家に生まれた。
父は家具職人リチャード。母の名は自分と同じくメアリーだった。
リチャードとメアリー夫婦は10人の子を授かるが、成人したのは二人目(母を含めると三人目)のメアリーと、彼女の兄ジョゼフのみ。

 メアリーの生まれた時代のライムは、迷信深い、古くさい土地で、産業革命にも乗り遅れ、過疎化を続けていた。
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雷を帯びた女の子

 1800年8月19日。
発育悪く、歩くこともままならなかったメアリーは、子守り女のエリザベスに抱かれ、ラック広場の騎馬の催しに連れてこられていた。
 その日は朝から曇り空だったが、雨が降るかは微妙な気配だった。
しかし午後4時45分頃、残念な事に雨は降った。
それも盛大な雷雨だ。
 鳴り響く雷の音と光を恐れ、人々は散った。
フェニーとマーサという二人と共にメアリーを抱いたエリザベスは、広場のニレの木の下に雨宿りしていたという。

 突然の事だ。
雷が轟き、木の下には三人の貴婦人の死体と、意識を失ったメアリーが残された。
 しかし貴婦人達と共に死んだと思われたメアリーは生きていた。
湯で温められて目覚めた彼女は、大きな怪我もなく、けろっとしていたと言われる。

(注釈)破天荒な人生だったのか?

 このような話のように、メアリーに関する話は、少々怪しげなものも多い。
だが作られた話としたら、どういう意図で作られたのかは興味深いかもしれない。
奇抜なエピソードが多いのは、やはりそれだけ彼女が風変わりなイメージの人物だったという事だろうか?

可愛い商人

 メアリーの父リチャードは趣味を兼ねた副業として、化石の装飾品を売っていた。
リチャードが売った化石の中には、有名なアンモナイトや、当時はワニと考えられていた魚竜のイクチオサウルスのものもあったという。
魚竜 「魚竜」恐竜より早く誕生し、絶滅した海生爬虫類。収斂進化の妙。
 幼いメアリーは、店頭に立つ父の隣がお気に入りのポジションだった。
父としても幼い娘は素晴らしいパートナーだった。
なぜならこの可愛い商人を値切ろうとする紳士は非常に少なかったから。

 また、リチャードの客には、形や色に拘る者以外に、奇妙な植物のようなウミユリ標本などに目をつける収集家もいた。
「美的センスの欠如」と「金銭感覚のなさ」とは因果関係があるようで、そういう変わり者ほど、財布の紐を盛大に緩めてくれた。
そしてそういう人達は、好奇心旺盛なメアリーに、(貴重らしい)変わった生物の学名などを優しく教えてくれたという。

化石売りになる

 1810年、リチャードが肺結核で世を去ると、大黒柱を失ったアニング家は危機を迎える。
メアリーは意気消沈し、しばらくは何もかも止めてふさぎ込んだ。
しかし彼女はすぐに気づくことになる。
父は、愛する娘に、生きるための知恵をちゃんと残してくれていた。

 ある時、メアリーはまた海岸で化石探しをして、アンモナイトを見つけた。
そして彼女は、通りにいた貴婦人にそれを売った。
 こうして生きよう。
自分は今日から化石売りだ。
決心はこの時ついた。

化石少女メアリー・アニングと周囲の人達

フィルポット姉妹の化石コレクション

 その決心の日。
メアリーからアンモナイトを買ってくれた貴婦人は、メアリーが5歳くらいの時にライムに引っ越してきた、メアリー、マーガレット、エリザベスのフィルポット姉妹の末のエリザベスだったとされている。

 裕福な彼女ら姉妹は、化石収集が趣味で、リチャードの死後、メアリーの面倒をよく見てやり、化石をいくつも買ってあげたお得意様でもあった。
 最終的に彼女らの化石コレクションはなかなか大層なものとなる。
やがて『フォッシルウーマン』と呼ばれ、有名になるメアリーだが、ライムを訪れる観光客には、フィルポット姉妹の化石博物館が目当てという人もけっこういたという。

 フィルポット姉妹は、オックスフォード大学教授であった有名な古生物学者のウィリアム・バックランドとも親交があったらしい。
姉妹の死後、その化石コレクションの大半はオックスフォード大学に寄贈されたという。

 メアリーもそうなのだが、フィルポット姉妹も生涯独身であり、裕福を鼻にかけず、貧しい人達にも優しい人達だったとされている。

男友達(?)ヘンリー

 ヘンリー・トーマス・デ・ラ・ビーチは、メアリーが父を亡くした2年後に、ライムに引っ越してきた。
彼はメアリーより3才年上。
ライムに来た時には、同じく父を亡くしていた。

 ビーチは死んだ父のように軍人を志していたが、反抗的な態度が原因で陸軍士官学校を退学にされた経歴を持つ、若干危うい若者であった。
 彼とメアリーがどのように出会ったのかは諸説あるが、化石探しをするメアリーと、海辺で出会ったというのが有力とされている。

 ビーチは、母エリザベスが再婚したウィリアムを通じ、ライムの科学クラブに参加するようになると、すぐに頭角を表した。
21歳でロンドン地質学会の会員に、23歳で王立協会会員に選ばれた彼は、後には政府に地質調査所を創設するよう説得し、その初代所長となった。
 互いに有名になってからもメアリーとビーチは友人であり、援助しあったという。

最初の大発見

 1811年頃のある日。
ジョゼフ・アニングは、巨大なクロコダイルらしき頭骨を、海岸下の急斜面に見つけるも、深く埋まってるらしい胴体はどうにもできなかった。
そこで仕方なく、自然の侵食がなんとかしてくれるのを待とうと決めた。

 1812年。
メアリーはその大発見かもしれないクロコダイルがはっきり現れてくるのを、毎日のとうに見守っていたが、ある時の嵐明け、それはついに露となった。

 メアリーはすぐ母と兄に報告。
かつては夫の副業をバカにさえしていたが、この頃には生活を化石に賭けて、収集を仕切るようになっていた母モリーは、近所の男手を雇い、大作業を開始。

 掘り出され、アニング家に運ばれ、整えられたその化石は、全長5m以上のクロコダイルと思しき全身骨格だった。
それがどれほど貴重かをアニング一家が理解していたかはわからないが、しかしそれが、一家を救ってくれるほどに凄いものだというのは誰の目にも明らかだった。

 面白い事に、発掘を取り仕切っていたのは母だというのに、補佐の娘が同名だった為、「少女メアリーが発掘の全てを仕切った」という伝説が生まれる事となったらしい。

大成功した化石オークション

 メアリー達にはクロコダイル見えた化石だが、古生物学者の中に、ヒレがあるようだから、それは巨大魚かもしれないと考える人が現れた。
議論の末に、ユーア博士なる人が、それをイクチオサウルスと命名した。
後にはイクチオサウルスは、絶滅した海生の爬虫類として知られる事になる。
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 イグアノドンの発見で知られるギデオン・マンテルとも親交がある、トーマス・ジェームズ・バーチは元軍人で、退役してからは、年金暮らしをしながら地質学に身を捧げた人物である。
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彼は化石収集にも熱心であり、少なくとも1818年にはアニング家からイクチオサウルスの標本を購入したようである。

 1820年。
バーチは、その頃にもまだ裕福とは言えなかった、アニング家の為も兼ねて、その102もの標本のオークションを開催した。
 客にはマンテルに、これまた古生物学会の大家ジョルジュ・キュヴィエもいて、キュヴィエは10もの標本を買ったという。

 また、出品された全ての化石の発見者はメアリー・アニングと唱えられ、地質学、古生物界で名を知られはじめていた彼女は、化石販売人としてさらに有名となった。
 オークションの総売り上げは400ポンド(おそらく当時の基準で、数千万か、もしかしたら数億円)以上となり、一家にも何割かが与えられた。
 バーチはこの、収集品の寛大な処分により、社会的評価を高めて、地質学会に入会したようである。

化石の貴婦人(フォッシル・ウーマン)

首長竜の発見

 石炭紀(3億5920万年前~2億9900万年前)の命名者としても知られるウィリアム・ダニエル・コニベアは、バックランドと同じくオックスフォードの指導者である。
彼とバックランド、それにビーチは、みなメアリーを合わせた友人同士だった。
また、ビーチとコニベアは共に奴隷制度反対者でもあり、政治的な話題もよく話し合ったという。

 1822年12月10日。
もうすっかりフォッシルウーマンとして知られていた24歳のメアリーは、首長竜プレシオサウルスの世界初の全身骨格を発見。
 そういう生物の存在は数年前、既にコニベアとビーチに予言されていた。
二人は、既知であるイクチオサウルスとワニの間のミッシングリングとして、そのような生物を想定し、発見前から命名を終えていたという具合であった。

 首長い甲羅なしの亀みたいなプレシオサウルスは、そのあまりに奇抜な容貌から、あのキュヴィエにまでも、実物を見るまでインチキと決めつけるほどの衝撃を与えた。
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 それは恐竜の命名以前。
太古にはそれまでも想像もされないような怪物がいたという事実を、多くの人々に証明する事になった。
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翼竜の発見

 メアリー・アニングという人は運がいいのだろうか?
それとも堕天使が、神の嘘を明かすべく地上に使わした使いだろうか?
 1828年。
彼女は、イギリスでは初だった、翼竜の化石を発掘。
頭骨などはなく、全身と言える状態ではなかったが、そもそも翼竜の化石自体が非常に珍しいので、やはり大ニュースとなった。
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 「伝説のドラゴンを除けば、これに似た生物はいない」
とはバックランドの言葉である。
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彼は、メアリーの発見した翼竜を、ドイツで発見されていたプテロダクティルスの新種と考え、マクロニクスと種名をつけたが、後にリチャード・オーウェンが新属として、新たにディモルフォドン・マクロニクスとした。

 飛行生物は馴染み薄かったのか、大英博物館は翼竜化石には興味を示さなかった。
しかし化石発掘者であると同時に、商売人でもあるメアリーが、海外にソレを売ってしまうかもしれないと、バックランドは危惧。
ついにはそれを自ら購入し、博物館へと寄贈した。

コプロライト化石

 1829年。
メアリーは、前回よりさらに状態のよいプレシオサウルスを発掘。
したたかなメアリーは、アメリカへの売買をちらつかせる事で、またバックランドに博物館を説得させ、大金をせしめた。

 1830年には3体目のプレシオサウルスがまた重要な発見であった。
その体内化石には『コプロライト』があったのだ。
 コプロライトというのが糞の化石ではないかとは、古生物学者の間で考えられていた事だが、それが体内に発見された事はよい証拠となった。
バックランドは、その事実を論文にして発表した。

いつの間にか自分が、変わった動物好き

 翼竜の発見と同じ1828年。
古代のイカの化石であるベレムナイト化石を発見したメアリーは、現生のイカを自ら解剖し、化石は、日本語ではフネと呼ばれる部分だとした。
 というように、メアリーは、新しい化石を発見した時、その生物や部位の特定をしばしば自ら行ったともされている。
彼女は化石売りでもあったが、単に金の為だけでなく、科学への強い関心もしっかり持っていたのだろう。

 そして1829年。
この年、王立協会の招待により、メアリーは生涯で初めてライムを離れ、ロンドンにやって来た。

 そこでメアリーは、様々な古生物研究の最前線を垣間見る。
まだ恐竜と呼ばれてなかったメガロサウルスの顎の模型も見た。(見つかってる化石がわずかすぎる為、あまり興味はひかれなかったらしい)
最初のプレシオサウルスとも再会した。(ただしレプリカと)
 そして古生物以外にも、ハリモグラやカモノハシに興味を持ち、コウモリがプテロダクティルスによく似ているという事実に関心したという。

 また、一般公開前のキングス・ライブラリーに感激し、このロンドン旅行は、田舎生まれの化石売り娘メアリー・アニングにとって一生の思い出となった。

 47歳で世を去るまで、メアリーは化石の発掘を続け、古生物学に大きく貢献した。
死の数か月前には、ロンドン地質学会の名誉会員にも選ばれたという。

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