「ボルヘスの幻獣辞典」ア・バオ・ア・クゥー、ペリュトン、球体生物

幻獣好きには非常に有名な幻獣事典

 ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Francisco Isidoro Luis Borges Acevedo。1899~1986)の『幻獣辞典』は、伝説上の生物、架空生物をいろいろ紹介した本として、かなり有名である。

 ア・バオ・ア・クゥー(A Bao A Qu)やなど、紹介されているいくつかの生物は、ボルヘスが創作した可能性が高いとされる。
また、カフカ(Franz Kafka。1883~1924)のオドラデクや、ウェルズ(Herbert George Wells。1866~1946)のエロイとモーロックなど、彼の時代からすると、それほど昔でもない創作小説に登場する架空生物も、いくらか紹介されている。

 以降では、幻獣、未知動物学的に、特に興味深いと思われる話と、それと関連する別の話もいくつか紹介する。

ア・バオ・ア・クゥー。勝利の塔で偉大なる誰かを待つ者

 チトール(Chittorgarh)の勝利の塔(Vijaya Stambha)という建物の螺旋階段には、時の始まり以来、人間の影に敏感だという、ア・バオ・ア・クゥーなる生物が棲んでいるという。

 ア・バオ・ア・クゥーの皮膚は半透明ぽく、全身で物を見ることができ、触れてみた場合は桃の皮に似ているとされる。
この生物は、普段は、階段の最初の段で眠っている。しかし人が近づいてくると、内部で何かが反応する。さらに人が階段を登り始めると、この生物は目覚める。
目覚めたア・バオ・ア・クゥーは、訪問者のかかとにくっついて、螺旋階段の外側を登っていく。そして1段登るごとに、この生き物の色合いや形ははっきりしていく。最上段まで来た時には、それはついに究極の姿になる。

 最上段に登りついた者は、涅槃(Nirvana)に達した者となり、いかなる影も投じなくなっている。
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しかし不完全な者は、真の意味で最上段に達することもできず、そうと理解したア・バオ・ア・クゥーは弱り、苦しみ、そのうめき声もごくわずかな音で、ほとんど聞こえない。
適当な高さで満足した者が降りてくると、ア・バオ・ア・クゥーは、最初の段まで転がってきて、ほとんど形をなくし、再び眠るという。

 ア・バオ・ア・クゥーが最上階に到達することができたのは、塔ができてから、これまでの長い時間の中で、たった1度だけとも言われる。

塔はどこにあるのか

 実際に、インド、ラージャスターン州(Rajasthan)のチットールガル地区(Chittaurgarh district)には、勝利の塔と呼ばれる建物もある。しかし実は、それはア・バオ・ア・クゥーの話の舞台の塔ではない、という説もある。
少なくとも物語の中では、その塔の最上階まで登った者は、世界で最も美しい景色を見ることができるそうである。

 ア・バオ・ア・クゥーは、階段を上る者の影を捉えてついていく訳だから、その者が涅槃に達したことで影を失った場合に、最上段に到達できない、という逆パターンの解釈もある。
しかしその場合、ア・バオ・ア・クゥーが最上階に到達したのがただ1度というのが、少し奇妙か(涅槃に達するというのは、案外簡単なのであろうか?)

 ボルヘス自身は、リチャード・フランシス・バートン(Richard Francis Burton。1821~1890)の「アラビアンナイトの紹介(introduction to the Arabian Nights)」、または、イトゥルヴル(C.C.Iturvuru)の「マレーの魔術に関する本か、論文(On Malay Witchcraft (1937))」を参考にしたとしている。参照元は、版によって違っていて、その上、一般的には見つかっていない。

 作家のアンタレス(Antares)の調査報告(1998)によると、イトゥルヴルはボルヘスの友人で、そのイトゥルヴルが、マレーシア半島の最古の住民ともされるオランアスリ族(Orang Asli)から仕入れた神話を、実際にボルヘスは参考にしているのだという。

 しかし、マレーシアの人から仕入れた神話を参考にしたとするなら、なぜこの物語の舞台はインドなのだろうか。
物語に出てくる勝利の塔も、中国のものという説とかがあるようだが、そうだとしてもやはりマレーシアではない。

イトゥルヴルが聞いたマレーシア部族の伝説

 イトゥルヴルは、オランアスリの言語を完璧には聞き取れなかったために、仕入れた情報には、様々な誤解が存在している可能性が高いという。
彼は「Abang Aku(私の兄。アバンアク)」の話を聞いた際に、それを「A Bao A Qu」と記録したらしい。このアバンアクは、そのままの意味で語り手の兄ではなく、オランアスリの人々自身に言及する際に使われるのだともされる。
マレーシアの部族は、「ある次元を、別の次元と接続する螺旋階段。かつては星の神(Stargods)を訪ねたり、転生するために使用された階段」について語ったという。

 伝説においては、その螺旋階段の利用者が、「次元間経路(interdimensional pathways)」に閉じ込められてしまうという悲劇もあったようである。
また、かつては彼ら自身、宇宙の輝く星であったのだが、地球に落ちてきて、時間に囚われてしまった。そしていくらかは貧しいアバンアク(オランアスリ)となってしまった。
人間のカルマ(業)の重力に巻き込まれた「宇宙の精神の断片(spirit fragment of cosmos)」。天への階段の底で、輝かしくも不活性状態で横たわっている「星々(starbeing)」は、「それ自体の成就(its own fulfilment)」のために「乱雑な人間の運命(messy human ​destiny)」に依存している。

 アンタレスが調査していた時、1人の長老がアバンアクについて聞いたことがあって、それについての話をし終えた後に、微笑んで言ったという。
「若い人たちが、「目的の高潔さ(nobility of purpose)」と、「心の純粋さ(purity of heart)」を達成するまで、わたしたちの精神は自由にはなれないのです」

ペリュトン。アトランティスのキメラ

 伝説のアトランティス大陸に生息していたとされるこの生物は、頭と足がシカで、胴体は鳥で、翼を持つというキメラ。そしてこれに関して、現存する最古の資料は、ボルヘスの辞典とされている。
幻の大陸 「アトランティス」大西洋の幻の大陸の実在性。考古学者と神秘主義者の記述。
ボルヘス自身は、16世紀のフェズ生まれのラビの歴史論文で引用されている、ウマルに焼き払われる以前のアレクサンドリア図書館にあった記録の断片が、出典としている。

 ペリュトンは太陽の光に当たった場合、それ自身でなく、人間の影を落とす。そこでこの生物は、故郷を遠く離れたために、神々にも顧みられることなく死んでしまった旅人の霊とする説があるという。
ペリュトンは人間の敵でもあり、彼らが人間を殺した場合、その影は彼ら自身の影になって、神の恩恵を取り戻すことができるのだともされる。

ちゃんと馬の体の海馬

 ボルヘスは海馬に関して、キメラではなく、海が生息地である野生の馬だとしている。
その馬は、基本的にオスすなのか、月のない夜に、メスウマの臭いを 認識した時だけ、岸へと上がってくるのだという。
ここでは、千一夜物語で有名なバートン(Richard Francis Burton。1821~1890)や、王大海(ワン・ダハイ)という中国の旅行家の記述を参考にしているようである。

 さらに民俗学者たちは、海馬に関するイスラムのフィクションの起源を、「風が吹くとメスウマが孕む」というような、ギリシャ・ローマのフィクションに求めているとも。

惑星という球体動物

 特に興味深い記述として、球体の動物が挙げられている。

 表面上のいかなる点も中心から等距離だという特殊性。それゆえに与えられる一定の場所から部分的にも離れることなく自転できる性質。そして、プラトン(Plato。紀元前427~紀元前347)はそのような形態が、世界の形と考えた。
つまり、巨大な球体動物『惑星』は生きているという考え方が、ここでは語られる。
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 ルネサンス期には天国を動物とみなす考えもあったという。
新プラトン主義者のマルシリオ・フィチーノ(Marsilio Ficino。1433~1499)は、地球の毛や歯や骨などについて語った。

 ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno。1548~1600)も、遊星(惑星)はそれぞれ、大きなおとなしい動物で、温かい血が通い、規則正しい習慣を持ち、理性が与えられていると考えた。
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 さらには17世紀の初頭。ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler。1571~1630)と、イギリスの神秘主義者ロバート・フラッド(Robert Fludd。1574~1637)は、「眠っている時と、目覚めている時とで変化するその呼吸によって、潮の満ち引きを引き起こす、生きた怪物としての地球というものを考えたのは、どちらが先だったか」というテーマで論争。
ケプラーは、その怪物の構造、摂食習性、色、記憶力、創造能力や造形能力などを入念に研究したという。

 そして19世紀。ドイツの心理学者グスタフ・テオドール・フェヒナー(Gustav Theodor Fechner。1801~1887)が、惑星という生物の話を、再び真剣に取り上げたと紹介している。
フェヒナーの主張は例えば「母なる地球は、植物や動物や人間よりも優れた有機体である」、「球体という形は、我々にとって最も高尚な器官である目の形」、「天空が実際に天使の家だとすると、天使たちはつまり星のことに間違いないだろう。なぜなら、天空に住む者は他にいなさそうだから」というようなものだという。
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意識を有する生物の宇宙

 形而上学的な発想から、宇宙に現れる生物、あるいはそれ自体が生物構造をなす、宇宙についての話もある。

大理石に生命を与える

 デカルト(René Descartes。1596~1650)が唱えた生得観念というプラトン的原理を、エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac。1714~1780)が反駁はんばくする目的で、大理石の立像を想定。

 それが認識も思考もしたことない精神を宿したとする。
まずはひとつの感覚最も単純な感覚と思える嗅覚が現れる。 それは一瞬かもしれない。とにかくその時、全宇宙には香りしか存在していない。香り自体が宇宙とも言える。
そして匂いを感じる中で注意力が生じる。刺激のきれた後にも匂いが持続した場合は記憶力が生じる。現在と過去の印象が注意力を占めた時には比較能力が生じる。類似と相違が認識された時には判断力が生じる。比較能力と判断力が2度目に現れた時には反省力が生じる。良い記憶や不快な記憶が鮮明になってくると想像力が生じる。理解力が生まれると意志も生まれる。そして、愛と増悪、希望や恐れも生じる。多くの精神状態を経験したという意識が、数という抽象概念も獲得。その後にはついに自我も生じる。
聴覚、味覚、視覚、そして最後に触覚を与えられると、その最後の感覚によって、彼は空間が存在すること、自分は空間の中の一個体であることを理解する。
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ひとつだけの感覚を持つ仮説動物

 ルドルフ・ヘルマン・ロッツェ(Rudolf Hermann Lotze。1817~1881)の『仮説動物』は、意識の問題が提起する、もうひとつの生き物としている。

 それは、最初に匂いを嗅いでから、人間のような存在へと至る立像よりも、かなり孤独な存在らしい。
動かせる感覚点を皮膚にただ1つだけ持っているという極端な生物。
ある時に1個以上の感覚を持つことが決してできない。それでもこの生物は、その感覚をあちこち探ることによって、外界のほぼ全てを奪われているような存在であるにも関わらず、静止体と運動体とを区別することすらできるはずなのだという。

 こういう話は、宇宙に存在している生物でなく、生物のための宇宙、あるいは生物が発生させた宇宙というような認識を思わせるか。
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初期時代の熱生物

 神智学者のルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner。1861~1925)が受けたという、地球が今日のようなものとなる以前に、太陽の段階があって、さらにそれ以前には土星の段階があったという啓示について。

 つまり今、人間は肉体、空気体、星体、自我から成っているという仮説を紹介している。

 地球上にはかつて、個体も液体も気体も存在していなかった。ただ熱の状態、熱の形態のみが存在し、宇宙空間における規則的形状と、不規則形状とを決定していた。個々の人間、個体はそれぞれ、変化する温度から成る有機体だった。
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太陽の段階の前において、火の霊、あるいは大天使たちは、人間たちに生命を与え、その体を燃やし輝かせた。
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 熱の生き物であった頃は、希薄な存在ではあろうと、すでに生物で、今の我々からしたら、確かに幻獣に分類していいかもしれない。

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