「アレイスター・クロウリー」666、法の書の魔術とは何であったか

クロウリー

恵まれた少年時代

甘やかされた幼少時代。ピューリタンな母

 1875年10月12日。
エドワード・アレグザンダー・クロウリー(Edward Alexander Crowley)として、彼は生まれた。

 彼の家族が住んでいたのは、シェイクスピアの故郷という説があるストラトフォード=オン=エイヴォンからそう遠くない、小さなリーミントンという町。

 クロウリーは、そこそこ裕福な家で、優しい両親に甘やかされて育てられた、典型的なお坊っちゃんだったともされる。
しかし面白いのが、彼が「黙示録の獣(the Beast)」、「666の数字の者(the 666)」かもしれないと、最初に言ったのは、母であったそうである。

 10歳を超えて程なく、彼の父は死んだという。
そして彼の母は、かなり極度なピューリタン。
つまり、たいそう禁欲的で、身が清らかである事をよしとするプロテスタントであったらしい。
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 しかし、思春期のクロウリーは、少なくとも母がそうであってほしいと願っていたような、純粋無垢な子ではなかったと思われる。

 彼が初めて女性を口説いたのは、おそらく14歳の時。
相手は召使いの娘だったらしい。
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詩、登山、チェスへの興味。メイザースの影響

 少年時代の彼は、いわば恵まれた男の子だった。
人を惹き寄せる魅力があり、金にも困らず、詩の創作や登山、チェスなどの、夢中になれる趣味を持っていた。
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 そして10代も終わりの頃。
彼は、魔術師マグレガー・メイザース(Macgregor Mathers。1854〜1918)が翻訳した魔術書と出会い、その神秘性に魅了された。

 ソロモンの鍵を訳した人物としても知られているマグレガー・メイザースは、クロウリーもしばらく籍を置く事になる魔術結社、「黄金の夜明け団(Hermetic Order of the Golden Dawn)」の創設者のひとりであったとされている。
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修行者としての日々。黄金の夜明け団の時代

イギリス諜報組織のスパイ説

 1895年にケンブリッジ大学に入り、詩作、登山、チェスを大いに楽しみ続けた。
アレイスター(Aleister)を名乗るようになったのは、この頃からとされる。

 一説によると、実は彼はイギリス諜報組織のスパイであり、この時期に、スカウトされたそうである。
例えば、1897年に、彼はロシアのサンクトペテルブルクを訪れていて、クロウリー自身は、この時は外交官になる道も検討していたから、と後に述べるが、実はスパイとして来ていたのではないか、と疑う歴史家もいる。

 また、この時期、彼はチェスクラブの会長になり、一時期はプロを志す事も真剣に考えたという。
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 クロウリーは、ガールフレンドが多かったが、彼の生涯で最初の神秘体験は、学生時代に、同性愛者のコミュニティに参加した時に起きたとする説もある。

錬金術師ジョージ・セシル・ジョーンズ

 1898年に、クロウリーはジュリアン・L・ベイカー(Julian L. Baker)という化学者(あるいは化学の学生)と知り合い、互いに錬金術に興味が合ったために、意気投合した。
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ベイカーは、ジョージ・セシル・ジョーンズ(George Cecil Jones Jr。1873~1960)という錬金術師かぶれの化学者をクロウリーに紹介した。
このジョーンズなる人が、クロウリーを黄金の夜明け団に紹介したのだとされている。

 ジョーンズは、クロウリーの錬金術師への強い関心を称賛したとされていて、後には協力して魔術研究を行いもしたとされている。
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アラン・ベネットとマグレガー・メイザースの教え

 クロウリーは黄金の夜明け団にて、アラン・ベネット(Charles Henry Allan Bennett。1872~1923)やマグレガー・メイザースから、魔術の教えをよく受けたという。

 スパイ説的には、Carlism(カルロス主義。スペインの政治運動、思想)に転倒していたメイザースを見張る任務を帯びていたそうである。

 クロウリーとメイザースは、共に黄金の夜明け団に不満を持っていた。
メイザースは設立者のひとりであり、 当然のごとく団内のリーダー的な立場であったが、どうも嫌われ者気質だったようで、よく揉め事を起こしていたという。
クロウリーは、といえば、彼は単になかなか階級を上げてくれない幹部たちにムカついていたようだ。

 結局、二人は、黄金の夜明け団から追放される。
そしてさらに、その後には、二人も袂を分かち、敵対関係にまでなったとされている。

熟練魔術師クロウリー

ジョン・ディーの影響。フリーメイソンとの関わり

 1900年頃に、黄金の夜明け団を追放されてからクロウリーは、ネス湖に移り住み、ひっそりと魔術研究を再開。
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この頃の彼の隠遁者的な研究スタイルは、ジョン・ディーの影響を受けていた、という説もある。
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少なくともクロウリーは、エノク語を用いた精霊召喚の儀式魔術を、幾度も試していたとされている。

 アメリカ、メキシコに旅行し、いくらか滞在していたが、後にクロウリーは、この時期、それらの地で、フリーメイソンと関わったと述べる。
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 黄金の夜明け団は、フリーメイソンから独立する形で成り立ったという説が有力とも言われるので、そう考えると、(この話が事実なら)興味深い。

インドでの再会。ヨーガの教え

 1904年くらいの時期に、クロウリーは日本、韓国を巡った後に、インドにて、ジョーンズ、メイザースと並ぶ大師匠であるアラン・ベネットと再会する。
ベネットは病弱であり、インドにて、療養生活を送りながらも、しっかりと、この地のヨーガ魔術を学んでいた。
そこで、クロウリーは、ベネットのもとに滞在し、彼からヨーガの教えを受けた。

 その後、ヨーロッパに帰ってきたクロウリーは、メイザースに、新たに学んだ素晴らしい東洋魔術の話をしたが、メイザースは、あまりよきものとは思わなかったらしい。
それで、ふたりの間に、亀裂が生じたのだともされている。

エジプトへの新婚旅行。アイワスの法の書

 クロウリーはまた、1904年に結婚している。
相手は、美しい未亡人であったローズという人で、一説によると、うざい男を避ける為の妙案として、「形式だけの結婚をしてあげよう」とクロウリーが提案したのだという。
もちろん形式だけ、という約束は守られなかった。

 ふたりはエジプトを新婚旅行先として選んだ。
この時。
あるいは、後の何度めかのエジプト旅行の際に、エジプトの神ホルスから神託を受けたり、また自身の守護霊であるアイワスから、秘技の教えを受け、クロウリーは、それらをしっかりと文章として記録した。
これが有名な『法の書(The Book of the Law)』である。
このいくらか、あるいは全てのメッセージが、妻であるローズを通して伝えられてきた、ともされる。

二人の娘。銀の星の設立

 1905年に誕生した、クロウリーの最初の子供である長女リリスは、生まれた翌年には死んでしまったとされる。
これは彼に、非常に強いショックを与えたようである。
その頃には、メイザースとも、思想の対立から完全に決別していたクロウリーは、娘の死を母ローズの責任として責めたせいで、夫婦仲も冷めてしまう。

 結局二人は、1909年に離婚したが、直接の原因はクロウリーの浮気だったようである
また、次女ローラの誕生は1907年だが、ローラを引き取ったのはローズの方だったらしい。

 ローラはクロウリーに元気を与えたとされ、彼女が生まれた年に、クロウリーは、ジョージ・セシル・ジョーンズと共に、自身の秘密結社である『A・A』、あるいは『銀の星(Argenteum Astrum)』を設立している。 

呪いと悪魔。メイザースとの魔術対決

 ほとんど伝説だが、まだローラと普通に家庭生活を営んでいた時に、クロウリーは、メイザースと魔術で戦ったそうだ。
クロウリー自身の話では、彼はこの時期に、自らの才を完全に自覚し始めていた。

 またメイザースは、自分にも到達できなかった境地に、辿り着きつつある、あるいはすでに辿り着いているクロウリーに嫉妬し、次々と呪いをよこしてきた。

 クロウリーの飼い犬の命を奪い、凶暴化させた労働者にローズを襲わせたりした。
これに対してクロウリーは、49の悪魔を召喚し、パリのメイザースを襲撃させたのだという。
ローズは、それらの悪魔をしっかりと見たそうである。

 案外、真に驚くべきは、こういう話があったとされているのが、アインシュタインが相対性理論を発表したのと同じくらいの時期という事であるのかもしれない。
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その後の転落人生

 1912年に、クロウリーはドイツの秘教団体、「東方聖堂団(Ordo Templi Orientis。O・T・O)」の指導者、テオドール・ロイス(Albert Karl Theodor Reuss。1855~1923)に見いだされ、イギリス支部を任されるようになった。 
以降の彼の、主な魔術師的活動は、基本的にA・Aか、O・T・O所属の者としてだった、とされる。

 第一次世界大戦が始まった時は、彼はアメリカに滞在していたそうである。

 時代の流れか、彼の悪名はどんどん高くなり、やがては一文無しにまでなって、余生は、弟子たちに援助されながらの、惨めなものであったようである。

セレマ魔術体系。大いなる獣666とは何か

 クロウリーが法の書として、守護霊アイワスから授かった魔術体系は、『セレマ(Thelema)』と呼ばれている。
これは、クロウリーが設立した魔術結社、銀の星の教義でもあるという。
また法の書は、銀の星の聖典である。

 クロウリーがメイザースと完全に仲違いした原因は、このセレマの重要性の論争ともされる。
そして、メイザースが、気づいてしまった、自身が到達出来なかった境地というのも、このセレマ魔術らしい。

 このセレマ魔術体系における、ひとつの到達点とされているのが、セリオンなる神格であり、これはギリシア語のテーリオン(獣)からきている名称だという。
クロウリー自身は、自分を「獣の数字666の者」だとし、大いなる獣『マスターセリオン(Master Therion)』を名乗っていたそうである。

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