「ジョン・ディーとエドワード・ケリー」天使たちとの対話。エノク語の発明

水晶占い

ジョン・ディー。魔術に憧れた天才

 ジョン・ディー(John Dee。1527〜1608)は、イギリスの魔術史における重要人物のひとりとされる場合が多いが、彼自身は魔術師ではない。
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少なくとも、自分は何ら特殊な能力を有していない普通の人間であると、はっきりと認めている。
彼は単に、魔術に強い興味を持つ学者であった。
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 ディーの父はウェールズの人で、ヘンリー8世(1491~1547)に仕えていたとされる。
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ただし、位はあまり高くなかったようだ。

 ディー自身はロンドンで誕生したと伝えられる。

アグリッパのオカルト哲学論の影響

 ディーは、緑豊かな町チェルムスフォートのチャントリー校にて、1535年から1542年までの期間、学んだ。
そして1542年の11月には、ケンブリッジ大学に入学している。
どうも、かなりの天才児であったようである。

 彼は読書家で、幅広い対象に対しての知識欲があり、学校で教えなかったギリシャ語を勝手に学んだりもした。
彼は、自らの睡眠時間を4時間のみと決めていて、ひたすら勉強に打ち込み、19歳になった時には、特別にギリシャ語教授となったという。

 彼はしかし、当時のケンブリッジ大学に漂う怠慢たいまんさに、嫌気がさしていたようだ。
そこで、機会を得た時に、彼はすぐさま、ヨーロッパで最も優れた大学の一つとされていた、ルーヴァン大学へと移った。
そこには、悲劇の魔術師アグリッパ(Cornelius Agrippa。1486~1535)も籍を置いていた事がある。
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 そしてディーは、ルーヴァンにて、アグリッパの「オカルト哲学論」を読み、「魔術は決して悪魔的な研究ではなく、人が本来備える神秘的な能力であり、神への探求でもある」というような考え方に、大きな感銘を受けた。
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エウクレイデスに関する講義

 彼は魔術師ではなかったが、放浪者気質ではあった。
様々な地域を巡り歩いては、高名な数学者や天文学者たちと交流し、その知識を深めていった。

 1550年にパリの地を踏んだ時、すでに彼の学者としての名声は、アグリッパにも負けないほどのものとなっていた。
フランスで彼は、誰でも出席自由な、エウクレイデスに関する講義を行い、それは非常に好評であった。
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教授への誘いもあったようだが、彼はそういう誘いは全て断り、すぐにまたイギリスへと戻った。

ジェローム・カーダン。守護霊という思想

 1552年。
ディーは、神秘主義者で数学者のジェローム・カーダン(Gerolamo Cardano。1501~1576)と知り合った。
カーダンは科学者としても有名であるが、透視能力や幽体離脱能力、サイコメトリーなどを持つという、典型的な超能力者でもあったという噂もある。
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その噂によると、彼は幼い頃から、想像上のもの(精神世界のもの)を、まるで本物のように、つまり物質世界のそれのように、はっきりと見ることができたのだという。
だが、幼い頃には、それらを制御することができなかった。
しかし成長にするにつれ、だんだんとコントロールの術を学んでいき、やがては、自在に様々な物を見る事が出来るようになれたそうだ。

 カーダンは少なくともオカルト趣味だったのは確かなようで、自分にはよき守護霊がついている、と信じていたらしい。
その「生者の助けになってくれる霊」という思想は、ディーにかなりの影響を与えたとされる。

エリザベス一世に仕えて

 ディーは紆余曲折を得て、エリザベス一世に仕える事になったが、それで、期待していたような金は手に入らなかった。
彼はずっと、金を欲していた。
ただひたすら研究に没頭したいがためだ。
もし、錬金術の秘技を知ることができれば、 黄金を生みだすことが出来る「賢者の石」を手に入れることもできるかもしれない。
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だが錬金術を行うにも、まず金がいるのである。

 結局ディーは、女王から便利屋のように扱われ、様々な任務を帯び、各地を旅した。

神学モナド論。二度の結婚

 1563年。
ディーは、アムステルダムで、アグリッパやパラケルスス(Paracelsus。1493~1541)にも影響を与えたというトリテミウス(Johannes Trithemius。1462~1516)の『ステガノグラフイア』という本を読んだ。
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 ステガノグラフイアは、同時期に完成をみた、ディーの著作である『神学モナド論』に影響を与えたともされている。
彼はこの書に、それなりの自信を持っていたようだが、しかし相変わらず、彼の怪しげな研究に援助しようという変わり者は現れてくれなかった。

 ディーは、1564年にイギリスに戻ってきて、出来る範囲での魔術研究をまた始めた。

 彼は1574年に結婚したが、1年で妻は死んでしまった。
それからさらに2年後。
彼は再婚し、その相手ジェイン・フロモンドとの間には、8人もの子供を授かる事になった。

水晶占いへの興味。ケリーとの出会い

 ディーはいつからか、水晶占いに興味を持つようになっていた。
しかし結局、彼には魔術の才能がないと、自分でも確信していた。
そこで彼は、自分の協力者となってくれる、本物の水晶占い師を求めた。

 ディーはそうして、エドワード・ケリー(Edward Kelley。1555~1597)を見つけだした、というふうに言われる事もあるが、実際には、ケリーの方が、自分を売りこんできた可能性が高い。

 エドワード・ケリーは耳なしのアイルランド人だった。
がっしりした身体つきで、自ら生まれついての水晶占い師なのだと語った。
それから数十分ほどで、ケリーが水晶の中に存在を感知した天使が、光の天使ウリエルなのだと、カバラにより理解したディーは、彼が求めていた本物だと確信した。
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エドワード・ケリー。悪名高きペテン魔術師

 エドワード・ケリーは、普通に詐欺師だったように扱われる事も多い。
特にこの男が、いかにもそうらしいというイメージを持たれる最大の要因は、ディーと別れる事になったきっかけと呼ばれる出来事であろう。

 一般的に、ディーとケリーは、出会ってから、水晶を通して、様々な霊と対話を行った。
ディーは霊を一度も見ていないとされる。
二人が行っていた対話とは、ケリーが水晶の中に見えるという霊と、ケリーを通して、ディーが話すというもの。

 実際にどうだったかはわからないし、ケリーは、自分の見ているそれらの霊が、「悪霊でないか?」、という疑いも持っていたようだが、ディーは、それらの霊が全て天使であると信じていたとされる。

 天使は様々な助言などを述べたが、ディーが望んでいるような答、例えば世界の真理とか、賢者の石の製法などは全然教えてくれなかった。
あまり実用的でないのは、後の降霊術などの霊と同じである。

 よく問題にされるのが、天使がだんだんと、ケリーの私利私欲が根底にあるような事ばかり言うようになっていった、とされている事。
そして、最終的に「ディーとケリーで妻を共有するように」というお告げをきっかけに、ついにディーは目が覚めたのだという。

 確かに一連の話は、いかにも「詐欺師ケリーと、騙された人ディー」という感じではある。

オックスフォードで学んだか

 エドワード・ケリーの経歴に関しては不明な点が多い。

 ケリー自身は、自分は、アイルランドのユイメイン(Ui Maine)の、とある一族の血筋であると主張していたという。
ディーのホロスコープによる記述では、ケリーは1555年8月の生まれとなっている。
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 彼はオックスフォードで学を学んだようであるが、大学に通っていた確かな記録はない。
また、その頃は、タルボットと名乗っていたそうである。
ただ、少なくとも、ケリーがディーと出会った時点で、彼は、ラテン語とギリシア語をある程度知っていたとされる。

霊との対話。案内霊。ディーの熱狂

 二人が呼び出した霊の中には、どうも、他の霊を導いてくる、案内霊がいたそうである。

 ある女性の霊は、「あなたは私が宝石を身につけているから、私の事を宝石商人の妻だと思いますか?」とディーに尋ねた。
ディーは答えた。
「あなたは確かにイエス・キリストの死者でありましょう。なぜならば、イエスは自らの血をもってして、永遠という宝石を買ったのだから」
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 かなり的外れ感が凄い。
この話が真実であるにせよ、そうでないにせよ、全ての霊を天使だと考えていたディーの熱狂ぶりがよく伝わってくる。

 ディーが天使を求めている事はケリーも知っていたはずである。
もしケリーが完全なペテン師だったなら、霊をあえていかにもな天使のように振る舞わなかったのは、ある種のテクニックであろうか。
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隠された財宝を探しに行く

 ケリーはたびたび「霊が呼んでいる」とか、「隠された財宝を探しに行く」という名目で、ディーの家を離れた。
通説では、ケリーはもちろん財宝など見つけられず、むしろディーから巻き上げた財宝を遊び金として消費したとされている。

 面白いのが、霊たちはケリーの素行を把握していたようで、よくディーに対し、「このケリーとかいう奴はろくでもない」と言い、ディーに対しては、「あんたの瞳は純粋だし、完全に近いよ」と語ったらしい。
この話はまた、いかにも詐欺師がターゲットの信頼を得るための演出のようで、インチキくさい。

錬金術師ケリーと賢者の石

 1585年くらいに、ディーとケリーは、彼らの魔術儀式に感銘を受けたポーランド貴族に誘われる形で、プラハへと趣き、それから4年ほど、家族を道連れにした放浪を始めた。

 ケリーは、退屈な居候暮らしから開放されたのを喜び、また、水晶占いにほとほとウンザリし始めていた。
また、ケリーは、ディーから学んだと思われる様々な魔術関連の用語を並べたて、自らを賢者の石を得た錬金術師と名乗るようになった。
しかもディーに対しては、まるで自分の方が師であるかのようにふるまっていた、ともされる。

二人の決別。天使の最後のお告げの裏にあった思惑

 旅の終わりが、二人の関係の終わりでもあった。
もう水晶占いなど止めたいというケリーを、ディーが説得して、久しぶりにそれを行った時。
いよいよ天使は、「あなた方の財産を、配偶者も含めて、全て共有しなさい」と告げたのだった。

 ただ、ディーは、苦悩しながらも、この天使のお告げを聞き入れようとしていた、という記録も残っているという。
一方でケリーは、「こいつはやはり悪霊ではないか?」と慎重だったという説もある(これは単に、喜々としていたら、嘘がバレるからかもしれないが)。

 肝心のディーの妻は、というと、彼女はケリーにずっと嫌悪感を抱いていて、このお告げ内容を聞いた時、ひどいヒステリーを起こしたようである。

 このお告げは、ディーとの関係をさっさと断って、錬金術など、もっと興味ある分野の研究に尽力したいというケリーの作戦であったという説も根強い。

 かなり確かな事は、そのお告げが、最後だったという事である。
ケリーと別れた後も、ディーはぼそぼそと魔術研究を続けたようだが、大した発見も出来ずに余生を送った。
ケリーは、黄金を作れる錬金術師として名をあげたようだが、結局はやはりインチキだったのか、捕えられ、獄中で亡くなったとされる。

天使たちの言語。エノク語の謎

 ディーとケリー曰く、天使たちは『エノク語』なる独自の言語を用いていたそうである。
天使たち自身の説明によると、その言葉はヘブライ語の原型であり、アダムとイヴが使っていた言葉だそうである。
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 この話を信じるなら、ユダヤの伝説まで信じなければならないのは、現代人からすると、ちょっとアレな気がする。

 だが、これが二人(あるいはケリー)が創作した言語でないとするなら、いったい何だったのであろうか?
水晶の霊(天使)は、パラケルススが定義していたような精霊で、エノク語はヘルメスやソロモンが用いていた言語とかか?
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