ロールプレイングゲームというジャンル
デジタルゲームの世代なんてのがあるとして、自分はその世代であろうと感じる人なら、きっと一度はRPG、いわゆるロールプレイングゲームを楽しんだ事があるだろう。
コンピューターゲームの誕生「ゲーム機以前のゲーム機の歴史」 「日本のゲーム機の歴史の始まり」任天堂、ナムコ、セガ、タイトー
ケータイのアプリで、家庭用ゲーム機で、パソコンで。
ファイナルファンタジー
ドラゴンクエスト
ウィザードリィ
その他RPGと言われる全てのゲームの共通の原点こそ、ボードゲーム、『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』である。
それはまさしく、あまりに楽しすぎて世界を変えてしまったゲームであり、人類史上、最も偉大な無血の革命であった。
ゲームとは何か。定義と分類。カイヨワ「遊びと人間」より
D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)が出来るまで
故郷と両親
多くの者と同じく、ゲイリー・ガイギャックスが、死ぬまでしっかりと心に刻んでいた思い出の中で、最も古いひとつは、まだ一桁の年齢の時の家族との、いくつかのやりとりだった。
1945年。
二度目の世界対戦を終えてまだ間もない時代(コラム1)
7歳のゲイリーが両親と暮らしていたのはアメリカ、シカゴ、レイクヴュー地区の、特別な事は何もない一軒家だった。
ゲイリーの父アーネスト・ガイギャックスはスイスからの移民であった。
アーネストには、シカゴ交響楽団でバイオリン弾きだったとか、コカ・コーラ社の株の四分の一を所持していた事があるとか、いろいろ凄い噂があったが、実際の彼の仕事は、単に「服のセールスマン」だった。
専業主婦をしていたゲイリーの母ポージー・バーディック・ガイギャックスには離婚歴があり、前夫との間に二人の子供、ゲイリーより11歳上のナンシーと、9歳上のヒューがいた。
両親は、どちらもゲイリーを非常に可愛がってくれたという。
(コラム1)平和な時代
第二次世界対戦の後、世界が少しでも平和になったとするなら、ゲイリーはその平和な時代の初期の人物という事になる。
そして現代社会に溢れる、のめり込む人が続出するほど面白いゲームの数々が、その平和な時代の維持に少しでも繋がっているなら。
まるで面白いゲームは、(もしかしたら一定人物の経済への貢献などを犠牲にして)世界全体の危険度とかを緩めるアイテムみたいである。
とすると、つまらないゲームはネタ(?)なのかもしれない。
この世界自体がシミュレーションゲームだったなら。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性
母からの影響
剣と魔法。
「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
騎士と王国。
怪物と神。
「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
後にゲイリーが築き上げた、「なりきり幻想帝国」に欠かせない多くの要素をゲイリーに教えたのは母ポージーだった。
ポージーは可愛いゲイリーに、よくおとぎ話や、神話の物語を読み聞かせてくれ、ゲイリーはいつしか、物語を楽しむだけでなく、自分の想像の中で新たな物語を創造するようにもなっていく(エッセー1)
やがて、ゲイリーとポージーは『リーダーズダイジェスト(Reader’s Digest)』という雑誌の『知ってる単語を増やそう』という企画で、言葉の知識を競いあうようになる。
負けず嫌いのゲイリーは、歳に不相応なほど言葉の知識を増やし、これも後々の彼にとってプラスになったと言われる。
(エッセー1)もしかしたら魔法使いが現れて
オリジナルの物語の創造。
きっと幼い頃はたくさんの人がするのに、たいていの人たちが、体が大きくなるのに並行し、そんな事辞めてしまい、いつまでもそれを続ける人に対して、口々に言う。
「現実を見ろ」と。
でも例え、現実がどういうものであっても、人間には想像力がある。
少なくとも、この想像力というのはいらない物ではない。
現実をしっかり見て、地に足をつけ、平凡な日常をだらだら生きる人ですら、時々は、ありえない瞬間を想像して、楽しみ、もしかしたら救われる。
もしかしたら魔法使いが現れて、宇宙人が侵略してきて、存在しない世界を旅して、我々は悲劇的な退屈から救われたりする。
そして時々は祈る。
いつか想像が現実となりますようにと。
「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
幽霊騒動
1946年の夏。
ガイギャックス家は、ウィスコンシンのレイクジェネヴァにあるポージーの両親が住まう家に移り住む。
ゲイリーは友達作りが上手く、引っ越してすぐに近所の子供たちとも仲良くなり、その中には、後に妻となるメリージョーや、一緒に会社を立ち上げる事になるドン・ケイもいた。
そしてある夜、母が育った大きくも古くさい家で、それは起こった。
「え?」
自室のベッドに寝転んだまま、しかしゲイリーの眠気は一気に覚めた。
頭上を見上げる。
確かに誰もいないはずの屋根裏部屋からだった。
何かとてつもない音が、まるで爆弾が爆発したような轟音が家中に響きわたったのである。
それも一度ではなかった。
まるで最初の音に誘発されたように、連続して轟音は続き、気づけば家も少し揺れているようだった。
その日は、ちょうど旅行に出かけていたために両親、祖父母は不在で、家にいたのはゲイリーと、ガイギャックス家の友人であり、ゲイリーの面倒を頼まれていたダイムリー夫妻と、その息子のデーヴの四人だけであった。
「ゲイリー」
部屋のドアを開けて、恐怖から身を守るようにシーツに体をくるめていたゲイリーの名を呼んだのは、同じく音におこされたのだろうダイムリー婦人だった。
「あなたなの?」
婦人が問う。
「違うよ」
ベッドから起きてゲイリーは首を降った。
その時、婦人の夫ジョー・ダイムリーと、デーヴも姿を見せた。
「お前たちじゃないんだな?」
ジョーの問いに、ゲイリーは再び首を降った。
「僕もやってない」
デーヴも続けて言った。
「わかった」
ジョー・ダイムリーは納得するとバットと懐中電灯を手に、屋根裏部屋へと向かった。
しかし結局は何もなかった。
屋根裏部屋にやはり誰もいなくて、犯人は多分動物だろうとジョーは推測した。
ゲイリーの見解は違った。
きっと、古くさいその家の屋根裏部屋に暮らす幽霊の悪戯だったのだ。
だが幽霊が再び騒動を起こすことはなかった。
「ポルターガイスト現象」正体と原因、音、動き、精神科学、三つの実話例
満足したのだろうか?
飽きてしまったのだろうか?
いずれにしろ、この幽霊騒動と探索が、後に想像上の世界を何度も冒険するゲイリーの、文字通り最初の冒険となった。
いつだってすぐ隣に
十代前半頃のゲイリーは、学校が嫌いで、家にいる時はチェスやトランプなどのゲームに興じるか、SFやファンタジー小説に夢中になった。
「チェスのルールと基本」コマの動き、ポーンの価値、チェックと引き分け 「トランプの雑学」カードの意味や強さから、基本ゲーム用語まで
相変わらず空想は好きで、ある時など、街中をドラゴンに追いかけられたりもした。
「西洋のドラゴン」生態。起源。代表種の一覧。最強の幻獣
懐中電灯とカメラを装備したドン・ケイと共に、自分はエアガンを武器として、精神病院だったらしい廃墟(ダンジョン)を探索したりもした。
別に現実と妄想の区別がつかないほど愚かだったわけではない。
ただ現実のすぐ隣には、いつも楽しい空想があっただけ。
ゲイリーは、超常現象だって実際に存在すると確信していて、それは生涯変わらなかった。
現実だって
十代も後半、高校生になると、たいていの者と同じく、ゲイリーも、「現実だってそう悪くない」と思い込む努力を始めた。
そういうわけで、ある時、ゲイリーは現実に存在する冒険のひとつ、「車のドライブ」に挑戦し、それは「事故による車の破損」という見事な失敗に終わる。
以後、ゲイリーが車の運転席に座る事は二度となかった。
父の死
17歳の時。
高校生の父としてはかなり高齢だったアーネストの死は、ゲイリーの心に一生ものの傷を残した。
病気がちで、日に日に元気をなくしていく父から、その死の瞬間までゲイリーは、目を背けていたのだ。
学校なんて嫌いだし休めばよいのに、こんな時に限ってゲイリーは普通に毎日登校し、学校が終わってからも、ゲイリーはなるべく家に帰らなかった。
そして実際に父は死に、ゲイリーは自分を責めて、この上ないほどに後悔した。
アーネスト・ガイギャックスという人物が、自分にとってどれだけ偉大な存在であったか。
その気持ちを伝えるチャンスは永久に失われてしまったのだ。
塞ぎこみ、まったく自然に、ゲイリーは完全に学校に通うのを辞めた。
ゲティスバーグ
父の死後、ゲイリーはただしばらく休んだだけでなく、そのまま中退して、海兵隊に応募した。
心機一転して、かつて憧れた英雄を、今こそ本当に目指そうと決めたのである。
しかし海兵隊の訓練は予想よりもずっときつく、健康上の問題で除隊が決まった時は内心喜んだ。
そして家に戻ってきたゲイリーは、今度は痛くも辛くもなく、ただただ楽しい戦争にハマり始める。
彼はアバロンヒル社の『ゲティスバーグ(Gettysburg)』という戦争シミュレーションゲームの虜となった。
ゲティスバーグは、ただマス目で区切られたボードと、部隊を表すコマくらいしか使わない、一見よくあるシンプルなゲームだった。
しかし、ゲイリーがそれまで知らなかった「作戦をプレイヤーが自分で考える」、「歴史を再現」、あるいは「歴史を改変」といった新鮮な要素があった。
ゲティスバーグはまるでごっこ遊びだった。
ボード世界、兵士をコマとした戦争ごっこだ。
戦争の展開はプレイヤーの想像力次第。
実際の戦争と違って、気に入らない結末をリセットだって出来る。
ゲイリーはその新しい時代を感じさせる遊びに夢中となった。
まったく釣り合わない結婚
1958年。
一応は保険会社に就職もしたゲイリーは、幼なじみのメリージョーと結婚した。
かつてはお転婆娘だったメリージョーは美しく成長し、ライバルは多かったが、ゲイリーは見事、その唯一の相手となったのだ。
いったいどういうわけだか。
ポージーが上手く二人を引き合わせたらしいが、それにしても、まったく釣り合わないオタク野郎と美女の結婚であった。
人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」 可愛い子はずるいのか?「我々はなぜ美しいものが好きか」
ゲームか?浮気か?
週に一晩、ゲイリーは仲間たちとゲティスバーグを何時間もぶっ続けで楽しんだ。
結婚してからもそれは続き、というよりむしろその頻度も、集まりの時間も、だんだんと増えていった。
週末の1日まるごと使う事も珍しくなくなっていた。
たかがゲームに。
ゲイリーのその時間の無駄遣いぶりは、メリージョーに浮気を疑わせるのに十分すぎるほどだった。
1961年1月のある日。
メリージョーはついに意を決し、「またゲームをしてくる」と出かけた夫を尾行した。
そしてその夫がどこぞの一軒家に入っていったのを確認すると、彼女はその家のドアをノックした。
「はい、どなたで? てメリーさん?」
「マイク?」
家から出てきたのは女ではなく、ゲイリーのゲーム仲間のマイク・メイシダだった。
「えっと、ゲイリーなら地下室にいるけど」
彼は戸惑いながらも、そう続けた。
一瞬、全て自分の早とちりだったのかもと考えるも、そんなはずはないとメリージョーは首を降った。
大の大人が、週末の時間いっぱいをかけて、ひたすらゲームなんて、あまりにも馬鹿げている。
マイクは隠れ蓑に違いない。
メリージョーは彼を横切り、真っ直ぐ地下室へと来て、閉じられてすらなかった扉の向こうを覗き見た。
そして今度こそ明らかとなった。
全ては彼女の早とちりだった事が。
「メリージョー、なぜここに?」
まさしくゲイリーはゲームをしていた。
つまり本当に、週末の時間を全てゲームに捧げていたのだ。
最悪の事態ではなかったものの、すでに子供もいたのに、ゲイリーが大事な家族の時間を無駄に使っていた事に違いはない。
なんだかんだ夫婦は揉めて、次回からのゲーム会場はガイギャックスの家にするという事で、メリージョーは妥協した。
そしてすぐに後悔したらしい。
IFWとジェンコン
ゲイリーのゲームへの情熱は衰える事を知らず、様々なゲームサークルを渡り歩き、ついには『IFW(国際ウォーゲーム協会)』なるゲームファンクラブの創立者の一人となった。
1968年8月23日。
IFWがレークジェネヴァにて開催した、後に『ジェンコン』の略名で有名になる第一回『レークジェネヴァ・ウォーゲーム・コンベンション(レークジェネヴァの戦争ゲームの集い)』なるイベントの最高責任者にゲイリーは選ばれていた。
すでにウォーゲームファンの間ではなかなかに知られていたゲイリーにはうってつけの役割で、そして彼は重圧に負けず、見事イベントを成功に導いた。
イベントに集まったゲーマーは90人以上。
その中には、イベントのメインゲーム『Fight in the Skies(空での戦い)』のデザイナーである、当時16歳の少年だったマイク・カーもいた。
彼はこの後も、ゲイリーと連絡を取り合い、やがて二人は何度も協力しあう関係を築いていく。
そして、これ以降毎年開催されるようになった、このジェンコンというイベントの、一回目の成功は、おそらくゲイリーが想定していたよりはるかに大きなものだった。
集ったゲーマーたちの大半は、こんなイベントでもないと大人数の対戦相手と代わる代わるなんて出来ない少数派ばかりだった。
しかしこのイベントに参加した誰もが、このイベントの成功を聞いたゲーマーの誰もが、ある期待を抱いたはずだ。
「自分だけじゃない。他にもゲームを好きな人は確かにいる」
それはゲームというニッチだった存在を、メジャーに変えていけるかもしれないという、確かな可能性を示していた。
ミネソタのデーヴ・アーネソン
ジェンコンを通して、ゲイリーのゲーム仲間コミュニティはかなり広くなった。
そして一年後の第二回ジェンコンにて、ゲイリーは前年のマイクのように、またしても重要な出会いを果たした。
会場の中でも特に目をひいた、自作らしきミニチュア艦隊が豪華な、とあるテーブル。
「それはメーカー物?」
「いえ、自作です」
ゲイリーの問いに青年は誇らしげに答える。
「ゲイリー・ガイギャックスだ」
「デーヴ・アーネソンです」
実は自己紹介の前から、二人は互いの事を知っていた。
ゲイリーはゲーマー仲間の間では有名だし、ゲーム雑誌によく寄稿していたから。
デーヴもミネソタ州にて、そこそこ知られたゲーマーであり、ゲイリーもチェックをいれていたのである。
そして出会いから数年後。
ゲイリーとデーヴは、協力して、ある重要な企画に取り組む事になる。
LGTSA(レークジェネヴァ戦術研究協会)
ジェンコン2で、デーヴの見事な自作ミニチュアに、ゲイリーはウォーゲームの未来を見ていた。
自分たちが夢中になっているゲームとは何だ?
それはごっこ遊びだ。
子供の頃、街中でモンスターを暴れさせた空想。
廃墟をダンジョンに見立てた探索。
ゲイリーはその楽しみが、ビジュアル面の強化によって膨れ上がるだろうと、ここに至って確信した。
ジェンコン2の後、すぐに彼は、自宅に巨大なゲームボードを構え、その上にゲームの為のミニチュア世界を築いた。
ミニチュアの街、砂漠、森。
そしてそこで戦う兵隊たち。
この一大セットは、ウィスコンシンととなりのイリノイ州のゲーマー達の間にすぐに知れわたり、それを使った「ゲームの会」の仲間はどんどん増えていった。
やがてゲイリーを中心とした、彼らウィスコンシンとイリノイのゲーマー集団は『LGTSA(レークジェネヴァ戦術研究協会)』と名乗るようになる。
政府の介入(?)
LGTSAは毎週の末ごとに集まり、ゲームを楽しむだけでなく、自分たちで新たなルールを生み出す事にも熱意を上げていった。
その活動は次第に「ゲームなんてガキがするもの」などと偏見を抱いていたり、そもそも関心のない人たちにまで知られていった。
ある時などは、戦術研究協会なんていう名称が、政府の関心をひいてしまった事すらあった。
政府の諜報員が、ゲーマー夫妻という設定で入会してきたのである。
しかし諜報員二人はすぐに、この集まりが、テロ団体でも、「武器商人の情報交換場所」でもなく、本当に単にゲーム好きの集まりだと確信し、政府に「全く無害な方々」だと報告(コラム2)
正体を明かした後、驚くゲイリーたちに男の方の諜報員は言ったとされる。
「ところで、私はこれからもここに普通に通ってよいでしょうか?」
(コラム2)ほんとに戦術協会
でもほんとにゲーム研究会を隠れ蓑にした、危険な秘密結社とか、なかなかアリじゃないだろうか?
あるいは兵士の素質とかの調査になる特殊なゲームとか販売して、見つけた逸材をスカウトとか。
ゲーム製作を仕事に
趣味の活動は実に順調だったが、本業であった保険査定員は、まったく順調でなかったゲイリー。
1970年10月。
ついに彼は8年勤めた保険会社を首となってしまう。
社会的に負け犬となり、経済的に家族を苦しめてしまっても、ゲイリーはゲームへの情熱を捨てられなかった。
むしろ仕事を失ったことは、ゲームに捧げられる時間が増えた事も意味していた。
そして期待も少しはあった。
自分だって、これまで結構な額をゲームに使ってきた。
ゲームだってビジネスになりうる。
もしもそうなったなら自分は……。
彼はジェンコンなどを通し、知り合っていたガイドン・ゲームズというゲーム会社のドン・ラウリに、LGTSAの仲間のひとりジェフ・ペレンと一緒に作ったミニチュアゲームのルールを売り込んだ。
そしてドン・ラウリとの契約は成立し、ゲイリーの考えたいくつかのゲームが、初めて商品となる事になった。
チェインメイルとトールキン的ファンタジー
新たな時代はもう始まっていた。
1971年。
ゲイリーとの契約から間もなく、ガイドン・ゲームズは、ゲイリーたちのゲームを元に、中世ヨーロッパ風世界観のウォーゲーム、『チェインメイル(鎖かたびら)』を製作、発表。
チェインメイルは、それまでは一部隊と設定されるのが主流であったコマを、個人の兵士に設定するなど、いろいろ斬新なゲームであったが、何よりゲイリー含むゲーマーたちの注目を集めたのは、説明書終盤の、「ファンタジー風世界観への改造案内」だった。
当時、大人気の真っ只中にあったトールキンの『指輪物語(The Lord of the Rings)』だって再現できると、そこには書いてあった。
「指輪物語」ホビット族。剣と魔法と仲間たち。ひとつの世界のファンタジー
指輪物語を、ゲイリーは「アクションが少なくて退屈」と、あまり好まなかったが、その練り込まれた世界観は、確かに最高のファンタジーという、キャッチがしっくりきた。
中世的な文明世界に息づく様々な種族。
物知りの魔法使い。
美しきエルフ。
地かに生きるドワーフ。
そして小さきホビット。
愚かな人間。
なんだかんだで、指輪物語の影響下にゲイリーもしっかりいた。
冒険、戦い、謎解き、そして仲間との友情。
後に彼が作り上げる事となったRPGというジャンルの基本的な要素を、指輪物語はすでにほとんど持っていたのだから。
5%の演出
チェインメイル販売から少し。
ゲイリーは『トレイクティクス(列車戦術)』というウォーゲームの戦闘システム開発に関わった。
トレイクティクスは統計学者のレオン・タッカー含む、複数のゲームファン達の共同作であり、戦闘におけるランダム要素として、従来の六面サイコロでなく、チップを使ったクジ形式を採用する事で、ランダム数値の幅をより広げた意欲作だった。
タッカーは統計学者として、六面サイコロで演出される
という%よりも、もっとわかりやすい5%くらいが、ゲームには向いてると確信していた。
「サイコロの歴史」起源と文化との関わり。占いとゲーム道具
六面サイコロは当然1~6だが、トレイクティクスは1~20ものランダムな数値を使い、見事に5%を演出した。
ゲイリーはさらに、「そもそも二十面サイコロを使えば早いだろう」と考え、なかなか入手が困難とされていたそれを、見事に見つけ、用意した。
二十面サイコロを使い、気軽に5%で勝負に出られるというのは新鮮であり、それが目に見えるレベルでの出発点となった。
最初のRPG
1972年11月。
ある日の夜、昔からのゲーム仲間ドン・ケイと、第二回ジェンコンで出会ったデーヴ・アーネソンを含む何人かと、ゲイリーはこれまでなかった全く新しいチェインメイルのバージョンを遊んだ。
世界観はオーソドックスな剣と魔法のファンタジーもので、それは別に、斬新でも何でもなかった。
しかしその日のチェインメイルには、それまで、少なくともゲイリーたちの知るどんなゲームにもなかったある要素が新たに追加されていた。
それは(デーヴが勤めた)司会進行役が、描いたシナリオの中で、参加者それぞれが、特定のスキル、ステータスをもった役割を演じ、冒険し、戦うというものだった。
もはやチェインメイルの新バージョンというより、新たなゲームとして『ブラックモア(黒き荒野)』なる名前まで与えられたそれは、あくまでも試作段階のものであったが、ゲイリーを夢中にさせ、創作欲を刺激した。
それから、より詳しいデーヴが抱く、より具体的なアイデアを書き出してもらった紙を熱心に読み耽り、ゲイリーはそれをまとめ、自分なりに再構成。
さらにはずっと彼の中で忘れられる事のなかった、ファンタジーの世界を、そこに全て落とし込んだ。
そうして、ここに至ってようやく、世界最初のRPG、ロールプレイング(役割演劇)ゲーム、『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』は、出来つつあった。
しかし実のところ、言ってしまえばブラックモアこそが最初のRPGだったのだが、それは一部の人以外には未発見のまま、『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』が開発される運びとなったわけであった。
「迷宮と竜」がいいよ
ゲイリーは自分なりのブラックモアに、シンプルに『ファンタジーゲーム(幻想紀遊戯)』と仮名をつけて、開発。
アーネソンとは互いにアイデアを交換しながら、それぞれの暮らすエリアのゲーマー達を相手に、それぞれのRPGのテストプレイを重ねた。
テストプレイ段階からブラックモアとファンタジーゲームのどちらも、凄まじく好評であり、ゲームの未来は確実に明るく輝いていた。
今、ゲームはもちろん、ファンタジーやSF、想像力が生み出すどんな素敵な世界が好きな者にとっても、この世界の歴史上、最も素晴らしい革命の時は近づいていた。
また、ゲイリーの方のテストプレイの相手には、彼の子供たちもいたが、末の娘シンディはまだ6歳で、しっかりとルールを把握しプレイする事は出来なかった。
しかしシンディにもその世界観、架空の世界の冒険というゲームコンセプトはしっかり理解できていた。
ある時ゲイリーが家族に、ファンタジーゲームの正式名候補をいくつか紹介した時、真っ先にシンディは言ったという。
「パパ、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』にしよう。それが絶対いいよ」
こうしてゲイリーのRPGは、ファンタジーゲーム改め、D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)になったのだった。
ゲイリーはさらにゲームルールの調整を続け、1973年の半ばには、D&Dはもうほぼ完成した状態であり、残る課題は、この画期的で絶対に面白い新たなゲームを、どうやって商品として売り出すかという事だけだった。
ただそれはかなり、想定以上に難儀な課題であった。
TRPGをあまり知らない方へ
日本ではドラクエのような、コンピューターRPGが先に有名になった為に、マイナー気味であるが、本来RPGといえばD&Dのようなテーブルゲームの1ジャンルなのである。
コンピューターRPGと区別する為にT(テーブルトーク)RPGとも呼ばれる。
基本的には、(たいていが一人の)ゲームマスターと呼ばれる司会進行役的な人物が、あらかじめ作成しておいた世界設定の枠内にて、プレイヤーは自分のキャラクターを演じ、用意されたゲームクリアの条件達成を目指す。
例えば、以下のような感じ。
ゲームマスター「プレイヤーA、深き森をさらに進むあなたは、何か違和感を感じ始める。なんだか、何者かが自分を乗っ取ろうとしているかのような感覚。そこであなたはとりあえず立ち止まるが、その後はどうする?」
プレイヤーA「気にしない、冷静になってよく考えたら、俺は死神の加護を得ているのだから、何者かが乗っ取るなんて出来はしない。乗っ取るのは霊の技だが、死神はいかなる霊をも寄せ付けないはず」
ゲームマスター「その通り、君の判断は正しいだろう。だが違和感は確かにある。君はまだ立ち止まっているがどうする?」
プレイヤーA「歩き始めるしかない」
ゲームマスター「オーケー、君は歩き始めた。と同時に違和感の正体に気づいた。君は情報不足だったね。その森は通称「境界森」、生者と死者の区別がなくなる森。つまり違和感の正体は、君の守り神のはずの死神が、君から剥がされようとしている為だったのだ。アイテム『偽装霊体装置』を持ってたら大丈夫だったのだが」
プレイヤーA「えっと、ゲームオーバー?」
ゲームマスター「ゲームオーバー。残念だね」
というふうな対話で進行するのがオーソドックスなTRPGである。
それにただ選択していくだけでなく、サイコロを使ってランダム要素を表現したりもする。
つまりはTRPGというのは、早い話、ルールが設定されたごっこ遊びなのである。
また、コンピューターRPGは、ゲームマスターの役割をCPUに任せたRPGだとも言える。
「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで
ゲームの世界征服。RPGが世界を変えるまで
そんなもの、売れるわけがない
D&Dを完成させたゲイリーだったが、この史上最も想像が偉大さを示した、究極のごっこ遊びゲームの潜在可能性を、プレゼンテーションだけで理解できた者はいなかった。
ゲイリーは最初、チェインメイルを共にヒットさせたガイドン・ゲームズにD&Dを売り込んだが、バカな戦争ばかりに金を使いすぎたアメリカは不況に陥っていたので、その煽りを受けていた中小企業のガイドン・ゲームズに、新機軸に挑戦出来るような体力はなかった。
ならばと、次にゲイリーは、ジェンコンなどを通して、それなりにコネのあった大手ゲーム会社のアバロンヒルに、D&Dを売り込んだ。
しかしアバロンヒルの重役たちは、そもそも子供騙しのファンタジーなど売れるわけがないと、ゲイリーの事を嘲笑った。
これまでになく、そしてこれまでのどんなものよりも面白いゲームがある。
なのに、それは斬新すぎるせいで理解されず、世に出される事もない。
それが、しかし最終的にはしっかりと世に出たのは、ゲイリーの幼ない頃からの遊び仲間、ドン・ケイのおかげであった。
命を賭ける価値がある
どうしてもD&Dを商品化したいゲイリーに残された手段は、自分でゲーム会社を立ち上げて、自分でそれを売り出す事だけであったが、それをする為の予算など、彼にはなかった。
ゲイリーの身近な友人であるがゆえに、初期の段階からD&Dのテストプレイに協力し、同じように、それの秘めた凄さを確信していたドン・ケイは、ある時、ゲイリーに問いかけた。
「本当に、D&Dは売れると思うか?」
ゲイリーは自信を持って答えた。
「思う」
そしてドン・ケイは、一世一代の賭けをした。
その面白い、しかしただそれだけ、でもなんといっても面白い新たなゲームに文字通り命を賭けた。
ドン・ケイは生命保険を担保に、1000ドルもの借金をして、それを予算としてゲイリーの前に用意してやったのである。
そういうわけで、ゲイリーはドン・ケイと共同名義で、ゲーム会社『TSR(タクティカル・スタディーズ・ルールズ)』を立ち上げ、D&Dを自分達の手で商品化したのだった。
ブライアン・ブルーム
D&Dは全く新しく、かつそれなりに複雑なゲームの為に、ルール説明書はどうしても長くなり、最低限必要な素材もつけたとしたら、従来のゲームより、コストはかなり高かった。
ゲーム会社を立ち上げたものの、量産には更なる予算がいる。
その更なる予算を用意したのは、ジェンコン繋がりの知り合いのひとりブライアン・ブルームであった。
端的に言って貧しかったゲイリーとドンに比べると、彼は裕福で、かつ付き合いは短くとも、すでにゲームを通して、人柄も知れていた。
ブライアンはTSR社の1/3の経営権、つまりゲイリーたちと対等の立場を条件に、協力を持ちかけ、ゲイリーたちは承諾した。
そうして資金も十分に、ついにTSR社は、ゲイリーは、1974年1月、D&Dを世に出したのだった。
そして思い描いていた以上に、それは大ヒットした。
親友の死
D&Dの成功からわずか一年ほどの事。
ゲイリーは生涯の親友であり、恩人のドン・ケイを永遠に失ってしまう。
幼い頃から、よく遊び、そして共に夢を見て、ついにそれを叶えた直後に、彼はこの世から去ってしまったのである。
そしてドンの死によってゲイリーにもたらされたのは悲しみだけではなかった。
D&Dの成功により価値が急速に高まりつつあった、ドンが持っていたTSR社の1/3の経営権を、やる気のない彼の妻から買い取ったブライアンは、実質的にTSR社内の最大権力者となる。
しかしドンに比べたら、付き合いの浅いブライアンが、TSR社の権利を自分以上に持つ事が、ゲイリーはどうしても気に入らなかった。
そこにはすでに争いの芽が生まれつつあったのである。
D&DでなくRPG
しかし最高権力者が誰になろうと、D&Dはあまりにも人気で、TSR社はどんどん巨大に成長していった。
だんだんと仲間も増えた。
というより「TSRのD&D」という一大プロジェクトに協力してくれる仲間が増えた。
第一回ジェンコンで知り合ったマイク・カーや、第二回で知り合い、ブラックモアを考えたデーヴ・アーネソンもそこにはいた。
D&Dは流行りすぎて、数えきれないほどの模造品も産み出した。
今でも産み出し続けているだろう。
商品として販売されてるのなんて、本当に極一部なのは間違いない。
そしてそれらの模造品は、最初は『D&D型のゲーム』と呼ばれたが、版権の問題などもあり、やがて『ロールプレイングゲーム』、すなわち『RPG』と呼ばれるようになった。
AD&D(アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ)
1978年1月。
TSR社は、D&Dの進化系でありながら、全く新しいゲームである『AD&D(アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ)』を販売。
これもまた旧D&D同様、大ヒットを記録した。
しかしゲイリーの未来が明るいかは微妙だった。
TSR社に入社はしたが、あまり長続きせず退社したデーヴ・アーネソンは、しかしそのシステム構築に関わったD&Dの売上の1割を受けとる契約だけは続けていた。
そして彼は、その契約が、彼がもはや一切関わっていないはずのAD&Dにも適用されるはずだと主張したのである。
何せ、どれだけそれにオリジナリティがあろうとも、AD&DがD&Dからの派生ではある事は間違いなかったのだから。
デーヴとTSRの対立は、ついに裁判沙汰にまでなり、ゲイリーはゲームの為に、それまでは「たかが」と表現されるのが当たり前であったゲームの為に、ついに訴えられてしまったのである。
結局旧D&Dよりは僅かだが、AD&Dの恩恵をデーヴは勝ち取り、ゲイリーはブランドを重視して、新しいD&Dに、その名を残した自分の迂闊さを責めた。
メディアに踊らされる母親たち
ジェームス・ダラス・エグバート3世という学生の失踪事件がD&Dのせいかもしれないと、有名なニューヨーク・タイムズ誌が報道した時は、もはや怒りを通り越して意味不明だった。
エグバート少年はD&Dにハマりにハマっていて、専門家を名乗る変な奴らが、メディアに登場し「D&Dは心に病をもたらす」だの「現実と空想の区別をつかなくさせる」などと世迷い言を発信しまくった(コラム3)
結局少年は無事見つかったが、世間の騙されやすい母親たちの多くが、子供たちからゲームを、つまりはその楽しみも、想像力の発展も理不尽に奪ってしまうという事態となった。
しかしD&Dは確かに楽しく、素晴らしいものであっても、結局はたかがゲームである。
それを楽しむ者たちの熱狂ぶりは、確かに見る人によっては怪しげな宗教みたいに見えた。
所詮はたかがゲームであるというのに。
(コラム3)現実と空想
本当にそんなゲームがあるなら、それで世界中の子供を操り、悪事にでも何でも使える事であろう。
あるいは、どんなドラッグより、凄い現実逃避手段、社会問題になるだろう。
それに誰もがそうならなくても、ゲームで現実と空想の区別がつかなくなった奴は、それで面白いのかも。
ハリウッド
たかがゲームであったおかげか、悪い噂は、普通に宣伝にもなり、D&Dは売上げを増し続け、1983年頃に、ゲイリーはどういうわけだかハリウッドに渡った。
この頃、妻のメリージョーとは離婚し、また、母の死という悲しみも体験したゲイリーは、二人の二十歳前後の息子たちと共にハリウッドで豪遊した。
この頃のTSR社内は奇妙な状況で、D&Dを生み出した男としてゲイリーは一般社員たちの尊敬や憧れの的でありながら、経営に関してはほぼ道化で、実質的にTSR社はブライアンとその兄ケヴィンのものとなっていた。
ゲイリーはD&Dのエンターテイメント広場をさらに広げる為に、ハリウッドに渡り、例えばアニメ化など、D&Dの市場を広げた。
ブライアンにとっては、もうろくに権利もないのに、無駄に神格化された厄介者払いもあったのかもしれない。
1984年には、D&Dには映画化の話まで持ち上がった。
全ては順調に思われたが、TSR本社から、社の売却話が出ているという話を電話で聞かされたゲイリーは、一旦ハリウッドでのプロジェクト全てを棚に上げ、本社に戻らなければならなかった。
ブルーム兄弟の追放
ゲイリーも知らなかったTSR社が実は抱えていた多額の負債の理由は明らかすぎた。
もともとただのゲーマーにすぎないのに、自分たちは経営市場というゲームをコントロールする魔法使いだとのぼせ上がったブルーム兄弟、特にケヴィンの愚かすぎる経営であった。
無駄に人を雇い、不出来はどうでもよく関係者を優遇し、無駄な資材を購入しまくり、ついでに身内の大学費用など個人的な目的で会社の金を使いまくった。
こんなずさんな経営では失敗しない方がおかしいであろう。
ゲイリーは当然、ケヴィンに責任があると主張した。
そして彼から会社管理権利の剥奪にも成功。
ブライアンも意気消沈し、結局その後ゲイリーが実質的に経営権を取り戻すのに、大した抵抗をしなかった。
クーデター
ゲイリーは自分の力でまたTSR社を建て直したいと考えるも、現実的にはひとりでは厳しい。
ゲイリーはあくまでゲーマーであり、クリエイターであり、しかしビジネスの達人ではないのだから。
そしてブルーム兄弟はそこを勘違いして失敗したのだから。
そしてゲイリーは、ゲーム開発などの創作仕事の監督を自分が担当し、それを使ったビジネスを他の上手な何者かに担当してもらおうと考えた。
だがそれは間違った道であった。
副社長兼ビジネスマネージャーとして雇われたのは、ロレーン・ウィリアムズという女性であったが、この彼女が曲者であった。
ロレーンとゲイリーの最初からの対立は当然であった。
ゲイリーはゲームが好きで、大好きだからこそD&Dを作りだし、TSR社を立ち上げたのだ。
ところがなんとロレーンはゲーム嫌いで、ゲーマーなんて連中は社会的に負け犬な奴等だと馬鹿にしていた。
しかしロレーンはゲームに関して無知であっても、ビジネスに関してはやはり達人であり、その場では、ゲイリーに勝ち目などなかった。
ロレーンはやがて、ブルーム兄弟がまだ持っていた株を密かに購入し、社の重役を懐柔し、大胆にもTSR社をゲイリーから奪ってしまったのである。
そして1985年10月。
ゲイリーはTSR社を解雇され、それは彼がD&Dをも失ってしまった事を意味していた。
ゲイリーがすぐに電話したのは、もう離婚し、特別な関係でもなんでもないメリージョーだった。
「ゲイリー、どうしたの?」
「メリー、もう駄目だ。俺は一番大切なものを、生き甲斐を無知な悪党に奪われちまった」
「ゲイリー」
「畜生、畜生」
ゲイリーは電話越しに泣きわめいた。
悲しみや不幸のように、いつかはよい事もあるから
しかしどんな不幸もいつかは終わる。
ゲイリーは一年間意気消沈した後、自らの知識を活かして、ファンタジー小説を出版する事で、社会に戻ってきた。
そして、長続きせず、あっさり倒産してしまったが、新たなゲーム会社『ニュー・インフィニティーズ・プロダクションズ』を立ち上げたりもした。
しかしいくら前向きになろうとしても、事態は好転しないでいた。
確かに好転なんて起こるはずはなかったろう
なぜなら、もう事態はすでにいい方向に向いていたのだから。
「楽しい」の勝利
D&D以降、コンピューターゲームの台頭などが、ゲームを世間に広め、認めさせつつあった。
もうゲームをする人達が、「ヒキコモリのオタク野郎」なんてバカにされる時代は終わりつつあった。
ゲーマーが圧倒的少数派であった70年代から80年代に、しかしそのゲーマーたちが開発したゲームの数々。
D&Dを含む、その数々のゲームで想像力を育んだ子供たちの一部は、大人になってからコンピューター業界で、小説や漫画や映画のクリエイターとして、科学者として、芸術家として活躍し、有名になり、世界中に、かつてのオタク達の夢を広げていったのだ。
それはゲーム。
ただ楽しくクリエイティブなこのカルチャーの勝利であり、その大人気ジャンルRPGを作ったゲイリーは、その最前線に立っていたのである。
そして彼のD&Dは、そこから生まれたRPGというジャンルは、ファンタジーやSF、システム構築や開発、実際の科学、芸術への興味を掻き立てるゲームとしては、間違いなく最上級レベルであり、現在でもその影響は計り知れない。
2000年代には、家庭用コンピューター、パソコンが普及し、テレビゲームがさらに普及し、ファンタジーやSF小説や映画が大人気で、ついでにゲイリーは気に入らなかったかもしれないが、トールキンの指輪物語の映画が大ヒットした。
「OSとは何か」直感的なGUI、仮想の領域。アプリケーションの裏で起きてること
世界は明らかに変わった。
ゲームにそこまで夢中になるなんてありえないとメリージョーが決めつけていた頃には信じられなかったろう。
この世界では、コンピューターが得意な事が、小説や映画に詳しい事が、そして何よりゲームに上手な事が「かっこいい」と呼ばれるようにさえなった。
そしてゲイリーは伝説として崇められる事となった。
もっとも多くの人に愛されるゲームジャンル、RPGを作ったクリエイターとして。
それは当然の事であろう。
この世界は、ゲイリーのD&Dが生んだ子供たちによって、大きく塗り替えられたのだから。
楽しいゲームがあり、見事なストーリーやアイデアが溢れる世界に。
それは間違いなく、最も平和的で、面白おかしい無血革命であったのである。
RPGと友達
2008年3月4日。
ゲイリー・ガイギャックスは病気により、69歳でその生涯に幕を閉じた。
当然D&Dに影響を受けた多くの者がその死を慎み、悲しんだ。
思えばD&Dは、ゲイリーに富と名声と、そして敵と争いをもたらした。
しかし、それより何より、この想像力のゲームは、あまりにも楽しく、楽しすぎて、仲間を、かけがえのない友情を生んでいたのである。
ゲイリーの最後の妻、ゲイルは後に述べた。
「ゲイリーは、多くのプレイヤーたちを、ゲームの旅を通して繋げました。そして、そうして育まれた友情は、多くの人にとって一生ものとなったのです」