失われたムー大陸
”ムー大陸(Mu continent)”というのは、(通常は)1万年くらい前に、1日の大災害で滅んだという伝説の大陸。これはまた、太平洋の大陸とされていて、大西洋の伝説の大陸アトランティスと区別されるが、古くは同一視されることも多かったという。
「世界地図の海」各海域の名前の由来、位置関係、歴史雑学いろいろ 「アトランティス」大西洋の幻の大陸の実在性。考古学者と神秘主義者の記述。
しかし、潜水機械などを使った、海底の地質調査の結果(太平洋などの海の底の地形に、ほんの数万年以内の新しい時代に、急に沈んだような痕跡が見当たらない)から、そのような悲劇の古代大陸の伝説を信じる者は今となっては少ない
また1926年出版の『失われたムー大陸(The Lost Continentof Mu)』という著作で、この伝説を広めたジェームズ・チャーチワード(James Churchward。1851~1936)が、本で語った研究のための参考とした最重要文書(ナーカルタブレット)は、出所の寺院に関して秘密とされているから、実質的に原型を見た者が、彼(と後は、彼の師でもあるらしい僧くらい?)しかいない(結果的にはほとんど、このチャーチワードという人を信じるかどうか、という話になってしまう)。
トロアノ古写本。Muという名前はどこから来たか
1864年。マヤ文明を研究していた、フランスのカトリック司祭シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール(Charles Étinenne Brasseur de Bourbourg。1814~1874)が、『ユカタン事物記(Relación de las cosas de Yucatán)』という書に出会った。
「メキシコの歴史」帝国、植民地、そして自由を求めた人々 「マヤ文明」文化、宗教、言語、都市遺跡の研究。なぜ発展し、衰退したのか
ユカタン事物記は、ディエゴ・デ・ランダ(Diego de Landa。1524~1579)という人が書いた、マヤ文明に関する様々な情報をまとめたもので、そこには、個々のマヤ文字にアルファベットを対応させた表もあった。
どうもブールブールは、失われた大陸アトランティス伝説の熱心な信者で、とにかく古代に残る記録を、かつて存在したらしい大陸と関連付けたがる癖があったらしい。そして彼は、ユカタン事物記のアルファベット表を参考に解読したという『トロアノ・コデックス(トロアノ古写本。Codex Troano)』なる古代文献の中で、ついに求めていた、失われた大陸の記録を見つけたのだった。
ある程度の解読を終えた時、彼は、よく登場する一対のシンボルの存在に気づいた。そのうち1つのシンボルは、マヤ・アルファベットでMに対応する文字に似ていて、もう一方はUに対応する文字に似ていた。そして彼はそれら(MとU、すなわちMu)が、失われた大陸の名を示しているのではないかと考えた。
ただし彼はそれを、(アトランティス伝説の熱心な信者として、当然の流れだろうか)アトランティス大陸の別名と考えた。
もちろんチャーチワードは、本の執筆にあたり、トロアノ・コデックスも参考にしたようだが、現在では、そもそもこの書は占星術に関する本であった(失われた大陸に関する話などまったく書かれていない)という説が一般的。
「占星術」ホロスコープは何を映しているか?
ムー大陸文明記録。チャーチワードの世界観1
ムー大陸はアトランティス大陸とは別のものであり、太平洋にあったと最初に大きな声で唱えた人物がジェームズ・チャーチワードだったとされている。
チャーチワードの経歴には謎が多い。ただ彼の本を実際に読む限り、少なくとも彼が科学やオカルトを好むマニア(時代を考えると、知識量は大したものかもしれない)だったことはよく伝わる。
それで、彼の紹介した(チャーチワードは、それをなぜかShe、つまり「彼女」と形容していた)ムー大陸と、ムー大陸が存在する宇宙、それはどのようなものだったか。
日本語訳版の改変問題
日本人がチャーチワードの本を読む場合、販売当時にベストセラーにもなった有名な翻訳書(小泉源太郎訳)の、改変の問題もよく指摘される(この指摘は、懐疑論者、信奉者のどちらからもけっこうある)。
特に不可解なこととしては、部分的な内容の順序が入れ替わってたりもする。ただ一応、要所要所の重要なポイントはしっかり押さえているように思う。少なくとも翻訳書だけでも、「世界の様々な文明の起源としてのムー大陸の文化や神話の世界観」、「そのような広大な大陸がわずかな時間で海に沈んでしまった理由としての宇宙理論」などはわかると思う。
個人的には、(おそらく訳者の信じるオカルト知識との整合性をとるための独自解釈による)要素の追加が目立つようにも感じる。
例えば、アメリカ先住民の民族神話や、ティラノサウルスを描いたと思われるらしい壁画(これも時代的に仕方がないか、(仮にそれが何らかの生物なのだとして)直立歩行のゴジラ型みたいな画)に関しての考察の部分。
チャーチワードの元の文章は以下のようなもの。
[The ancient Zunis, thousands upon thousands of years ago, had a perfect knowledge of the great reptilian monstrosities that frequented the earth from the Carboniferous Age down to the end of the Cretaceous Period.
The traditions say: “They were monsters and animals of prey; they were provided with claws and terrible teeth. A mountain lion is but a mole in comparison to them. Then Those Above said to these animals: ‘Ye shall all be changed into stone, that ye be not evil to men, but that ye may be a great good to them. Thus have we changed ye into everlasting stone.’
Thus was the surface of the earth hardened and many of all sorts of beasts turned into stone. Thus, too, it happens that we find them throughout the world……”
……in order to prove that it is not a myth, one has only to stroll through any of our museums to see on every side the truth of the Zuni tradition.
Go to the Museum of Natural History in New York and look at the fossil of the crested trachodont, or visit the United States National Museum at Washington and gaze at the complete and perfect skeleton of the Jurassic dinosaur, Stegosaurus. crushed and flattened.
There may be readers who will say that these have nothing to do with the Pueblos and that they do not prove the tradition not to be a myth. For the benefit of such doubters let us consider the Hava Supai Canyon in Arizona. There, drawn and carved on a rock, is a picture of the most terrible carnivorous dinosaur that ever existed on earth, the grewsome Tyrannosaurus of the late Cretaceous Period. This picture probably was drawn more than 12,000 years ago.
It is only within the last hundred years that this form of reptile was known to our scientists.
Cuvier found a part of a skeleton and out of it made a reproduction a great lizard walking on all four legs.
I think I am correct in saying that it is actually only within the last fifty years that the true form of the Tyrannosaurus became known, although it had been faithfully depicted in rock drawings by ancient man thousands of years ago.
(何千年も前の古代ズニ族は、石炭紀から白亜紀の終わりまで地球に頻繁に出現した巨大な爬虫類の怪物について完璧な知識を持っていた。
言い伝えによれば、「彼らは怪物であり、補食動物であり、恐ろしい爪と歯を備えていた。彼らに比べればピューマでさえモグラにすぎない。
その時、上の者たちはこれらの動物に言った、「あなたがたはみな、人間に対して悪でなく、大きな善となるため、石に変えられるであろう。私たちはあなたたちを永遠の石に変える」
このようにして地球の表面は硬くなり、あらゆる種類の獣の多くが石に変わった。私たちは世界中でそれらを見つけることができる……」
……これが神話でないことを証明するには、博物館を散策して、ズニ族の伝統の真実をあらゆる面から見るだけですむだろう。
ニューヨークの自然史博物館に行ってトサカのあるトラコドン類の化石を鑑賞したり、ワシントンの米国国立博物館を訪れて、砕かれて平らになったジュラ紀の恐竜ステゴサウルスの完全な骨格を眺めてみるといい。
読者の中には、これらはプエブロ族(※ズニ含む特定地域のネイティブアメリカンの総称)とは何の関係もなく、伝統が神話でないことを証明するものではないと言う人もいるかもしれない。そのような懐疑的な人たちのために、アリゾナ州のハヴァスパイ渓谷について考えてみよう。
そこには、これまで地球上に存在した最も恐ろしい肉食恐竜、白亜紀後期の、成熟したティラノサウルスの絵が岩に描かれ、彫られている。絵はおそらく12000年以上前に描かれたと考えられている。
この形態の爬虫類が科学者に知られるようになったのは、ここ100年以内のこと。キュヴィエは骨格の一部を発見し、それを使って四本足で歩く大きなトカゲの複製を作った。
ティラノサウルスの本当の姿が知られるようになったのは、何千年も前の古代人によって岩絵に忠実に描かれていたにもかかわらず、実際にはここ50年以内である、というのは正しいと思う)]
上記部分の、ベストセラーの日本語訳はどうなっているか。
ズニ族の神話や、「博物館に行こう」までは似たような感じだが、問題はその後。
[自然科学博物館へ行ってみよう。前世紀時代の陳列室に、きっちりと組み上がったマンモスの化石やトラコドン、ステゴザウルスといった見るも恐ろしい恐竜類の実物そっくりの模型を目にすることができるだろう。中でも最も凶暴そうな大怪獣は、説明板にチランノサウルスと書いてあるはずである。恐竜類はその見かけによらず、草食性でおとなしいものが多いが、チランノサウルスは違う。体長は十五メートルに達し、肉食性で大きな口には鋭い歯があり、四肢にはかぎ型に曲った物凄い爪があって、ほかの動物たちの脅威の的だった。ズニ族の神話に出てくる怪物の正体は、どうもこのチランノサウルスらしいのである。
ところで、説明板によるとこの大恐竜は白亜紀末期、今から六千万年以上も前に地上をのし歩いていたことになっている。六千万年——まさかズニ族の祖先がそんな太古から北米大陸に住んでいたとは考えられない。するとこの神話は、恐竜の化石でも目にした古代インディアンが、空想にまかせてでっち上げたものだろうか?
そういう疑いを抱く人があったら、アリゾナ州ハバスパイ・キャニオンの岩壁に描かれた画を一度見ていただきたい。そこには、かつて地上に存在した最も凶暴な恐竜、チランノサウルスの姿が生き生きと描かれているのだ。尾が太く前肢が貧弱だったというその特徴も実によくつかまれている。岩の上のこの壁画は、今からおよそ一万二千年前ごろ、北米大陸の先住民族によって描かれたものといわれる。
この種の恐竜の存在を科学者が知ったのは近々百年に足らず、正確にその形態がつかめたのは五十年前くらいのことである。それを一万二千年前の古代人が正確に絵にしている。六千万年も前に死んだ怪獣の化石からこれを絵にするということは不可能だ。当時、実際にこの怪獣が生きて動きまわって、人間の恐怖の的になっていたに違いない]
チャーチワードの元の文章だと「少なくともが1万2000年前には、古生物学研究が、すでに現代と同じくらいに(白亜紀の恐竜ティラノサウルスの姿を再現できるくらいに)進んでいた」という程度にも解釈できる内容。
しかし日本語訳版だとそのくらいの時代に「恐竜と人間が共存していた」ということが、かなり強調されている。
アカンバロの恐竜土偶、カブレラストーン、謎の足跡「恐竜のオーパーツ」 「ティラノサウルス」最強の理由。暴君恐竜の生態、能力
聖なる霊感の書。ナーカルタブレットの解読
[この本の全ての科学的事項は、2セットの古代の石板の翻訳に基づいている。私が何年も前にインドで発見したナーカルタブレット(Naacal tablets)と、最近メキシコでウィリアム・ニーベン(William Niven)によって発見された2500を超える石板の大規模なコレクションである。
両方のセットの起源は同じだ。どちらも、”ムーの神聖な霊感(the Sacred Inspired Writings of Mu)”を受けた著作からの抜粋。
ナーカルタブレットにはナーガ(Naga)のシンボルと文字(characters)が書かれていて、伝説(legend)によると、祖国で書かれ、最初にビルマ(※現在のミャンマー)に持ち込まれ、次にインドに持ち込まれたそうだ。
それらの遺物が非常に古いことは、ナーカル人がビルマを去ったのが15000年以上前という歴史事実から明らかなこと。
一方、メキシコの石板がどこで書かれたかは大きな問題(problematical)だ……それらがメキシコで書かれたのか、祖国(ムー)で書かれてメキシコに持ち込まれたのかはわからない。しかし、いくつかの石板が示すように、それらは12,000年以上前のものだ。
メキシコの石板の中には、ムーについて語っている石板もいくつかある。それらの中にはまた、先のナーカルの板に書かれた創造物語(tale of Creation)のミッシングリンク(missing links)を提供する石板もいくつか発見できた]
チャーチワードは、上記の重要な2つの手がかり、ナーカルタブレットとメキシコの石版に書かれた、失われた文明に関する驚くべき記録が、紛れもない真実であることを証明するための研究に、50年以上を費やしたらしい。
まずナーカルというのは、考古学者ル・プロンジョン(Augustus Henry Julian Le Plongeon。1825~1908)が、その存在を主張したマヤにおける、宗教と文明の伝道師のこと。ナーカルというのは「高貴なる者」というような意味らしい。
ル・プロンジョンは、古代マヤこそ文明の始まりの地であり、まだアトランティス大陸があった頃、(マヤから見れば)東側のその大陸を経由して、アフロ・ユーラシア大陸にも文明が伝わったのだとか考えていたらしい(マヤの地のさらに西側に、真の文明の発信地である仮想的大陸を想定していないだけで、チャーチワードが語る伝説とよく似ている)
昔のメキシコ人たちも、ナーカルと同じく、この地球上にかつて、現代の我々以上に優れた大文明が存在していたことを知っていた、ことをチャーチワードは確信する。
石板群にはまた、印象的な部分が、聖書の天地創造の物語の参考にされたようでもある、実に500世紀(500 centuries)にもなるムーの長い歴史が書かれてもいたとか。
1926年の本に「50年ほど前」と書かれているから、チャーチワードがナーカルタブレットを得たのは1876年くらいと思われる。彼自身が言うには、当時インドでは飢餓の時代で、彼は大学寺院(college temple)の高僧の救援活動を手伝っていた。
チャーチワードは元々、古代文明に強い関心があった。そしてある日、奇妙な浮き彫りを解読しようとしていた彼に、友人となった僧は、奇妙な碑文の解読法を示してくれた。難しい作業に適したレッスンを提供すると。そうして彼は2年以上、僧から、人類の本来の言語らしい、しかし今は死んでしまっている言語を学んだ(その時点で、その言語を理解できたのはインドで他に2人の高僧だけだったという)。
そしてある時、ついに僧は、寺院の秘密保管庫に古代の石板がたくさんあることをチャーチワードに打ち明ける。どうも彼は、その文書の保管、または調査係らしかった。しかし触れてはいけない神聖な記録ということで、しっかり検査したことはないとか。僧はまた、この貴重な石板がビルマか、あるいは消滅した祖国ムーのナーカル人により書かれたものであると、多くの人たちが信じているとも語る。さらにはそれらの文書はインドの7つのリシ(Rishi)、すなわち聖なる都市の1つから採取された膨大なコレクションの断片にすぎないとも。
僧は、親しくなったチャーチワードにも、それらの石版をなかなか見せてはくれなかったが、どうしても、そこに書かれているという古代の記録が気になるチャーチワードは、「でも考えてもみてください。もしかしたらそれらの石版は、適切に梱包されていない可能性があるでしょう。箱の中で壊れたり、崩れたりしてしまう可能性もあるでしょう」などという説得が6ヶ月ほども続いた。
ある晩、僧は、ついに、古代の石板を2枚ほど見せてくれた。
二人は細心の注意を払って埃まみれの石版を一旦掃除。そして、そこに書かれた文の解読に取り掛かる。それが確かに、全人類の母国、偉大なるムーの本物の記録であることもすぐにわかった。それで、それまでは記録を読むことを恐れていた僧の友人さえも、続きを読みたいという好奇心を抑えられなくなる。
また、その時見ることができたどの石板にも欠けていたと思われる失われた記録を求めて、チャーチワードはすぐに、インド全土の寺院の高僧たちを、紹介してもらった。しかし誰もが「そのような石板は見たことがない」と語り、冷たくあしらわれたらしい(インドのあちこちの寺院が、それぞれそのようなムーの記録石版を保管していると、チャーチワードは考えていたようである)
さらにビルマの、古代仏教の寺院を訪れた時、「どこから来たか?」と問う祭司に、「インドからです」と答えたチャーチワード。祭司は「それならインドに戻り、私たちからそれを盗んだ泥棒にでも見せてもらえばいい」などと告げたとか。
しかし、チャーチワードはめげず、むしろどうしても、伝説的なその母国の秘密を解き明かしたくなり、それで長い研究の日々(世界中の様々な古代文明の記録から、ムーの記録の断片を探す旅)が始まったのだという。
やがてチャーチワードは、ムー大陸というのが、人類という生物種が初めて誕生した揺籃の地であること。そこに存在した国にはかつて、地球のあちこちに植民地を築いた民族が住んでいたが、その土地は1万2000年前に恐ろしい地震と水没によって消滅してしまったこと。その地で語り継がれていた(むしろ、それは科学的に解明されていた)世界創造の物語の影響が、現在の聖書の創世記などに見られることことなどを、証明した(多分、本人はそのつもりだったろう)。
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説
ナーカルタブレットには、複数のテーマが含まれ、各テーマごと説明する一連のシリーズがあった。チャーチワードはそれらシリーズを以下のように分類した。
シリーズ1=人間の出現に至るまでの創造。
シリーズ2=地下の火、ガスによる山々の隆起と、将来のガスの影響。
シリーズ3=宇宙全体にわたる「偉大なる力(the great forces)」の起源と働き。
シリーズ4=「地球の偉大な原動力(the earth’s great primary force)」の起源と働き。2つの主要な区分がある。
シリーズ5=「地球の偉大な原子力(the earth’s great atomic force)」の起源と働き。すなわち2つの主要区分のうち、1つの下位区分。
シリーズ6=「生命を生み出し、維持する力(the force that creates and sustains life)」の根源とその働き。2つの主要区分のうち、1つの下位区分。
シリーズ7=生命の起源、生命とは何か、生命の形態の変化、それは地球の発展にも不可欠なもの。
シリーズ8=人間の創造。人間とは何か、そして人間が他のすべての創造物とどのような点で異なるのか。
シリーズ9=この地球における人類の出現、最初に現れた場所。タブレットに曰く「人類の祖国(the Motherland of Man)」。
世界がひとつであった根拠
[失われた大陸、人類の祖国ムーの滅亡の記録は実に奇妙なものだ。そこから、私たちは南洋諸島の白人種のこと、また、太平洋中部で偉大な文明がどのように栄え、その後ほぼ一夜にして完全に滅んでしまったかを学べる。
数十年前の科学者たちなら、ムー大陸のような巨大な大陸がかつて太平洋に存在していた可能性についてかなり疑問を抱いたろう。しかし今や実際に、そのような土地がかつて存在したことを証明する記録が明らかになり、比較も行えるようになった。
今やいくつかの証明のタイプがある]
チャーチワードは、その証明のための根拠として以下を示す。
まずインドの寺院で発見された聖なる石板(ナーカルタブレット)。
次に、インドの『ラーマーヤナ』とか、古典を含む古代文書に見つけられるというムーを示唆する描写。大英博物館に所蔵されているトロアノ古写本(それに見られるムーのシンボルは、インド、ビルマ、エジプトなどの記録にも見られるという)に、トロアノ本とほぼ同じ時代のマヤの『コルテシアヌス古写本(Codex Cortesianus)』(ただし、コルテシアヌス古写本とトロアノ古写本は同じ文書の別部分であるという説が今は有力らしい。そのためムー大陸に関して書いた本では、チャーチワードが参考にしたマヤの文献に関して、単にトロアノ古写本と書かれていることも多い)など。それに『ラサ記録(Lhasa Record)』、これは1912年のパウル・シュリーマン(Paul Schliemann)の記事で広まった伝説(アメリカの地方新聞で、有名な考古学者のシュリーマンの孫が書いた記事だが、通常は記者の捏造だったと考えられている。内容は、シュリーマンがアトランティスに強い関心があって、自身が発掘した遺物の中に、はっきりその根拠と思われる品を発見し、家族に継承していた、というもの。そしてラサ記録と呼ばれる、チベットのラサ寺院で見つかった記録文書は、トロアノのアトランティス記録と同じような内容だったとか)。他にも(主にアフリカとアメリカだが)世界各地の様々な古代記録。
さらに、その位置と、装飾シンボルなどからそうだと推測可能な、ムー大陸に関連する様々な古代遺跡。曰く、南洋諸島の一部、特にイースター諸島、マンガイア諸島、トンガタブ諸島、パナペ諸島、ラドローン諸島またはマリアナ諸島などに、ムーの時代に遡ることが可能な古い石造りの神殿や、その他の石の遺跡の痕跡が今日でも見つけられるのだという。同じように、メキシコのピラミッド(「西の土地」の破壊の記念碑であることを示唆する碑文が刻まれてるとか)も重要。さらにはエジプト、ビルマ、インド、日本、中国、南洋諸島、中米、南米、北米の部族の古代文明拠点で発見された、特定の古いシンボルや習慣に、偶然とは思えない共通点が多いとか(偉大な超古代文明の伝説で、よくあるパターン)。
最も奇妙だと言える根拠の1つは、世界のいくつかの民族の言語の共通性に関するものと思う。
[言語は、広大な水域と土地の範囲によって隔てられている国に住んでいる場合でも、さまざまな民族の家族関係を追跡する上で最も正確なガイドであることが認められています。驚くべき事実は、世界中のあらゆる言語でマヤ語が見つかっているということです]
そういうことだけならばまだ、それぞれの言語でマヤ語がどのくらい含まれているか曖昧だ。しかしチャーチワードは自身が調べた以下の結果に自信を持っていたらしい。
[日本において、彼らの言語の半分はカラ・マヤ語(Cara Maya)。インドで話されている言語の大部分は、間違いなくナーガ・マヤ族(Naga Maya)に由来している。カンドのシンハラ語(Candian Cingalese)にはオリジナルのマヤ語が豊富に含まれており、ヨーロッパのすべての言語、特にアルファベットがカラマヤ語の語彙で構成されているギリシャ語に浸透している。メキシコ先住民(Mexican Indian)の言語の50%はカラ・マヤ語で、彼らと日本人は通訳の助けなしでもわかりやすく会話できるため、多くの単語が両言語に共通しているのだろう。これはインカ人(Incas)についても同じことが言える。古いアッカド語(Akkadian)とカルデア語(Chaldean)は主にナーガ・マヤ語、エジプト人も同じように]
もしこれが正しいなら、カラ・マヤ語というのは、日本人にはずいぶん学びやすい言語らしい(そもそも、すでに日本語の半分がそれなのだから、学びやすいというよりも、知っていると言った方がいいだろうか)
他にも、(少なくとも極東アジア人には)奇怪に思える話として、例えば「中国と日本には、それぞれ18000年前に12王朝が統治していたという記録がある」というような記述などがある(中国のは「Tchi」とかいう本に記述があるらしい)。
なぜアトランティスではないのか
(当然のことながら、チャーチワードも参考にしていた)チャーチワードの本より以前のムー大陸研究(ブールブールや、創作起源ぽいがシュリーマンなど)において、それはアトランティスと同一視されることが多かった。
チャーチワードはムー大陸を、アトランティス大陸とはしっかり区別した。両大陸は同じ時期に、同じ原因の大災害で海中に沈んだのだと。
そしてチャーチワードに言わせれば、おそらくアトランティスは、人類の歴史においてムーほど重要なものではなかった。ムー大陸は人類が誕生した場所であり、最初の文明が始まった場所。一方でアトランティスは、結局のところムー帝国の植民地の1つにすぎなかったから。
チャーチワードの本には、「なぜ自分は、ムー大陸をアトランティスと別のものと考えるのか」というよりも、なぜ「自分よりも以前の人たちは、それをアトランティスと同一視してしまったのか」という観点で書いてる記述もある。
[シュリーマンは、トロアノ写本とラサ記録という明らかに2つの記録だけで、アトランティスはムー国であったと主張した(※ラサ記録の件と思われる)。しかしそれらの記録は、ムーとアトランティスが同一であるなどと述べてはいない。それはシュリーマンの単なる推測にすぎない。彼が調べたであろう他の記録は、ムーの地はアメリカの西にあり、東側のアトランティスでないことをはっきりと伝えていたはずだ(※アメリカ大陸の西海岸は太平洋、東海岸は大西洋に面している)
しかしアトランティスもムー大陸も、火山噴火(volcanic eruptions)により破壊され、水没(submerged)した。「科学はそれを疑いの余地なく証明した(Science has proved that beyond the shadow of a doubt)」]
続いて、ナーカルの真の故郷をムー大陸でなくアメリカであると考えたル・プロンジョンに関して、
[ル・プロンジョンは、カリブ海周辺の土地の輪郭についての推論に基づき、中央アメリカは西の土地であり、したがってムーの国であるという理論を展開した。しかしすべての記録(※ここで重要なのは多分、沈んでしまった大陸の記録)が西の土地を指定する事実をを完全に忘れている。中米はもちろん今日まで水没していない]
チャーチワードは、いくつかの間違いに関して、ヨーロッパで読まれた特定の記録が、書かれたのはアメリカであるのに、アメリカでなくヨーロッパに基づいて計算したからでないか。とも推測した。結果的に、ヨーロッパにおけるアトランティスの古い記録のいくつかは、実はムーのことなのだとか。
神蛇の7つの知性の命令。ムーの創生神話
[一連の(※ナーカルの)石板は、順番通りに読むなら、次のような語りで始まる。
「元々、宇宙は魂(soul)か霊(spirit)だけであった。すべてに生命がなく、静かで、穏やかで、音もない。虚空(Void)と暗闇(dark)が広大な宇宙(space)だった。至高の霊、偉大な自己存在の力、創造主、”七つ頭を有する蛇(the Seven-headedSerpent)”だけが暗闇の深淵の中で動いていた。
やがて、「世界を創造したいという願望が神に起こり、神は世界を創造する。そして生物が生きる地球を創造したいという願望が神に起こり、神は地球とその上のすべてのものを創造した」
これが地球が創造された流れである……]
チャーチワード曰く、ナーカルタブレットは創造の時代から始まる長い歴史書。だから、その始まりは創造の物語。
そこでは創造神の具体的な姿の描写として、「the Seven-headed Serpent」というのもある(これは7つの頭それぞれが偉大なる知性を有し、またナーラーヤナ(Narayana)という名前らしい。ナーラーヤナは、ヒンドゥー教の最高神の姿の1つという伝承がある)。
そしてその七つ頭の蛇は、(以下の)7つの”知的な命令(intellectual command)”を(世界に?)次々に与え、次々にその通りになったのだという。
最初の命令「形を持たず、宇宙に散らばっているガスを集め、そこから地球を形成しろ」
2番目の命令「ガスを凝固させて地球の形を形成せよ」
3番目の命令「(惑星より)外部のガスを分離し、大気と水を形成さよ」
4番目の命令「地球内部のガスにより、大地を水面よりも高く持ち上げよ」
5番目の命令「水の中に命を生み出せ」
6番目の命令「大地の上に命を生み出せ」
最後の命令、というより第七の知性の提案「私たちのやり方に従って人間を作り、彼にこの地球を支配する力(ナーラーヤナのような、魂の不死性と、知性)を与えよう」
この7つの命令は、聖書の創世記の、創造の7日間(または7つの時期)の元ネタだとか。
このような創造神話の他、チャーチワードの本のあちこちの記述から、ある種の人間至上主義も読み取れる。つまり彼は、人間という生物を、この世界を支配するために生まれた特別な存在であると、または真の生物であると考えていたらしい(このような思想が、世界中の神話に受け継がれたのかはわからないが、結構普遍的な要素であることは間違いないだろう)。
地上の楽園の文明。太陽の王と子供たち
[(※ナーカルタブレットなどの調査により)この大陸は、ハワイの北から南に向かって延びる、起伏に富んだ広大な土地であったことがわかった。イースター島とフィジーとの間の線がその南の境界を形成していた。東から西までは5000マイル以上、北から南までは3000マイル以上。大陸は3つの陸地で構成されており、狭い水路または海によって互いに分割されていた。
これまでに示してきた記録に基づき、そのありのままをここ描くことにする]
そして、チャーチワードが書いた、ムー文明のありさまは以下のようなもの。
広大な大陸は、広大な平原を持つ美しい3つの南国。谷と平原は豊かな牧草と耕作された畑で覆われ、一方「低起伏の丘陵地」は熱帯植物の生い茂る日陰になっている。
重要なこととして、その頃の地球には、山や山脈がなかったらしい。
交差する小川や河川から供給される水は、幻想的な曲線を描く自然の水路を流れる。時に虫たちの声が響き渡る原生林では、ゾウたちに、1万年くらい前(つまりムーの終焉と同じような頃)に絶滅したマストドン(絶滅したゾウ目)も見られた。
この偉大な大陸には6400万人の人類が住み、彼らはとても幸福だった。
「10の部族」または「民族」グループがあったようだが、全てを統一していた政府は一つだけ。そして神の代表者とされた(ただし彼あるいは彼女も、あくまでも代表者というだけで、特別な人間ではなかった)王は、”ラ・ムー(Ra Mu)”と呼ばれていた。王と1つの政府が直接的に統治する帝国は「太陽の帝国(Empire of the Sun)」とも呼ばれていた。
誰もが神と、魂の不死性を信じ、肉体死は、魂がその起源である「偉大な源」に戻るだけ(場合によっては、その後にまた新たな肉体の器へと移る)。
地球上のすべての人々はムーの子供で、祖国の宗主権の下、野蛮さというものは存在していなかった。ただしムーの地で支配的だった人種は、黒目(dark eyes)に黒髪(black hair)の、透き通った白かオリーブ色の肌の、白人種だった(ムー大陸の時代は、理想的な楽園そのもので、人類にとっても最も自然的な世界観というような印象もあるから、そこで安定して白人が支配階層であったという記述などに、チャーチワードの白人優越主義の思想を見いだす向きもある。多分そうなのだろう。オリーブ色の肌やら、黒い目とか黒髪とかに関しては、従来の意味での白人とは明らかに違うかもしれないが、ムーの先祖と思われるアジア系のいくつかの人種のイメージから来ているのかもしれない。また、中央アメリカの地に、ムーの大陸からやってきた探検者たちの白人種は金髪だったなどの記述もある)
白人が支配していたのであって、白人しかいなかったわけではない。白人種の他に、黄色、茶色、黒色の肌をした人種もいたが、「彼らが支配することはなかった(They, however, did not dominate)」。
また、ムーの地の子供たちは、偉大な船乗りでもあり、世界中を巡り、植民地を広げた。彼らはまた建築の技術も学び、石造りの寺院や宮殿を建てた。世界のあちこちの大河の近くで、都市が建設され、水路網を行き来する船により、ムーの地は世界の貿易と商業の拠点にもなった。各植民地の統治者たちには、”太陽の子(Son of the Sun)”という称号が与えられていたのだという。
日本人=白人説は、白人主義のためか
「白人種こそ優れた人種である」とチャーチワードが考えていたことを感じさせる記述は結構ある(というか人種に関して言及した記述はほとんどそうと言えるだろう)が、特に日本人にとっては、次のような記述が興味深い(あるいはバカバカしい)かもしれない。
[日本人が日本に到着したとき、彼らは高度に文明的な民族であり、地球の最初の偉大な文明から保持してきた文化を楽しんでいた。
……今日、彼らはあらゆる点で現代的であり、地球上で最も先進的な人々の地位にあり、地位も高く、この変化はすべて過去50年または60年の間に彼ら自身によって行われたものだ。もし私たちが100年前に戻って日本を見ることができたら、そこには15000年前のムーの面影が見えるはずだ。
……教育を受けた人々の間でも、日本人はモンゴロイドであるという考えが広く浸透しているが、実際は違う。白人と黒人が違うのと同じように、彼らもモンゴル人とは違うのだ。彼らは白人部族の1つである、祖国のキッシュ・マヤ族の子孫だ。だから今日の日本語は、その40パーセントまでもが、キッシュ・マヤ語と共通]
むしろ、いかに当時(2つの世界対戦の間くらい)の日本という国が、白人国家にとって「アジアの脅威」だったのか、存在感を放っていたのかが、わかりやすい話かもしれない。
また、それらも白人種と考えていたかはよくわからないが、以下のような記述も興味深いか。
[ネアンデルタール人、ピルトダウン人、ハイデルベルク人など、数少ない古い人骨の発見に興奮したヨーロッパとアメリカの科学者たちは、北米の古代人の遺骨は完全に無視してきた。ヨーロッパ側の遺骨が愚か者や変質者のものであることは、彼らの頭蓋骨の異常な形状から明らかである]
なんとムーの時代、ヨーロッパというのは、偉大な文明から追放された狂人たちの逃げ込んだ土地だったとか。
滅びの時。地震、火山噴火、切り裂かれた大地
[……このように、この偉大な土地(※ムー)が地球の文明、学問、貿易、商業の中心地であり、その頂点にあった時だ。それを恐ろしい悲劇が見舞ったのは。
地底から響く轟音と、それに続く地震と火山の噴火が、大陸の南部を震撼させる。南の岸に沿って、海からの大災害が陸地に押し寄せて、多くの美しい都市が破壊された。火山は火、煙、溶岩を吐き出す。国土が平坦であったため、溶岩は流れるというより積み重なって円錐形を形成し、後に(今日でも南の島々の一部で見られる)火成岩となった。
やがて火山活動は止まった。その後、ムーの人々は徐々に恐怖も克服した。破壊された都市は再建され、貿易と商業が再開された。悲劇から何世代も経て、悪夢が過去の歴史になった。しかしムーは再び地震に見舞われる……
都市は廃墟の山となってしまった。大地が浮いては沈み、震え、地底の火が噴出して雲を突き刺す。天を満たす稲妻の下、濃い黒煙が大地を覆い尽くす。
巨大な天変地異の波が海岸を越えて押し寄せ、平原に広がり、都市とあらゆる生き物に死をもたらす。
群衆の悲痛な叫びが空気を満たした。人々は神殿や要塞に避難したが、火と煙で追い出された。輝く衣服と宝石を着た男女は「助けてくれ」と叫んだ……
夜中に、ムーは引き裂かれ、ズタズタになった。雷鳴の轟音とともに運命の地は沈んだ。下へ、下へ、地獄の口へと。壊れた大地がその大きな火の深淵に落ちたとき、炎が周囲に吹き上がり、残っていた土地を包んだ。火災によって犠牲者は増えた]
そうして「ムーと、大陸に生きていた6400万人の人々が犠牲になった」のだという。
しかしこの悲劇は実際にはいつ起こったのか。
地質年代的にはそれほど大昔ではない。チャーチワード曰く、トロアノ写本で、1万2000年~1万2500年前まで存在していたことは証明できるらしい。
その悲劇の日の夜に、ムー大陸はズタズタに壊れて海の底に沈んでしまったようなのだが、それ以前、悲劇の何世代か前に、前兆と言えるような大地震や火山活動が起きてもいる。
しかしチャーチワードの本のあちこちで、その大文明は科学技術に関しても非常に発展していた、ということが示唆されている。(曰く創造神のそれに匹敵するらしい)人の知恵を持ってしても、その大災害から、自分たちを救う方法はなかったのだろうか。
フリーメーソン、聖なる同胞、無限の崇拝の起源
もしチャーチワードの主張を全て信じるなら、現在の地球上の全ての文明の起源はムー文明にある。だが現在の我々のほとんどは、そのことを忘れてしまっている。
残っているのは、いくつかの植民地だった土地に残された文書記録だけなのだろうか。
単なる子孫というだけでなく、直接的に、その素晴らしい科学と宗教を受け継いだ、現代の賢者たちというのが存在するだろうか。
チャーチワード曰く、一応は、日本を含め、元々植民地だったらしい、いくつかの地域では、ムー大陸が海に消えた後も、しばらく母国の近い水準の文明が続いたらしい。のだが、最も長くムーの面影を残していたのがインド。そしてムー崩壊後の現代の世界における様々な文明要素は、インドから再び広がったのだとか。
また、フリーメーソン(Freemasonry)の記述がちょっと興味深いかもしれない。あの有名な秘密結社のフリーメーソンである。
「フリーメイソン」秘密結社じゃない?職人達から魔術師達となった友愛団体
[では、古代の神聖なシンボルの多くを示し、その起源と本来の意味を示そう。
これらに関しては、フリーメーソンの起源と、その偉大な古代性も明らかにするため、フリーメーソン研究においても特に興味深いものと思う。この友愛結社(brotherhood)の起源はこれまで知られていなかった。紀元前5000年頃のエジプトにまで遡ることはできる。しかしエジプト人が、その偉大な知識をどのように得たのかに関しては謎なのだ。
私がここで書いたのは、これまで他の誰も読んだことのない宗教史の1ページである。
フリーメーソンはエジプトに起源があり、その儀式で使用されるシンボルはエジプト起源であると一般に考えられてきたが、それは間違いだ。今日フリーメーソンと呼ばれるものの起源は、さらに数万年前に遡れるのだ]
聖なる同胞(Holy Brothers)ことナーカルは、フリーメーソン、という訳ではないようである。チャーチワードはしかし、ナーカルが世界中の植民地に残した文書は、ムーの存在と共に、フリーメイソンの起源を記述した最古の記録なのだと語る。
フリーメーソンとは、すなわち人類の最初の宗教知識の断片で、つまり天の御父への崇拝を、表現した最初のもの。それは最も単純で純粋な、偉大なる無限への崇拝なのだという。
ムーの宇宙科学。チャーチワードの世界観2
ムー大陸に関するチャーチワードの4冊目の本であり、主にその科学と宗教を詳しく扱っている『ムー大陸の宇宙力(Cosmic Forces of Mu)』は、内容のスケール的に、たいていの人にとって最も興味深い本と思う(おそらく、「彼の記述を1から100まで全て信じていない」という人でも、単にSF作品的に楽しみやすいと思う)。
以下はその本の最初の方の記述。
[人間への最初の教えは、「全能なる創造の神が存在し、人間の存在も神のおかげである」というものだった。そして、人間は特別な創造物であり、地球上の他の創造物が持たないもの、つまり魂や霊を持っているという教え。ある者(彼)は、魂には永遠の命があり、決して死ぬことはないと教えられた。
……宇宙の配置における無限の知恵、すべての創造物を支配する完全な自然法則とそれらが実行される完璧な方法など、創造の法則と働きを示す教え。これらの科学知識により、人間は創造主の力、知恵、そして偉大な神聖な愛をより完全に理解できるようになった。
……人間に教えられたこれらの原初の科学はすべて、当時は文化というものがなかった人間たちにも、完全に理解できるほど単純な形だった。それらは理論化することなく教えられ、神学やテクノロジーなどといったものも必要なかった。それらの科学は今日では宇宙科学と呼ばれている。
……古代人にとっては単純であったにも関わらず、なぜ現代人はそれを理解できないのか。答はこうだ。今や科学の庭は、理論、技術、神学、誤った概念、発明といった雑草でいっぱいで、韻も理由もない子供じみた夢で覆われ、そのすべてが完全に限界に達しているからだ。そのような嘆かわしい状態は、現代人の利己主義と、科学の山の頂点に立つと思われることを望む異常な承認欲求のせいだ。偉大なる者がただひとりしかいないという事実さえ完全に忘れるか、無視している。
……莫大な物質的利益を獲得する究極の目的は、同胞を奴隷にすることだ。物質を崇拝し根を張る豚共は、それを別の名前で呼びたいかもしれないが、奴隷制度というのはまさにその名前通りのものであり、他の何物でもない。そして、そんな状況が続く限り、この地球に平和は訪れないだろう。
……この巻の内容は、神聖な霊感を受けた一連の著作集の科学セクションのいくつかの断片の翻訳であり、これらは私の発見と記録による。翻訳が貧弱であることは認めざるをえない。しかしこれが、私の限られた知識でできる最善の翻訳であることには自信がある。
……1万5000年前、私たちの先祖は、これらの文書が語ることを完全に理解してたろう。エジプトでは、モーセの時代まで多くが維持されていたはずだ。だからモーセは彼らのことを理解できたのだ]
どちらかというと、科学の本というよりも、科学と宗教の統合された世界観の解説を目指す、哲学書のような印象があるかもしれない。ただし、この世界観は、1万年ほど前に、人類の始まりの地であるムー大陸が、粉々に壊れて海の藻屑となった世界観での、神に授けられた哲学である。
チャーチワードは、例えば聖書やポポル・ヴフ(メキシコの民族神話を記録した書物)の描写や、南太平洋の島民の伝承から、「焼かれずに火の上を歩ける熟練者」を見いだし、それを、失われてしまった科学の技の1つなどと推測している。本来の科学が、あまり複雑でなく、神から直接的に教えられた単純なものだ、というような話などと合わせて考えると、かなり神秘主義的な彼の思想が見える。
そういう意味では、チャーチワードのムー理論は、近代の魔術理論にも近い感じがする。実際、失われた大陸伝説は、ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky。1831~1891)のような神秘主義者も好む傾向が強かったとされる(魔術師系の名前は、チャーチワードの本には全然出てこないが、実際、影響を受けていた可能性は高い)
「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
進化論の否定、無神論者への非難
進化論は、ムーの神聖で霊感を受けた書物を由来とする、真の世界知識の前では、支持などとてもできない。とチャーチワードは書く。
少なくともチャーチワードは、人類という生物種に関しては、進化というシステムによって誕生した生物ではないと確信を持っていたらしい(人間は特別な創造物で、自然の作品ではないとも)。彼は何度か、「人間と猿には類縁関係などない」と語っている。それどころか、猿説にこだわって「いくつかの地質学的証拠をねじ曲げて解釈している」とか、正統派の科学者たちを非難している。
チャーチワードの理屈は、聖書の教条主義者(キリスト教ファンダメンタリスト)とかが語る、反進化論的な理論にも似ていると思う。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか
まず、人類という種がこの宇宙に誕生したのは、第三紀(Tertiary。現代では約6500万年前~250万年前くらいの時代とされている)のどこか(ただし後期と思われるとも)。「必要な条件が整わない限り、その環境に生きる生物が誕生することはない」というような、”創造の法則(law of Creation)”のために、宇宙ができて、すぐさま人類が作られたわけではない。
「人類誕生の秘密は太平洋の底に沈んでいるため、永遠に謎のままかもしれない」というような記述もある。チャーチワードは、人類の科学の手が、深い深海に伸びることは、ずっとないだろうと推測していたのだろうか。
[多くの科学者は、人類は森林の獣、先史時代の猿の子孫であるという信念を表明している。したがって、彼らの主張が正しければ、人間は猿の子孫か、または依然として発達した状態にある猿でしかない。
しかし私が並べた証拠の数々は、人類がこの地球において、第三紀後期にはすでに高度な文明状態にあったことを示している。人間の誕生時期が、もっとずっと前にさかのぼるのは間違いない。仮に進化という現象が可能であるのだとしても、人間が猿から生まれたのはほぼありえない。むしろ猿が人間から生まれたという方がありえそうな話だ。
最も複雑で、最も完璧な生命形態である人間は、ナーカルタブレットが語るように、特別な目的のために創造された。人間は哺乳類の動物だが、地球を支配することが可能な力(force)や魂(soul)を、自身の体に結びつけているという事実により、他のすべての動物とは異なる]
人間の善と悪というのも、人間の特別な構造のために生じる概念らしい。つまり人間は常に、善と悪に分けられる、たくさんの物質の影響力に囲まれている。人間の行動はこれらの影響により支配されているのだが、魂だけでは善悪を判断、できないのか、できるのだか、その辺りは曖昧でよくわからない(チャーチワード自身、何を理解していたかはともかく、文章表現にとても困っていたのだと思われる)。いずれにしろ、人間は特別な種族としての成熟期をやがて迎える。完全な知識は、魂が発する全てを感じ、理解する道具となる。そして人間は、悪の影響を克服することができるらしい。
幼年期の終わり、渇きの海、楽園の泉、銀河帝国の崩壊「アーサー・C・クラーク長編」
進化論は、つまり無神論、または唯物論を前提にしているとして、そのような世迷い言(進化論)を信じてしまった、現代の多くの科学者たちは、正しき信仰からすっかり離れてしまったと、彼は嘆きもする。
[……我が国の偉大な科学者の多くが無神論者となり、原則として進化論の擁護者となったのは、残念ではあるが注目すべき事実だ。なぜなら、完全に理解された真の科学は、偉大な至高者である神の力と神秘を学生に印象づけずにはいられないだろうから。
……真の科学は、粘土の家には永遠の命があり、あらゆる段階で神の手があることを教えている。何よりも、魂の提案に従うことで永遠の栄光と幸福が待っていることを教えてくれる。しかし多くの科学者の船を唯物論という岩が難破させている。例えば彼らの研究では、「力は原子の動きの結果」で、彼らは、原子の運動を最初に開始する力をすっかり無視する。これは無神論者が決して発見したことのない力だ。彼らは原子の動きから生じる小さな力だけを発見した。
実際は、原子の動きは機械の歯車だ。場合によっては、いくつかが噛み合いものを変えていく。しかし、無限に続くようなこの歯車仕掛けの、最初の回転は何が起こしたというのか。
……それこそ神と呼ばれる、無限の力]
全てを動かす無限の力と、原子歯車の連鎖
(『Cosmic Forces of Mu』という本は、以下のような内容が大半。ここで紹介しているのは、SFじみた様々な理論のほんの一部)
チャーチワードは、神を「偉大な力」とも言う。しかしそもそも力というのをどう定義するか。
[力とは、物体の位置を変化させ、時には物体自体を変化させる力。どんなに小さな物体や物質も、力の助けなしには変化を起こすことはできない。原子力として知られるすべての力は、何らかの優れた力によって支配される二次的な力にすぎない。優れた力が原子を動かし、原子は別の力または二次的な力を、生成または伝達する。つまり、優れた力が責任を負う(responsible)。
すべてを支配する一つの偉大な無限の力がある。
……力にはプラスとマイナスがある。
大きな力の中には、その影響範囲が無限であり、天体から天体まで到達するものもある。
力は宇宙全体のすべての物体の動きに関与している。
ある力には、他の力に対して親和性(affinities)、反発性(repellents)、中立性(neutrals)がある。
2つの力が出会うと、両方が無効になる中立地帯を形成する可能性がある。しかし一方の力が他方より強い場合は、強い方が弱い方を征服することもある。
力の動きは振動する。ある人は、自分の内なる振動(より高い力)を熱の力の振動より高くできるなら、例えば熱い石炭を燃えずに手のひらに置くことができる。つまり燃えている石炭と手の肉の間に中立帯が形成され、それを越えて熱は伝わらない。
1つの至高の無限の力から直接的に生み出された、4つの偉大な力がある。その4つの大きな力を通じ、またそこから他のすべての力が生成されている。その4つの力が、物質世界の全てを動かしている]
チャーチワードの他の記述からもそうだと読み取るのはそれほど難しくないが、そもそも彼の本の出版年代(ムー関連は、基本的に全部1930年前後)だけから考えても、彼が言う4つの重要な力が、現代物理学でお馴染みな、宇宙の4つの基本的力(つまり重力、電磁気力、強い核力、弱い核力)でないことはほぼ間違いない(時期的にはちょうど、核力に関する理論が提唱され出した頃ぐらい)。
「物質構成の素粒子論」エネルギーと場、宇宙空間の簡単なイメージ
また、物質世界を機能させる各要素、歯車の1つ1つ(原子群の動作)のネットワークは、宇宙の果てまで続いている。巨大な力の大歯車、ムーの人々が太陽と呼んだものは、その周囲に小歯車、つまり中心太陽よりは小さな様々な天体群を回転させる。そして特大歯車の周囲を巡る大歯車、つまりより巨大な太陽の周りを巡る太陽の周囲には、また小さな歯車群が回る。
結果的には、地球の属している太陽系も、宇宙全体の構造の部分的な縮図になっているらしい。
冷たい太陽。宇宙の階層構造
太陽とは何か。チャーチワードは、それが(彼の生きた時代でもとっくに通説になっていた)「超高温の天体」という説を否定した。地球の熱は、太陽から直接来ている訳ではない。そのような誤解は、熱と呼ばれる物理要素が、この宇宙で実際にどのように機能するかを知らないからとか。
ただし、太陽が熱くないことを示す根拠として、石版とかでなく、チャーチワード自身の経験的なものが説明されてたりする。
[秋と春の間、太陽は夏よりも数百万マイルも地球に近づく。太陽がもし熱源であるからば、地球が熱源に何百万マイルも近づいていた時、つまり私たちは春と秋に高温を経験するはずだが、そういうことはない]
チャーチワードは、これが石版に書かれた、ムーが語る物理世界を裏付けるものだというようにも書いているが、仮に、彼しかその現物を見たことがないムーの石版の話自体が、彼の創作だとしたら、こうした話全て、ただの彼の経験的な根拠に基づいた推測にすぎなくなる。
そもそも光(Light)も熱(heat)も力であるらしいが、しかし光線(rays)は力ではく、力、あるいはある種の本質的な世界情報を運ぶもの。
つまりは、地球の光や熱などの力に、太陽光線に含まれる、太陽の親和力の一部があたると、それで動作が促されたりする。
太陽の光線は熱は運ばないが、太陽の力を運ぶ。それが地球の力を反応させる。太陽が力を放つのは、さらに支配的な上位太陽の親和的な磁力による影響。また、星系の中心の太陽群の磁力による影響は、重力と呼ばれるものの原因でもあるらしい。
ガスチェンバーに支えられていた大陸
かつて地球は、渦を巻くガスの塊だった。それが固まって、地球になった。ガスは地球を形成していた求心力により、考えられるあらゆる方法で転がされ、地球は徐々に球形となった。
地殻が形成されだした時、地殻内部にはガスが残り、そうして、地球内部にガスが入った空洞、”ガスチェンバー(gas chamber)”もいくらか形成された。
地球形成の流れは、人類という特別な生物の生まれる環境を整えるために、必然的なものだった。そしてある意味では、その環境作りの避けられない代償こそが、あの悲劇、つまりムー大陸やアトランティス大陸を海に沈めた大災害。
太陽の力、地球の力、それぞれのバランスの安定状態の確立までに、(例えば、太陽の磁気力に対する、地球の遠心力による抵抗が、その自転速度の変化によって変わってしまったりして)どちらかの影響が強くなり、それは”磁気変動(magnetic cataclysm)”という現象を引き起こしてしまう。
その磁気変動は、地球上の生物領域には大きな災いをもたらす。地球の過去に起きた、何度かの大絶滅もそれが原因。正確には磁気変動によって崩れた動作バランスを地球が急速に戻そうとするために、大災害(地震と津波)が起こる。
全ては特別な生物を出現させるための、創造の法則。地球が形成された時に、内部にガスが溜まったのは、その圧力により、地殻の一部を海面よりも上に盛り上げて、陸地とするため。しかしそれも準備段階。
さらに長い時間、神が創造を行わなくても、自然が様々な生物種を生み出せる時間が経ち、そして、ついに最後の磁気変動(地球の完全な安定状態のための最後の動作)の時がくる。
最後の磁気変動では、すでに両極地方にできていた大氷原が砕け割れて、津波は、巨大な氷塊を伴うものとなった。結果的にその時の津波の被害は恐ろしいものとなり、世界中で、洪水神話として記録を残すことになった。
「洪水神話」世界共通の起源はあるか。ノアの方舟はその後どうなったのか
さらには、地球の形成期から残る地殻の亀裂部分に、強い衝撃も与え、水が海に戻る頃には、ただ泥ばかりが残っていた。
チャーチワードは、氷河期という時期も否定した。その根拠とされる痕跡は全て、最後の大洪水の氷のためのものだと。
地下のガスチェンバー、大地を支えるガスは、火山活動の原因でもある。特に地球形成初期から、少しずつ質量を増やし、圧力を強めていった巨大ガスチェンバー、それは、ムーやアトランティスといった巨大な大陸を支えていたのだが、最後の磁気変動でもダメージを受けたそれらが、ついに壊れてしまったのが12000年前。そうして、2つの大陸は粉々に砕け、海底へと沈んでしまった。
そして、沈まなかった陸地に関しても、地下からの圧力の連鎖、地震と火山活動が多大な影響を与えた。すなわち巨大な山脈をあちこちに形成した。
チャーチワード曰く「私が著作の中で何度も指摘しているように、山という地形は、ごく最近、具体的には1万2000年前にはじめて作られたのである」
世界中のいろいろな古代の記録から、かつての世界はひたすら起伏のない平原だった、ということを読み取れるとも。
地球学的に見た、失われた大陸の謎
地球の内部構造や、地球という惑星そのもののの歴史を調べる学問を”地球学”、あるいは”地学(geoscience)”と言う。他の惑星も対象として”惑星科学(planetary science)”とも。
地学においては、標高(平均海面からの高さ)に関係なく、主な素材となっている岩石の種類により、大陸と海洋底を区分する。つまり、通常の標高の高い大陸と同じような岩石で構成された大陸は、海に沈んでいたとしても大陸と考える。
実際に、もともと陸地であったが、海に沈んでしまったと思われる大陸も、おそらく存在している。しかし、その中にムー大陸はあるだろうか。
ちなみに、チャーチワードが語った、ガス・チェンバーからガスが抜けたための空洞に大地が沈んでしまう現象は、おそらくカルデラ火山のメカニズムが近い。
山でなく、巨大な窪地の火山であるカルデラは、通常は、以前に地下に溜まっていたマグマが、火山活動のために抜けて空洞ができ、そこに上部の大地が落ち込むことで形成される、と考えられている。
プレートテクトニクスと、地球の内部構造
チャーチワードが言う、地球内部のガス空洞というものは、(かつて存在し、今は存在していないのだとしても、その痕跡が)ちゃんとした調査によって確認されたことはない。
ムーの本が出版された頃、ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener。1880~1930)がすでに大陸移動説を提唱していたが、まだ”プレートテクトニクス(plate tectonics)”という理論はなかった(大陸が定期的に浮き沈みしているとかの仮説も、現在ほど奇妙なイメージではなかったと思う)。
プレートテクトニクスは、地球の様々な変動の理由として、地球表面を覆う複数枚の、厚さ数十キロメートルほどのプレートと呼ばれる岩盤の動作を想定する理論。いわば現代的な大陸移動説なわけだが、ウェーゲナーの提唱したものよりもずっと有力とされている。地震や火山活動、それに陸地の様々な海の生物の化石なども説明しやすい。地球に関係する様々な理論の前提にもされている。
プレートの具体的な数に関してはいろいろ議論がある。問題になりやすいのが、たいてい太平洋プレートなどの広大なプレートの縁部分(あるいは大きなプレートとプレートの間の境界部分)に存在する、”マイクロプレート(Microplates)”と呼ばれる小さなプレート。そのような小さなプレートを1つとして数えるか、大きなプレートの部分と考えるかで、意見が割れたりもするわけである。
地球の内部構造はおおまかに、表面の”地殻(Crust)”、間の”マントル(Mantle)”、中心の”核(Core)”の、3つの階層に分けて考えられる。これらの層分けは、主に素材の違いのためだが、同じ理由で、陸で作られた地殻と、海で作られた地殻も、”大陸地殻(Continental crust)”、”海洋地殻(Oceanic crust)”と区別する。
地殻とマントルの境界は”モホロビチッチ不連続面(Mohorovičić discontinuity)”、マントルと核の境界は”グーテンベルク不連続面(Gutenberg discontinuity)”と呼ばれる。
地殻は地球構造全体を見た時、薄い殻(岩石殻)のようなものだが、プレートと呼ばれる部分構造は、それ(地殻)と、マントル上部の硬い部分とを合わせたもの。素材ではなく硬さの違いで分けた地球の表面層がプレート部分とも言える。この場合、表面の硬い部分(つまりプレートの部分)は”リソスフェア(lithosphere)”とも呼ばれ、下の柔らかい部分は「アセノスフェア(asthenosphere)」と呼ばれる。そして硬い岩石のプレートはその下の柔らかな岩流圏(アセノスフェア)に漂うように、少しずつ動く(リソスフェアとプレートは定義の細かな点において、厳密に同じものではないともされるが、たいていの場合、同一視しても問題はない)
「プレートテクトニクス」大陸移動説からの変化。地質学者たちの理解の方法
もしムー大陸というものが、ほんの数万年前まで太平洋に存在していたなら、それは巨大な太平洋プレート(PacificPlate)の上にあったと思われる。
ムー大陸沈没の速度の異常性
チャーチワードの本には、ムー大陸がバラバラに砕けたかのような記述がある。しかし太平洋の海底に、そのような大陸の破片群などは見つかっていない。しかし太平洋に沈んだ大陸の痕跡がないわけではない。
大部分が深さ4000メートル以上の、太平洋の海底のあちこちに、山のような地形(基本的に海底火山。巨大なものだと、その先が海面から出て、実質的に島となっているのもある)の他、幅が1000キロメートルをこえる海底の台地、”海台(oceanic plateau)”も発見されている。
そして、一部の巨大海台に関しては、かつての大陸、あるいはその一部が沈んだものという説もある(ただし、その時期は数万年前とかでなく、もっとずっと昔と考えられるし、たった1日というハイペースでの水没は考えにくい)。
例えば、日本の本州から1500キロメートル東、太平洋北西の”シャツキー海台(Shatsky rise)”は、3つの火山体からなるとされている。その面積は480000平方キロメートルくらいとされ、日本の領土面積(378000平方キロメートル)よりも大きい。
海底に噴出したマグマが固まって溶岩となり、溶岩が重なることで火山体は巨大化していく。おそらく1億年以上前に、そのような過程を経て、シャツキー海台も形成された(現在はさらに上部が、泥が積もった厚い堆積層となっている)。
21世紀になってからの、海底の地質調査により、シャツキー海台の形成期に、その水深は現在よりかなり浅かったことが示された。それどころか、ある地点において最初された溶岩サンプルには、それが陸地に含まれていた痕跡も見られた。
ようするに、シャツキー海台で激しい火山活動が発生していた時期(多分1億5000万~1億3000万年前くらい)、おそらくこれは太平洋の火山島であり、それから今日までの長い時間をかけて、徐々に徐々に深い海底へと沈んだ。
シャツキー海台のように、かつては海面より上(でなくとも、もっとずっと浅いところ)にあったのだが、しかし長い時間をかけて沈んでしまったと思われる海台は、それらが発見されて間もない頃には、ムーとかアトランティスとかみたいな、伝説の失われた大陸の可能性が、今よりもっと真剣に考えられたりしたようだ。しかし実際にはアトランティスもムーも、長い時間をかけて沈んだ海台と関連付けするには、近代の出来事すぎるし、それに沈む速度も普通に速すぎると思われる。
太平洋の海底はどのように作られたのか
様々な地域、地層の磁鉄鉱の磁気の向きデータなどを手がかりに、地球のプレート群が、これまでどのように動いてきたかを推測できる。
それで一般的には、1億8000万年前、今日の大陸すべてはくっついた1つの巨大大陸”パンゲア(Pangea)”であったとされる。この時代には、大西洋とインド洋はない(大陸がくっついていることで閉じている)。そしておそらく太平洋(あるいは古太平洋)の下に、現在、太平洋プレートと呼ばれるものはなかった。また、パンゲア超大陸の東側から太平洋が入り、広大な湾である(古地中海とも呼ばれる)”テチス海(TethysSea)”を形成していた。この内海により、パンゲア大陸は北半球側と南半球側と分けて考えられることもある。
おそらく1億8000万年前の太平洋の海底は、イザナギ、ファラロン、フェニックスという、3枚の海洋プレートからなっていた。
例えば、太平洋プレートの誕生に関する1つの仮説として、以下のようなものがある。
1億6000万年前の時点で、現在、太平洋プレートと呼ばれるものは、3枚の大プレートの間に形成されマイクロプレートにすぎなかった。パンゲア大陸の分裂は、プレート運動の活発化も促した。そして太平洋の3枚の海洋プレートも、大陸の下に急激に引き込まれ、プレートの境界に隙間が生まれる。そこに新しく生まれたマイクロプレートが、後の太平洋プレート。
ただし、1つの重要な疑問として、残留時期の研究が示す太平洋プレートの形成時期がある。太平洋プレートの最も古い部分の形成時期は(パンゲアの分裂開始よりもかなり早い)1億9200万年前であるという研究報告もあるのである。
いずれにしろ、太平洋プレートが拡大するにつれ、他のプレートは少しずつ小さくなっていったと考えられる(地球が膨張でもしていない限り、それは当然)。イザナギ、ファラロン、フェニックスプレートは、それぞれの沈み込み帯に、大部分、消えていった。
ジーランディアは本当に海に沈んだ大陸か
実際に、海に沈んでいる大きな大陸として”ジーランディア(Zealandia)”が知られている(構成岩石的に、ほとんどが海底にあるにもかかわらず、大陸と定義した方が、地質学的に正しいとされている)。これは、ニュージーランドを囲む、いくつかの巨大海台を含めたまさに海底の大陸(ニュージーランドもそうだが、部分的には海面に出ているようだから、全てが海底に沈んでいる大陸ではない)。
その面積が(2023年に完成した地図によると)4900000平方キロメートルにもなるという、この失われた大陸(?)も、多分かつては、パンゲア大陸の一部であった。しかしパンゲアが分裂した後に海に沈んでしまったらしい。
大した根拠ではないが、いくらかの化石記録などから、約2300万年前には、この大陸の全てが水没していた可能性があるという。とすると、むしろこの大陸は、沈んだというだけでなく、沈んでしまった後に、再び少し浮かび上がった大陸と言えるかもしれない。ただし現在においてもこの大陸の90%以上は海底。
しかし、(言うでもないだろうが)ジーランディアが、本当に昔、海に沈んだ大陸なのだとして、ムーやアトランティスとは時代があまりにも合わない。