バーチャルの意味、定義について
一般的には、現実の空間、つまりリアルに対し、バーチャルという言葉は、仮想的な空間を意味するように思われる。
しかしその通りだとしても、”現実に実在”しているということと、”仮想的に存在している”ことの違いをどう考えるべきか。
情報空間。身近なバーチャル
我々が普通、仮想的だと考えているもののいくつかは、明らかに”イメージ的”とか、”妄想の中で存在している”というだけのことではなく、現実で利用できるくらいには実在的と思う。
例えば、身近なところではインターネットを考えてみるといい。我々はそれで、地球上のあちこちに散らばりながら、しかし様々なものを共有できるわけだが、実際その共有している時に、どこで何が起きているというのか。
誰かがお絵かきソフトで、高画質の絵を1枚描いたとする。絵描きがそれをネットのコミュニティサイトに公開したとすれば、世界中の様々な人が自身のパソコンでその絵を見ることができる。この時に我々は、1枚の絵を、インターネットを介して共有している(共に楽しんでいる)と言える。
しかしあるパソコンで書かれた1枚の絵はそのままたくさんコピーされて、利用者全員のパソコンにそれぞれ直接的に送られているわけでないことだけは、どう考えても間違いないだろう。あくまでも最初に絵を書いた人のパソコンが記録しているのは、その絵に関するデジタルデータである。例えば、どの色の点が、どの配置であるとか、そういうものだ。ネット回線に流されるのも、その絵のデジタルデータであり、それは最終的に世界中のパソコンにおいて、画像として再生される(しかし普通、現代のパソコンでは、こんな過程は速すぎて、ユーザーはなかなか実感できない)
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つまりインターネットでの画像の共有は、画像を各パソコンで再現するためのデータの共有。そしてコンピューターが利用するデータは、結局のところ(それが、我々に編集しやすいような、どんなプログラム言語に翻訳されている段階があるとしても)機械語と呼ばれる大量の数字(0と1)にすぎない。ただしもちろん0と1の組み合わせにどのような抽象的意味を含ませようと、それを、例えばモニター画面に画像として出力したいなら、より物理的な段階が必要だろう。言うなれば、(それがどういうものにせよ、抽象的な意味が存在できるような)情報領域から物理空間への変換器(コンバーター)が。
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普通コンピューターの変換器(情報様々な動作に変換する仕掛け)は、1と0のいずれかの状態を示すためのスイッチを大量に合わせているようなものだ。
しかし物理構造はどの段階であろうか。画像が数値データとして算出される時、それがネット回線を移動する時、そこから画像を再現する時、そこには、文字の時にも画像の時にも、仮想的な物体があると言えないだろうか。
少なくとも変換機、あるいは翻訳機を使って、画像とかテキストに変えられるような情報を保存したり、移動させたりしているのだから、それは「物理空間に存在している仮想的な何か」か、あるいは「情報空間と言えるようなところに置かれた画像とかテキスト」と言えないだろうか。とすると(物理空間上の仮想物体にしても情報空間の何かにしても)そこにはつまり、バーチャルの何かがあるはず。
仮想なのか、実質現実なのか
バーチャルリアリティ(Virtual Reality)の訳として、仮想現実という言葉が知られている。
だいたい言葉というのは、結構曖昧なものだ。本質的な意味はどういうものにしろ、実用的には、現実空間(リアル)に対して、仮想空間(バーチャル)と呼んで区別することに不都合が生じない場合も多いと思う。
しかし実は、このバーチャルという単語を「仮想」と訳すことには大きな疑問もある。
まずvirtual(バーチャル)というのはvirtue(バーチャー)の形容詞で、そのバーチャーは徳、善行、長所というような意味の他、「ある物の本来的な存在」というような意味もあるという。
この世界のあらゆるものに、表層部分と本質部分があるとして、その本質部分を意味する言葉こそバーチャー。
つまりはバーチャルはというのは、「表層的にはそうではないが、本質的にはそういうもの」。バーチャル~は、「表面的な情報だけなら~でなさそうでも、実際的にはまぎれもない~」という感じ。これは大抵の考え方において、少なくとも、存在しているようでも実際は存在していないと思われる仮想的な~とは区別できるものと思う(それどころか正反対の意味にも考えられよう)
そういう意味で、よくバーチャルの対義語として使われる、real(リアル)という言葉も、それ(現実)は仮想(現実でないもの)の反対の意味と思われるので、バーチャルの対義語としては奇妙ということになるだろう(むしろバーチャル=リアルとも言えるかもしれない)
実際問題、realの対義語が何なのかは英語圏でも諸説あるようである。例えば、fake(偽物。本質的に違うもの?)、actual(実際的な。明らかな実在物?)、nominal(名目上の)などが、よく候補にあげられる単語。
また、仮想という言葉は、supposed(想定上の)とかhypothetical(仮説的な)などの方が、バーチャルより近いと思われる。
また、バーチャルイメージ(virtualimage)に関して、「虚像」という訳語も時に使われる。虚はimaginary(イマジナリー)、つまりは「想像上の何か」であり、やはり実質的に存在しているものであるはずのバーチャルとは、別の(というか反対の)意味である。
バーチャルイメージを本来の言葉の意味通りに解釈するとすれば、「実際にそこに何かしら画像みたいなものが存在しているようには見えなくても、確かにそこに存在してる画像」と言えるようなものだろうか。
つまり、インターネットで共有される画像みたいなものと言えるだろう。実際に画面にそれが表示されるまで、それは情報空間というバーチャル領域にあるバーチャル物なのである。
バーチャルという言葉が使われる場合、仮想という言葉が使われる場合での用例の違いは、これらが実際的にはいかに違う概念かを考える、よきサンプルとなるだろう
例えば「バーチャルマネー」は、目に見て手に取れるような貨幣などではないが、実質的にお金(マネー)として使えるもの。しかし「仮想通貨」は、素直に言葉通りに解釈するなら、つまりそれは存在しないのだから、実際的にはお金として使えないはず。
ただし、まさに実際的には我々は仮想通貨という言葉を使う時、完全にバーチャルマネーの意味で使っていることが多いだろうから、実用的に問題ないと言えば問題はない(だがこれは、通訳を介して、日本語話者と英語話者が話をする場合に問題となる可能性はある)
それで、ここまでのことを踏まえ、バーチャルリアリティという言葉の意味を再び考えてみるなら、その意味はおそらく「見かけ上は現実とわからないようではあっても、実質的に現実」とかだろう。
少なくとも仮想現実(存在しない現実)ではない。
また、バーチャルリアリティに関して「現実を現実として定義するための要素だけを抽出したか、再現したもの」みたいな見方もある。
しかし、仮想でないなら、バーチャルを日本語では何とするべきか。
一応、バーチャルリアリティは、機械テクノロジーによって人工的に作られた環境であるから、「人工現実」がいいのでないかという説がある。
ゲームの世界はバーチャルリアリティか
ところでVRでなく、普通にコンピューターやテレビのモニター上でプレイするゲームなどの世界は、バーチャルリアリティだろうか。
そういうゲームが、一般にVRと呼ばれていないことはかなり確かである。しかし例えばRPGなどでアイテムなどを買うためのゲーム内のお金は、実際的に手に取ったりはできなくても、そのゲーム上においてまさにお金として使える。
しかしこの場合、より一般的なバーチャルのマネーと違って、例えばネットショッピングのものを買ったりとかはできない。
では、まさにそのようなゲーム内のお金こそが、真に仮想通貨と呼ぶべきものなのだろうか。もしそうだとすれば、そのゲームの世界も、単に仮想現実、あるいは仮想世界と言えるようなものになると思う。
お金というのは社会の中で、それがお金だと言えるようなはっきりした基準があるものだろうか。
例えば今、コミュニティ内の中で持つことができるバーチャルマネーにより、バーチャルアイテムを購入もできる。というようなバーチャルコミュニティがあるとする。そして、そこで購入したバーチャルアイテムを実際のお金などに換金できるシステムもあるとする。それについて、確かにバーチャルリアリティのコミュニティだと考える人は多いのでなかろうか。
しかし普通のゲームにおいても、例えば難しいゲームで、かなりクリアしているデータを、誰か忙しい人に売ったりとかすることもできるだろう(市販されてるゲームではそういうのは違法かもしれないが、例えばフリーゲームで、製作者がそれを許可している場合などは、多分問題ないだろう)。その場合は、まさに先のバーチャルコミュニティの例のように、ゲームのお金が最終的に現実のお金になっている
あらためて考えると、普通のデジタルゲームは、バーチャルリアリティだろうか、仮想現実だろうか。
ゲームに関しては、設定されたシステム上の動きでしかなく、そのゲーム内でのお金を使った全ての動作も、もちろんそのシステム内に含まれていると考えられる。
しかしコンピューターによって実現されている全てが、実際的にはそうであろう。少なくとも今我々が体感することのできるVR、未来に実現されると考えられているような様々なVR、そういうもの全部そうだ。たとえどれほどにその動作が複雑になろうとも、本質的には数字の組み合わせによって実現されたシステム上動作でしかない。
こうなってくると、さらに重要そうな疑問が生まれてくるのでなかろうか。
つまり、この現実はどうなっているのか。
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人工環境にどんな定義を与えるか
バーチャルリアリティというものをちゃんと定義するために考えられた特徴もある。つまり、コンピュータの生成する人工環境がそれらの特徴を備えているなら、それこそバーチャルリアリティだと。
それらの特徴とは以下のようなもの(これらは、理想的なバーチャルリアリティの三要素とか呼ばれることもある)
(1)3次元の空間性「人間が自然(普通に現実みたいな世界)だと感じられる3次元空間」。
(2)実時間の相互作用性「人間がそのなかで、リアルタイムで環境との相互作用をしながら自由に行動できる」。
(3)自己投射性「人間の利用者と、その環境とがシームレス(継ぎ目なく連続的)になっていて、環境に入り込んだ状態が作られている」。
(例えば人間の部分は、知的生物か知的存在に置き換えてもいいし、リアルタイムの部分を認識している時間としてもいいかもしれない)
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普通に考えて、我々が自然的だと考える3次元空間は、視覚や聴覚などの感覚により感知される様々な情報が、要素として違和感なく含まれているような立体的空間。3次元の空間性とは、バーチャルリアリティにおける、そのような土台空間的なものと思われる。仮にあなたが、物が何もない部屋にいるとして、しかし特殊な技術により、動物が走り回る大草原の3D映像(3次元映像)を認識できるとする。動物が走るのを見たり、足音や風の音を聞いたりするのが、まさにリアル(自然的)と感じれるなら、それこそリアリティとして理想的な3次元空間。
ただし、それがただ映像を流すだけの技術であるなら、あなたは動物に触れようとしても触れられないし、通り抜けるあなたの体は(あなたの行動が、映像をあなたの認識する空間に投影しているシステムにとって邪魔でないなら)動物の動作に何の影響も与えないと思われる。これはつまり、あなたと環境とのリアルタイムでの相互作用が実現できていないことを意味するだろうし、もちろんあなたにはその環境の中に、シームレス的に溶け込んでいるという感覚を抱くのも難しいだろう。
一方で非VRとされるデジタルゲームは、程度はともかく、ゲーム内要素(物体)とのリアルタイムでの相互作用はある。しかし画面にゲーム世界が映されているだけなら、自分が、周囲に広がる3次元空間として認識できるようなものではない。
そういう意味でゲームは、そして、おそらく3次元空間だけを実現している3D映像とかは、不完全なバーチャルリアリティとも言えるかもしれない。
3次元空間と、リアルタイムでの自分との相互作用を実現したとしても、それでもまだ完璧ではない。
あなたが、野球の試合を再現したバーチャル空間を体験しているとして、タイミングよくコントローラーのボタンを押すとバッターがバットを振る、というような動作は、あなたを「それが現実」だという考えから遠ざけると思う。しかしあなたがその中で実際にバットを持って、バッターとして、タイミングよく投げられてきたボールを打つためにバットを振るとしたら、とてもリアルと言えるような体験になると思う。
そのような体験こそが、自己投射というようなものだ。
鏡を見てみた時、そこに映っているのが人間の姿ならそれで普通だが、そこに映っていたのがネコだとしたら、多分違和感を感じることだろう。一目見た場合の印象とかだけでなく、例えばあなたが2本足で立っているという感覚があるのに、鏡に映っている猫は4本の足の裏を地面につけているとか、おかしいと感じるはず。
自分がどこにいるどんな存在かということを、我々は普通に理解しているが、そんな認識は、『体性感覚(Somatosensorysystem)』や『前庭感覚(Vestibularsensation)』と呼ばれる感覚によっているとされる。いわゆる実感というか、肌で感じるというような。自己受容感覚とも。
とにかく、そのような自分の感覚が、視覚とか聴覚によって得た情報と合致している場合に、我々は自身のいる空間を、違和感ない自然なものと感じる。その感じ、自己投射性こそ、まさにリアルの重要な特徴であって、だからこそバーチャルリアリティでも重要。
現実はそもそも存在するものか
もう一度、「現実はどうなっているのか」と問いかけてみよう。
結局のところ、あなたの見ている現実であっても、それがはっきり確定している世界の普通かはかなり微妙なところだ。あなたが何かを見て、聞いて、触れている時でも、それら全部、あなたが感覚器から得た情報を、あなたの神経系というシステムが情報処理して、あなたの認識する世界観を作っているだけのものと考えておかしい理由など何もない。絶対的な現実というものがあると考える方が、むしろ今の我々の知識からしてみると不自然でなかろうか。
現実は実は存在しない、という哲学の説は昔からあると思うが、逆に言えば、我々の基準においては、現実の世界と、我々が感覚的に違和感を感じないようなバーチャルリアリティで特に明確な違いなどない。
しかし現実をどのようなものと考えるにせよ、それがバーチャルリアリティと同じようなものだとするなら、つまりそれは、バーチャルリアリティテクノロジーによって別の現実と言えるようなものを作ることが可能であることを意味するだろう。現実はとてもすごいVRであって、それならばすごいVRを作ったらそれはまさに現実だ。
我々の視覚器官が何かを見るときに利用する可視光というのは360~830ナノメートルくらいの波長の電磁波にすぎない。聴覚器官も空気の振動の20~20000ヘルツくらいだけ感知する。触覚、味覚、嗅覚は分解能がさらに低いと言われる。そしてそんな、人間の感覚器の制限を考えるまでもなく、この宇宙に存在しているものは、我々を構成する(つまり我々が何らかの形で相互作用できる)物質だけではないと考えられている。まず我々を構成する物質よりも、ダークマターと呼ばれるものの方が多いとされている。これは普通、質量の影響(重力)のみを探知できるというような謎の物質だ。
「ダークマターとダークエネルギー」宇宙の運命を決めるモノ
もちろん質量の影響も我々には確認できないような何かもあるかもしれない。
ダークマターだけを考えるにしても、例えばダークマターの領域に何かしらの知的生物が存在するとするなら、そのダークマター生物が感知する宇宙は、我々の宇宙とは全く違うような世界かもしれない。
おそらく誰かが認識している現実なんて、認識することのできるその誰かごとの固有の現実でしかない。
ただ、我々が明らかに、現実を結構共有できてる場合と、あまり共有できてない場合があるのは、どういうことなのだろうか。
例えばあなたはこれを書いてる人と、インターネットが実在していて、自分が日本語という言語を読めるというような現実を共有しているのでなかろうか。だが神経系システムの何らかの特殊な動作のために、インターネットも文字も存在しない世界を認識し続けている人のこととかを我々はどう考えるか(そういう人を、何かしらの不具合のある機械のように、あるいは最も現実らしい現実から離れているような存在とか、考えたりもしてしまうだろうか)
ある程度、標準の人間の世界と言えるようなものがあるのだろうか。もしそうだとして、いったいそれはいつできたのか、あるいは変わってきただろうか?
AIPキューブ
VRシステムのモデルとして、「AIPキューブ」というのが知られている。これは、VRのレベル基準というようなもの。
AIPとは、すなわちAutonomy(自律性)、Interaction(対話性。相互作用)、Presence(臨場感)の3要素のこと。そしてこれらの要素を全て完璧に備えたシステムこそ、完璧なバーチャルリアリティとする。
そのA、I、Pを変数として、3軸の座標系としてプロットする。ようするに3要素の量を0~1の変数として定義。
数値が0、0、0だと、それは完全にバーチャルリアリティでなく、しかし1、1、1だと完全なバーチャルリアリティとする。それ以外のパターンは、いくらか不完全なバーチャルリアリティ。
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VRテクノロジーいくつか
AR、MR。現実を拡張する
バーチャルリアリティ(Virtual Reality)という言葉はよく、「VR」と、アルファベット2文字で表現される。
そして似たような言葉にARがある。これはオーグメンティドリアリティ(Augmented Reality)のこと。日本語では「拡張現実」とも。
普通、ARは、コンピュータで得られた情報を実世界に重ねて表示させたりすることで、言ってしまえば認識される世界観を変化させるテクノロジーのこと。
しかしこれが文字通りの、バーチャルでリアル(またはリアル体験)を拡張するものとするなら、特に実用的な多くのVRテクノロジーは、実質的にARテクノロジーと言えるだろう。
また、MR(Mixed Reality)、すなわち「複合現実」という言葉もあり、けっこうARとの違いが曖昧にも思うが、どうも、拡張現実の拡張部分とユーザー(利用者)との境界線をさらに曖昧にしたもの、をこのように言うらしい。例えば、現実空間に表示されているバーチャルキャラクターというのがARだが、さらに自身の位置情報などをリアルタイムで計算し参考にすることで、そのバーチャルキャラクターの背後に回り込んだりとかを体験できるのがMRというような。
そもそもARは、単に現実世界にバーチャル情報を表示するもの。そのバーチャル情報の変化に、ユーザーの(例えばゲーム機器に情報を入力するとかではなく、現実での)行動が関与しているものがMRというような見方もある。
バーチャルテクノロジーによって拡張する現実というのは、ある人間の感覚世界と言える。
例えばあなたが色覚異常でないなら、色覚異常とされる人とは、植物の緑とか、海の青とか、そういう現実の色情報を感覚的に共有できないと思う。
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しかし、バーチャルにより、人間の感覚世界を拡張できると考えられる。ただしあまりに現実離れした超感覚などを実現したいなら、神経系へのかなり直接的な刺激が必要になり、それはリスクかもしれないが。
テレイグジスタンス
テレイグジスタンス(telexistence)は、ネットワークを介し、まるで自分が遠隔地にワープしたみたいな体験を実現する技術。
もちろん実際にどこかにワープするものではなく、VRで実質的にそれを認識するというようなものだが、自身の体の動きと連動するロボットなどを組み合わせることで、実際にそこで物理的に行動した結果のような物理的影響も可能。
特にこの技術は、明らかに実用的で、例えば危険な場所での仕事や、災害時の活動、宇宙探査などで役立つことが、かなり昔から言われている。
テレイグジスタンスの場合、VR世界は、現実世界同士の通信メディア的である。それがまさに世界みたいなら、通信世界と言ってもいいかもしれない。
ただし、それは時空間の異なった領域同士を繋ぐ亜空間ルートのようなものだろうか
バーチャルプロトタイピング
実験シミュレーションはバーチャルテクノロジーの真骨頂の1つかもしれない。現実で何かのビジネスを始めるとしてバーチャル空間で先にそれを試すというような。
特に何かの製品を先にバーチャル世界で作って、それがどのように機能するかを確認できる。そのような過程は『バーチャルプロトタイピング(Virtualprototyping)』と呼ばれる。
これは普通、試作品とかのコストのカットに役立つとされる。
バーチャルリアリティはいかにして実現されるのか
一般に、バーチャルリアリティを普通の現実みたいに認識させるために必要なのは、「ユーザーの動作→入力システム→シミュレーションシステム(計算処理)→出力システム(感覚ディスプレイ)→感覚提示→ユーザーの動作→……」というようなループとされている。
普通のコンピューターだと入力システムは、マウスとかキーボードとか、あるいはコントローラーになるだろう。だがちゃんとしたVRであるなら、「何かをつかんだ」という結果を出力する時に、入力は何かをつかむ動きである必要があろう。前に10歩進むための動作は前に10個進む(でなくとも、前に10歩進んだと自身の神経系に勘違いさせる)である。
実際に、人間のあらゆる動作に対応した入力システムを用意するには、位置計測、身体計測にかなり優れている方式が必要だろう。
そして、入出力部分、すなわち2つのインターフェースの、違和感ない因果関係を演出するためには、それらの間で、結果を調整するリアルタイムのシミュレーションが必要となる。
入力インタフェースは、各種のセンサが検出したデータから、人間がどのような状態にあるか認識することで機能するが、その情報認識を行うソフトウェアを「認識エンジン」と言う。
認識エンジンから得られた状態情報を、バーチャル世界の変化と合わせ、適切な感覚情報として、人間の感覚器官に与えのが出力インタフェース(ディスプレイ)。
また、バーチャル世界からフィードバックされた感覚情報を、ディスプレイが生成する刺激物理量に変換するソフトウェアを「ディスプレイドライバ」と言う。
初期のVR
初期のバーチャルリアリティ技術として、例えば1968年に、頭部装着ディスプレイ、いわゆるHMD(Head Mounted Display)が開発された。
そのHMDは、小型のCRT(ブラウン管)に提示された映像をハーフミラー(マジックミラー)を介して見るシステムで、利用者の頭の回転を計測するためのリンク機構(組み合わせた複数物体が相対的に動作する機構)が取り付けられていた。つまり利用者が右を向けば右側映像、左を向けば左側映像を見れるもの。
ただし、技術的問題により、描画されるのは3次元CGでなく、線画で描かれる単純なものだったという。
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またモートン・ハイリグ(Morton Leonard Heilig。1926~1997)が1963年に開発したSENSORAMAは、バイクに乗って走り回るという体験が演出されるゲーム。利用者が椅子に座ると、目の前のディスプレイに立体ビデオ映像が映り、バイクの移動状況、変化に応じて、音響や椅子の振動などが発生する
これはVRゲームの先駆けと言われている。
バーチャル世界を利用するという発想
1980年代には、バーチャルリアリティに関して、いくつかの重要な開発があった。
例えば1982年。米国空軍のライトパターソン基地でトーマス・ファーネス(Thomas A.FurnessIII)らが、VCASS(Visually Coupled Airborne Systems Simulator)というヘルメット型HMDを用いた、戦闘機用スーパーコックピットの開発を行った。このシステムは、HMDディスプレイにコックピット内電子機器の表示を行ったもので、ある種AR的。
1985年、NASAのM・McGreevy、S・Fisherらが、宇宙船内コックピットの設計としてVirtual Environment(バーチャル環境)の概念を提案した。つまりHMD、データグローブ(dataglove)、3次元音響などのデバイスを併用し、コックピット内の利用者の周りの3次元空間を、バーチャルのディスプレイ環境として使用する方法。
データグローブは、ようするに手袋型インターフェース。手の動作を入力情報とする装置。
ロボット工学の分野でも、舘暲が、1984年にテレイグジスタンスの概念を提唱している。
ヒューマンインターフェースが検出するべき4特性
人間に体験させるためのバーチャルリアリティの場合、ヒューマン・インタフェース(Human Interface)と呼ばれることもある入力インターフェイスが、検出すべき情報はつまり人間の知覚に関わる要素。
一般にそれ(つまり人間の特性)は、「物理的特性」、「生理的特性」、「心理的特性」、「社会的特性」の4つ。
しかし社会的特性を測るセンサはないとされる。そこで入力インタフェースの検出対象として、残りの3つ、物理的、生理的、心理的特性が重要となる。
物理的特性は空間内での動作、人間の身体形状や運動状態、表情や向いている方向など。
生理的特性は、生体機能のための電気信号とか。
心理的特性は、行動とか言葉を参考にする場合もあるが、脳の動作から直接的に精神活動を計測する「Brain-Computer Interface」という方式も考えられる。
しかし、どれにしたって精度の高いセンサーは難しいかもしれない。
モーションキャプチャーと人体モデル
人間の姿勢計測を行う装置は、普通「モーションキャプチャ(motioncapture)」と呼ばれる。
動きを捉えるのに、人体の関節と、センサーとの間の角度のズレが問題になることもあるが、人体構造とセンサの位置関係をモデル化した『人体モデル』を利用することで、調整可能な場合も多いという。
モーションキャプチャが計測対象とする情報は、角度、運動、位置。
角度計測。ゴニオメータ、ジャイロスコープ
角度を計測するモーションキャプチャには、例えば機械式のゴニオメータ(goniometer)を用いるシステムがある。
ゴニオメーターは目盛り付きの回転台というような構造の計測器機。
方法としては、まず人体に対して、外骨格のようなフレームを取り付け、そのフレームの関節部分の角度をゴニオメータによって計測することで、人間の動作を写し取る。ただもちろん、そもそも人体へのフレーム装着が厄介な制約になりがち。
角度を計測するデバイスとして、ジャイロスコープ(gyroscope)も使える。
ジャイロスコープは、物体の向きや角速度を検出する計測器で、重心が中心にある円板状のこまを、互いに直交する三つの軸の周りに回転する金属環の内側で支え、こまが空間を自由に回転できるようにしたもの。
これの場合、センサ単体で傾き角度を得られるから、人体にフレームを取りつけなくていい。しかしジャイロスコープでは、角度情報を得るための過程として角速度を積分するが、それで誤差が蓄積しやすいとも。
「微分積分の関係」なぜ逆か。基本公式いくつか。指数対数関数とネイピア数
運動計測。加速度センサの集積デバイス
物体の運動状態を計測するのには、加速度センサ(accelerometer)を使うシステムがある。得られた加速度を積分し、速度や移動距離、姿勢情報を得る。
加速度センサは、名前通り加速度を測る装置だが、例えば内蔵されたバネの位置変化や、振動を利用したりする方式。光ファイバ(光学繊維)の張力を加速度と考え、通過光の波長変化を基準にしたりする方式などが知られる。
また、MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)という技術、すなわち要素の集積デバイスを利用する半導体式は、位置変化を静電容量変化として捉えたりするが、この方式は特に小型化に向くために重宝されるが、これも計測誤差が積分処理で蓄積しやすいとされる。
「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係
位置計測。超音波と磁気
空間内での位置情報を得る方法はけっこう知られる。得られた位置情報を人体モデルに入力し、各関節の角度情報などに変換も可能。
計測デバイスとしては、例えば超音波センサー(ultrasonicsensor)がある。
超音波は、物体に反射して帰ってくるまでの時間を基準に、距離の計測に使えるが、さらにその発信源や受信位置を複数にすることで、3次元空間上の位置を求めることもできる。
磁場を利用する磁気式モーションキャプチャでは、計測対象領域のX、Y、Z軸それぞれの方向に対応した交流磁場を展開。計測領域内で小型コイルを動かし、磁場の磁束変化で誘導起電力を発生させる。後は磁場中心を基準とし、誘導起電力の大きさを基準とし、磁場中心からの位置と角度を計測する。
この方法は計測精度が高く、しかも応答速度も早いとされる。しかし安定した磁場には、周囲の金属などが邪魔になりがち。
光学式モーションキャプチャーとAI
計算機能力の向上により、カメラ画像を画像処理して位置情報を得る「光学式モーションキャプチャ」も実用的になっている。
光学式は一般に、計測対象部分にマーカーを配置するものと、配置しないものに大別できる。
マーカーを用いる場合は、カメラ2台以上でマーカーを観測し、各カメラが捉えたマーカー位置を合わせて参考とする。二つのカメラ間の相対距離がわかっているなら、三角測量の原理を使い、マーカーまでの距離が算出可能。マーカーも、カメラに取り付けられた赤外線照明光を再帰性反射素材で反射するパッシブ型と、赤外線LEDなどを内蔵することで自ら発光するアクティブ型に分類できる。
パッシブ型のマーカーはたいてい小型で、しかもワイヤレスが基本なので、計測対象への負担が小さい。ただし計測対象から離れたところからの光学的道筋が重要となる。つまりカメラの方向に対してマーカーが隠れてしまった場合とかに、システムがうまく機能しなくなる。また、計測速度は、カメラの撮影速度と、画像処理速度に依存する。
アクティブ型は、高速に自発光するなら、マーカ毎の対応付けなどが不要なために、高速にしやすい。赤外線検出用の小型カメラを、計測対象を囲むフレームに大量に埋め込めるなら、マーカーの隠れ防止にもなる。マーカー自体に自発光させるための電源が必要なことや、構造の複雑性のための扱いの難しさなどが、厄介な問題。
マーカーを用いない方式としては、カメラが捉える画像のみで姿勢計測する方式が考えられている。
例えば、画像処理で得られる特徴量や、複数カメラから得られた画像を使った視体積交差法(同時刻に複数のカメラで撮影した、カメラの位置を頂点とする各シルエットが断面になるような錐体(視体積)をそれぞれ作り、シルエットを3次元空間に逆投影し、それらの交差部分(共通部)を3次元形状の復元参考にする手法)によって得られる3次元形状情報を利用し、人体モデルも参考として、姿勢情報を得る。マーカーを利用しないから計測対象の負担は低い(実質ない?)が、複雑な画像処理を行うために、計測環境の制約が面倒。
AIテクノロジーが今よりもっと発展すれば、例えばあるエリア中にセットされたカメラが捉えた人々の動きから、AIが様々な特徴量を検出し、その情報を利用することで大きな範囲でのバーチャル体験、例えばバーチャルシティというようなものを実現できる日もいつかくるかもしれない。
「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで
感情の計測。何をどう読み取るべきか
バーチャルリアリティの利用者の、感情の動きを計測することは可能だろうか。だが、これが可能でないなら、例えばバーチャルキャラクターとの完全に自然な交流とかは難しいだろう。
顔(表情)は、心理的変化が強く現れる場とされているから、計測対象部分として重要。計測方法としてはおそらくモーションキャプチャーが普通に使える。
問題は表情の変化が体の動きに比べると微少で、(数はともかく)顔にマーカーをつける場合の違和感も、おそらく大きくなるだろうこと。
とにかく小さなマーカーを顔中に配置するとか、表情モデルとカメラの画像の特徴点を合わせて分析するとかの手法が使われる。
眼球の姿勢、すなわち視線方向は、インタフェースの自然な対応の参考にもなる。
そこで、角膜(黒目)と強膜(白目)の反射を利用した”強膜反射法”や、角膜の曲率中心と眼球の回転中心が異なることを利用する”角膜反射法”、コイルを埋め込んだコンタクトレンズを計測に利用する「サーチコイル法」、角膜と眼球部の電位差を計測する「EOG法」など、いろいろ考えられている。しかしいずれにしても計測対象の負担が大きいとされるので、やはり画像処理による特徴量抽出の方法が、もっともよいのかもしれない。
今はまだ技術的に難しいが、いつかVRのためのマーカーを、眼球とか脳にも埋め込むというような時代も来るかもしれない。
生理的特性。心電図、汗、筋肉、化学物質、脳
生理的特性を測る手段としては従来よく使われてきたものに生理指標がある。例えば『心電図(ECG。Electrocardiogram)』。それに 『精神性発汗(Mentalsweating)』、つまりは『皮膚電流反射(Galvanic Skin Reflex。GSR)や『皮膚電気活動(Electrodermal Activity。EDA)」などの生理反応。
それらのような生理的反応は、心理状態の計測にも役立つことがある。
また、運動の原因である筋肉の活動を計測し、運動前に起こることを予測できる。筋肉の電気的活動を計測したものは『筋電図(Electromyogram。EMG)』と呼ばれる。
この節電図を得るには、針の電極で直接神経から運動単位毎の信号を計測する方法と、皮膚に付けた電極で筋肉の活動を直に計測する表面筋電図がある。
表面筋電図は、2個の電極で計測した信号の差を利用する。節電図の振幅は筋肉の張力と関係してると考えられる。そして適切なローパスフィルタ(なんらかの信号に関して、遮断周波数より低い周波数の成分をほとんど減衰させず、遮断周波数より高い周波数の成分は減らすフィルタ)
また、人間を化学物質ネットワークとして捉えると、ストレスなどを受けた場合の化学的変化も考えやすい。特定ホルモンの分泌量を計測すると、重要な手がかりにもなりうる。
「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気 「生化学の基礎」高分子化合物の化学結合。結合エネルギーの賢い利用
生理的特性を測る方法のために、やはり脳活動も注目されているが、先にも述べた、マーカーでなくとも、直接的に脳に針を刺したりするような方法は侵襲的な、ようするに生体に明らかにダメージを与える計測である。
一方で、脳に直接的には何の影響も与えない計測法も、いろいろ考えられてはいる。例えば、『脳波(Electroencephalogram。EEG)」の計測だけなら、言うなれば神経活動の副産物である電気信号を取られているだけだから、脳自体に特に害はないと思われる。
ちなみに脳波はむしろ、歴史的に一般的な脳活動の手がかりである。
意識コントローラーは実現可能か
脳活動は、心理的特性の計測基準の有力候補でもある。
また、心理状態の変化は、理想的なバーチャルリアリティにおいてはむしろ入力情報として重要だろう。
意思を捉える入力インタフェースの技術は、「BMI(Brain-MachineInterface)」とも呼ばれる。
最終的に目標とされているシステムは当然、考えることで操作できるというようなものだろう。
ただ完全に操作できるようなバーチャルリアリティが開発されたとして、その操作の度合いによっては、例えば好きに世界を作り変えることのできるような体験とかも可能かもしれない。
それもはたしてリアリティだろうか。
もしリアリティと言っていいなら、おそらく魔法は、神秘的な古代の記録でなく、まさしく高度な科学テクノロジーの先にこそあるものなのかもしれない。
「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
モデルが含んでいる情報
バーチャルテクノロジーが、別の現実を作るような発明だとすれば、バーチャルリアリティというのは、まさにここと違う別の現実だろう。しかし本当の意味で、この世界の一部で、この世界みたいな領域を完全再現するなら、もうそれはただの、この世界の一部ではないだろうか。
別の現実を作るために現実の完全再現は必要ない。
その別の現実というのが、まさに異世界的なものでないとしたら、自分たちの認識しているリアリティを、普段のものと別物にするというようなのが、バーチャルリアリティなのかもしれない。
バーチャルリアリティがコンピューターで作られるようなものなら、その背景には情報空間というようなものが絡んでいると思う。情報空間に容量があるかどうかは、現時点でおそらく誰も知らない。だが少なくとも物理的なスペースには限界がある。例えばある領域にバーチャル世界を用意するために、たくさんのカメラを設置するとして、ある領域のカメラの数には限界があるだろう。
ようするに、その構造を作るための要素はなるべく少なくした方がいい。人間という生き物はたいていいくらでもやりたいことを見つけていくから、容量にまだ余裕がある場合にすら、なるべく節約しておくのが賢い。
そこで、モデルというものが重要になる。
物のある性質、一つの見方を表現したものが「モデル」。それは物や現象の全情報の(たいていは人間が強く意識しがちな)一部分を抽出したものと言える。
例えばコンピューターで、ある環境におけるリンゴを転がした時の動作モデルがあるとする。それで抽出されているのは、リンゴの形や質量、反発係数といった、リンゴの見た目や動作と関係する情報のみであり、味とか匂いと言った要素は(通常は)切り捨てられている。
モデリングというのは抽出する情報の選択とも言えるかもしれない。
バーチャルリアリティのために必要なのは、言うなれば現実のモデリングである。そして、その現実のモデルをいろいろと改変することで、現実とはまた違うバーチャル現実ができる。
また、普通、モデリング対象は人が知覚可能な要素だけでもいいだろう。
そうしてある現実のモデルを認識させるのが、出力インターフェース(感覚ディスプレイ)である。
レンダリングを連続で行う
誰かにバーチャル世界を体験させるには、モデリングしたバーチャル世界情報を、ディスプレイにより与える。
モデルを感覚的に提示するために、情報群をディスプレイ再現に適した形式に変換する処理は『レンダリング』と呼ばれる。
つまり、情報空間のバーチャル画像(画像情報)を、視覚的に確認できるような形で表示するための過程とかが、レンダリング。
必要なのはある瞬間に感知できる情報だけではない。時間経過とともに変化するための物理法則も必要。そしてそれがどんな法則にせよ、変化する世界のレンダリングを連続的に感じれるように続けないと、いい感じのバーチャルリアリティにはならないだろう。
そんな自然な連続レンダリングには、優れたコンピューターの計算処理が必要になるのは言うまでもないだろうが、少しでもそれを簡単にするためにも、なるべくシンプル(だが実用的)なモデルを考えるのが、バーチャルテクノロジーの課題の1つとなっている。少なくとも今は。
物理法則シミュレーションは、バーチャル体験をより自然なものにしようとすると複雑になり、つまりはリアルタイムでの処理が難しくなる。
そこで、事前にじっくり物理法則シミュレーションを行っておき、それらをメモリーに保存しておいて、必要に応じて引き出すというような方式も、考えられてはいる。
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しかし、例えばある動作に対してはあるシミュレーション結果というような感じで作っていたならば、それこそ現実と同じように、様々な動作に対する自然な反応を実現するためには、莫大な量のデータ容量がいるだろう。
情報空間がもし容量的に実質無限であるならば、それはつまり容量いっぱいになってしまう可能性は0ということになる訳だが、そうでないとしても情報空間の限界はかなり大きそう、という印象はある。実際に問題となるのは、大量のデータをメモリーに詰め込むという作業にかかる莫大な手間かもしれない。
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道具としての有用性、リスク、危険性
かなり現実と似たような世界を疑似体験できるバーチャルリアリティが、現実の何かのために役立つ事がある。
例えばスポーツ選手の戦術や、航空機パイロットの飛行のシミュレーションとか。
バーチャルリアリティと呼べるようなものかはともかく、コンピューターで機能する仮想シミュレーターを利用したトレーニングなどは、20世紀にはすでに結構実用化されている。
特に宇宙飛行士などは実地訓練が難しいから、そのようなシミュレーション技術が非常に重要。
南カリフォルニア大学のアルバート・スキップ・リッツォ(Albert“Skip”Rizzo)のような、VRの研究家たちが、神経の損傷などのための病気に苦しむ人たちの治療のために、リアルのようなシミュレーション世界が利用できるのでないかと提案したのは、一九八〇年代後半くらいから九〇年代にかけてらしい
バーチャルシステムの利点は、退屈な繰り返し作業を、ゲーム感覚的に楽しくしたりとか。
実際、このような治療方法は結構有効という実験結果もあるという。
臨場感あるバーチャルリアリティでも、例えば目をつぶるという対策は結構有効なことが多いとされる。しかし、バーチャルの恐ろしい体験をしている時にそれを思いつく人は少ないらしい。
実際、現実の恐ろしいことがあったとしたら、目を閉じようが閉じまいが関係ないから。しかし少なくとも映像でしかないバーチャルリアリティならば、どれほどに現実っぽくても物理的影響としてのそれはほぼ偽物のはずだ。
現実に近すぎるバーチャルリアリティの危険性が指摘されることもある。
例えばそれが、拷問とかマインドコントロールのために利用できる可能性は高い。
また、人を殺すシーンのあるバーチャルリアリティのゲームのプレイヤーは、まるで戦争で人を殺してしまった人のように、精神的に落ち込んでしまうという、ゲーム開発者の報告もあるとか。
別の現実の哲学
SF作品とかでもよく提示される疑問だと思うが、実質そこに生きている時に、本当の現実との違いがわからないくらいに巧妙に作られているバーチャルリアリティがあるとして、我々はそういうところで、実際は何を体験しているのだろうか。
また、バーチャルリアリティのキャラクターが、現実の誰かであって全くおかしくないような存在になれることがあるだろうか。その場合、バーチャルリアリティに生きてる知的生物は、実際問題、この現実の(この我々の宇宙もそもそも別の世界の誰かが開発したバーチャルリアリティでないとして)我々と何か違うだろうか。
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唯物論者が生きている宇宙
現在は、意識しているかどうかはともかくとして、この現実の宇宙を、唯物論的に考える人が多いのでなかろうか。
例えば、「全ては素粒子の組み合わせで成り立っている現象にすぎないのであるから、自身を分解した素粒子群を別の地点にワープさせてから再構築したりとかすると、実質的にワープが実現できる」というような、SFの設定に、特に違和感を感じない場合は、おそらく違和感を感じる人よりは唯物論的世界観を常識として理解している。
どう考えようとも、物質ネットワークを原理とする現代のAIが、人間のような知的存在になりうると考える者もいる。または人間の脳の動作とかを解析することで、その精神性まで読み取ることができるだろうとか考えている者も(それともそんな考えの人は少数派すぎるだろうか?)。それらの考えにも、根底には唯物論がある気がする。
我々が今よりもずっと、世界の様々な現象について説得力ある理論を持っていなかった頃は、今よりももっと非唯物論が当たり前だったはず。だが、神秘的な現象と考えられていた出来事が、実は単に物理現象として説明できる、というパターンを人間は歴史の中で何度も体験してきたし、現代でも、いろいろ学ぶ子供たちには、そんなのよくある体験と思われる。
だから今の我々は、たとえ何かが、現代の我々には全く未知の現象であるとしても、「それは我々が原理を知らないだけであろう」と推測することに慣れている。
だからこそ、我々は結局この世界はバーチャルリアリティなのではないか、という説も真剣に考えたりする(我々が生きているどんな現実もテクノロジーで作ることができるなら、この現実自体がテクノロジーで作られたものでないと、どうやって確信すればいい?)
しかし、この世界がバーチャルリアリティだとして、ではバーチャルでないリアリティというのがそもそも存在するだろうか。
リアリティが知的生物という存在から副次的に生まれた現象であるとするなら、全てを含んでいるという意味での全宇宙において、そもそもバーチャルでないリアリティは存在していないと考えることも可能かもしれない。
量子論の仮説には、観測されるまで物事の状態は確定していないというような世界観を示唆しているものがある。案外それは正しいのかもしれない。リアリティは、知的生物の知性が造るものであって、知的生物が存在しない限りは、宇宙の状態(つまりある状態のリアリティ)というものが存在していないとか。
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しかし、唯物論的な世界観に疑問を持っている人は、あらゆる古い神秘が失われた現代においても、決して少なくはないと思う(正直に白状するが、この文を書いている自分もその派閥だ)
例えば生物そのもの、あるいは知的生物の精神とか、そういうものが実現するには物質の組み合わせだけでは不十分かもしれない。魂的なもの、または何か、非物理的な要素が必要であるかもしれない。この疑問は、人間が理解できる限り、自然の人間と何も変わらないような、完全な人工人間が作られるようになるまで、強い影響力を持ち続けるのでないかと思う。
現実を作れる宇宙でも、現実を作れないことがあるだろうか
普通なら、リアリティとバーチャルリアリティをはっきり区別可能か否かは重要だ。
唯物論者の立場からすると、おそらく現実を作ることは可能。それができないパターンというのは、おそらくどこかで発生した、あるいは永遠の昔から続いてきたこの宇宙に、決して再利用とか再現ができない仕組みが存在していると考える場合だけだろう。だが本当の唯物論的宇宙でそんなものを考えることができるのだろうか。あるいは熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)よろしく、有限のこの宇宙では利用できるものがどんどん少なくなっている(そしてもはや、別の現実を作る方法は実質的に失われてしまった)のかもしれない。しかしその過程が正しいとすると、この宇宙は避けられない終焉に向かっているも同じ、なのはともかくとして、もっと過去のどこかで、やはり現実を再現できる時代もあったかもしれない。
他に例えば、架空の存在、AIに対して苦しみを与え、その反応を引き出す場合を考えてみる。
その場合に、生物的な意識が芽生える可能性を考えている者、あるいはそんなものあるわけがないと考えている者では、立たされる立場も異なると思う。
しかし、優れた苦しみの演技を非常にうまく行うことのできる人工知能(プログラム、システム、呼び方は何でもいいが、とにかくそういうもの)は、そこに本当の苦しみを芽生えさせているかもしれない。
異世界ファンタジーの世界作り
バーチャルリアリティ創作のことを考えよう。
今いろいろな人が、小説を書いたりするように、バーチャルリアリティを作る時代が来た場合のこと。
そもそも実際の世界の要素の数と、ある知的生物が創造のために持てるだろう時間の短さを考えると、本当の意味でクリエイターが全てあらかじめ決めた世界観の場合、(現実の世界と比べて驚くべきほど)スケールの小さいものになってしまうかもしれない。
実の世界をモデルに、部分的に変えたローファンタジーやSFなら多分問題ない。でも(ある程度以上のスケールの)完全な異世界の場合、おそらく最初に決めておくべき要素を選択する必要もある。
多くのクリエイターは、底の設定を製作初期に決定すると思う。例えば「全て原子でできている」とか「全てを超越した1つの存在だけが全ルールを決める」とか。
そして考えてみたら、そのような底の設定で、例えば現在のファンタジー小説における、(デジタルゲームに影響を受けたのだろうと思われる)ステータスとかのシステム要素も、まず原初に数が存在するという、いわゆるピタゴラス的宇宙というように考えられるだろうか。
世界から世界に移ることが可能か
見事なバーチャル世界を作ったとする。
そこに移住するというようなことができるだろうか?
現実世界とバーチャル世界が完全にシームレスなら、可能だろう。しかし、唯物論的にせよ、非唯物論的にせよ、おそらくそれが不可能である宇宙パターンは考えられる。
では、バーチャルリアリティが、普通に独立している別の宇宙とかでなく、知的感覚によって作られたリアリティの場合、例えばそこで生きてるつもりであったとしても、自分の肉体や神経系はこの(バーチャルでない?)現実に置いておくしかないだろうか。
肉体は死ぬ。つまりどれだけ生きて、いつ死ぬかというのは、常に元の現実に縛り付けられた運命も同然だろうか。この場合、不死身の魔法使いの世界で生きている者は、ある時突然に死ぬのだろうか。
やはり、唯物論的宇宙だとするなら、自身の存在に関わるあらゆる要素を分解し、それはバーチャル空間の要素に変換できれば、実質的にバーチャル世界への移動が可能だろう。しかしこの場合、(それはそのような原理のワープなどでも同じだろうが)一度自身を分解して再び再現した場合に、それは以前と同じ存在であるのだろうか、という疑問が残る。しかしそもそも、実際の生物であっても、昨日の自分と今日の自分とでどれくらい連続的な生物なのかは微妙なところがある。
我々は自分という物理ネットワークを構成している細胞の古いやつを次々と捨ててるともされている。また、寝ている時とかみたいな、意識を失っている時のことをどう考えるか(例えばシステムが意識を一旦消して、その後にまた再現しているというのなら、それをどう考えるべきか)
唯物論的宇宙であるなら、元々現実に生きていたものでなく、最初からバーチャル世界で作られた物理ネットワークを基盤としている生物も多分ありうるだろう。
非唯物論的宇宙のパターン
しかし仮に、非物質的な何かがこの宇宙にあるとして、それが例えば、生物に関係することとは限らない。だから、非物質的要素が存在している宇宙であっても、バーチャルリアリティを絶対に作れないわけではないだろう。では、バーチャルリアリティでその非物質的なものを再現することが可能だろうか。
場合によってはかなり確実に再現できよう。例えば非物質的要素が魂だとして、その魂が物理世界にどんな影響を及ぼすかを完全に理解できるとしたら、それを背景システムとして物質的に再現したバーチャルリアリティであるならば、たとえそこに魂がないとしても魂があるかのような宇宙になるかもしれない。
ではそこで生きている、魂を持っているようの生物と、現実の魂を持っている生物とで、何か差別をして許されるものだろうか。