空洞の反証。なぜありえないと言われているのか
地球内部の構造
そもそも現在では、地震の震源地から放たれる力の波、いわゆる”地震波(Seismic waves)”の研究により地球内部の構造は、かなり明らかになっている。
一般的には、半径6400キロメートルほどの地球は、表面の地殻(crust)と、その下のマントル層(深さ60〜2900キロぐらい)が固体。外核(深さ2900〜5100キロぐらい)が液体。内核(深さ5100から6400キロぐらい)がまた固体、という構成と考えられている。
「プレートテクトニクス」大陸移動説からの変化。地質学者たちの理解の方法
つまり、この内部構造の時点で、地球内部に開けた空間があるという、”地球空洞説(Hollow earth theory)”は、まずありえない、と考える(現代では)人が多い。
液体金属の外殻。地磁気と地底人説
(地球の中心部と言える)外核も内核も金属(主に鉄やニッケル)が主成分(おそらく、惑星形成期の化学組成素材群の中で、特に重い元素だったから沈んだ)と考えられている。そして液体金属である外核が対流する事で、電流が生じているとすると、地磁気というものの説明もつく。
「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係
液体金属の対流かどうかは知らないが、地磁気の存在から、地球内部で電流が生じる機構がある事はほぼ間違いなさそうである。
そして地球空洞説というのは、単に地球の内部が空洞になっているあらゆるパターンの地球構造の説についてまとめた言い方だが、その内部空間にも、何らかの生命体、もしかしたら文明が存在しているのではないか、と考える向きもある。つまり”地底人説”(地球内部の電流も、地底人の文明における電子機器のせいかもしれない。というふうに考える事もできなくはないだろうから)
しかし、地球内部の重力の問題がある。そもそも空洞が出来る事による地球表面へのダメージなどを考慮し、現在は、地球空洞説自体が、かなりバカバカしい話とされがちである。
それに地球内部の空間に何らかの生態系があるのだとしても、そのエネルギー源の問題もある。
そもそも、惑星というものができる過程で、内部に巨大空洞ができるようなシナリオ案はあまりない。
もし地球内部に実際に巨大空洞があるとしたら、それは生物が造ったものである可能性が高いのかもしれない。地球空洞説というものを真面目に考えるなら、地球内部の生命体についても真面目に考えるべきなのだろうか。
グーテンベルク不連続面の下は、液体か気体か
1909年。地質学者のモホロビチッチ(Andrija Mohorovičić。1857~1936)は地震波の研究をしていて、地球表面の構成と異なる種類の岩石層を(そのような岩石層の変化が原因と思われる波の速度の変化から)発見。
今は、”モホロビチッチ不連続面(Mohorovičić discontinuity)”、あるいは”モホ面(Moho discontinuity)”と呼ばれる、彼が発見した地震波速度の加速点は。地殻とマントルの境界と考えられている。
さらに1926年。地質学者グーテンベルク(Beno Gutenberg。1889~1960)が、モホ面よりさらに下に”グーテンベルク不連続面(Gutenberg discontinuity)”を発見。それは今、マントルと核の境界とされている。
地震波の、真っ直ぐ突き進む振動をP(primary)波、進行方向と直角の振動をS(secondary)波と言うが、グーテンベルク不連続面ではS波が消えるという。
S波はつまり横ズレの伝わりで、例えば繋がった物質群のある部分のズレの連鎖と考えられる。だが当然、このような連鎖現象が起こるのは、1つの物質のようになっている物質群(構造体)の各要素としての物質群のつながりが強いからだ。つまりそれが、全体として個体的であるからだ。
従ってS波が消えるグーテンベルク不連続面は、単に別々の種類の物質の境界というだけでない。それは個体と液体(または気体)の境目なのだ。
もちろんこれは外核が液体と考えられている重要な理由の1つであるが、これは現在一般的に考えられてる地球の構造をちゃんと想定した場合にSF的であるにせよおそらく最も地底世界の存在を想定しやすい場所と言える。特にグーテンベルク不連続面が液体でなく気体の場の表面とするなら、つまりそこは空洞だと考えられるかもしれない。もちろん、そこが液体領域であるとしても、液体中の水生生物的な奴とか、潜水カプセル暮らしなどする生物を想像は容易い。
「地球空洞説」空の内部の構造、秘密の地下通路ネット、重力のパターン、極の穴の謎
空洞世界の地面はどこになるか
ところで、地球空洞説というのが正しいとして、そのような地球の内部世界に誰かが入った場合、その誰かが体験する世界観のパターンは大まかに2つあるだろう。
つまりは、殻の中にまた球のようなものがあって、その表面が空洞世界の地面になるパターン。
もう1つは、地球の外部の殻の凹面側が、そのまま空洞世界の地面になるパターン。
過去の(少なくとも有名な)大多数の(地球をちゃんと球体だと想定した)空洞世界のパターンは後者の方である。
1つの理由としては、単に適当に旅をしていたら、偶然そこに入り込んでしまった、というような物語を想定しやすいからだと思う。
ニュートンの球殻の定理。空洞は無重力になるか
ここまでの話から明らかなように、地球の内部構造というものがはっきりしてきたのは、20世紀に入ってからのことだ。
もっと昔には、例えばニュートン(Isaac Newton。1642~1727)の時代には、地球内部というのは、まだかなり未知の領域だった。
ニュートンの友人だったハレー(Edmond Halley。1656~1742)が、独自の地球空洞説を提唱したことは有名。
「ニュートン」世界システム、物理法則の数学的分析。神の秘密を知るための錬金術
ただしニュートンの時代は、地球空洞説という伝説に関して、1つの重要なターニングポイントでもあると思う。
つまり、あらゆる物体は、個々の質量に応じた引力により、互いに引き合うという世界観を見事に描くニュートンの万有引力の法則から導出される”ニュートンの球殻の定理(Newton’s Shell Theorem)”。それによると、球状体の凹面殻の内部の全ての地点は無重力になるからだ。地球の自転により生じる外側への遠心力も、一般に地球の重力と比べてわずかとされる。
ニュートンの球殻の定理は、計算的には、「球対称物体(どう回転させても球状のままの球)は、外部物体への万有引力の影響を考える場合に、その質量すべてが、その中心点に集中していると考えられる」というのと、「球対称物体の球殻の内側空間の物体の位置に関係なく、殻の、内部の物体へに正味の重力は0」というもの。
具体的には、球殻の中のある地点aにある物質があるとして、球体殻の重力は、(その構造的に)四方八方からかかるが、結果的には打ち消し合う計算となり、正味の重力はゼロとなる訳である。ただし、一般的なこのことの証明では、普通、殻の密度分布が均一と想定される(しかし、そもそも惑星というのは重力で集まっている物質の集合構造であり、少なくとも異常なアンバランスは考えにくいと思われるが)。
しかし仮に、地球に空洞があって、そこの重力が0として、何が問題だろうか。
これが一番問題になるのは、まさに地球内部が空洞でかつ地球の殻の凹面が空洞世界の地面になるという場合、であろう。この場合が、おそらくは、地球内部の無重力を無重力でなくさせる要素を一番想定しにくい。
ニュートンの定理が示唆する問題は、地球空洞説に懐疑的な多くの本で紹介されているから、結構有名な反証材料と言える。
それを踏まえた(と思われる)空洞説は、例えば内部の超文明が反重力テクノロジーを有しているのだとか、特殊な亜空間のようなものが重なっているだとか、よりファンタジー的なものが多い。
あるいは電磁気力が重要になるとか。
地球の平均密度の問題
1798年には、キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish、1731~1810)が、ニュートンの万有引力を踏まえた実験により、地球の平均密度(岩石の倍くらい。海の水の5倍くらい)が、陸地の水とか岩石とかよりも高いという事実を発見している。
「ヘンリー・キャベンディッシュ」最も風変わりな化学者の生涯と謎。
正確には、キャベンディッシュが導出した地球の平均密度が1立方メートル当たり5518キログラムほどで、これは今でもほぼ正しかったとされている。それで一般的な地表の岩石である玄武岩や花崗岩の平均密度が1立方メートル当たり2600キログラム、海の水が1000キログラムほど。
地球表面の物体の平均密度をこえる全体の平均密度は、明らかに、地球の内部がぎっしり高密度で埋まっている可能性を示唆している。
それでも、地球表面は内部に空洞を持つ殻であるとする。そうすると、高い密度が、殻(あるいは内部の何かに集まって、それは高い重力になるから、空洞ではかなり耐えにくいのでないかという疑いも当然出てくるだろう。
普通の人間の認識的には地球に地下世界がないわけではない。明らかにいくつも洞窟とかがある。ただし、それは地球全体のスケールから見れば、山とか谷と同じような、些細な不規則性というのが、今は普通の考え方だろう。
ここまでのことから、地球の空洞世界というのは(もし存在するとしたら)かなり異常なものだと普通は考えられている。実際、もしもそんなものが存在するなら、地球の殻は非常に異常なレベルで頑丈な構造と思われる。
空洞世界を空想した昔の人々
一旦、理論的なこと、ありえそうかどうかというのは置いておく。として、で、なぜ、誰も確認したことないだろうに、地球の内部世界が存在するという話が昔からたくさんあるのか。
そもそも古い宗教に関連する架空の物語の書物などでよく描かれてるように、地球の(それが丸いとしても)地下世界をいわゆる、地獄として想定する創作は多かった。
例えばダンテの新曲は、地球内部の地獄を描いた作品としてよく知られている。
「ダンテの神曲」キリスト教的ギリシア哲学。死後の世界を巡る物語
地球内部に広大な空間があるかもしれないと考えた最初のきっかけは、やはり洞窟というものだったかもしれない。これは明らかに現実のものだ。
普通に誰か個人が迷い込んだ場合、非常に広くて深くて入り組んでいると認識されるような、複雑な洞窟も結構あるだろう。
古いSF小説の描写
1741年に出版されたらしい、デンマークの作家ルドヴィー・ホルベア(Ludvig Holberg。1684~1754)の『ニコラス・クリムの地下旅行(Niels Klim’s Underground Travels。Nicolai Klimii Iter Subterraneum)』は、世界最初のSF小説の候補として挙げられることもあるが(そしてそういう作品はものすごくたくさんあるけど)、これは地球空洞説をガジェットとして使った最初のSF小説という説もある。これには、地球中心の小さな太陽を、いくつかの惑星が回っている、地球内部のミクロ太陽系が描かれている。
例えば以下は、その小説の序盤の描写。
[1664年、コペンハーゲンのアカデミーで神学と哲学を卒業した後、私は祖国に戻る準備をし、ノルウェーのベルゲン市行きの船に乗った。私は両方の学部から素晴らしい推薦状をもらっていたが、欲しいのは金だけだった。ミューズ神殿(※ミューズは知恵の女神。多分これは知識を学ぶ場である学校の比喩)から帰国する時、財布は空なことが一般的であるノルウェー学生全員に共通する運命だ。
私は3日で故郷の町ベルゲンに到着した。
私は今、自然哲学の知識を広げることに専念し、実践のために近隣の山々を地質学的に調査した。これらの山の中で(学生の目から見て)最も興味深い頂上には、町の住人がフロリエン(Florien)と呼んでいる驚くべき洞窟があった。その口からは、まるで洞窟がそよ風を吸い込み、その吸い込んだ風を再びそっと吐き出すかのように、穏やかで心地よい空気が、特定の時間に放出される。
ベルゲンの学識者、特に著名なアベリン(Abelin)とエドワード(Edward)は、それを調査することを切望していた。しかし後者は高齢のため、それほど困難な偉業は実行できないだろう。そこで彼はあらゆる機会を利用して、若者や冒険好きな人々を探検に試みるよう誘導した。私は、これらの偉人たちからの励ましだけでなく、私自身の強い好奇心にも背中を押され(そしてそれは愚かな、そして邪悪な決意だったと言えるかもしれないが)、洞窟に降りることを決心した。
私は遠征に必要なあらゆるものを準備し、木曜日の朝、街を出発した。このように早く出発したのは、暗くなる前に仕事を終えて、その日の夕方には報告書を作成したかったからだ。
そのときの私は夢にも思ってなかった。まさか、もう一人のファエトン(Phaëton。※ギリシャ神話の太陽神の子)のように、真っ逆さまに空中を飛ばされて、別の地球に運ばれ、そこで10年間放浪し、しかしその後に友人や故郷に再び出会えるだなんて。
この遠征は1665年に行われた。必要な道具を運び、降ろすのを手伝ってくれる4人の男性に付き添われて、私は山に登った。頂上の危険な洞窟の近くに到着し、私たちは座って朝食をとった。
私の心は弱くなり始めた。まるで私がこれから直面する不幸を予感していたかのようだった。
しかしすぐに、消えかけていた私の勇気が再び燃え上がった。私は体にロープを巻き付け、洞窟の端に立ち、自らの魂は神に捧げた。男たちにロープをしっかり安定させ、私が叫んだら握りを強くするようにも命令する。私は右手にボートフックを持ち、奈落の底へと落ちていった。
棒のおかげで、私は前進を妨げたり、怪我を招きかねない岩の突き出た部分を避けることもできた。ロープが上のほうの岩に強くこすれていたので、私はいささか不安だった。実際、ロープが20フィートから30フィート下ったところで切れたので、私は異常な速さで奈落の底に転落した。私は冥界の王のごとく武装していたが、持っていたのは王笏ではなくボートフック。
深い闇に包まれ、私は15分ほど落ちていたが、そのときかすかな光が見え、すぐに晴れて、明るく輝く天国が現れた。私は動揺しながら、空気の逆流が私を地上に吹き飛ばしたのではないかと考えた。ところがそこで見えていた太陽、月、星は、地上の人々より小さく見えたから、私は自分がどこにいるのか途方に暮れた。
私は、自分は死んでしまい、魂が今まさに祝福された住居に運ばれようとしているのだと結論付けた。しかし自分がボートフックで武装し、長いロープを後ろに引きずっていることに気づいたとき、この結論の愚かさに気づいた。楽園への旅にはこれらの道具は必要ないだろう。
そして、古代の巨人が行ったような天への攻撃に使えそうなこれらを、天の民が承認しないだろうことも推測できていた。
ついに私の脳裏に新たな光が灯る。
そうだ。きっと地下の大空に入ってしまったのだ。
この結論は、地球は空洞であり、その殻の中に、各自対応する太陽、惑星、その他の星を含む小世界がある語る人々が正しかったことを証明している。
私の降下速度は、長い間増加し続けていたが、今や徐々に減少し始めていた。私は、最初から見えていたと思われる惑星に近づいていった。それは徐々に大きくなり、それを取り囲む厚い大気を突き抜け、その表面に海、山、谷がはっきりと見えた……]
この最初の部分だけでも、なかなか興味深い記述が見られると思う。ここでは、新しく出会った世界の光景というだけでなく、普通に一部の人が唱えているという仮説として、単なる地球空洞でない地球内部の小宇宙のような世界観が語られている。
地底700時間実験
イタリアのフラボーザ・ソッターナ(Frabosa Sottana)のカウダーノ洞穴(Caudano cave)は、1898年の冬に、水力発電所の水道用貯水池の建設中に発見された。それは広くて、かなり入り組んだ洞窟(ただ、1992年に閉鎖される時にはかなり破壊されていて、その後色々整備されて、2002年以降は観光客向けのアトラクションみたいになったらしい)。
そして1961年。この洞窟で”地底700時間(700 ore sotto terra。700 hours under the earth)”と呼ばれた、奇妙な科学実験が実施されたという。それはトリノ大学動物工学研究所のプロスペロ・マソエロ(Prospero Masoero)とアンナ・マリア・ディ・ジョルジョ(Anna Maria Di Giorgio)に考案された。
12人の洞窟探検家と、ニワトリやヤギといった家畜数十頭が、(1961年の)8月6日から9月7日までの期間、洞窟に滞在するというもの。つまりこの実験は、地下の生活環境が、人間や動物にどのような影響をもたらすか(あるいは地上の生物が地下に定住可能か)確かめようとしたもの。
探検実験の主な目的は3つ。まず地底の化学・物理的研究( 地下の大気、岩石、水の組成、放射能、地電流などの分析)。次に地底における人間の生態に関する研究。そして、特殊環境下における、動物や人間の医学的な、あるいは心理学的研究。
カウダーノ洞窟は、アクセスの容易さと、内部の複雑な作り(とそのための様々な環境)が、実験に適していた。
動物小屋(厩舎)は入り口から約100メートル離れたところに設置され、それは空気循環が盛んな場所だった。さらに近くに、自然環境をなるべく汚染しないように設計されたトイレも設置された。さらに比較的快適なキッチン兼リビングルームや、診療所や、休息のためのテント、もちろん科学実験室も用意された。
アルピーニ(Alpini)という山岳軍の援助を受けていた実験者たちは合計17トンの重さの、さまざまな機器を持ち込んでいたという。
地下暮らしする人間と動物の適応
下層土(地表より下の土壌)の湿度や温度の変化は乏しく、当然のことながら、地上に比べて光や熱放射がほぼない。さらに空気が異常に純粋であるなど、地下の環境条件は、人体に何か影響を及ぼすのか。
体重や脈拍数の変化、水分や血液組成、心理的反応、色覚などの感覚の変化と、いろいろ調べられ、例えば人体の赤血球の他、白血球、血中ガンマグロブリンといった免疫に関する成分含有量が増加していたらしい。
また、動物に関しては対照サンプルとして、屋外でもいくらか飼育。というより、基本的には双生児の片割れだけが洞窟内で飼育された。
子ウシとヒツジは地下生活によく適応したが、しかし1ヶ月の洞窟暮らしの間に、骨の石灰化が進み、毛皮が黒くなり、やはり赤血球、白血球、血中ガンマグロブリンが増加した。
ニワトリには、産卵の増加が見られ、卵の重さは外部の場合の平均よりわずかに重かった。そして骨の石灰化はニワトリにも見られた。最初ヒナの死亡率は高かったが、しばらくすると優れた適応性を示しだした。
興味深いのが、実験開始から数日後に判明したという特異な事実。それはいったいどういうわけか、完全な暗闇の中でも、洞窟学者たちは互いの顔を見ることができるようになっていた。
一酸化炭素は、どこから来て、どこに消えたのか
探検隊のリーダー、シルバノ・マレット(Silvano Maletto)は、実験を悲劇的に終わらせる危険があった、有毒な一酸化炭素に関して、不思議な話を語っている。
[洞窟に数日間滞在し、一酸化炭素が6日ごと一定周期で空気中に出現していることに気づいた。それは数時間続いたが、その後消えた。一酸化炭素というのは、(空気中で)それが1000分の2から4の間の値に達した場合、人がそれを吸い続けるなら30分以内に死ぬ。私はそれを記録するアウアー装置(l’apparecchio di Auer)という器具を持っていた。それは特別な試薬が入ったいくつかのバイアル(ガラスまたはプラスチック製の容器)の銃だ。撃つと空気がバイアルに入り、一酸化炭素がその暗い色を現す。その高さを目盛と比較すれば、大気中に侵入したこの毒の量がすぐにわかる。
私は自分の発見について誰にも警告しなかったが、監視は強化した。私たちが洞窟に720時間以上いたとき、夕方8時頃、パオロ・ドゥリオ(Paolo Durio)が研究室から降りてきて、何か奇妙なことに気づいたと私に告げた。彼と医師のチェーザレ・ボランテ(Cesare Volante)と一緒に、私はアウアー装置が置かれている場所に行き、毒性を測定した。それは1000分の1.5だった。
呼吸が困難だと誰かが訴えていた。
私たちは他の人たちには何も言わないと決めて、全員を寝かせた。
11時の時点で、空気中の一酸化炭素の割合は1,000分の1.8。真夜には1.9。
私たちは小さなランプの光の中でお互いを見つめ、いくつか簡単な質問をしあった。私たちは悩んだが、それでも待った。
午前1時に、毒性レベルは1000分の1.95に達した。私たちはキッチンで準備を整えた。ドゥリオが順に空気中の毒の量をチェックし、それからドクター・ボランテが私たちの両方の脈拍を測定し、反応をチェック。心拍数は140まで上がり、息も荒くなっていた。悲劇が起こるかもしれない。私は研究室に行き、もう一度一酸化炭素を測定した。1000あたり2.6。自分に言い聞かせるのは不可能だった、もしかしたら私は間違ったのかもしれない。もう一度テストを繰り返したところ、ちょうど1000分の2.6。私は友人パオロとチェーザレに警告し、アウアー銃を持って夜のキャンプエリアに向かって走り始めた。懐中電灯でテントに光線を投げると、仲間が眠っているのが見えた。
一人はいびきをかいていて、それが私に再び希望を与えてくれた。午前2時15分だった。私は銃を発砲し、目盛りリストの「1000分の2」を確かめる。私は誰も起こさず、キッチンに戻ったところ、二人の仲間がとても青ざめているのに気づいた。彼らは立ち上がろうとしたが、よろめき、泥の地面に倒れてしまった。彼らはめまいを感じ、心拍数が低下した。私は酸素タンク付きの呼吸器を手に取り、二人と一緒にベースキャンプに戻った。私たちがその場所に到着すると、辺りは辺り一面真っ白で、岩と泥の間にテントがあちこちに散らばっており、男たちは息を切らしていた。もう終わった、もう終わった、と自分に言い聞かせた。私は「行くぞ、行くぞ!」と叫んだ。
全員が、使えそうなものを手に取る。遠征終了まであと数時間となったその瞬間、私たちが何年もかけて準備してきたものが全て台無しになろうとしていて、泣きそうになっている者もいた。男たちは研究室に向かって歩き始めた、私は彼らが一人ずつ、全員が通り過ぎるのを見た。一酸化炭素を測定してみたところ、1,000あたり4.6で、つまり人間の限界を超えた量だった。二人の医師は、動物たちがいる馬小屋、つまり洞窟内で空気が最も循環しやすい場所に行くほうがよいと述べた。私たちは絶望的な肉体的状況にあり、泥とバッテリーランプの暗い光の中で瀕死の状態から逃れるような状況だった。私たちは岩の間を滑り落ち、息を切らしながら足を震わせ、奇妙な考えが脳内を渦巻きました。
私たちは動物施設に到着し、立ち止まってお互いを見つめあった。私たちは全員そこにいた。一酸化炭素を測定したところ、1000分の0.5まで下がっていた。私は私たちに、洞窟内のその場でテントを張って、心臓と血圧を検査処理を開始するよう命じた。私たち全員、尿中の有毒物質の量を測定する利尿検査も行った。私の脈拍は168だった。誰かが力なく床に倒れ、すぐに眠ってしまった。他の者たちはできるだけ座った。動物たちに混じって、泥の中に男たちがいるのを見るのは悲しかった。レンツォ・ゴッツィ(Renzo Gozzi)医師は勤務を続けたが、私は感情的に疲れ果てて居眠りした。
そのひどい夜の6時に、私たちは一酸化炭素を測定するために洞窟の底に戻ることにした。私たちは5分間隔で3人のグループに分かれた。私はひよこを檻から取り出し手に持ちました。小動物は心拍数が非常に高いため、人間よりも先に毒の存在を感知するのだ。
私たちがキッチンに到着すると、電気コンロがまだ点火されていた。右側の木箱の中で音が聞こえた。それは私たちがマスコットとして連れてきた小さな亀だった。それは光だった。彼女がまだ生きているということは、一酸化炭素はもう存在しないはずだから。
私たちは前進し、もう一度空気の状態を測定した。空気は非常に純粋で、私たちは安全だった。つまり、侵入経路と同じく、謎なルートで毒は消えたのだ]
色を失っていたか
1ヶ月、730時間ほどというのは、どれくらい長い時間だろうか。1ヶ月というのは、原子放射線の影響を受けた地域が自然に消毒される期間として想定されたもの。そしてこの期間を洞窟で暮らした実験者たちは、大なり小なりその普通ではない環境に適応できた。
結果、実験を終えた後、彼らは逆に、地上に適応するのに苦労したらしい。
例えば探検隊メンバーは、ピンク、青、薄緑といった色が目視ではっきり区別できず、嗅覚の感度と鋭さも著しく変化し、初めて嗅いだような匂いがそこにあったという。
また子ウシやヤギは、緑色が識別できなくなっていたのか、外に出たばかりの時には、草を拒否したとも。
奇妙な洞窟の謎
地球空洞世界ではなくとも、奇妙な洞窟を発見したという話もたくさんある。もちろんそれらのいくつかは、未知の世界への入り口だったかもしれない。
J・C・ブラウンと、シャスタ山洞窟
1904年。J・C・ブラウン(J. C. Brown)という探鉱者が、カリフォルニアのカスケード山脈のシャスタ山の斜面に、古代のトンネルを発見したと語った。それは岩盤をくり抜いた大トンネルで、奥には、岩窟状の部屋があった。部屋の壁は銅張りで、黄金の盾を含む古器物がいろいろ飾られていたらしい。さらに奇妙な絵、解読不能の象形文字、巨大な人骨などが、他の部屋部屋で発見された。
当時、ブラウンはロンドンの鉱業シンジケートに雇われていたが、彼は自分の発見については口外しなかった。
1934年、カリフォルニアのストックトンへ戻って来た彼は、かつて見た古代の財宝をまた探そうと計画。老齢ながら、彼は80人の探検隊をひきい、例の財宝岩窟へ向うことにした。
ところが、その出発寸前、1934年6月19日の夜に、どういうわけだが、彼は行方知れずとなって、その後は誰も彼を見つけられなかった。
一説によると、ストックトン警察は、失跡事件として、あるいは、適当なロマンスを使った詐欺事件として、この件について調査したが、少なくともJ・C・ブラウンは、周囲の人たちからお金を寄付してもらったりとか、そういうことはなかったらしい。
シャスタ山(Mount Shasta)は、ブラウンの話の時代より以前から、様々な神話や伝説の舞台として、有名ではあったようだ。
地元の先住民族クラマス(Klamath people)は、そこが精霊の住処として語ってきたたらしいが、近代の伝説は、滅びてしまった、あるいは今も機能している高度な文明地下都市を想定しているものが基本だとか。
鉱山労働者たちが見たもの
ロナルド・カライス(Ronald Calais)とかいう研究家が、『超能力の科学的評価のための委員会内報(Newsletter for the Committee forthe Scientific Investigation of PSI)』なる報告書のにて、鉱山労働者の奇妙な体験談をいくつか紹介したことがあるという。
1770年のこと。地下でトンネル工事のための作業をしていた1人の労働者が、平たい岩の向こう側から音が聞こえた気がして、道具を使ってその岩をどけてみた。すると、なんと石の階段がそこにはあった。
彼は古代の墓を発見したのだと考え、もしかしたら財宝でもあるかもしれないと期待し、階段をおりて行く。しかし階段が途切れたところにあったのは、墓などではなく、たくさんの巨大な機械だった。
明かりもあちこちで灯っていて、彼はしばらく、周囲を観察していたが、頭巾をかぶったような人影が近づいてくると、怖くなって、すぐさま地上へ逃げ帰ったのだという。
また、石炭坑夫のデビット・フェリン(David Fellin)とヘンリー・ソーン(Henry Thorne)は、ある時に、ペンシルヴァニアの炭鉱で落盤事故に遭遇した。生き埋めをまぬがれ、地底をさまよっているうちに、彼らは青い光に照らされているような巨大な扉に行き着いた。扉が開くと、なかには奇妙な服装の、一団の人間たちがいたという。
これは多分、「シェプトン鉱山の災害と救助(Sheppton Mine disaster and rescue)」として知られる、1963年8月の事件と思われる。3人の鉱山労働者が事故によって地下に閉じ込められて、そのうち2人(つまり上記の2人)が救助されたというもの。どうも助かった2人は、地下にいた時に、謎の大理石の階段や、十字架や、石像を見たと語ったとか。
秘密の洞窟に隠されたインカの黄金
1532年の秋の南米。
インカ帝国の皇帝アタワルパは、町の広場でコンキスタドール(征服者)のビサロと会見することを承諾。
結局会合は戦いとなり、数分間で、皇帝の近衛兵たちは、スペイン人たちの強力な武器により倒れた。
捕らえられたアタワルパは「身の代金としてこの部屋一杯の黄金を与える」と約束。皇帝の臣民はピサロに大量の黄金を引き渡したが、それはまだ予定の一部だった。結局アタワルバは、約束した黄金のほとんどを用意する前に火あぶりの刑に処された。
皇帝処刑の知らせは、その時、スペイン人の幕営に向って進んでいた、黄金を運ぶ者たちにも伝わってきた。
それでどうなったか。
大量の黄金は、どこへともなく消え失せてしまったのである。
どうやら、どこかの山の秘密の洞窟に、それは運び込まれたらしい。しかし、伝説を信じ、黄金欲に憑かれた様々な人たちが、これまでその秘密の洞窟を探し求めたが、それが発見されたという確かな記録はない。
「インカ文明」太陽、ミイラ信仰。生贄はあったか。見事に整備されていたか 「インカ帝国の征服」滅亡の理由は本当に神の奇跡だったのか
有名な科学者で、探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Heinrich Alexander von Humboldt。1769~1859)も、1802年に、アタワルパの死んだ地として知られるペルー北部の都市カハマルカを訪ねた。
貧しい地元の案内人は、王宮の跡地で、財宝が隠された地下の伝説について語ってくれたという。
1850年代に、ペルーに遠征した植物学者のリチャード・スプルース(Richard Spruce)は、その際に、アタナシオ・グスマン(Atanasio Guzman)という人が作成した、隠された財宝へ導く地図を発見したと主張した。彼はそれを「バルベルデ・ガイド(Valverde Gude。Valverde Guide)」とも呼んだ。
それは、バルベルデという人がインカ人の花嫁の家族に案内され、発見した財宝により金持ちになった後、宝の場所を見つけるために必要な道順を手書きで記したもの(それを参考にした?)とも。
1886年。トレジャーハンターのバース・ブレイク(Barth Blake)は、バルベルデ・ガイドを頼りに、宝探しをはじめた。
ブレイクはやがて、本当に財宝を発見したようで、そのいくらかを北米に持って帰るつもりだという手紙を友人宛に書いた。
しかしブレイクは、ニューヨークに向かう船上で行方不明になったらしい。
ブレイクは、彼自身が言っていたことが真実だとするなら、インカの隠された洞窟の財宝を、その目で見た最後の1人とされている。
地下に消える地上の水
地球は水の大半は海水とされるが、地球の水の量自体膨大といえるなら、残り5%でも量は多いだろう。残り5%には湖とか川の水、グリーンランドや南極の氷、そして一般に地下水と呼ばれるものが含まれる。
通常、地下水というのは、雨や雪などが地中に染み込んだもの。地中の地下水に満たされた部分を”飽和帯(Saturation zone)”と言うが、それ以外の”不飽和帯(Unsaturated zone)”、または”通気帯(Ventilation zone)”との境目を”地下水面(Groundwater surface)”という。つまり井戸を覗いた時に見える水面が地下水面。もちろん、飽和帯が大きくなりすぎて、時に地下水が地上に吹き出してくることもある。
”鍾乳洞(limestone cave)”というのは、普通は石灰岩(limestone。炭酸石灰、カルシウムから成る岩)が地下水などに侵食されてできた洞窟。他にマグマが移動する溶岩トンネルや人が掘った坑道の空間に地下水が貯まることもあり、”空洞水(Hollow water)”と呼ばれる。この空洞水が循環的になって”地下川”となることもある。
そして雨や雪が地上に浸透し、地下を循環して改めて地表へと出てくることがあり、”循環地下水(Circulating groundwater)”と呼ばれている。
「地球の水資源」おいしい水と地下水。水の惑星の貴重な淡水
さて、地下に溶け込んだ水が、地球空洞世界に消える。あるいは循環地下水の循環経路に、地球空洞世界の部分が含まれていると考える向きもある。
湖の消失と復活
「地下に消える水」という現象に関して、特に興味深いのは、やはり地上で湖が消える現象であろうか。その場合、普通にある時、湖が消えてしまうということもあれば、しばらくするとまたどこか水源から水が流れてきて、復活することもあるようだ。
例えば、ロシア、ニジニ・ノヴゴロド州、ボロトニコヴォ(Bolotnikovo)という村の近くにベロエ湖(Lake Beloye)という小さな湖が2005年まで存在していたのだが、これはなんと、ある時に一夜で消えたとされている。
また、同じ地域で、1935年のある日には、原因が不明な家の倒壊事件があったらしい。それに1600年頃、やはり同地域に教会が立っていたが、ある時に地面に沈んでしまったという伝説が伝わっているとか。
また、アメリカ、フロリダのレイクランド(Lakeland)という街は、名前通りにたくさんの湖があるのだが、その1つであるスコット湖(Scott Lake)は、2006年に陥没穴に水を吸いとられ、実質的に消滅してしまった。
水量が急速に変化する湖としては、例えば北アイルランドのアントリム州ロガリーマ(Loughareema)の湖がある。
荒涼としていて、頻繁に霧に包まれるこの地は、不思議な都市伝説でもよく知られているという。
例えば19世紀に湖が満水になった時、馬車が渡ろうとして、まとめて溺死してしまったという伝説が伝わっている。当時、湖を通る道路が建設されていて、真夜中には水位が高いか低いかを判断することが不可能だったとか。
また、湖が満水になる夜には、幽霊が海岸線に出没するとも。出現するのは、ケルピーのような妖精動物だというパターンもあるようだ。
「ケルト神話」英雄と妖精、怪物と魔女。主にアイルランドの伝説
ロガリーマは実際、地質学的に謎めいていて、湖には3つの川が流れ込むが、出ていきはせず、結局その湖の水は地下に消えて、そして数キロメートル離れたキャリー川(Carey River)にまた現れる。そういう自然の循環、排水システムがここにあるらしい。
地下水道ネットワーク
地上から見た場合に距離の離れた水辺同士をつないでいる地下水道のネットワークは、どのくらいの規模になりうるのか。
有名な洞窟探検家でもあるノルベルト・カステレ(Norbert Casteret。1897~1987)は、まさしく洞窟学に関して様々な功績で知られているのだが、特に有名な1つがガロンヌ川(RivesdelaGaronne)の”真の水源の発見(l’identification de la «vraie» source de la Garonne)”。
ガロンヌは、スペインのピレネー山脈中央部からフランスのボルドー港のジロンド川(Estuaire de la Gironde)まで流れる、600キロメートルほどの長さの川。
アルティガ・デ・リン谷(Vallon d’Artiga de Lin)の底のアラン谷(Val d’Aran)では、豊富な水源から生まれたジュエウ川(Ruisseau du Jouèou)が、国境を越える前にガロンヌ川に流れ込むという。少なくとも18世紀末に、地下に関する科学的研究が、この地で始まった頃には、地元の先住民たちに、この流れが上流にある貯水池と無関係であることが、すでに理解されていたらしい。彼らは、ジュエウ川、グイユ・ド・ジョエウ(Goueil de Jouèou。Uelhs deth Joeu。ユダヤの目)が、マラデッタ山塊(Massif de la Maladeta)の氷河が融解したのが一部復活したもので、マラデッタの麓のトルー・デ・トロ(TrouduToro。雄牛の穴)またはフォラウ・デルス・アイグアルッツ(Forau dels Aigualluts)という谷に流れ込んだものだと推測していたが、証明することができなかった。
エセラ渓谷(vallée de l’Esera)の上流を離れた水は、エブロ川(l’Ebre)を経由し、地中海に流れ込む。この水は、謎の地下水路にも流れ、ガロンヌ川、そして大西洋にまで流れ込む。
1928年から1931年にかけて、カステレは、グイユ・ド・ジュエウの仮説検証の記録を調べる。そこのカルスト地形複合体と水路ネットワークも、しっかり定義しようとした(カルスト地形は、主に水に溶けやすい岩石で構成された大地が、水に侵食されることでできる、鍾乳洞なども含めた地形)。
そして彼は、1931年6月に、60キログラムの蛍光色素(フルオレセイン。fluorescein)で、トロ・デ・トロの水を着色した。そして翌日に、その着色した水がジュエウ川に現れるのを確かめた。水は確かに地下を旅したようだった。
また、おそらく世界で最も有名な未確認生物の1種であるネッシーが潜んでいるとされるスコットランドのネス湖は、海と繋がる地下水路があるという噂があるが、同じように(それぞれ怪物の噂がある)他のいくつかの湖とも、実は繋がっている。という説がある。
同じように、怪物の噂があるというスウェーデンのベッテル湖(Vättern)も、地下水路ネットワークのポイントの1つという説があり、これはなんと、ドイツのコンスタンツに繋がっているのだとか。どうも昔、ベッテルの湖畔に、ドイツの固有種と考えられていた植物が繁茂しているのが発見されたことから、提案された説らしい。
またベッテルという湖には、不思議な巨人の話が伝わっている。
昔、湖周辺に、ビスト(Vist)という巨人と、その妻が住んでいた。彼らは毎日、食べ物を求めて湖の周りを歩き回っていた。散歩中に、自宅から湖を挟んだ反対側に行き着くことも珍しくなかったが、ビストの大きな一歩は、湖など簡単にこえられるから、特に問題はなかった。しかし、妻は彼よりも歩幅が小さいので、同じような状況で、家に戻るのに、海岸の端を歩く必要があった。
ある日、ビストが家でいる時に、妻は湖の反対側に来てしまう。しかもお腹が空いていたので、とても歩いて戻る体力はないと考えた。そこで彼女は大声でビストに助けを求め、ビストは、彼女が湖を渡る足場になるように巨大な土の塊を湖に投げて、実際それは足場になった。
その巨人の足場は、今では、この湖の小さな島として知られているのだという。
バード少将の見た楽園
実際に地球内部の世界を探検した、あるいはそのような場所に迷いこんだ、という人が、歴史上には結構いる。
おそらくそのような伝説の中で、最も有名なのが、アメリカの海軍少将リチャード・イヴリン・バード(Richard Evelyn Byrd。1888〜1957)の極への探検の記録。
バード少将は、一般的には1926年5月9日に航空機により、初の北極点到達を成し遂げ、さらに1929年に南極点に到達した偉業で知られている(ただし、北極に関しては異論も多いようだ)
また彼は1946~1947年の、南極開発のための調査プロジェクト、ハイジャンプ作戦(Operation HIGHJUMP)を指揮した。
伝説によると、これらの極探検の時、彼は地球内部だか、亜空間か、とにかく不思議な世界に入り込んだ。
ただし、生前のバード自身がそのような不思議な冒険譚を語った公式記録はない。この話を広めたのは、生前の彼からその話を聞いた(自称?)友人とか、彼が残したらしい秘密の日記を見つけたオカルト研究家とかのようである。
豊かな自然とマンモス
信憑性はともかくとして、伝説の中で、バード少将が見た地底の楽園というのは、どのようなものだったか。
バード少将は、北極と南極を、それぞれ2700キロ、3700キロという距離にわたる横断飛行をしたが、どちらの時にも、氷などない、豊かな森林や緑の草木、山や湖や川といった、自然風景を地上に見た。そこには、たくさんの野生動物もいるようだったが、特に大きな、生きたマンモスは目立っていた。
通常バードは、地球の南北両極の穴から、その凹面側、つまり地底世界に入ってしまったのだとされる。
しかしこの話が真実なのだとして、バードが、このとんでもない発見を、表向き語らなかったのはなぜか?
言うまでもないかもしれないが、その広大な大陸という重要な資源を独占するため、あるいはその地の超文明との密約とかのため、アメリカ政府、あるいは各国政府が、その事実を隠しているという陰謀説がある。
極のかなたの世界。このファンタジー世界
少なくとも、SF雑誌アメージング・ストーリーズの編集長だった経歴を持ち、特にUFO学分野では荒唐無稽な話が好きだったビリーヴァー(信奉者)として有名なレイモンド・パーマー(Raymond Arthur Palmer。1910~1977)が、この話を有名にするのに一役買っているらしい。
そしてパーマー自身は、1959年に出版された、ジアニーニ(Francis Amadeo Giannini)なる人物の、『極のかなたの世界(Worlds Beyond the Poles)』という本に影響を受けていたようである。彼は、ジアニーニの本が出版されたのと同じ1959年の末に、「空飛ぶ円盤(FlyingSaucers)」誌で、バード少将の発見を広く世間に発表したのだという。
では、そのジアニーニは著書に何を書いたのか。
[それは世界が知っているどのフィクションよりも奇妙な真実だ。
地球の北と南の範囲に物理的な終わりはないのだ。地球は、理論上の北極と南極の「点」を越えてまっすぐ前方に続き、そして私たちの周りの宇宙の大地(land areas of the universe)と溶け混ざって(merges with)いる。
現在では、私たちは北極点を超えたところから慣例的に水平方向に移動することによって、すぐに天上の大地(celestial land areas)に旅できることが確立されている。
また、この地球から、”上”あるいは”外”に見えるような宇宙の陸地へ向かう飛行コースは、常にこの地球という宇宙全体が共有する陸地や水、植生の上を通ることも知られている。
一般に誤解されているように、夜間に観察するすべての明るい領域の下に存在する天の地に到達するため、私たちが「飛び上がる」必要は決してない。
私たちは理論上の仮想の極点のいずれかから、同じ物理レベルで真っすぐに進めばいい。実際にこの飛行コースは、1947年2月の米海軍機動部隊(※もちろんこれはバード部隊のこと)の飛行コースで確認されているのだ。この飛行コースは北極点を1700マイル超え、既知の地球を超えて飛行した……
創造された宇宙の領域の間には、いかなる空間も存在しない。しかし、あらゆる観察で、一見は空間があるように見えるだろう。その見かけの空間は、天空領域の幻想的な球状性と孤立性から生じている。
同じ幻想的な状況が、地球の明るい外空領域の観察から発生することが証明されている。外空(Outer sky)とは、成層圏の暗闇の中で観測される空のことである。
宇宙が球状で孤立した「物体」で構成されているという概念は、すべてのレンズによって形成される曲率に由来している。そしてレンズによって発達したその曲率は、宇宙を構成する球状で孤立した「物体」の欺瞞的な外観を助長している。
ガリレオ・ガリレイの古代の結論、つまり、明るい天体領域は互いに隔離されており、「空間内で円を描いているか楕円を描いている」というような天の運動は、レンズの機能の避けられないエラーに基づいていた幻想にすぎない。
現実では、宇宙全体を包み込む明るい空のガスのうねりがあり、一見、円を描くか楕円を描く動きのようにも見える。そしてこの偽りの外観は、そのようなガスの動きが円形レンズにより検出されるために生じる。したがって円形、つまり球状に見えるレンズ像が必然的に再現される。
天界全体に広がる移動可能な空のガスの下には、この地球に共通するような、検出できないけれども非常に現実である大地、水、植生、生命が存在している。
そして天文学上のいわゆる「星」や「惑星」は、実際には、レンズによって生成された、連続的で途切れることのない明るい天空の外面の、明らかに球状で孤立した領域。それは地上を包み込むのと同じように、天上のあらゆる陸地を包む]
上記の(ジアニーニの本の)序盤の引用だけでも、かなり明らかと思われるが、ジアニーニが提唱していたのは、地球空洞というより、実は全てが物理的な大地と空で繋がっている、より非現実的なファンタジー世界観である。
そして、このような(本当にそうだとして、気づくのが難しそうな)世界の真実を知った方法だが、なんと”超感覚的知覚(ESP。Extrasensory Perception)”による、宇宙からの直接的なイメージの読み取りらしい。1926年に、ニューイングランドの森を歩いているときに、相互につながった宇宙というアイデアを思いついたのだが、その時ESPにより、具体的なイメージも得たとか。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性 「ホログラフィック原理」わかりやすく奇妙な宇宙理論
しかし、バードが北極で「氷のない土地と湖、そして葉が茂る山々」を通過したという出来事が1947年2月というのは、けっこう奇妙だ。彼はその時期、南極でハイジャンプ作戦の実行中だったはずだから。
シムズの同中心球体群
近代の地球空洞説研究史において、ジョン・クリーブ・シムズ(John Cleves Symmes。1780~1829)大尉は、多分、非常に重要な人物と言える。
1812年の英米戦争での勇敢な働きで勲章をさずけられたのち、合衆国陸軍歩兵を退役した彼は、その後、ある種の地球空洞説である自論を広めるキャンペーンに生涯を捧げた。
「私は地球内部へ共に向かう、勇敢なる同志を求めている」
彼はよく、そんなことを言って、ビラを配っていたらしい。
シムズの説は、地球が、5つの同中心球体群の階層構造であるというもの。そして彼は、両極で開いている大きな穴(シムズ・ホール)から、その内部に入ることも可能であると語った。
そして実際に探検隊を組織しようとしたのだが、結局それはかなわず、若くして彼は亡くなってしまう。
十年余にもわたって、粗末な宿、まずい食事に耐えて、駅馬車から駅馬車へと乗りつぐスケジュールをこなし、合衆国をくまなく講演旅行してまわったこの大尉に信者がいなかった訳ではない。
合衆国のあちこちで、ひたすら夢見ていた極の中への探検に要する費用を集めるため、当然彼は募金も求めたが、講演会では、助手が聴衆の間に帽子をまわしていた。そしてわずかな貨幣と、後は砂利や釣針などが帽子に入っていただけ。講演会の通例の結末はそんな感じだったと伝えられている。
しかし講演旅行は挫折ばかりでも、いつの間にかシムズには、一握りの熱心な信奉者たちがいつでもついて来るようになっていた。
1つのエピソードがある。
ある夜、信奉者(弟子)のひとりが大尉(師)に尋ねた。「金のある所へは行ってみないのですか?」
彼らの前のテーブルには、いつでも新聞が山と積まれていた。毎晩、地球空洞説の裏付となる情報を探していたから。シムズはそれらの紙の情報源から、弟子の方に視線を移した。
「金のある所? それはどこのことだ?」
弟子は実にあっさり答を返す。「政府ですよ」
シムズにとって、それは青天の霹靂だったろうか? コロンブスの卵だったろうか?
「クリストファー・コロンブス」アメリカの発見、地球の大きさ、出身地の謎
こうしてシムズは、自説にのっとり、探検を実施するための資金の出資を合衆国議会に求めた最初の(そして多分最後でもある)地球空洞論者となった。
シムズ大尉からの陳情書は1822年に提出されたが、残念ながら議会がそれを公式に承認することはなかった。しかし、そんなくらいでくじけるシムズでもなかった。1823年には、一応は彼の計画にわずかな賛成の票も入った。
その後、その命つきるまで、この奇人の大尉は講演の行脚を続けた。
シムズ自身は、本は書かなかったとされる。しかし、熱心な信奉者であったジェームズ・マクブライド(James McBride(1788~1859)が、崇拝する師の理論を紹介する本を出版した。
大尉の息子もまた、父の理論についての本を書いている。
エーテルと、ニュートンの重力法則より
マクブライトは本の序文で、それを書いた目的が、シムズの理論を証明するためというより、とりあえずその興味深い理論をもっと有名にしたいからだと書いている。より深い専門的知識を持っている学者たちの、研究対象にもなってほしいと。
このマクブライトの本によると、シムズの理論において、地球は(先に書いたように)同中心球体群の階層構造で、両極に穴が開いているわけだが、それは宇宙のあらゆる(太陽を頂点とした、天球カーストのようなものがあるかのようにも書かれている)天球群(惑星、彗星。恒星もかもしれない)に共通の特徴らしい。しかし階層をなす同中心球体の数は、それぞれの天球ごとに異なっている(地球は5つ)。
地球の場合は、5つの(ただし、これは「少なくとも」であって、もっと多い可能性もあるらしい)中空の同心球で構成され、それぞれの間に空間があり、それぞれを囲む大気がある。そして各球の凸面だけでなく、凹面にも居住可能なのだという(本文には、どの惑星でも住居可能というように解釈できそうな部分もある)。
他の惑星の観察情報などを参考に、天体を構成する各球体は、おそらく各自平行して自転せず、自転周期も一定していないとも推測されている。
[各球体は空気流体で満たされた空間により、隣接する球体から分離されている。無限の(宇宙?)空間のすべての部分は、球体で占められている部分を除き、空気中の弾性流体で満たされ、それは一般的な大気よりも繊細である。そして無数の小さな同心球で構成されており、我々の視覚器官では見ることができないほど微細であり、非常に弾力性があるので、それらは継続的に互いに押し付けられ、それらの相対的状況は、他の球体の位置と同じくらい頻繁に変化する]
シムズの世界観では、宇宙空間の全ての領域がある種の弾性流体で満たされている。これは圧力により互いに反発する空気群が、地球の大気層のような一定の領域をこえて、宇宙の無限の広がりに拡散しないのはおかしい、というような発想かららしい。だからそもそも宇宙空間は真空ではなく、全体に均一に分布する弾性流体で満たされていると。
そして上記のような、宇宙空気(?)の考え方からすると、シムズは一般的な重力の理論に反対の立場だったのでないかと推測したくなるかもしれないが、シムズ自身は、自分こそニュートンの重力の理論を真に理解するものだと信じていたそうだ。曰く、重力理論を正しく理解すれば、[論理的な心を、開いた極を備えた同心球の信念に導く]のだとか。
いったいどういうことか。
シムズは、まさに宇宙を構成する全ての分子に重力法則を適用した場合、その動作の最終的な帰結として現れる局所的な集合構造群、つまり天体が、同中心球体階層を形成するのは、必然的と結論していたようだ。
シムズは、重力現象そのものの原因として、宇宙空間を満たすエーテル(これは気体の流体らしい)を構成する分子の特定の膨張特性を想定する。つまり万有引力というのは、厳密には引力でなく斥力なのだと(ただし、実際に重力が引く力だろうが押す力だろうが結果には変わりないとしている)。
[アイザック・ニュートン卿の重力原理によれば、たまたま最大だった物質の粒子が周囲の小さな粒子を引き寄せ、物質の増加に比例して引力も増大し、最終的には宇宙のすべてが集められる……しかし、実際はそうではなく、大きさの異なる無数の物質体が宇宙全体に存在し、互いに適切な距離を置いて配置され、特定の回転運動を行っている……地球のすべての物質が拡張された液体の塊で、粒子が互いに離れ、確立された物質法則に従って位置を取ると仮定し、運動と重力から生じる結果がどうなるかを見てみよう。ニュートンの法則を参考にすると、中心にある物質の粒子はすべての面で均等に重力の力を受け、その結果静止する。次にこの物質の球に線を引いて、中心に全体の直径の半分の球を作ると仮定すると、内側の球には周囲の球の8分の1以上の物質が含まれていないことが明らかだ。したがって、反対側の物質の引力が影響を及ぼさなければ、それは中心よりも表面に向かって引き寄せられるだろう……]
多分ここで、中心にある物質粒子が静止するという結果の参考にされているニュートンの法則というのは、球殻の定理と思われる。
シムズはさらに、まだ天体が個体として固まっていない、柔らかな液体状態の時には、回転の遠心力の影響が強く、質量はむしろ中心より周囲に集中するはずと考えた。
結果、最終的な天体構造は、空洞を有することになる。
両極の穴とか、階層構造とかはよくわからないが(シムズはそれらの推測に関しては、形成原理でなく、実際の現在の地球や、各惑星の様々な現象から導出していたようだ。ただし「両極には遠心力がそれほど強く働かず、物質が外側に投げとばされる傾向が弱かったから、結果的に穴となった」といった説を語る、シムズの支持者もいる)
リードとガードナー。極の穴の謎
シムズより後に、極に穴が開いた地球空洞の世界観を、さらに有名にした作家としては、例えばウィリアム・リード(William Reed。1830~1920)や、マーシャル・B・ガードナー(Marshall Blutcher Gardner。1854~1937)がいる。
彼らは、互いの研究を知らなかったという説もあるが、それぞれの本で提唱した地球空洞理論は、似通った部分が多いとされる。
例えば両人とも、地球の内側の寒暖は地球の外側よりも安定していること。地表より内部の方が、降雨量も規則的で、雪が降るほど寒くなることがないこと。北極の口(穴)の方が南極の口(穴)よりも大きいことに言及した。
ガードナーは、空洞惑星の形成を考えるにあたり、星雲に関する専門的報告を参考にした。天空のあちこちに存在する光のかたまりが、発光ガスや、遠くはるかな星々の集まりからできているという説。
つまり惑星状星雲というのは、最終的には惑星となる変化(天体の進化)の途中の状態。そして注目すべきは惑星状星雲の中心には、輝く中心核、すなわち中心太陽が存在するということだと。
つまりガードナーは、惑星の進化において、まだ互いに強く結合していないバラバラの分子が集まり始めた第一段階(星雲)の時点で、すでにある種の階層構造があり、それがそのまま最終形態の惑星の状態まで維持されると考えていたらしい。
そういうわけだから、彼の空洞惑星の内部には、小太陽があって、地球内部の生物系が、うまく機能するためのエネルギー源となっている。それと、オーロラという現象の原因も、そのような内部太陽の光が地上に漏れて、地上の大気と化学反応を起こした結果だとか。
ちなみにガードナーはシムズの多数の同心球という説に関して、「幻想的な考え」だと批判していたとされる。
ティードの、内側宇宙論
普通、地球空洞説を信じている者の間でも、我々が踏んでいるこの大地は、球体殻の凸面側という認識が一般的であるが、とても奇妙なことに、ここにさらなる例外パターンがある。
つまり、我々はそもそも、殻の内側、空洞世界側に住んでいるのだという説。
サイラス・リード・ティード(Cyrus Reed Teed。1839~1908)という人が、この理論を語り、それを基盤とした世界観の新興宗教を立ち上げたことが知られている。もしかしたら、彼がそもそもの提唱者でもあるのかもしれない。
どうもティードは、聖書から読み取れるような、それほど大きくない宇宙像を強く好んでいたらしい。そして無限の空間というものを嫌っていたそうだ。
そして、1869年の真夜中、ニューヨーク州ユティカに建てた実験室で、錬金術の研究をしていた彼に、突然の天啓が舞い降りたのだという。
よくわからないが、天使みたいな存在が、彼に前世の出来事と、新しく救世主として現代に生まれた事実を教えてくれたとか。そして、新しい宇宙起源論の手がかりも、その時に与えられたのだと。
ティードは、宇宙全体は1つの卵みたいなもので、我々の宇宙は殻の内面にあるとした。そして実のところ、外側というのは何もない、虚無らしい。
内部の空間の向こう側(つまりある場所から見上げた先にあるはずの側の凹面)が見えないのは、大気が濃すぎるから。太陽は内部空間の中心にあるが、我々に見えるのは、それの反映された映像。月は地球の反射像。惑星は金属の層のあいだに浮かんでいる水銀の円盤」の反射像。
このような、光学的錯覚が、現実と全く異なる世界を演出し続けているという考え方は、後のジアニーニのものと近いようにも思えるが、真実を知るきっかけが超感覚的なものであったことも共通している。ただ、宗教的信念は、ティードの方がかなり強いか。
ティードは、コレシャン・ユニティ(Koreshan Unity)なる宗教団体(あるいは不老不死を理想とする魔術結社)を立ち上げて、そこそこ信者も集めたみたいだが、この趣味(?)のせいで、元は本業であったと思われる医者としての評判はガタ落ちした。
ちなみにコレシャン・ユニティは、結婚に否定的で、男女平等の精神を語り、そのあたりを好む女性が多かったとも。
地下世界の住人たち
地球内部の世界に、人間のような、あるいは何らかの知的生物が生きているという伝説は数多くある。
それは時に、地底に機械文明を造った古代人や機械生物だったり、宇宙の秘密を知った魔術師たちだったり、小人だったり、巨人だったり、霊的存在だったりする。
シェーバー・ミステリー
バード少将の事件を広めたとされるレイモンド・パーマーは、やはり自身が編集している雑誌で、デロ(Deros)とかいう危険な地底生物の物語も紹介している。
パーマーにこの話を提供したのは、リチャード・S・シェーバー(Richard Sharpe Shaver。1907~1975)なる人物らしい。1944年の9月頃、パーマーは、彼のデスクの上に置かれた一通の手紙に気づいたが、それは英語ではない謎の言語で書かれていたから、すぐにはその内容がわからなかった。しかしパーマーは他の編集者たちとも協力してそれを解読。雑誌で公開したその内容が好評だったから、彼はさらにシェーバーに続きを依頼し、しばらくの連載となった。
そして、この話は、かなりそのまま、当時の大衆向けSFぽさが強い(パーマーのオリジナル(?)の話はだいたいそうだが)。
デロはどうも、醜怪な形状をした類人生物種族、または機械人間で、世界全城の地下にひろがる広大な地底都市機構に生きている。
彼らは元々、レムリアという大陸、あるいは国の奴隷階級だった。しかしある時、レムリアの支配階級たちが、地球を去る時に、地上に置いてけぼりにされてしまった。
デロは無知だったが、去ったレムリア人たちが残したハイテク機械などを介して、地上に様々な悪事を働くようになった。
実は現在の人間社会の様々な悪も、このデロの悪戯が原因。
なぜ、古代の賢き者たちは地球を去ってしまったのか。太陽の放射線が不死同然だった彼らの命を縮める要素であり、彼らは無害な太陽の星系を求めたのだという。
デロも放射能の悪影響は逃れられないが、宇宙へ脱出することもできず、結局地下に潜ることになった。地底には、宇宙計画とは別の放射能対策プランとしての地下都市も、すでに建設されていたから。
さらに、太陽の光は害ばかりでもない。もしかしたら、限りある命というのは、生物らしさと関係するのかもしれない。太陽の光の影響を失ったデロは、やはりほとんど不死身みたいだが、しかしそれでも人間、あるいは知的生物として、ある種の退化の道を進むことになったそうだ。
他にもパーマーは、(多分、隠された黄金伝説からインスピレーションを得たのだろう)、インカ帝国の住民だったアトランティス人が、インカ帝国征服の際に地下の超テクノロジー文明へと逃れた話なども、雑誌で紹介していた。
酒泥棒の悪魔の子
8世紀くらい、現在のフランスやドイツにあたる地域を支配下としていたフランク王国の、英雄的な王として知られるカール大帝、またはシャルルマーニュ大帝(Karl der Große。Charlemagne。~814)の父、ピピン短軀王は、古い物語などによく登場したらしい、古代プロシア、トリール地方のブルニア僧院(Brunia Monastery)を建てたことが知られている。
1138年のこと。この僧院に奇妙な出来事がいくつか起こった。
僧院の地下にはブドウ酒の貯蔵庫があったのだが、夜な夜な何者かが忍びこみ、酒樽から、いくらか試し飲みしている形跡が発見されるようになっていた。
まかない係からそのことを聞いた僧院長は、すぐに自分で現場を見てみた。そして聖水をまいて、しっかり鍵をかけた入り口の前に、聖者の遺骨を置いた。
さらに彼は唱えた。「当僧院の修道士たるもの、なんびとたりとも十字架の力にさからうおこないをすまじ」と。
翌朝、僧院長は、また地下貯蔵庫へとやってきた。入り口の鍵は閉まったままだった。好奇心にかられた修道士たちが後ろに続いていた。
見ると、1つの樽の飲み口が開けられていた。床一面に赤い液体が溢れてもいる。
そのとき、僧院長は、酒倉の向こうの隅の暗がりに何かが動いているのに気づく。
「盗人が見つかったぞ」と僧院長は叫んだ。
屈強な2人の修道士が前に出て、その人影をつかまえ、明るい所へ暴れるその何者かを連れ出す。それはまた驚きだった。盗人は黒ずんだ皮膚の小人だったのである。
「お前はヌビア人(Nubian)か? どうやってこの酒倉に入ったのか?」と僧院長はたずねた。奇妙な小人は、口をきこうとしなかった。
「驚いたな。こいつは、壁の下をくぐり抜けて入ってきたんだ」一人の修道士が叫び、それをずっと隠していたのだろう岩がずらされていたことで確認できた穴を指差した。
穴は地下深くの悪魔の住処に通じているのかもしれなかったが、小人を哀れに思った修道士たちは、彼をキリスト教徒に改宗させようと考えた。
しかしどれほど親切に接しても、小人は何も反応を返すことなく、飲食も取ろうとしなかったため、すぐに修道士たちは、このままだと彼は死んでしまうだけなのではないかと心配し始めた。だが小人は死なず、数週間が経った。
ある日、1人の司教が僧院を訪ねて来た。修道士たちは、小人を司教に見せて、助言をもらおうと思った。だがし今日はその小人を見た瞬間に驚いた様子で叫ぶ。「これはいかん。これは悪魔の子だ。すぐに追い払わねばならぬ」
これを聞いた小人(小悪魔)は、すぐに例の穴へと逃れ、同族のもとに帰った。
煙の神。あるいは地球の内側への航海の旅
手記とか手紙とか、とにかく、単に実際の記録のような形式で書かれた小説のようにも思えるが、ウィリス・ジョージ・エマーソン(Willis George Emerson。1856~1918)という新聞記者、あるいは小説家が書いた「煙の神。あるいは地球の内側への航海の旅(The Smoky God, or A Voyage Journey to the Inner Earth)」という本は、実際に地球の内部を旅した人の記録として紹介されることがある。
これは、オラフ・ヤンセン(Olaf Jansen)という年老いた(そして狂人として長く施設に軟禁されていた)ノルウェー人が、かつて体験した奇妙な出来事を、エマーソンに伝えた話なのだという。
曰く、ヤンセンと彼の父は、小さな漁船を持っていた漁師で、ある時、強い暴風に流され、その内に北極の口から地球の空洞の中へ入ってしまう。
父子は、地球の内部をさまよう内に、そこの豊かな自然と、身の丈3・5メートル(これは男の大きさで、女は少し小さく、3メートルぐらいらしい)くらいの巨人たちに出会う。
巨人たちはとても親切で、ヤンセン父子は彼らと一緒に数ヶ月過ごすうちに、彼らの言葉もある程度覚えた。
また巨人たちはおそらく電気で動作しているのだと思われる、不思議な機械のテクノロジーを有し、未知の方法による通信技術で指定世界の端から端まで、連絡を取り合えた。また彼らは非常に長寿で、75歳までに結婚するということは滅多にない。それと宗教指導者でもあるような統治者がいて、彼は地上の世界に強い興味を持っていたという。
しかし2年ほど地底に過ごしてから、地上から来た父子は、地上に帰ることに決めた。北極側の穴の方は、氷山を超えるのが非常に困難と思われたので、南極の方から帰ることにする(いずれにしろ、帰りの旅はかなり危険になるだろうからと、巨人たちは心配していた)。
結果的に、帰りの途中、割れた氷山が船を打ち砕き、父は死んだが、息子は救助された。
しかし、誰も彼の話を信じようとはしなかった。
著者がもっと小説家として有名な人物だったなら、誰もこの話がノンフィクションだなどと考えなかったかもしれない。
海底二万里、月世界へ行く、地底旅行、悪魔の発明「ジュール・ヴェルヌ」
また、地球空洞説やUFOの研究に熱心だった作家のレイモンド・バーナード(Raymond W Bernard。Walter Isidor Siegmeister。1903~1965)によると、ネフィ・コットム(Nephi Cottom)という医師の、ノルウェー系の患者が、上記と似たような話を語ったことがあるらしい。
地球の内部に秘密の石がある
錬金術の秘技が書かれているという古い書物に、「Visita Interiora Terae Recticamdo Invenies Occultum Lapidem(地球の内部に秘密の石がある)」と書かれた円の中に、太陽と月から何かが注がれてる杯が繋がったキーホルダーみたいなものや、いくつかの記号や宇宙円盤みたいなものが描かれた図が見られることがある。
その図の意味(それに、修行中の魔術師がしばしば人里離れた山とかに消えて、いつからか一人前になって人里にまた現れたというような伝説の数々)を意訳して、彼らが求めてきた秘密の奥義とは、地下の超文明で得られるものだと考える向きもある。
「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石 「現代魔術入門」科学時代の魔法の基礎
また一説によると、魔術師の秘密結社、薔薇十字団(Rosy Cross。Rosicnicians)の合言葉は”vitiol”だった。これは「vista interiora terrae rectificando invennes omnia lapidem(地球の内部を正しく見るならば、全てが石)」の略だとか。
「薔薇十字団」魔術、錬金術の秘密を守る伝説の秘密結社の起源と思想
悪魔の師から逃げるレイの魔法使い
スコットランド、ハイランド州サザーランドのダーネス(Durness)にある、スムー洞窟(Smoo Cave)は、魔術師の伝説で知られている。
かつてその地は、人里離れ、静かで、レイの魔法使い(TheWizard of Reay。スコットランドの民間伝承における黒魔術師的な何者か。レイというのは貴族の称号らしい)にとって心地よい場所だった。
この魔術師は、悪魔の下で闇の魔術を学ぶためにスコットランドからイタリアに向かうことになるが、元々はドナルド・マッケイ(Donald Mackay)という名で知られていた。
基本的な悪魔は人に魔術の力を与える代わりに代償としてその魂を頂戴するのだが、このマッケイという賢明な修行者は、悪魔の手から上手く逃れ、このスムー洞窟の奥深くで、隠れて活動していた。
しかし、影のない残酷な魔術師として、(例えばいたずらに洞窟の水を増加させ、人を溺死させるなど)様々な悪行を重ねた彼の噂は、ついには、その古い師である悪魔の耳にも届く。
しかし、ずる賢い魔術師は、いつでも悪魔や、悪魔の手下の魔女たちの手から逃れる。その戦いの過程で、壁に穴が開いたりして、洞窟はより複雑になっていったのだという。
白き監督者の賢者の石
1666年12月27日、風の吹きすさぶ寒い冬の夜のこと。
今は錬金術師ヘルべティウス(Helvetius)としても知られている(が生前は秘密にしていたらしい)医師、ジョン・フレデリック・シュバイツァー(John Frederick Schweitzer。1630~1709)のもとに、奇妙な訪問者が現れたと伝えられている。
この知識に貪欲な医師は、クリスマス休暇も、錬金術師の実験に使っていた。ドアをノックする音が聞こえたのは、長い実験を終えたあと、実験器具の清掃や整理に手間取っていた時。
ドアを開き、仕事場に招き入れたその白いローブを着た何者かは、がっしりとした体格で、髪は灰色、顔は妙に赤らんでいた。
訪問客はヘルべティウスにたずねる。「あなたは、賢者の石(Philosopher’s Stone。物質を別の物質に変換できる霊石)というものを信じますかな?」
ヘルベティウスは、客の珍妙な衣装に吹き出したくなるのをこらえながらも、はっきりと言った。「賢者の石などというものは、一部の錬金術師の妄想の産物ですよ。宇宙の統一的性質、自然の法則というものがあります。卑金属が貴金属に変えられるなど、夢にすぎないのです。私は錬金術師ですが、この技術を神秘主義と同列には考えないでいただきたい。私のこの部屋の中では、霊魂存在は、事実の裏付がなければ、実在しないことになっているのです」
客は笑みを見せ、ローブの長袖に隠していたような小さな包みをとりだす。「だが他の者たちは、あなたほど懐疑的ではないだろう。この物質が鉛を金に変えるところを、直にその目で見るならば。あなたもやってみてはどうかな」
客はヘルベティウスに包みを渡した。後に博士は、その包みの内容について、「ある種のガラスで、硫黄を含んだ青白い物質」と説明した。
客は、比較的単純ではあるが、かなり細かいところまで、その物質を使った実験について指示した。ただの鉛が、るつぼの中へ入れられ、やがて熔解し、泡立つ熔融物となった。「この物質を精製された黄色い蜜蠟でくるみ、るつぼに投入する」という指示に従うヘルベティウス。すると容器から蒸気が消えて、なんと、鉛はたしかに、紛れもなく純粋な金に変っていた。
「懐疑主義者は、こうして新たな信者となる」客はまた笑みを見せた。
ヘルベティウスは、実際にその目で見た驚くべき現実を前に、反対の言葉は言えなかった。そして、不思議な客に尋ねた。「あなたは誰ですか?」
客は答える「私は、人々を導く者たちの監督者です」
ヘルベティウスはさらに聞く「どこから来たのですか?」
客はまた答える「私は地球の中に住む者の1人です。私たちは、必要なことが起きたときに、地上へ出てこなければならないのです」
ヘルベティウスの頭は混乱し、もっと聞きたいことがあるのに、うまく言葉が出てこない。そのうちに白服の客は、どうやら帰り支度を始めた。
ヘルベティウスはなんとか言う「待ってくれませんか。まだ聞きたいことが」
「試してみたいなら、まだあるさ」と客は言った。「もう一包みここにある。正真正銘の賢者の石だ」
そして、白服の客はドアを開き、彼が幻などではなかったという驚くべき証拠の包みだけを残して、闇へと姿を消してしまった。
ヘルベティウスは、同じ夜のうちに、2度目の実験をおこなった。1度目と同じ手順、霊の物質をるつぼの中に加えた時、やはり鉛は金に変わる。
金細工師にも確かめてもらったが、「これほど純度の高い金を、私は今まで見たことがない」というのが、細工師の感想。
鉛が金に変った。このセンセーショナルなニュースは、ヨーロッパ中にすぐひろまった。合理主義的哲学者として知られるバールーフ・デ・スピノザ(BaruchDeSpinoza。1632~1677)を含む、何人もの人たちが、遠方からヘルベティウスの研究室を訪ねて来た。
スピノザとヘルベティウスと金細工師と、その石による変成現象について論議をかわしたとも。
地下帝国アガルタの、世界の王
「アガルタ(Agartha)」という名称は、一応はインドの民間伝承に由来するという説がある。意味は「地底世界」とか「地底国」みたいな感じらしい。
この地下の超テクノロジー文明の伝説は、神秘主義者の人気を集めてきた。アガルタの首都シャンバラ(Shambalah)に住まう王は、世界の王であり、地上の様々な社会にも影響を与えてきたのだとか。
歴史上で、大きな影響力を持ってきた支配者や征服者たちも、実は(地球上のあらゆる地下に張り巡らされた秘密のトンネルネットワークから地上へと現れる)アガルタの使者たちから、それぞれ使命を授けられたり、教えを受けたり。そしてこのような話の例として、よく関連付けられる1つが、ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte。1769~1821)が、人生の重要な時期に何度か出会ったとされる謎の赤い人の噂。
また、例えばピラミッドのような驚異的な古代遺跡も、地上の地域的な王ではなく、実はアガルタ人たちの何らかの思惑のために作られたとか。
例によってレイモンド・パーマーは、UFO(空飛ぶ円盤)というのは、実は宇宙からやってきたのではなく、地下からやってきたという説に注目していたとされる。
もちろん、地下の超テクノロジー文明アガルタを信じる者たちの間では、反重力で動作するハイテク乗り物といったSF的機械が語られることもある。
空洞惑星は機械であるか
今は、極地方に建てられた基地で人が生活し、地球を上から監視する機械みたいな人工衛星が空の上を常に飛んでいる。古い地球空洞説でほとんどお馴染みと言える北極と南極の穴が、確認されたことは(少なくとも公式には)ない。
また現在プレート理論によると、どうやら地球表面は少しずつ移動する大陸プレートなのであるが、極に穴があるのだとして、それは大陸プレートの穴なのだろうか?
結局、地球空洞説というのは、地球内部の構造がよくわかってなかった時代の空想にすぎないのだろうか。
そうもしれない。
しかし、地球が空洞かどうかはともかくとして、内部が空洞になっている惑星が存在しうるのかどうかを考えるのは、現在でも有意義な事なのではなかろうか。
宇宙には、とんでもない数の惑星があるだろう事はわかっている。確かに惑星ができる過程において、内部に空洞ができるようなシナリオは考えにくいが、数えきれないほどのパターンがあるのだから、そのうちのいくらかは、そういうシナリオにあてはまったりするかもしれない。
そして、自然にそういうものができるのかどうかはともかくとして、人工的にそういう惑星を作れるのかどうか、という事は、もっと重要かもしれない。そういう惑星が見つかった場合、例えば地球がそうであったとするなら、そういう星(地球)は、人工的なものである可能性が高くなるだろうから。
いつか未来の誰かが、そういう機械惑星を造る日もくるだろうか。