「利己的な遺伝子論」進化の要約、恋愛と浮気、生存機械の領域

小さな領域

ダーウィンは知らなかった遺伝子

 『利己的遺伝子理論(Selfish gene theory)』は、進化論の領域とされる。
考え方的にはダーウィンの考えていた(ただしそれ自体が諸説ある)理論そのままの正統後継的な感じもあるが、大幅な変化版と受け取られることもある。

 ダーウィンは『自然淘汰(Natural selection)』という考えを提唱した。
ある環境の中に生命体があった時、それぞれの種は様々な変異をする。
そしてその環境の中でもっとも上手く適用できた者の子孫が多く残る。
つまり遺伝子が未来へと受け継がれていき、結果的には繁栄する。
そうした生命体の変化の流れを、彼は『進化(evolution)』と呼んだ。
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 ただしダーウィンは遺伝子というものを知らなかった。
彼の時代、まだそれは一般的でなかった。
遺伝子というのは、今では『DNA』と呼ばれる分子が持つ、実質的な生命の情報コード(暗号)となる分子構造であることがわかっている。
細胞分裂イメージ DNAと細胞分裂時のミスコピー「突然変異とは何か?」
 子は親に似るとは限らないが、少なくとも他人が適当な誰かに似る確率よりは、親が子に似る方が可能性は高いと考えられているだろう。

 また、典型的な生物の最小単位の物質は細胞と呼ばれる。
人間のような生物は多数の細胞が共存体を作っているような構造なので、我々は多細胞生物と呼ばれる。
そんな多細胞生物でも、一個体としての存在は『受精卵(Fertilized egg)』と呼ばれるひとつの細胞から始まるとされている。
受精卵は、『精子(Sperm)』と呼ばれる、父親の遺伝子の半分の量を適当に持った生殖細胞と、同じく母親の遺伝子の半分量を持った『卵子(Egg)』がくっついたものである。
親が子に似る理由はここにある。
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 驚くべきことに、受精卵の段階で遺伝子はすでに今後どのような個体となるのかの情報を所有している節がある。
というかそのように考えることが最も、ありえそうな話でもあると、今は考えられている。

利己的な遺伝子

 利己的遺伝子理論というのは、進化論の自然淘汰を遺伝子レベルの領域で考えるものと言える。
『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』 という本を書いて、この学説を有名にしたリチャード・ドーキンスは、植物や動物というのは、遺伝子の『生存機械(Survival machines)』と考えれると説いた。

利己的な振る舞い、利他的な振る舞い

 生命体の進化という現象は、遺伝子の利己的な振る舞いの作用だと解釈することができるとも言える。
ただしドーキンス自身が書いているように、当然のことながらこれは、遺伝子というものに意識というものがあって、そいつらが自分勝手に振る舞っているという話ではない。
実際そうだとしても、今のところそんなことを示す根拠は一切ない。
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
 この場合における利己的、あるいはその逆の利他的とは、以下のように定義されるのが普通である。
利己的は「一個体が、他はどうでもよくて、自分の生存率や繁殖率を高めようとする振る舞い」
利他的は「一個体が、自らの生存率や繁殖率を下げてまで、別個体の生存率や繁殖率を高めようとする行為」である。
生存率は繁殖率のことをまとめて『成功率』という場合も多い。
とにかく上記の定義に従い、遺伝子が利己的に振る舞っているかのように思えるシステムが、 存在しているのだとすると、生命体の進化というものをうまく説明できるのではないか、というのが利己的遺伝子論の思想と言えよう。

哲学の問題ではない

 実際に遺伝子が、本当に利己的なのかどうかだが、そんなことはこの理論とは何の関係もない。
その辺はまた別の話である。

 おそらくもっと馴染みやすい例えとしては人工知能の問題があろう。
人間の神経系の働きをまねれば、人間のように振る舞うロボットができるだろうというのが利己的遺伝子論なのだとする。
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すると、実際に遺伝子が利己的かどうかという問題は、人間のように振る舞う人工知能には意識が芽生えているのかどうかというような問題である。

 しかし意識があろうがなかろうが、そんなことはロボットに人間的なことをさせたいだけの場合においてはどうでもいい話であろう。
肝心なのは、人間の神経系の働きを再現すれば、人間のようなロボットが作れるだろうということのみ。

 利己的遺伝子という理論においても、論点は、単に遺伝子が利己的に振る舞っているかのように思えるシステムが、この世界に存在しているということのみなのである。
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遺伝子レベルで考えることの利点

 自然淘汰の進化論を、遺伝子レベルで考えることは、とても理にかなっているように思える。

 例えば首の長いキリンが、ある環境で有利だったから、首の長いキリンが繁栄したのだとしよう。
まだ首の長いキリンがいなかった頃に、首を長くした者の形質を受け継いだ者たちは、実際には何を受け継いでいたのか。
首を長くしようと思って、長くできるものでもないだろう。
子孫たちは最初から長くなることが決まっていたのだ。
発生の段階から個体となり、朽ち果てるまでに、首を長くする遺伝子を受け継いだからだ。
より正確にはそういう遺伝情報を持つ遺伝子を受け継いだからだ。

 もう一つ重要なことは、遺伝子という単位が、生命体としての自己を複製(コピー)できる最大単位と考えられていることだ。
そこで遺伝子は『自己複製子(Self replicator)』とも呼ばれる。

 当たり前の話だが、あなたの子供は、あなたのコピーではない。
あなたの子供は、あなたの遺伝子を半分だけ持っているだけの存在だ。
あなたの100世代あとの子孫など、あなたとはもうほとんど他人のようなぐらいに、遺伝的には異なる存在となっているだろう。
もちろん同じ姓名を名乗っている可能性はある。
だいたい同じ人間ではある。
同じ人種とも言えるだろうし、普通にその姿は似ているかもしれない。
それでもあなたの完璧なコピーというには程遠い存在だ。

 オスとメスを使う有性生殖の場合、遺伝子は必ず、半分ずつしか自分たちの子に残せない。
自分の遺伝子を後で残すということだけを考えるなら、必ず、パートナーの遺伝子という不純物が、受け継がれていく自分の遺伝子を汚染していくというふうにも言える。

 だが我々が受け継がせようとする自分の遺伝子というのは、より小さな遺伝情報の集合とも言える。
それらの小さな遺伝情報を一つ一つを単体のものと見れば、かなり長期にわたって生命体の中を保持される場合もある。
例えば黒い目をしている人はたくさんいるだろう。
みんな黒目と関係している遺伝情報を持っているからだ。

 ここで、ドーキンスの面白い例えを使おう。
人一人という答えを決定する全遺伝子を綺麗に束ねられたトランプの束とする。
しかし次の世代に渡る時には、必ずぐちゃぐちゃに混ぜられるから、以前のものとは全く違うような感じになる。
それでも、どれだけぐちゃぐちゃに混ぜられようと、個々のカードの数字はマークは変わらない。
トランプ 「トランプの雑学」カードの意味や強さから、基本ゲーム用語まで
そのカード1枚1枚が遺伝子というわけである。

我々はどの程度、機械か

 意識というものを持っているのが人間だけだとしても、普通の動物が遺伝子の思うがままだなんてことは考えづらい。
おそらく我々を遺伝子の生存「機械」と言う傾向があるのは、文字通り我々が、プログラムで動く機械(ロボット)のようなものだからと考えられているからであろう。

 遺伝子が、実際には生存機械たる生物を動かすには、タンパク質の合成、制御という段階がある。
しかし、生物が直面する様々な現象や、生物自身の行動に対して、その過程の速度は遅すぎる。

 例えば我々の前にいきなり炎が燃え上がり、迫ってきたら、自らを守るために逃げるだろう。
我々にそれ(危険から逃げるという行い)をさせるのは神経系である。
だが、神経系は遺伝子が作ったプログラムというわけだ。

自分のために他人を助ける生物たち

 我々は、真実がどうであれ、利他主義を理想と考える傾向がある。
というか多分、それが美徳だと教えられて育ってきた。

 社会の中で貧富の差というものが問題にされることがある。
これはまさしく利他主義が理想とされている根拠の一つだろう。
一人の大金持ちのために他のみんなが苦労するよりも、みんなが少しずつでも裕福になっていく方がいいと考えられているわけだ。

 利己的遺伝子理論において、遺伝子を残すための種の利他的な行動として見れる。
そこでは、身近な者同士の戦いが起こることもある。

メスをめぐるオスの戦い

 利己的な生き方とは何であろう。
遺伝子を残すという観点からすると、同性の相手を排除するのは、利己的行動としてよいと考えられる。

 確かに多くの生物において、メスを巡ってオス同士が争うのは珍しくはない。
しかし、命を奪うまではいかないことも多い。
なんらかのルールに従う紳士的スポーツに例えられることもある。
それに同族の命を奪う種は人間だけという神話めいた話を信じる人すらいるほど。
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 基本的に、あまり過激な戦いを望む者は、結局損をする可能性が高い。
なぜなら、メスを巡ってということなら、オス同士のライバルは大勢いるからだ。
苦労して、ライバルをひとり排除までするのは、他のライバルに塩を送る結果になってしまうことの方が多いだろう。
実際に、カブトムシなどで、争うオス同士をだしぬいて、メスに近づくちゃっかり者もいる。
カブトムシ 「カブトムシ」生態と不思議。集合する幼虫とサナギ
負かしたライバルにとどめを差さないのは、同情でなく、リスクを減らすことと解釈できる。

臆病者はいかにして誕生するか

 知恵を持つと確信できなくとも、コオロギはあたかも知恵があるかのように振る舞う場合がある。
コオロギは攻撃的であっても、戦いで負けが続くと、臆病になることがわかっている。
そしてコオロギのような生物が、集団的な場を築くと、自然に順位というものが発生する。

 コオロギは、自分が勝ってきた頻度のみを、自身の評価の基準にしている。

 ニワトリなどは、自分を負かした相手を記憶している場合が多いという。
だから、一度自分を負かした相手に対しては、次回から慎重になる。

 我々が順位と呼ぶようなものは、このような生物の行動から生じていると考えられる。
無駄な争いをさけるのは、場合によっては利他的な行動と解釈できるかもしれないが、自分の遺伝子を後世に残すというためならば、あえて負け戦を仕掛けるよりも、おこぼれを狙うほうがよいとも言える。

身内優先主義は誰のためか

子育ては遺伝子のための利己的

 自分の遺伝子を残せない場合においても、自分に近しい身内を生かすことで、ある程度の目的を果たすことができよう。
人間は基本的に身内に甘いが、それは習慣などの社会的な要因だけではないかもしれない。
たいていの動物が身内に甘いからだ。

 多くの生物が子育てをする。
子育ては親という一個体からしてみれば、明らかに利他的な行動だ。
だが、大切なのが集合体としての一個体よりも、自分が持っていたある遺伝子なのだとすれば、確かに、その同じ遺伝子を持つ子供のために自分の時間を使うのは、利己的とも言えよう。
遺伝子のための利己的である。

仲間を助ける動物

 しかし例えば、クジラ類の中には、溺れかかっている、血の繋がりのない仲間を助けたりする傾向がある。
クジラとイルカ 「クジラとイルカ」海を支配した哺乳類。史上最大級の動物
それどころか、溺れかかっている人間が助けられたりという話もある。
これはいったいどういうことだろうか。

 人間同士の対立の多くも利己的遺伝子論的に説明しやすい。

 人間が肌の色や文化の違いなどだけで、同じ人間を仲間から外したりするのに比べ、クジラたちは同じ哺乳類だということで、人間を仲間と考えているのだろうか。
哺乳類 「哺乳類」分類や定義、それに簡単な考察の為の基礎知識 並ぶ哺乳類 哺乳類の分類だいたい一覧リスト
 別にクジラでなくとも、ある程度集団行動をする生物の中には、利他的と思われる行動をする生物が多いようだ。
これを、仲間意識が強いで片付けるのは容易い。
しかし遺伝子中心に考えるならば、 生まれた時から集団で生きているような生物は近くにいる個体が身内である確率が高いということだろう。

間違えて、他の誰かのために

 身内の確率が高いとはどういうことだろうか。
そういうふうに思えるとしたら、それは我々が、様々な記録を付けて、親と子の関係を明確にしている領域に生きているからこそだろう。
よくよく考えたら、少しばかり離れてしまってから再会した身内が、本当に身内であるかどうかというのは確信しにくい。
そのことをどう判断すればよいだろうか。

 一つの基準としてよく言われるのが、遺伝子的に近い系統にある者同士は、ある程度、姿が似ている場合が多いということだ。
だから多くの動物の遺伝子には、自分と似ている者をなるべく優先するように、という指令が刻まれていると考えられている。
似ているものには共感を抱くとかいうことで親しく感じたりすることも、これで説明できるという人すらいる。

 とにかく、あまり集団内での移動をしない生物においては、近場の者を助ければ、その者が身内、つまり自分が守りたい遺伝子を持っている可能性が高いというわけだ。
人間を助けてしまうことがあるのはどういうことであろう。
これに関しては、遺伝子が持っている指令の内容が「うまく泳げずもがいている者を助けよ」というようなものだからではなかろうか、と考えられる。

 遺伝子は、自在に生存機械を操るというよりも、自分たちの利益になるようなプログラムを仕掛けているということに近いから、何らかの予想しづらい事態などが起こった場合などに、プログラムの誤作動のごとく、あたかも利他的行動のような行動を、生存機械に行わせたりする場合がある。
クジラが人間を助けるれような例は、まさにそれということだ。

男性と女性の説明

 人間においても男性の方が女性よりも浮気する確率が高いと考えられている これはよく利己的というか、遺伝子中心の思想の説明において、例として挙げられる。

 とりあえず男性が浮気症なことに関しては二つの理由が考えられる。
ひとつは、当然のことながら自分の遺伝子を多く残すためには、より多くの女性に自分の子を産んでもらったほうがよいということ。
もうひとつが、単純に女性は、自分から生まれてきた子供が確実に自分の遺伝子を受け継いでいるとわかるが、 男性の場合、女性に浮気されていたりすると、その子が自分の子供なのかどうか、特別な検査でもしないとわからないということ。

 浮気された場合にも、男性より女性の方が許す確率も高いかもしれない。
なぜなら浮気された場合でも、女性は自分の遺伝子を残すことにはそこまで問題がないが、男性の場合は一大事だからだ。

 また、このような見方からすると、男性の方が、恋愛経験のないパートナーを好む傾向にあるはずである。
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相手が浮気男であっても、確実に自分の遺伝子を残せる女性の場合、むしろ相手がそのような男性の場合の方が、(特に生まれてくる子が男なら)よいとすら言える。
浮気男の遺伝子を継いでくれた男の子は、やはり不特定多数の女性を相手に遺伝子をさらに次世代に残してくれる可能性が高まる。

悪いことを行うこと

 最も人間の行動の傾向を遺伝子中心に考えると少し妙に思えてくることもある。
人間には明らかな理性があるからだ。

 パートナーに隠れての浮気は、たいていの人が、大なり小なり悪いことではあると考えているだろう。
別にそういうことでなくても、いろいろな人が、たいてい悪とされる行動をたくさんしてきている。

 おそらく悪を犯すものは、自分が理性的に正しいと考える方向と、逆に進むことに快楽を覚えているのだろう。
現実に悪いことをしなくても、そういうものに憧れたりする傾向があるのは、そういうことなのでなかろうか。

 冷静にいろいろ考えてみれば、基本的に人間が、思想的にせよ、社会的にせよ、何にせよ、悪いと言われる行いをするのは、それで得られる快楽というものが原因であろう。
そのような快楽も、遺伝子が仕掛けたプログラムと言えるのだろうか。

 人間がする悪い事の多くは、理性に逆らうことで得られる、例えば意識ある者たちに対する支配する快楽である。
だが、そういうものこそ意識があるからこそ生まれたものなのではなかろうか。
一般的に利己的遺伝子論を支持する人でも、人間の自意識のようなものは、本来想定されていたものではなく、副産物と考えられている。
だからそれが遺伝子論的に上手く機能しているというのはおかしくなかろうか。

 ただの偶然なのだろうか。
それともやはり意識というもの自体が、遺伝子が狙い通りに作った(ふうに考えられるような)ものなのだろうか。

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