黄金の夜明けのヘルメス騎士団
『黄金の夜明け団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)』は典型的なヘルメス系団体のひとつとされる。
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正式名称であるThe Hermetic Order of the Golden Dawn(黄金の夜明けのヘルメス騎士団)からも、それは明らかであろう。
最初の錬金術師ヘルメス・トリスメギストス
有名なアレクサンドロス大王(紀元前356~紀元前323)が率いるギリシア国家マケドニアが、エジプトを征服し植民地としてから、エジプトの様々な文化や宗教がギリシアの影響を受けることになったが、その逆もまた然りであった。
ヘルメスは多面的なギリシャの文化神の名前だが、いつからか、エジプトにおける知恵の神トートと同一視されるようにもなった。
その場合のヘルメスは、数学、医学、生物学などの科学に加え、様々な魔術の神でもあり、哲学者の始祖ともされる。
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やがてその偉大な知恵者ヘルメスは、伝説的な最初の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスとして広く知られるようになっていく。
彼は古代エジプトの存在のように語られるが、実質的にはそのエジプトを征服し植民地としたギリシアの人たちが創作した存在である。
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また、現実には存在しなかったろう彼が書いたとされる魔術や哲学の書物が数十冊とか残っていて、それらは『ヘルメス文書(Hermetica)』と呼ばれる。
あらゆる神秘主義の集合
ヘルメス学はまるで、エジプトに存在していた哲学をギリシャ人が勝手に再解釈したというようなイメージもあるが、実際のところは、当時、多くの地域の知識人たちが集う都だった都市アレクサンドリアで研究された様々な宗教や哲学の要素が貪欲に取り込まれている。
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おそらくヘルメス学は最高の叡知というふうに考えられていたから、とにかく当時知られていた知恵という知恵を全て取り込んでみたというわけであろう。
やがてはユダヤ教の神秘主義。
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それに後にはキリスト教やグノーシス主義の思想もいくらかそれに合流することとなった。
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ヘルメス文書に関して
ヘルメス文書は別の、同じくらいの時代に書かれたとされる他の魔術書などと比べて、それほど優れたものというわけではないとされている。
しかし、なぜだか、比較的キリスト教会に容認される傾向が強かったために、中世くらいまでの時代の西洋世界の哲学者や魔術師にとって、重要なテキストとなった。
もしかしたら、その文書に書かれていた教義などが、キリスト教のものと似ていたことから、やがてこの世界に現れたキリストが説くことになる真理とかを先取りしていた文書というふうなイメージを持たれていたのかもしれない。
また、同一人物によって書かれたわけではないと、古くから普通に知られていたこともあり、主に2つのクラスに分けられていたという説もある。
つまりは、占星術や錬金術、様々な物質の秘密などの、より実践的な内容を扱っている「実践魔術系」。
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それに、宗教や哲学の思想を扱う、「学問系」である。
当たり前のように、実践系の方が人気は高かったとされる。
ヘルメス文書の中でも、特に重要視されていたのは、おそらく11世紀ぐらいまでにまとめられたものとされている18、あるいは17冊からなる「ヘルメス選集(Corpus Hermeticum)」であるらしい。
それ以外には「アスクレピウス(Asclepius)」や「エメラルド・タブレット(Emerald Tablet)」などは有名であろう。
これらの書物は、どれも正確な起源がよくわかっていないところもあるが、おそらく原型はアレクサンドリアが栄えた紀元前3世紀から1世紀ぐらいに書かれているものとされる。
どれも本質的には同じ内容を語っており、宇宙の原理や、人間や霊的な存在の性質、そしてそれを利用する術などが書かれているという。
他にも、1945年に発見されたグノーシスの文書や、ギリシア時代よりも少し古いくらいのエジプトのパピルス文書の内の魔術系の類いは、ヘルメス文書とされる場合が結構ある。
しかしもうここまでくると、聖書とかコーランとかも、実はヘルメス文書なのではないかと考えたくはなってくる。
ルネサンスの魔術
ルネサンス(14~16世紀くらい)と呼ばれる、 古代文化の再評価時代が来ると、ヘルメス文書はすぐにいくつも再発見され、ヘルメス・トリスメギストスは、まるでキリストやモーゼと同じく実在の人物であり、かつ彼ら以前の偉大な存在として、哲学者たちの崇拝の的となった。
そしてヘルメス学は、暗黒時代と呼ばれる中世を超えて、新たに生み出されていたいくつかの概念を取り込み、より複雑化していくことになった。
例えば、薔薇十字思想のような魔術体系。
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キリスト教会が作り上げたとされる、悪魔崇拝主義的な黒魔術など。
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黒魔術をヘルメス学に含むことには、違和感のある人もいるかもしれない。
しかしどのような魔術であっても、おそらくは悪い目的に使うことが可能だ。
だから正確には、黒魔術は正当なヘルメス学ではないというのが正しいのではないだろうか。
つまり黒魔術はヘルメス学の邪道のひとつ。
その功績
とにかくヘルメス学は、その始まりから(おそらく2000年以上の)長い間、広く崇拝されながらも、あまりにも複雑な体系すぎて、明確な定義をされにくかった。
しかしこの最高の叡知とも考えられた思想を1つの体系としてまとめあげる試みは、歴史上に何度もあった。
黄金の夜明け団はそのような試みの1つであり、そして最も、あるいは唯一成功した例であると言われたりする。
つまり黄金の夜明け団が新しく作った魔術などというものはない。
基本的に彼らの功績は、それまでに収拾がつかなくなるほど、メチャクチャになっていた魔術体系を、まるで1本の糸のごとく、まとめあげたことである。
魔術秘密結社のルーツ
黄金の夜明け団は、もともとそんなに大規模な組織になることを意図していなかったとされる。
それは純粋な魔術秘密結社であり、教義はもちろん、各団員の素性まで、外部の者には秘密とされていた。
その目的としては、少数の選ばれし者に秘伝の知識を授け、霊的成長と哲学的真理を得るための、具体的な方法や道具を与えること。
そういう団体は近代以降、数多くあり、そしてそういう団体の中でも、黄金の夜明け団はどちらかというと少数精鋭だったようだ。
おそらくそのような魔術秘密結社のルーツはテンプル騎士団(実在したならシオン修道会も)であるが、これは多分ただのキリスト教系の自警騎士団である。
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ただ、テンプル騎士団にそういう秘密組織であるというイメージが あったのは確かなことらしい。
設立の話。暗号文書とは何だったのか
ウィリアム・ウィン・ウェストコット
1888年。
フリーメイソンの薔薇十字系派閥に属していたらしい3人のカバラ研究者、ウィリアム・ウィン・ウェストコット(1848~1925)、マグレガー・メイザース(1854~1918)、ウィリアム・ロバート・ウッドマン(1828~1891)が、共同で新しい魔術系組織を立ち上げた。
それが黄金の夜明け団であった。
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創立者たちは当初、自分たちを西洋神秘主義(ヘルメス学?)の守護者というふうに考えていたようだ。
特に中心的な存在であったウェストコットは、1875年に、アメリカはニューヨークで発足した神秘主義団体「神智学協会(Theosophical Society)」にも所属していて、 初期の黄金の夜明け団には、結構その影響もあったともされる。
というか実のところ、黄金の夜明け団はもともと、実質的にはこのオカルト趣味の男ウェストコットの趣味団体であったようだ。
マグレガー・メイザース
ウッドマンもまたそれなりに高名なカバラ研究者だったようだが、3人の創立者の中でも、最も真に魔術師といえるような存在だったのは、メイザースだったとされる。
メイザースは、特に後世においても、神格化されて尊敬されるか、あるいは結構な悪党というイメージが妙に強い。
若い頃はプロボクサーで、他にも様々な格闘技に通じていたとされるが、詳細は明らかでない。
人当たりのよい魅力的な人物であり、彼と直接話した者は、たいていその神秘性に魅了されたという。
特筆すべきは、彼のことをいいように記録している者も、悪く記録している者も、たいていがその知識の深さに関しては、とても評価していたことだろう。
しかしながら彼は、ひたすらに知識を吸収する事ばかりで、疑うということを知らず、「驚くべき量の知識を持ってはいるが、知恵がない」という評価もある。
暗号文書の解読
ウェストコットは、1887年に、A・F・A・ウッドフォートとかいう、フリーメイソン会員の老人から、60枚ほどの『暗号文書(Cipher Manuscripts)』を譲り受けたらしい。
ウッドフォート自身は、その暗号文書を、知り合いの骨董商から譲り受けたか、あるいは購入したのだとされる。
ウェストコットは、その文書の暗号が、有名な魔術師であるパラケルスス(1493~1541)やアグリッパ(1486~1535)の師ともされるヨハンネス・トリテミウスの著書「ポリグラフィア」のものと、同じか、かなり近いことに気づく。
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その暗号自体は、わりとシンプルな変換式であるらしい。
そして解読してみたところ、その内容は、秘密の技を学ぶ者がその領域に足を踏み入れるための儀式などの手引きであったという。
ウェストコットはそれを参考として、自らのオカルト団体を構想したのだとされている。
何のために創作されたのか
暗号文書の出典に関しては、ウェストコットか、 あるいは彼の知り合いである作家などが創作したものであるという説が結構有力。
とりあえず、光をあてると目視可能となる文字や画像を「透かし(Watermark)」と言う。
暗号文書にはその透かしで1809とあり、ウェストコットはその年に書かれたものとしていたらしいが、これはかなり怪しいとされる。
どうもこの暗号文書には、カバラの生命の樹の図と、タロットカードとの関連性についても書かれてるようなのだが、一般的にそれらの関連は1855年にエリファス・レヴィ(1810~1875)が指摘する以前は知られていなかったとされている。
一応、そのエリファス・レヴィ自身が、この暗号文書が世に出る前の所有者の一人であり、その影響を受けていたという説もある。
それと、暗号文書が完全に創作なのだとしても、黄金の夜明け団という組織の権威がすぐさまなくなるわけではない。
魔術系組織は血統こそが重要だとされていたから、真剣に魔術師を志す者を会員として集めるためには、そのような偽装は多少仕方なかったとは考えられる。
英国薔薇十字教会の繋がり
暗号文書を創ったのはケネス・マッケンジー (1833~1886)とかいう言語学者だったともされる。
マッケンジーもまたオカルト趣味で、ちょうど1861年には、やはり高名な魔術師であったレヴィに会うために、フランスに旅行をした。
そしておそらくはその旅行の最中。
マッケンジーはパリにて、アメリカ最古の薔薇十字系組織ともされる「フラテルニタ・ロザエ・クルシス(Fraternitas Rosae Crucis。FRC。薔薇十字の兄弟)」の設立者らしいパスカル・ビバリー・ランドルフ(1825~1875)と出会っている。
もっと早くに出会っていた説もあり、その場合、1858年にランドルフが設立したFRCは、マッケンジーの影響もあるとされる場合もある。
1864年。
フリーメイソン会員のロバート・ウェントワース・リトル(1840~1878)が、ロンドンのロッジの倉庫で、ドイツ語で書かれた古い薔薇十字の儀式記録を見つけ、彼はすぐにマッケンジーを頼り、新たな体系を創った。
リトルは、レヴィとランドルフの共通の友人であり、深い教養を持っていたマッケンジーこそ、 新しい秩序を築くべき人物だと考えていたとされる。
そして1865年。
マッケンジーとリトルは、「英国薔薇十字教会(Societas Rosicruciana in Anglia。SRIA)なる組織を設立。
これはより古い「薔薇十字会(Societas Rosicruciana)」という薔薇十字系組織を参考にしているらしい。
そしてそのSRIAの主要メンバーの中に、ウェストコット、ウッドマン、メイザースの3人もいたそうである。
つまりそういう繋がりらしい。
マッケンジー説では、1887年8月に、ウッドフォートに暗号文書を売った古物商とは、マッケンジーの妻だったとされることが多い。
マッケンジー本人は、その時にはすでに亡くなっている。
八人の会は原型か
黄金の夜明け団の原型は、SRIA内の小組織「八人の会(Society of Eight)」だったという説もある。
これはフリーメイソンの上級会員であったフレデリック・ホランドとかいう人が立ち上げたもの。
そしてこの説においても、暗号文書を創ったのはやはりマッケンジーとされる。
彼は、その8人の会の組織のために、儀式の概略を暗号で書いたが、その組織自体は本格的に活動を開始する前に立ち消えとなった。
結局、後に残った暗号文書が、ウェストコットの手に渡ったのだという。
魔術師フロイライン・シュプレンゲルの手紙
暗号文書には手紙がついていたらしい。
それにはフロイライン(ミス)・アンナ・シュプレンゲルとかいう、女魔術師の住所が書かれていたという。
ウェストコットが、そのシュプレンゲルに手紙を書くと、返事がしっかり返されてきた。
そして彼女が、「Die goldene dämmerung(黄金の夜明け)」という魔術組織に属する達人であり、薔薇十字団の正当血統であることが判明する。
さらに彼女は、黄金の夜明けのイギリス支部を作る許可をウェストコットに与えたのだという。
暗号文書が本物であると信じている人でもこの手紙に関しては偽りだと考える人が多い。
後にはメイザースも、この手紙は創作だと認めているらしい。
たいていが中流階級だった団員たち
黄金の夜明け団の初期の団員たちはたいていが中流階級のエリートだったようだ。
医者や作家を本業としている者が多く、当然のことながら、オカルトへの強い興味という点が共通していた。
また、男女平等主義だったようだ。
初期の有名会員としては、後にノーベル文学賞を受賞するアンリ=ルイ・ベルクソン(1859~1941)の妹であり、メイザースの妻であった、画家のモイナ(1865~1928)。
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美しき舞台女優として知られ、団内ではよくタロットとエノク魔術の講義を行っていたらしいフローレンス・ファー(1860-1917)。
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タリウム原子の発見者であり、主に電磁気現象の研究をしていた物理学者ウィリアム・クルックス(1832~1919)。
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わりとすぐに独立し、優れた魔術師として名をあげることになったアレイスター・クロウリー(1875~1947)などがいる。
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分裂はなぜ起こったか
途切れた手紙。いくつかの支部
1891年にウェストコットは、シュプレンゲルからの連絡が途絶えたと発表したともされる。
これには2つの説があるらしい。
1つは単に彼女が死んだというもの。
もう1つは、(薔薇十字団の)仲間から、黄金の夜明け団に関して反対された彼女が、「もう関わりは終えた方がよい」と忠告してきた説。
さらに同年の末には、ウッドマンが亡くなり、より団内での権力を強めたメイザースは、組織をより実践的なものに変えていこうと考えたという。
この時点で、団の本部とされていた『イシス・ウラニア・テンプル(Isis-Urania Temple)』には80名ほどの会員がいたそうだ。
他にも、すでにサマセット州に「オシリス神殿」、ウェストヨークシャー州に「ホルス神殿」などの支部があったが、それらにはせいぜい十数人程度しか集まってなかったらしい。
もう少し後には、スコットランドのエディンバラの「アメン・ラー神殿」、フランスのパリの「アハトル神殿」など、イギリス以外にも支部が作られている。
また、1900年までにはアメリカにもいくつか支部が作られていたそうだ。
赤き薔薇と黄金十字架
1892年。
パリに移住していたメイザースは、自分が新たに秘密の頭領と繋がったと主張。
その後に彼はさらに、第二団とされる「赤き薔薇と黄金十字架(Red Rose and Cross of Gold。RRetAC)」を設立。
RRetACの教義は、より薔薇十字団伝説と深く結びついていた。
メイザースは、薔薇十字団の伝説的な創立者クリスチャン・ローゼンクロイツが、死後120年で復活したという伝説から着想を得て、実物大の彼の墓まで建設した。
このモイナの霊感を頼りに再現されたという部屋は、『達人の金庫室(Vault of the Adepti)』と呼ばれ、RRetACの入会儀式では大きな役割を担っていたともされている。
別組織とかでなく、第一団で理論を学んだ者が、第二団に入会するというような流れがあったようだ。
経済的な危機
ところで団を経済的に支えていた初期会員に、アニー・ホーニマン(1860~1937)という劇場のマネージャーがいた。
彼女は裕福な紅茶商人の家の生まれである。
そのホーニマンは、パリに移住したくらいから、スコットランドの独立運動など、妙に政治運動に関心を持ち、団を疎かにしがちだったメイザースと次第に対立。
結果1896年にはついに、ホーニマンが団への経済援助を打ち切る事態となってしまう。
活動資金的にかなり苦しくなってしまった団だが、メイザースはそれよりも、自分の権力が地に落ちてしまうことを恐れていたようだ。
彼はすぐに、第1団、第2団の全員に、あらゆることについて自分に完全服従することをあらためて約束させた。
しかし経済援助がなくなるや、ホーニマンを団から除名したメイザースに不満を持った者はけっこう多かったとされ、彼女に続くように脱退した者もいた。
そして実際に、メイザースの権威より、金の方が切実な問題であった。
ホーニマンと若い頃からの友人でもあったモイナは、彼女にまた金に関する手紙を書いたが、決意を覆すことはできなかった。
政府からの圧力はあったか
1897年には、ウェストコットが団を脱退。
以降は、メイザースが唯一の最高権力者となり、ロンドンのイシス・ウラニア・テンプルの運営はフローレンス・ファーに任されることになった。
ウェストコットの脱退理由に関しては、ロンドン警察の検死官であった彼に、政府から圧力がかかったという説が有力(注釈)。
団の書類仕事を全面的に担当していたウェストコットがいなくなってしまったのは、かなりの損失でもあった。
(注釈)クロウリー、スパイ説
マイナーだが、非常に興味深い説に、表向きは悪名高い魔術師のアレイスター・クロウリーは、(イギリス当局からすると)反政府的なメイザースへのスパイとして、黄金の夜明けに潜り込んでいたエージェントだったという説がある。
とすると、ウェストコットのことを当局に伝えたのも、もしかしたら彼だったのかもしれない。
喜劇的な追放劇
メイザースはますますやりたい放題になり、しかもかなり問題児だったらしいクロウリーの第二団入会を許可したため、ファーからかなりの反感を買ってしまう。
クロウリーの何が問題だったのかは諸説ある。
ただ、ファーも別に品行方正な人柄などではなかったとされてるから、よほどだったのだろう。
ちなみにウェイツも、クロウリーが入会を拒否されたのは当然であり、その理由を「神秘主義の結社は少年院ではないから」としていたらしい。
とにかく嫌気がさしたファーは、1900年にはついに手紙で、団の解散を提案したという。
これをメイザースは、自分を追放し、再びウェストコットを組織に呼び戻すための陰謀だと勘ぐる。
そしてメイザースは、シュプレンゲルの手紙はウェストコットの捏造だと発表する流れになった。
しかし結果的にそれは、団内の分裂を加速させることになる。
ロンドンで、シュプレンゲルに関する調査委員会が立ち上がるや、メイザースはクロウリーを送りつけ、ロンドンの団の施設や道具を差し押さえさせようとした。
結果的に(喜劇的と称された)その計画は失敗し、メイザースとクロウリーは2人共に団から追放されることになった。
より霊的なスフィア
メイザースの追放で一件落着とはならなかった。
すでにイシス・ウラニア・テンプル内でも、内部分裂が起きていたのである。
メイザースがいなくなってから、ウェイツが掌握した正統派の「アデプティ・ミノレス(Adepti Minores。小さき達人)」とは別に、ファーと何人かが「スフィア(Sphere。球体)」という分派を勝手に始めていたのだ。
スフィアは特に霊的教義を重要視していたらしい。
ここに(おそらくはメイザースがいなくなったから)ホーニマンも復帰してきたが、 しかし以前と随分変わってしまった内情に彼女を失望し、またそれが対立に繋がったとされる。
ウェイツはなんとか混乱を収めようとしたが叶わず、結局彼も 1901年の2月に退団した。
詐欺師の夫婦が晒した秘密
また、追放されたばかりのメイザースにマダム・ホロスなる詐欺師が接近。
彼女は、自分こそシュプレンゲルだとメイザースに信じ込ませ、メイザースがおかしいと気づいた時には、黄金の夜明け関連のいくつかの秘伝書が盗まれてしまっていた。
そしてホロスの彼女の夫は、新たにロンドンで、「The Order of Theocratic Unity(神権統一団)」なる組織を始めた。
これは魔術結社の皮をかぶった典型的な快楽主義団体であったが、何人か犠牲者が出た段階で、ホロスの夫は暴行容疑で逮捕される。
この時にホロス夫妻は、自分たちは黄金の夜明け団の指導者だと自称し、自分たちが手に入れていた、それに関する文書を白日のもとに晒した。
こうして、1903年くらい。
秘密結社だったはずの黄金の夜明け団の名が、悪名とともに広く知られることになったのである。
そしてこの騒動の最中。
(おそらく社会的な対面を気にしていた)ファーも団を抜けた。
その後の黄金の夜明け
黄金の夜明け団の中でも、まだメイザースに付き従う一部の者は、彼と共に「アルファ・オメガ(Alpha et Omega)」という組織を新たに結成。
一方で、残った黄金の夜明けの残りのメンバーも、組織の名称を新しく「暁の星(Stella Matutina)」とした。
この暁の星には、ウェイツとファーも再び合流したらしい。
以降はいくつも、黄金の夜明け団の血統を有する神秘主義団体が作られていくことになった。
そしてその教義は、現在まで神秘主義者たちの世界観に影響を残し続けている。