「オートポイエーシスな生命システム」物質の私たち。時空間の中の私たち

生物とは何か。我々はなぜそれらを区別するのか

 我々は我々自身のことを生物と呼びたがる。
では生物の基準とは何だろうか。
無生物でないことなのだろうか。
しかしそうだとすると、結局無生物とは何か、という問題になる
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で

時空間における位置や位置関係

 ある特定のものが本質的に同じであるということは『同一性(Identity)』と言う。
生物の基準、あるいは無生物の基準は同一性のはずである。

 水を見てみよう。
我々は水を他のものとどう区別しているか。
当然のことながら、水素と酸素がくっついたH2O分子という化学構造であろう。
余計な分子が多い場合は「水を含んだ~」と表現される。
化学反応「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か  生物に関する同一性の基準は細胞構造だとされる。
ただ細胞1個は、H2O分子1個に比べると、かなり入り組み、複雑な構造で、それ自体に個性がないとはあまり考えられない。
「生化学の基礎」高分子化合物の化学結合。結合エネルギーの賢い利用「幹細胞」ES、iPS細胞とは何か。分化とテロメア。再生医療への利用  実際のところ、細胞だろうが分子だろうが、より小さなものの集合体だと考えられている。
そうすると、普通に考えるなら、空間が完全に連続的なものである限り、内部の要素の位置関係という個性が、真の意味での万物に存在していると考えられる。
存在していないのはおそらく最初の素粒子だけである。
量子「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ  (例えば分子とか細胞みたいな)構造体自体の時空間内での(位置関係でなく)位置は重要であろうか。
例えば2秒生きている素粒子と、3秒生きている素粒子では、その存在時間によって、何らかの個性が生じているだろうか。
素粒子論「物質構成の素粒子論」エネルギーと場、宇宙空間の簡単なイメージ時空の歪み「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙  物事を見る時、現在の瞬間だけを問題の範囲とするのなら、過去どのくらい存在したかとか、過去のどこにあったとか、そういうことはどうでもいいということになる。
今の瞬間だけというのなら、少なくとも素粒子だけでなく、いくつかの相互作用に関しては、同一性が明らかになるのかもしれない。
タイムトラベル「タイムトラベルの物理学」理論的には可能か。哲学的未来と過去

我々はどの程度複雑な構造体なのか

 今の瞬間だけを基準にしないのなら、少々厄介なことが起こるかもしれない。
1年前に死んだ人間に個性は残っているだろうか。
今の瞬間だけ特別視しない場合、果たして死んだ存在というのを死んだとはっきり定義することはできるだろうか。
「死とは何かの哲学」生物はなぜ死ぬのか。人はなぜ死を恐れるのか 誰か大切な存在が死んでしまったら悲しいだろう。
悲しいと思うのは、その誰かを失ってしまったからのはず。
しかし、時空間というこの世界から、その誰かはおそらく失われていない。
失われることはない。
時空間自体が消えでもしない限り。
ループ量子空間「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空11次元理論「超ひも理論。超弦理論」11次元を必要とする万物理論 自分がもう二度とその誰かに会えないことを悲しいと思っているのだろうか。
だがある瞬間において、確かにその者たちは繋がっている。
今の瞬間の我々が、今の瞬間だけのものでないのなら。
「視覚システム」脳の機能が生成する仕組みの謎。意識はどの段階なのか  動く方向とか量とか速度とか、何かが違っている相互作用が、同じ物を生み出すことはあるだろうか。
もしそうなら、例えば数値的に定義できる様々な条件(温度とか、大きさとかみたいなもの)が同一である、分子1個なんかは、他の同条件環境の分子と同じもの同士と考えていいかもしれない。

 構造体としての階層を考えるなら、我々個人個人という存在は少なくともいくつもの下層の上にある。
物質の構造体の層構造はおそらく逆ピラミッド型である。
ようするに上の階層ほど多様性というものが増していく。
我々の段階ともなると、それぞれの構造体は確実にかなり違うと言っていいような存在になる。

 それとも我々は結局みんな似たようなものだろうか。

好きな人と別の誰かのキス

 むしろ相互作用と相互作用の区別とは何だろうか。
なぜ時空間に存在する全ての物質が互いに相互作用をして、宇宙という物質が成り立ってるというふうに考えることは何かおかしいように感じるのだろうか(地球の全ての現象を一つの相互作用と考えるようなガイア理論でも、何か少々怪しい雰囲気がある)
ガイア「ガイア理論」地球は生き物か。人間、生命体、生態系の謎  おそらく人間には嫉妬の感情がわかりやすい。
とても自分にとって魅力的な誰かがいたとして、その誰かが他の誰かとくっついていたとしたら、悔しいとか、辛かったりするだろう。

 普通に考えるなら、例えばその誰か二人がキスしていたとしたら、それはその二人という構造体が、より直接的に相互作用しているということになろう。
「キスの意味」男性女性の心理の傾向、恋愛感情との関係、なぜ受け入れるのか天使の恋愛人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」 宇宙全体をひとつとして、我々は単なる要素として考えたとするなら、結局誰もが相互作用しあう部品であって、キスしあう二人と、それをそばで見ているしかないあなたの立場は完全に同等である。
それをどうしても辛いことだと思うなら(辛いことでないとしても何かそこに感情的なものを抱くなら)、それはあなたが自分という構造体と他の構造体を区別していることを意味する。
構造体を区別してるということは、その構造体を成り立たせている内部の相互作用同士も区別しているということになるはず。

 それともそういうのは結局は極端な考え方なのだろうか。
なるほど、構造体は確かに何かの相互作用が生成しているのかもしれない。
しかし、相互作用によって生成された時、もうそれは相互作用している要素とは別のものとして考えるべきものになっているのだろうか。
個人という存在は、個人を生成している様々な化学物質の相互作用とはもう切り離して考えるべきなのだろうか。
だがそうだとすると、我々が多くの物事を考える際に利用する物理学というものは、一気に役立たずになってしまうかもしれない(少なくとも我々が考えたがるほど役に立つものではなくなる)。

愛の繋がりは、石と草より近いか

 単純に考えるなら、我々の相互作用は、時空間のある場所を占有しているものである。
我々の一個一個は、生物の同一性を生み出している相互作用であり、まるでその外部に広がる空間を支配している物理法則だけでは説明できない何かを持っているかのような特殊なもの。
この構造体空間内部で起きていることは『生命現象(Life phenomenon)』と呼ばれるのが普通。

 しかし仮に生命現象なんてものが我々の錯覚でないにしても、それだけで我々がものを区別する基準を説明するのは難しい。
我々は、生物はもちろん無生物に関しても、何か区別を想定しているからだ。
あなたが今、手に石を持っているとして、地球の反対側に生えている草とその石が同じものだと考えるだろうか。
おそらく、極限まで全身をくっつけあっているカップルの方が、まだひとつに近いぽい(我々はよく、愛し合う二人は心が近いなどという寝ぼけたこと(?)を言う)。

魂なんて存在するだろうか

 しばしば物質の相互作用というのは各要素を組み合わせた総和以上のものを生み出しているとされる。
これに関して我々にはものすごくわかりやすい例えがあろう。
(少なくともそれを物質的に考えたいなら)意識のないものを組み合わせて、意識が作られているということがそれである。
あなたは自分に意識があると思っているとしても、あなたから適当に取り出した細胞一個が意識を持っているとは(多分)思っていないだろう。

 あなたは意識というのは、物質とは離れた存在である魂という存在なのだと考えているだろうか。
それが正しいなら、あなたとまったく同じ化学組成の人間型を作った時、それは生理学的には何もかもあなたと同じであるのに、魂がないため生きていないということになる。

 それとも魂というのは、物質が魂の基準で生物になった時に、勝手に宿るものなのだろうか。

 また、あなたがいる時点で、同じ化学組成を作ることは不可能なんだとしても、それではあなたを1回バラして、もう1度復元したらどうだろう。
その場合、魂はいったいどうなってしまうのか。

 上記のようなことは今の技術では当然不可能であるのだから、これは世界の原理的に不可能なのだと考えることもできる。
そうだとすると同じ化学組成の人間型など考える必要ないのだろうか。
だがまったく偶然にそれが出来上がるという可能性はゼロでなかろう。
ゼロと考えるべき理由など我々は知らない。
1兆個のサイコロを振って全部同じ目が出る確率より低いかもしれないが、(現に我々が今存在しているように)組み合わせとして考えられるのなら、偶然そうなる確率はゼロではないだろう。
ゼロの空間的な何か「ゼロとは何か」位取りの記号、インド人の発見  それと、生まれた時のことを考えてみよう。
お母さんの『卵子』という細胞と、お父さんの『精子』という細胞がくっついて、あなたの始まりの細胞である『受精卵』は誕生している。
その受精卵が分裂し、変異し、また分裂し、ということをひたすらに繰り返して、あなたという存在は形成された。
卵「胚発生とは何か」過程と調節、生物はどんなふうに形成されるのかの謎 魂が宿ったのはどの瞬間だろうか。
精子と卵子にはすでに魂が込められているのだろうか。
受精卵が形成された段階で、母親の魂の一部でも、子に分配されるのだろうか。

 脳の一部に損傷を負ったために性格が変わってしまった人という事例は結構ある。
それどころか、気分が沈みがちな時に、薬を使ってそれをどうにかしたりする人もいる(そしてちゃんと多少の効果を感じている人も多い)。
薬というのは、確実に魔法でなく化学作用の技である。
ストレス「ストレスとは何か」緊張状態。頭痛。吐き気。あらゆる病気に繋がる難敵トラウマ「トラウマとは何か」原因、症状、治療法。心の傷を克服する術はあるか  魂というものが本当にあるのだとしても。それが物質とある程度は強い関係があることだけは確かであろう。
よくいろいろな宗教で、死んだあと魂になるやら、魂が抜けるとかいうふうな話があるが、もしも神経系の相互作用と魂が密接に関係しているならどうか。
死んで神経が粉々になったとしたら、もはや魂が、生きていた頃と同じ状態でいられない可能性は高いだろう。
むしろそう考えない根拠が(自称神の言葉とか以外に)何かあるだろうか。
我々の経験的には、肉体の死は明らかに魂の死である。

オートポイエーシス、アロポイエーシスのシステム

 我々という、この特殊な存在、特殊な空間の中で起きる生命現象というのは、『DNA』という(実質的に文章的とか、そういうふうに扱いやすい鎖状の分子構造になっている)手引き書に書かれた方法を使う分子たちの相互作用である。
細胞分裂イメージDNAと細胞分裂時のミスコピー「突然変異とは何か?」  全部分子で作られた小器官が、結局生物の体を構築するためのタンパク質(という分子の集まり)を作り、それを動かすための(分子構造の変換という化学作用で)エネルギーも作る。
卵かけご飯「タンパク質」アミノ酸との関係、配列との違い。なぜ加熱はよいか  質量というのはエネルギーであり、分子構造が変化した時、変化前の物質より、変化後の物質の質量が減るのなら、その減る分の質量はエネルギーとして放出される(別に大した根拠があるわけではないが、エネルギー保存の法則というものがあると、我々は基本的に信じている)
熱力学エントロピーとは何か。永久機関が不可能な理由。「熱力学三法則」  しかし、総合的に我々は自己生産、自己再生的で、細胞構造などをコピーする際のミス(特に危険な突然変異)とか、外部からの圧力などの要因さえなければ、我々は永遠に生きれるかのような印象すら受ける。
我々の細胞がどんどん新しいものに取り換えられていってるらしいことは有名であろう。
我々を作っている生命現象というシステムは、我々という存在を作って動かしているのに加えて、生命現象を起こしているための要素もちゃんと調整して、アップデートをし続けている。

 我々は例えば、自分たちで生産機械側のメンテナンスも続ける機構の備わった機械工場みたいなものだ。

 しかし実際、不老不死を獲得したぽい者はいても、伝説の域を出ていない。
錬金術「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石「サン・ジェルマン伯爵」最も高名な錬金術師の謎。どこまで嘘で何が本当か  とりあえず我々という存在は、自分自身を作り出すための装置、システムを自分たち自身で作っているようである。
このような生命のシステムに関して、『オートポイエーシス(autopoiesis)』という定義がある。

受け継ぐのは構成プログラムか

 チリの生物学者であるウンベルト・マトゥラーナ(Humberto Augusto Maturana Romesín)とフランシスコ・バレーラ (Francisco Javier Varela Garcia。1946~2001)が提唱したこのオートポイエーシスは、『自律性』、『個性』、『自身と外部の境界の認識』などを根拠として、生物システムを定義する。

 マトゥラーナとバレーラは特に革新的な事として生物システム(オートポイエーシス)は、「『入力』も『出力』も持たない」としたようだが、これは典型的な、直感に反することであろう。
我々は様々な栄養素を外部から明らかに取り込み、それらを使って 新しいタンパク質を作りエネルギーを生み出し、いらないものは排出する。
このプロセスは明らかに、入力と出力である。
数ブロック「写像とはどういうものか」ベクトル、スカラー、線形、非線形の定義  入力も出力も持たないという考え方は、生物システムは作動して初めてそのようなプロセスを発生させるのであって、作動させること自体には入力も出力も必要ない、という意味だと解釈する向きが強いらしい。
実際マトゥラーナたちも、「システムの在り方自体は入力出力に関係されない」というふうに再定義したとかいう話がある。

 入力出力なしで動く機械を考えてほしい。
少し考えると、そんなものは存在しないだろうという結論に至るのでなかろうか。
コンピュータの操作「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械 では生物はどうであろう。
子供のスイッチは母親が押すのだろうか。
それとも我々全員の共通先祖である誰かが押したのだろうか。
神様にでも押されたのだろうか。
宇宙が始まった瞬間から、生命体も始まったのだろうか。
だがもしも、宇宙がこれまで無限に存在していたのだとしたら、入力はなかったのだろうか?
ビッグバン「ビッグバン宇宙論」根拠。問題点。宇宙の始まりの概要  我々のシステムが、システムを稼働し続けるためのエネルギーを外部から取り込んでいるのは、確実な事実で、それはシステムの構築に関しても同じであろう。
オートポイエーシスが適用できるのは、おそらくは物理構造でなく、システム構造に対してのことである。
ようするに我々は、そもそも自己を稼働するためのプログラムを外部からの入力なしで、自力生成できるコンピューターなのである。
宇宙プログラム「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性  ちなみに、通常の機械工場とかコンピューターとかみたいな、普通に別の構造を生み出すためのシステムは、『アロポイエーシス(allopoiesis)』と呼ばれている。

 DNAを、我々の全ての動作を決定しているプログラムと考えてはいけないのだろうか。
そうだとすると、我々が先祖から受け継いできているものは、構成プログラムということになるだろうか。

境界の決定。我々の空間、世界空間

 我々自体をひとつの世界空間と考えてみよう。
この世界空間をもっと広い宇宙という空間においた時、確かに外部からの視点では、それはオートポイエーシス的にシステムを作っているかもしれない。

 しかしその個別の世界空間の中にある、各細胞やその小器官、細胞の集合体、その相互作用、エネルギーのやり取りなどのそれぞれは、世界空間の中におけるアロポイエーシス的システムと言えるのでなかろうか。
そうだから、生命体をオートポイエーシス的とする時、自身と外界の境界の区別、認識が想定されているのだろう。

 しかしなぜ機械工場を生命体と同じように、その外部と隔絶された世界空間と考えてはいけないのか。
文字通りに外部のものじゃなくても、そこで働き、機械を調整し、作動させる人間たちを、なぜ我々が利用している外部のエネルギーのように、外部要因と区別してはいけないのか。

 物質の相互作用とそれが空間を占める割合などで宇宙を説明する時。
我々の神経回路と回路が繋がっていて、意識(神経系の動き)によって動かすことができる義手などを付けたとする。
それは機械工場の設備追加とそれほど違うだろうか。

 機械工場を作るのは我々が望んでいるからだろうが、意識というもの自体がすでに物質的なものであるとするなら、ある意味、我々が望んで機械工場を作るというのも、「物質の原理によって機械工場が作られている」と言えないだろうか。
これは仮に、魂というものが存在すると仮定した場合であったとしても、それはおそらく物質の相互作用と強く関連しているわけだから、反証に使えないと思う。

 我々の境界の決め方が、理性でなく自惚れによって成されていないと、誰か自信を持って言えるだろうか。

我々の定義も変化し続けるのか

 化学変化の記述は記号論とされる。
現にそこに存在する様々な作用や物質を記号的に定義し、数学的操作によって、それらの動きとか変化とかを説明する。
生命現象の記述も普通このような形で成される。
幾何学なぜ数学を学ぶのか?「エウクレイデスと原論の謎」  しかし、オートポイエーシスでなくとも、一般に考えられような 各要素が必要に応じて変化したりする生命現象システムにおいては、過去未来の状態も考慮に入れないと、確実に真実の説明ができない。
単純に、記述に使われる記号自体が刻一刻と変化しているためだ。

 それともある瞬間のシステムの状態を確認することができれば、それがかつてどのように変化したのか、これからどのように変化するのかを見通すことが可能だろうか。
数多くの数学者、物理学者が、宇宙全部の状態を完璧に把握できるのならそれは可能だとかつては考えたとされているが、現在では、不確定的な要素が必ず存在するために、それは不可能だと考えるのが普通である。

 物質に不確定的な要素があるかどうかはどうでもいいこととしても、我々がそれを思考、記述するために使っている言葉や数学がそもそも、本質的に不確定だとされている。

 かなり奇妙なのが、我々が変化を続ける自己を、常に他と区別できていることだろうか。
区別の基準は常に変わっているのだろうか。

別の時空間

 何かを把握する時点で、そのための時間がいるが、だがそれを把握している時間の経過により、また世界の相互作用の模様は変化されてしまうから、結局全てを知ることはできないという理論もある。
全てを知った瞬間というのは、ある意味、化学者がよく「理想気体」というのを想定するのと似たような感じかもしれない(理想状態か理想時間とでも呼べばいいのか?)。
だが、この時空間というのを実在のもの(いわゆる1つの系)として考えるなら、全て(今の瞬間のあらゆる要素はもちろん、過去未来全ての瞬間の要素)を知ることは可能なはずである。

 もうひとつ別の時空間(別の系)を用意して、そっちを使えばいいのだ。

 映画のキャラクターのことを考えてみよう。
これは映画の世界が現実にあるというような感じではなく、文字通り映画の物語だけがそこにあるというような感じと考える(つまり 我々が画面に見る情報だけがその世界の全てなのだと考えよう)。
おそらく登場人物はある程度の時間生きているつもりでも、2時間程の存在なわけである。
そこで登場キャラクターが、自分は所詮映画のキャラクターなのだと気づいたところで、自分が出演してるのがどういう映画なのか、2時間の間に全ての様子を把握しきることは難しいはず(というより不可能だろう)
しかし我々はどうか。
何度も何度も映画を繰り返し見れば、背景のモブの人数や、1カットしか出てこない登場人物の服のメーカーまで完全に調べきることができるはず。

 別の時空間の者は、別の時空間のある瞬間にいなくてはならない、ある瞬間しか知ることができないというようなことはないだろう。
つまり我々が、映画の情報を隅から隅まで調べるかのように、別の時空間のすべての情報をじっくりと調べきることができるはずだ。

 万能の神が本当にいるのだとしたら、おそらく別の時空間の住人であろう。

細胞一個でも境界を持つことは可能

 一個の細胞だけ見てみると、それもやはりオートポイエーシス的とよく言われる。
ところで我々生物には、『免疫(Immunity)』というシステムがある。
体内から侵入した異物とか、変異を起こした危険な自己細胞(癌)に対する防御機構である。

 脊椎動物の今 免疫を担う細胞として、「マクロファージ」や「NK細胞( ナチュラルキラー細胞)」などがよく知られている。
理科室「微生物の発見の歴史」顕微鏡で初めて見えた生態系  マクロファージのような「白血球(Leukocyte)」は、 誰からの異物を除去し、NK細胞は ウイルスに取り憑かれた細胞や癌を殺す。

 それら免疫細胞の起源は、他の細胞を食べる原生生物(細胞核を持つ微生物の種)にあると考えられている。
原生生物も自己を見分けている可能性はかなり高い。
そうでないと、どうして他者ばかり狙って食いつぶすことができよう。
自己認識のシステムがあって、自己と違うと判断されたものに対しては無差別攻撃を仕掛ける。
免疫細胞もこのような形式で動いていると考えられる。

 自己認識こそ生物の基本原理と考えたくなるかもしれない。

 NK細胞は、元は自己細胞である、ウイルスにかかった細胞とか癌細胞も非自己(敵)として認識していると考えられることから、その認識は他の免疫細胞よりも、より厳しいものと考えられる。
花粉症マスク「アレルギー発症のメカニズム」なぜ起きるのか?なぜ増えたのか?  微生物は免疫細胞の自己認識は、互いの遺伝子の比較によって生じていると説明できるという説は結構有力。
実際、免疫システムの中に、このメカニズムがいくつか見つかっているという。

時間はどこに存在しているか

 アインシュタインの相対性理論は広く信じられている。
「アインシュタイン」人類への功績、どんな人だったか、物理学の最大の発明家 それにおける最も有名な結論のひとつ、「個々人の体感する時間は異なっている」というのは、我々を物質相互作用のシステムで見る時、どう考えればよいか。

 まず単純に境界を設定している存在、ある単細胞生物と、別の単細胞生物の時間が異なっているとしよう。
何もおかしいことはない。

 では、いくつもの細胞の集まりである我々の細胞ひとつひとつの時間が異なっているとしよう。
やはりおかしいことはないだろう。
その瞬間瞬間で、生理的に機能する細胞たちが、その瞬間瞬間の集合構造、生物を構成する。

 ところが、相互作用の集合構造たる我々の一人一人が、個別の時間を体感しているというのは、どうもおかしくはなかろうか。

 時間はどこで感じられて、どこに存在しているのだろうか。

 細胞一つ一つの時間は同じなのに、その集合体の時間は異なるということなどありえるのだろうか。
そうでないなら、別々の時間を体感している細胞たちが、なぜ集合構造をなすだけでもなく、ひとつの時間を体感する生物を生み出すことができるのだろう。

 我々の体感しているこの時間というものが、意識と同じように、 物質の相互作用が作り出した単なるまやかしであると考えるなら、何も問題はなくなるかもしれない。

 だがそのまやかしはどのくらいのレベルなのだろう。
細胞だって、いくつもの原子の集まりだ。
原子を構成する素粒子はどうだろうか。

 時間はどこに存在しているのか。
この問いは何を聞いているのであろう。

その瞬間に生きている

 また、もしもある瞬間に機能しない細胞が大量にあったとしたら、その瞬間その生物は多分死んでいるということになる。
少なくとも我々ならそれを死んでいると判断する。

 だが次の瞬間には、それらの細胞が蘇っている時、そいつは一瞬だけ死んで、次の瞬間にまた生きているのだろうか。
死の境界というのは、どのくらい曖昧なのだろう。
決定的なのだろう。

 1000の細胞があれば生きられる生物がいるとしよう。
1個なくなると、その生物は死ぬだろうが、1000と999というのはあまり大した差ではない。
無事な細胞の分裂によって、少し後には1001の細胞になっている可能性もある。
その場合、なぜ1000の細胞で生きれる生物は蘇らないのか。
少なくても蘇るのだと我々はイメージしないのか。

 必要な部品数を確保したところで、システムまで再現するのは難しいのだろうか。

我々はコマで、世界はゲーム

 生命体が崩壊したとしても、物理法則は変わらない。
しかし物理法則が変わったら、 生命体のシステムは崩壊し、結果、生命体も崩壊する。
生命体のシステムが崩壊しない限り、安定した(適応した)環境にいる生命体が崩壊することはない。
つまり生命体のシステムは、物理法則が変わらない限り、崩壊しない。

 物理的な相互作用が我々を生み出しているというのなら、上記の通りだろう。
物理法則というものは変わらないでほしいと考えているのは、物理学者だけではないわけである。

 我々はこのような物理法則というものが、どのような原理で成り立っているのか本当は知らない。
どう都合のいいように解釈しようとも、今の我々が知っているのは、そのさらなる深淵の原理が発生させている、物理のルールだけである。

 オセロとかチェスみたいなゲームは、世の中にたくさんある。
オセロ「オセロのルールと戦術」序盤の鉄則、中盤のコツ、終盤の勝ち方チェス「チェスのルールと基本」コマの動き、ポーンの価値、チェックと引き分け しかし誰かがルールを考えたのでなければ、そのゲームは存在しない
ゲーム中ゲームとは何か。定義と分類。カイヨワ「遊びと人間」より  物理法則は誰が考えた?